幕間 その3
机の前で、まんじりともせず座っては、難しく眉に皺を作っていると、戸の扉を叩く控えめなノックが響いた。
返事をして入るよう指示すると、集落の見回りをしている一人の男性エルフが顔を出した。
「お忙しい所、失礼します」
「……どうした、そんな顔をして」
ヴァレネオが指摘したとおり、その男性には訝しげな、あるいは大きな懸念を匂わせるような表情をしていた。
「えぇ……、本日一組の親子エルフが森に辿り着きまして。外周警護の鬼族に警護され、先程迎え入れました」
「それは……珍しい。だが、喜ばしい事ではないか。小さな子を連れて、冒険者か巡回兵の目を潜って辿り着くのは、容易な事ではなかったろうに……」
ヴァレネオは心底感心するように声を零し、それから親子へ慮って配慮を勧める。
「森へ逃げ込むしか無かった者たちだ。手厚く歓迎してやりなさい。食料も備蓄から回して構わないから」
「はい、そうさせます。ですが、言いたいのはその事ではなく……」
「なんだ、それとも……その親子は、人間側が送り込んだスパイだとでも?」
数が少ない方が発見され辛い。だから少数で行動するのは理解出来るし、だから辿り着けたとも思えるが、しかしたった一組で掻い潜るのも簡単な事ではない筈だ。
森のすぐ近くまで辿り着き、しかし森の中まで入り込めなかった逃亡者達を、ヴァレネオは何度も見てきた。震える拳を握り締めながら、それを見ている事しか出来ない自分に怒りを覚えながらも、そうしなければならかった過去を思う。
それを思えば、たった一組で辿り着いたと考えるより、送り込まれたエルフと考える方が妥当な気がした。内部をつぶさに調べ、いずれ行う予定の大攻勢の役に立てるつもりなのかも……。
森の外に作られた、計五つの野営地は、その前準備だと思っていたし、ならば攻撃の日は近いと考える事もできる。
ヴァレネオが疑念と敵意の籠もった視線を向けると、相手は慌てて手を振った。
「いえ、違います……! そうではなく、逃げ切る……というか、子供だけでも逃がす手筈を整えて、それで何とか逃げて来たそうです……。でも結局、巡回とは別の憲兵に見つかったようで……」
「巡回も憲兵も似た様なものだろう。だが、よく逃げ切れたな……」
「はい、一度は撒いたと思って戻ったところ、しかし結局捕まりそうになったと……」
相手が口にする台詞は、どうにも歯に物が挟まったような物言いでハッキリしない。
自分自身、それを報告して良いものか迷っているような口振りだった。
特大の問題が頭上を圧迫している今、ヴァレネオに長く付き合ってやるような余裕はない。早く言うように急かすが、やはり口ごもりながら言った。
「一組の冒険者パーティに助けられたそうなんです。五人組の……」
「冒険者に助けられ……。それもまた珍しい事だが、中には国の利害を超越して行動する者もいる。国に属しているという意識が薄く、だから自分の信念に則って動く者がな。……最近では、めっきり見ないが」
「えぇ……。それがですね、その中にいた四人が、明らかに我々の良く知る方に似ていると……」
遅々として話が進まなく、流石にヴァレネオも苛つきが募る。
結論を先に言え、と強く催促して、それで相手も意を決したように口を開いた。
「その者は、自分をミレイユと名乗ったようです。他に同行していた者の人相も、我々が知る彼女らと良く似ています。ですので……まさか、本当にあの方が、と思ってしまうのですが……」
「そんな……! 本当なのか!?」
「はい、本人はそう説明しています。フロストエルフも同行していて、だから助けを求めたのだと……!」
「だが、しかしそんな……! 有り得ない!」
現在、森の外で暮らすフロストエルフは存在しない。
戦争時に全員が森から出て戦っていたし、その後敗退してからも、現在の森で暮らしている。外に出て行方不明になったフロストエルフはいないし、知られずに別の森で暮らしている者も居ない筈だった。
ミレイユとその仲間の格好は、広く知られた話だ。
田舎暮らしの冒険者は、その冒険譚に胸踊らせて、験担ぎも兼ねて似た格好をする者もいるのだという。彼女を慕い、またその武威に肖りたくて似た格好をするのは好ましく思えるが、この時にあっては判断を曇らせる一報だった。
思わずそれに縋り付きたくなる。
本当に彼女なら……彼女たち四人がこの場にいたら、どれほど救われ、また事態が好転する事だろう。だが、現実はいつだって厳しい。
