幕間 その2

 聖地を守る、という主義主張だけで、全ての種を纏めるのは難しくなったのは、随分前の事からだ。それでも未だ集落を維持できているのは、一重に長く暮らし続けてきたから――故郷として定着しているから、という理由故だろう。


 故郷を攻撃されて、恨まない種族はいない。

 敵は数を有利に戦おうとするが、狭い森の中では軍隊を上手く活用できず、しかし森になれた獣人族や鬼族にすれば、格好の的でしかなかった。


 自らが外へ打って出る事はないが、攻め込まれて敗戦した事もない。追い返す、勝利を謳うというのは、一時は気分を高揚させてくれる。地理的有利があり、それに助けられた勝利があればこそ、今まで森を守るという意義も保てた。


 人間側に和平という選択を持たず、森の民は不当な占拠をしているという主張だから、いつまでも攻め立てるのを止めない。森の焼き討ちも魔術に秀でたエルフ相手に効果は薄く、すぐに鎮火させ、更に健全な形に戻すから、人間たちも攻め勝てない状態が続いていた。


 一進一退という程、楽観できる状況ではない。

 正面からは勝てないと見て、人間たちは森に住む者を魔族と言い習わし、森へ入る者全て問答無用で攻撃してもよい、という風聞を作り上げた。


 森に暮らしていなかったエルフに対しても攻撃的になり、奴隷として売り捌く例も少なくない。

 二百年前の戦争にも、フロストエルフと直接関わり合いのないエルフであろうと、ただエルフであるという理由で、排斥するようになったのだ。


 当然、素直に暮らしていけないとなれば、後は逃げるしかない。

 そして頼りに出来る人がいないなら、森へ逃げ込むしか残された道はないのだ。しかし、そうなれば魔族として扱われ、むしろ堂々と襲って良いというレッテルを貼られる。


 頼ってくる同胞に対し、逃げ込める先として、いつでも快く迎えてやりたいと思う。

 しかし森の外では巡回兵が見張っている。外周を守護する鬼族によれば、常に虫一匹逃さないというほど網を張っている訳ではないものの、やはり警戒だけはしているのだと言う。


 それに兵だけではなく、私掠団の様なものすら出来上がっている。

 冒険者くずれか、あるいは本職か。それが森からほど近い場所に、野営地まで築いて襲い始めた。森に近づく者なら誰であれ奪って良いというお墨付きで、森へ逃げ込もうとする同胞を襲っている。


 これは冒険者が進んで行っている事ではなく、デルン王国の策謀だ、とする声もあった。だが、どちらであろうと同じ事。森の民を――引いては森へ逃げ込む者を襲っている相手が、どの手の者だろうと関係ない。


 デルンから敵対される者として、逃げ込みたいと言う者を見放す訳にはいかなかった。

 助けてやりたいと思うが、森から離れた場所では不利になる。奴らは追い払っても、幾らでも湧いて出て来る。一人二人というならまだしも、基本的には集団でしか動かないから、正面から戦えば森に犠牲が出た。


 遮蔽物のない場所では特に犠牲無く勝つ事は難しく、幾らでも補充される相手と同じ事をしていては、いずれこちらが根負けする。

 根比べをする意味などなく、そうでなくとも敗戦は濃厚だった。


 ――昔ならば、そのような無様を晒す事もなかったのだが……。

 ヴァレネオは歯噛みして、大いに顔を顰める。


 いつからか広まったものか……百年以上前から、少しずつ刻印を持つ者が増えてきた。

 魔術の真髄も知らず、ただ道具のように扱って、それで優位を得ようとする者どもだ。本来なら長く険しい道を経て得る魔術を、まるで松明に火を付けるような気軽さで扱ってくる。


 エルフにおいても簡単ではない中級魔術を、制御する素振りも見せず繰り出されて、当時は正気を疑った。

 威力そのものは習熟したエルフに適うものではないが、しかし制御による集中を必要とせず、また石を投げるような気楽さで放たれる技術は、恐怖に値するものだった。


 魔術の扱いやその威力については、いつの世もエルフに軍配が上がってきた。

 だが人数で勝るのは、常に人間の方だ。

 数が多ければ、正確さや威力は二の次に出来る。とにかく数を揃え、そして粗悪であろうと放てば良いのだ。


 力量差が顕著でなければ、少数を制するには、それで十分になる。

 同じ規模を再現する事は造作もないが、中級魔術には集中力と制御力を要する。誰もが素早く制御できる訳でもなく、立ち止まって集中する必要だってある。だが、敵は即座の発動を可能としているのだ。


