静けさ、その後 その9

 エルゲルンは退屈そうに欠伸までして、緊張感のない顔つきで外を向いていた。その肌は勿論、服にまで影響が見えない。火傷どころか、服の裾に焦げすらなく、煤も付いていなかった。


「チィ……ッ!」


 漣から憤りの籠もった舌打ちが聞こえた。

 アキラも同様の気持ちで毒づきながら、苦い顔をしつつ敵を睨み付ける。

 ミレイユにだって、あれは出来ない芸当だった。あの飽和攻撃に対しては、理術の行使で無力化はさせたが、一切の無防備で受ける事は避けた程だ。


 エルゲルンには、それが出来るだけの力量があるのだろうか。

 理術に対して高い耐性を持つのか、それとも何か別の――。

 そこまで考えて、侑茉が何かタネがある、と言っていたのを思い出した。


 攻撃が利かないなど、端から思慮の外だった。そもそもが最精鋭、外向術士として誰より優れた漣が率いる部隊もある。それだけで倒せるほど容易い相手でもないだろうが、一切の傷を負わせられないとも考えていなかったのだ。


 これが単に力量差によって生まれた結果なのか、それとも別のタネがあるのか、それを見極め暴かなければ、守護隊の二の舞いになるだけだろう。

 攻勢理術が効果的でないというなら、次は近接戦闘を仕掛けるしかないのでは――。

 アキラがそう思っていると、果たして結希乃が号令を下した。


「近接部隊、前へ! ――支援ッ!」


 結希乃の声でアキラが前に出る。凱人や七生といった、見慣れた顔も横に並んだ。それと同時に支援がアキラ達の身体を包み、そして筋力や体力などが強化された感覚が突き抜けた。


 アキラは刀を握り締め、深く呼吸を始める。

 全身に理力の巡りを感じ、十全に制御させる事を意識しながら、次なる号令を待った。


「――掛かれ!」

「ウォォォオオオ!!」


 怒号と共に飛び出したのは凱人の部隊だった。

 自身が率いる隊において、凱人だけが突出した速度を持っているので、一人突っ走る傾向のある彼だが、この時ばかりは自制できたようだ。二歩ほど前に出ているものの、陣形を崩す程ではない。


 アキラも七生も、その後に続く形で飛び出す。

 凱人を一の矢だとすれば、アキラと七生は二の矢、三の矢だ。凱人の攻撃が通れば、それに続く形で攻撃を加え、反撃などがあれば凱人部隊がそれを受け止め、左右へ別れて攻撃を加える。


 そのつもりでいたのだが、肉薄できる距離まで接近したところで、エルゲルンの姿が忽然と消えた。咄嗟に視線を動かせば、離れた位置に同じ格好で立っている。

 その手には今しがた理力を行使した痕跡の残る、淡い光が残っていた。


 だがそこで、アキラは小さな違和感を覚える。

 理術を使ったのだとすれば、それは転移だとしか思えない。だが、だとすれば、ごく短距離のものだったとしても、あまりに早すぎる。

 転移術を使って貰った経験からして、シャッターを押したように消えるようには出来ていない、という感覚でいる。だから目の前で起きた事が不可思議に思えた。


 術を制御して使えば、それは光という形で現れる。どのような術であれ、それは隠せない痕跡で、そしてそれは使った術の系統で色の変化が表出する。

 ミレイユの使った術とは、その色に違いがあった。ミレイユが紫であったのに対し、彼の手に残った光は緑だった。ならば別系統だと思うのだが、それだと転移できる理屈が分からない。


 術の全てを知らないアキラだから、単に未知の術を使われただけとも思える。

 だが、攻勢理術に癒しの術がないのと同様、転移という同じ結果を生みつつ別系統の術、というのは有り得ない気がした。

 ミレイユがこの場にいれば、あの術の正体を、その場で看破できたのだろうか。


 七生へ視線を向けても、瞬時に移動した事に驚いていても、術にまで気を回している風には見えない。咄嗟の方向転換でエルゲルンへ向かい、距離的に凱人より早く肉薄する事になった。