五日ほど前の事、空を引き裂くような魔力が光柱として天へ昇っていくのが見えた。
それだけの魔力を可視化させる事は勿論、その覚えある魔力波形に期待を寄せ、あるいはと思ったものだ。
彼女が姿を消して二百年、その年月を思えば本人だとも思えないのだが、もし自分の位置を知らせたいという理由で放ったのなら……。
そう思って部下を数人引き連れて向かった先には、損壊した地面以外、何も残されていなかった。争った形跡もなく、魔力によって抉られた地面ばかりが残る草原には、何一つ痕跡は残っていなかった。
歓喜の感情が大きかっただけに、落胆もまた大きい。
結局無駄足を踏ませた事を侘び、失意のまま帰路に着いた。
ヴァレネオは、それらを思い出して顔を曇らせる。だが、それを見た衛兵は、その杞憂を吹き飛ばすかのように、声を弾ませ言い募る。
「金髪の戦士は、刻印を持つ憲兵二人に対し、まるで赤子を捻るが如しだったそうです」
「そんなもの、いる訳が……!」
咄嗟に否定しかけたが、彼女が信頼していた一人の戦士を顔に浮かべれば、実に容易い事だと理解できてしまう。刻印は魔術を非常に身近なものに変えたが、だから扱う者の力量も、上下の幅が非常に大きい。
刻印があるからと全てが厄介な訳でもないが、しかし二人の憲兵を同時にとなると流石に捨て置けない。
もしかすると、あるいは――。
ヴァレネオの気持ちが上向いていく。あの場にいなかったのは、待っている間に移動を開始したからだ、そう思おうともした。だが、待つつもりもなく、あのような合図を出した理由は思いつかなかった。
だから、思い縋るあまり混同したのだと、自分の中で結論づけたのだ。
――それが、間違いだったとしら。
「その親子は何処にいる? すぐに連れてこれるか? 詳しく話を聞きたい……!」
「ハッ! 疲れてはおりますが、怪我もなく健康です。話す分には問題ないと思われます。すぐに連れてまいります……!」
機敏に身体を翻し、足早に駆けて行く背中を見ながら、ヴァレネオはもしかしたらという期待感に胸を膨らませる。
だがそこに、水を差すような声が入って来た。
「……お待ちを」
衛兵の影に隠れて見えなかったが、まだ他にも誰か居たらしい。
暗闇から湧き出るように姿を見せたのは、森の定住を始めてから幾らかしてからやって来た、一人の男だった。黒髪赤眼の中背中肉、特別外見的にも秀でたところはなく、どのような風景にも溶け込めそうな風体をする者だった。
古株なので何かと話をした事もあるし、時として有益な助言もあるから、敢えて疎遠にはしていない。しかし、付き合いの良いとは言えないこの男が、執務室に現れたのは少々意外だった。
「スルーズ、どうしたと言うのだ……?」
「かの者の探索、私にお任せ頂けないかと……」
「なに……? しかしまだ、当の彼女が本物であるか、その真偽を確かめる段階だろう。決めつけ動いたところで、勘違いなら捜したところで意味もあるまい」
「はい、ですから……。このあと確認が済み、その真偽が信じるに傾いたなら、その時は私にお任せ頂きたい、とそう申しているのです」
提案自体はこの場で蹴る程の事ではないが、しかしこの場で申し出るには不安を感じる。
向こうから訪れるつもりでいるのなら、この森には罠も多く一筋縄にはいかない。集落を見つけ出すのも困難であろうし、それなら迎えに行く、というのは悪い提案でもなかった。
とはいえ、こちらから見つけ出すにしろ、それが彼で良いのか、という問題もあった。
彼女と面識が無い者より、娘とも面識のあるエルフを遣わした方が面倒も少ないだろう。手紙一つ持たせるのでも、やはり顔馴染みの方が話は早い。
スルーズが自分で申し出なければ、その役目には絶対抜擢しなかった。
かといって、彼に敢えて頼む理由も、やはり無かった。
「申し出自体は有り難いがね……」
「いえ、どうぞお聞き下さい。彼女がエルフを気に掛けていて、そしてその親子を送り届けたというのなら、一緒に森へ踏み込んでいる筈でしょう?」
「それは……確かに、そうかもしれん」
「であれば、彼女には後ろめたさのようなものがあるのかも……。素直に顔を出し辛い、そういった心情があるのではないでしょうか……?」
それもまた、有り得る話だった。
二百年もの音信不通、本来ならそれは彼女の死、という形で納得するものだ。しかし寿命程度どうだと言うのだ、と思ってしまうのは、彼女の力を知っていればこそだ。