 不利は否めない。

 そして森の住人達が数を減らす以上の損害を、敵側に与える事が出来ないのだ。同数の敵を倒すのは難しい事ではない。

 しかし、十倍の被害を出してやらねば、釣り合いが取れるとは言えない。遮蔽物のない場所での不利は大きく、だから森の外で戦う事は禁じねばならなかった。


 助けを求めて森に近づく者たちを、目の前で攫われて、為す術もなく見ているしかなかった事もある。遊撃に出ようとする仲間を、押し留める事で多くの反感も買った。

 だが、見えている敵が、全ての敵とは限らない。


 伏兵を隠している事は多く、敵の規模も分からない。若い者は森の生活しか知らないから、人間の数がどれだけいるか、実感として知らない。

 どうしても森の生活を物差しとしてしまい、敵の数が少なく見えれば、それ以上いる筈がないと思ってしまうのだ。


 だから、ヴァレネオの行動は腑抜けに映る。

 ほんの数人蹴散らせば助けられた者を、血を流す事を恐れて見逃した、と見做すのだ。

 本当に伏兵がいたのかどうか、それはヴァレネオにも分からない。本当は森を侮って、少数で来ていた者たちかもしれない。


 だが、それが分からない以上、森を預かる者として、慎重にならざるを得ないのだ。

 窮屈な森の生活、常に外敵が森を見張っているストレス、見殺しにしたと糾弾する捌け口……。そういった積もり積もったものが、集団の和を乱し、種族間の諍いを招いている。


「はぁ……」


 ヴァレネオは我知らず、重い溜息を吐いた。

 ――二百年前のある日、姿を消した彼女の事を思う。

 元より別れは切り出されていた。戦争の終結まで、という約束もされていた。いなくなった事を恨むなど有り得ないが、しかし寂しくは思う。


 もしも彼女が残っていたら、きっとこの様な事態にはなっていない。

 彼女を頼みにするだけの考えなど浅ましい限りだが、現在の窮地を思うと、縋らずにもいられなかった。


 ――何しろ。

 心無い若者が聖地へ隠れて踏み入り、そこに何者の姿もない事を確認してしまった。

 来たる時に備えて眠っている事になっているミレイユが、実はもぬけの殻だった。その事実が集落を駆け回り、今では様々な、あらぬ噂が飛び交う始末だ。


「起き上がったばかりで、久々に外の世界を見に行っただけ、と説明はしたが……」


 信じている者は、殆どいないだろう。

 我ながら苦しい言い訳だったと思う。

 少し外を見回ったら、すぐにでも帰って来るし、その時改めて皆に説明するつもりだった、そういう説明でその場を切り抜けた。


 なし崩しにして逃げたものの、それとて五日と保たず不満が噴出するだろう。

 森を捨て遠くへ逃げるべき、という発言が更に強さを増す筈だ。ミレイユの邸宅を守りたい、というのはヴァレネオの――引いてはフロストエルフ総員のエゴだ。


 真に守るべきは森に暮らす全員であり、形として残るばかりの家ではない。

 囲い攻めも日々激しくなる一方、オズロワーナから遠く離れた場所では、実に平和なものだと言う。彼女の名前は異端ではなく、今なお敬意を持って語られる地域もあると聞く。


 彼女の遺産を持って逃げるべきか――。

 だが、狙いが彼女の私物である以上、これを持っていけば同じように追い立てられるかもしれない。遠く離れた場所まで遠征するのは容易ではなく、諦める可能性も十分あるが……。

 しかし、戦火を遠い異国の地にまで飛び火させる訳にはいかない。


 そして、彼女の武具を手に入れたデルン王国が何をするつもりか、それを思えば残していくのも憚られる。

 初代から数え、今なお同様の思想を継承しているとは思えないが、かつては武具さえあれば力づくで他種族を平定できる、とでも考えていたのだろう。


 一人のみならず、それが十人の戦士に身に着けさせたなら、それも可能だと考えていたのかもしれない。だが、今では単に長いあいだ楯突いてきたエルフに、憎しみと制裁を加えたい一心で行動しているように見える。

 本当に只それだけなら、逃げてしまえば追って来ない目も生まれるかもしれない。


 早々に決断しなけば内部崩壊を起こす危険があるし、その時にはヴァレネオが責任を取って何らかの処罰も必要だろうが、本当にそれで良いのか、という警笛が胸の内で鳴っていた。


 処罰を恐れての事ではない。

 森に住む全ての者にとって、本当の最善は何なのかを考えると、何故か胸騒ぎがして止まらないのだった。

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