「――シィッ!」


 七生の繰り出した剣撃は、アキラから見ても凄まじく鋭いものだ。

 ミレイユから薫陶を受けた時より更に鍛練を増し、今では凱人ですら受けるのを嫌がる程になっている。エルゲルンは未だに武器らしいものを見せないが、七生から逃げる素振りを見せなかった。


 隙は極限まで小さく、突き刺すように見える胴薙ぎは、その直撃寸前で取り出された剣によって阻まれた。見たことない形状の武器で、サーベルのような形に似ているが、それともまた別種な気がする。別の文化から生まれた、その個性を表した武器なのかもしれない。

 それまで何も持っていなかったように見えたのに、七生は剣が握られている事に驚かざるを得なかったようだ。


「くぅ……ッ!」


 だが七生に動揺は少ない。七生の隊員が既に攻撃を加えようとしている。攻撃を受け止めさせた事が功績とも言えるし、一撃を加える事が出来るなら、それは誰でも意味ある事だ。

 だが、隊士の攻撃はあっさりと空振る。

 後ろに退いて躱したからだが、一本の刀から逃れたところで別の者が襲い掛かった。


 それを更に躱し、武器でいなしながら逃げ続けていく。

 七生が刀を鞘に納め、低く構えた。それで何をしたいのか分かった隊士達は、その決定的な隙を作る為、連携の取れた攻撃を仕掛けた。


 その全ては決定打にならないものだが、徐々に形勢は傾いていく。この男は根っからの武人ではない。武器は持っていても、その鍛練に重きをおいていないのは直ぐに分かった。

 才能だけで振るわれる、努力の痕跡が見えない剣術。

 受け止められる一撃だと判断すれば、それを受けて小馬鹿にする。彼我の実力差を自慢気に晒すかのようだった。


 それは鍛えて来た者からすれば屈辱だが、七生が一矢報いてくれると分かるから、隊士達の顔に曇りはない。そして三人から攻撃を受け切る事で、決定的な隙が生まれる。

 その瞬間を、七生は見逃さなかった。


 食いしばった歯の隙間から漏れる、鋭い呼気と共に足を踏み出し、それが地面を抉る。それこそ瞬間移動と見紛う程の速度で接近し、抜刀された一撃がエルゲルンの胴を二つに割った。