「いっそ、姿を隠してしまうやもしれません。エルフが捜しているなどという噂が立てば、やはり姿を見せ難くなるものでしょう」
「一理あるが……」
「私ならば、その点心配いりませんし、情報の収集も得意としております。顔見知りという点においても、……適任かと」
実際、森の奥では入手できない情報は、このスルーズがもたらして来たものに頼っている。嘘も虚偽の報告もした事がないし、外の野営地が冒険者を使った王国の策謀だ、と教えてくれたのもスルーズだ。
どこから仕入れた情報かは知らないが、この古株は一度として不利益を森に運んでは来なかった。人付き合いを苦手にしているのに、どうやって情報を入手しているかは気になっていたが、その能力を疑ってはいない。
「そもそもエルフが、外に出て捜す危険性も承知している。バカ正直に耳を出して捜す訳でないにしろ、まず森から出るのも簡単な事ではなくなっているしな……」
「その点、私なら上手く隠蔽して出入り出来ます。これまで同様、吉報をお待ち頂ければ……」
「そうだな……。ユミル殿と同じ一族、その言葉が嘘でないと証明できる機会でもあるか。今更それを疑ってもいないが、しかし同胞といち早く会える機会だ。それを逃したくはないか」
「そういう意味ではありませんが、しかし……えぇ、神々の思し召しでもあります」
「神々、ね……」
影の向こうでにたり、と笑うスルーズに嫌悪の眼差しを向けて顔を顰めた。
今となっては、エルフも神を信奉していない。かつての戦争時、神から見放されたという意識が強いエルフからすれば、当然の感情だった。
失ってから気付くとは言うが、信仰の見返りとしてあった疾病治癒の加護も無くなり、病が森で流行った事もある。新たに祭壇を用意しても既に遅く、その声も加護も届く事はなかった。
どちらが先に見限ったのか、などと申したところで後の祭りだ。それからというもの、神に対する忌避感は募るばかりだ。
その中にあって、未だに神への思慕を捨てられないスルーズは異常に思えるが、一々咎める程ではない。それはヴァレネオには鼻の付く事だが、排斥する程ではなかった。
彼は有能でもある事もまた確かで、それだけの理由で放逐するのは如何にも惜しかった、というのが理由だ。
「だが、戦争も近い、と予想している。あまり森を離れて欲しくないのだが……」
「この時期だからこそです。かの者が見つかれば、趨勢など決まったようなものでしょう」
「彼女には十分以上世話になった。恩義も感謝も十分ある。この上、恥の上塗りをするつもりはない」
「……それは本音ですか? まぁ、よろしい。かの者が助力するかは別として、見つけ連れて来る事に異存などない筈。里の混乱も少しは収まりましょう。……どんな手を使っても、連れて来るだけの価値があると思いますがね」
「それは少々過激な発言だな。戦争は我らがすべき事。だがその上で、一度でも顔を見せて頂けるなら、これほど光栄な事もない」
そう、それに比べれば里の混乱など些事に等しい。
この混乱の始末は自分が付けることで、彼女を頼るつもりで捜すべきではない。ただ本物ならその感謝を伝えたい、その一心で捜すというなら咎められるものではないだろう。
スルーズは暗闇の中から笑みを浮かべた。悪事や奸計を巡らすように見える笑みだが、これは彼の癖だった。
ヴァレネオはその様に感じている。これまでも同じ笑みを浮かべていたが、それでも里の不利益を持ち込んできた事はない。
長い年月が、その誤解を解いてくれたが、しかし今回だけは酷く不安が勝る。
「勿論ですとも。ですから、見つけ出します。必ずや、見つけ出してみせますよ。どんな手段を講じてでも……」
「……うぅむ。いや、待て」
ヴァレネオが止めようとした時には遅かった。闇の中に溶け込むように姿を消し、そして気配も既に失くなっている。不吉な予感はしたものの、最早どうにもならない。
せめてスルーズの口から出た言葉が、単に大袈裟な物言いである事を祈る他なかった。
先走ったスルーズだが、そもそも本当に彼女であったか確証もない。
今もまだ待たせたままでいる衛兵に、その親子を連れて来るように頼み、ヴァレネオはすっかり疲れ果てた気分で、椅子の背もたれに身体を預けた。
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