 ……割った、と思った。


 だが、ガキィッ、という鋭い音と共に、刀が止まる。

 決定的な隙があった。それは隊士たちが作り上げてくれた隙だ。才能に頼った剣技では、その連携からの思惑までは見抜けないと思った。


 だが、あるいはその隙こそ作られたものだったのかもしれない。

 エルゲルンは肘と膝で、挟み込むように受け止めていた。

 振り抜こうとする力と、挟み込む力が拮抗して刀が震える。七生が憤怒の表情で睨み付け、それを振り切ろうとしている横、その上方向から凱人が殴り込む。


「オッラァ!!」


 その頭を強打で殴り付けた。

 岩でも殴り付けたかのような硬質な音が聞こえ、エルゲルンは吹き飛んでいく。七生がつんのめるように体勢を崩して、凱人を恨めし気に睨んだ。


 決定的な一撃を横取りされたようなものだが、それをここでは口にしない。

 そもそも誰か一人が優先される戦いではない。互いが互いを助け、時に利用して傷を与えるようでなければ、この敵は倒せない。

 アキラにもそれが分かるし、七生も理解しているからこそ、恨めし気に見つめるだけなのだろう。


 凱人の一撃は直撃した筈だが、しかしあの一撃で終わったとも思えない。

 既に別の部隊は先回りするように追い立て、その身体に追撃を加えようとしている。

 だがそれは、一瞬で広がる力場の様なもので吹き飛ばされた。

 歩を進めていたアキラも、これには竦んで様子を見ようとしたが、背後から鋭く叱咤する結希乃の声がする。


「臆するな、掛かれッ!」


 無策で突っ込む意味があるのか、と懐疑的に思ったのも一瞬で、背後から半透明に光る防壁のようなものが展開された。

 紫都らの支援部隊が強化理術を使い終わって、こうした戦局を有利にさせる術を使う余裕が出来たのだろう。


 それに励まされる形で、アキラも一撃加えようと突き進む。

 吹き飛ばされた隊士達は、地面の上で受け身を取れなかった者もいたようだが、土の上である事が幸いした。命に別状ありそうな者は見受けられなかった。


 総勢二百を超える隊士の数に対し、敵は一人。

 ミレイユの時もそうだったが、数が多くても一度に相対できる人数には限りがある。だから小隊規模で攻撃を仕掛け、それをフォローし、隙を見つけて外向理術士が攻撃を仕掛ける、というのが理想的だった。


 それをミレイユの時に予習できていたのが幸いした。

 現役の隊士達もそれは同様であったらしく、何を言う必要もなく自分たちの役割を理解していた。結希乃の簡単な号令だけで陣形を組み、エルゲルンを包囲しては攻撃を続けていく。


 隊士達は攻撃を仕掛け続けるが、その尽くが決定打になっていない。

 凱人の時のような不意打ちは、早々決まらないだろう。だが前後左右からなる飽和攻撃は、次第にエルゲルンから余裕を奪っていった。


「ああっ、くそ! 馬鹿どもが! いい加減、諦めろ!」


 攻撃を受ける事はなくなり、回避に専念し始める。

 武器を振るう事より理術を使う事の方が多くなった。

 そうして隊士の一人の胸が切り裂かれ、あるいは吹き飛ばされて戦線から離脱させられていくのだが、その穴を即座に埋めて息つく暇も与えさせない。


 倒れた隊士は別の治癒術士によって怪我が治り、そしてまた戦線に復帰する。

 敵が倒れるか、こちらが倒れるかまで続く消耗戦だ。


 ミレイユとやった時は、こちらの完敗だった。

 敵も強大だ、同じ結果になるかもしれない。だが彼女の時との決定的な差は、対応が理術に傾いているという事だ。体術の方は大した事がなく、だから理術に頼っている。


 だが理術は、使えば使うほど消耗する。武器を振るう事とて体力や筋力を消耗して戦っているものだが、理術の消費はその比ではない。

 だから敵からすれば殺してしまいたいのだろうが、付与された防具が致命傷から助けてくれている。本来なら一撃で倒れる隊士達も、その付与によって一命だけは取り留める事ができていた。


 そして防壁があればこそ、その命の危険は助かっている。

 防壁は、その名の通り壁でしかない。

 敵の攻撃は元より、こちらの攻撃も防いでしまう。だから攻撃を仕掛ける際には邪魔にしかならないのだが、倒れたり吹き飛ばされたりした隊士に対しては有効だった。

 防壁は敵と味方を遮るように置かれるのではなく、最前線より離れた場所に展開されている。


 エルゲルンは一人ずつでも敵の数を削いで行きたいだろう。

 持久戦が不利だとは百も承知。だから吹き飛んだり、あるいは敢えて飛ばした相手に追撃を放とうとするのだが、それを阻むのが防壁だった。


 戦線から飛ばされた味方に壁が当たれば、それだけで怪我を負うから、即座に開いて収納するようにまた閉じる。安全な場所であり、更なる追撃が入らないよう、怪我人を守る壁があるというのは、安心して戦える材料だった。


 今のところ、戦局は一方的にこちらが有利。

 ――このまま押し切れば勝てる。


 誰もがそう感じた時、それまでとは比べ物にならない衝撃が辺りを覆った。

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