静けさ、その後 その8

「ああ、ようこそ。新しい客人だ、歓迎するよ」


 青髪の男はそう言って、出迎えるように腕を広げ笑みを大きくした。

 その仕草に吐き気を覚えるような怒りを覚える。この神聖な場所で好きなように暴れた襲撃者、その人を食った態度、悪びれもしない態度が、男を殊更醜悪な存在に思わせた。


「自己紹介は必要かな? ――エルゲルンだ。やれやれ……誰も彼も、全く話を聞こうとしない。狂ってるのか?」

「……どこに足を踏み入れたと思ってる。この世の常識を知らぬと言っても、鬼がこの世で自由を許されるなど思うな」


 結希乃の声音は怒りで震えていた。それも当然だが、その怒りのままに動くより、情報を収集する事を優先したようだ。

 警戒を解かないようハンドサインで周知させつつ、武器を構えたまま会話を続ける。


「へぇ……鬼、ね。時空孔から抜けて来た奴をそう呼ぶのかな。……で、あんたらはその退治屋って訳だ。じゃあ、これからは廃業だな。今迄は何とかやれてたみたいだけど、俺クラスが来れるようになったら、もうオシマイだよ」

「何を言ってる……?」

「今迄はお遊びだったという話さ。シンジン確保の為に本腰上げたって事だよ。さっきの奴にも話したんだぜ? でもそうしたら、会話が通じないほど怒り狂ったからなぁ。やっぱり、これ言わない方が良いのかなぁ……」


 エルゲルンと名乗った男は、緊張感のないまま腕組みを始めて首をひねった。

 圧倒的な大多数で取り囲まれているというのに、男から緊張感というものは伝わって来ない。強者の余裕のつもりなのは見て分かる。

 これまでエルゲルンが相対したのは神宮を守護する精鋭で間違いないが、ここにいるのは最精鋭だ。その奢りを正してやれねばならない。


 アキラは今すぐにでも飛び掛かりたい気持ちを必死で抑え、結希乃が出してくれる指示を待つ。

 彼女の意図は明らかだ。それが分かるから、アキラも待機できている。だが、同時にエルゲルンからの挑発が怖かった。今にでも暴発しそうな怒りを、誰もが秘めている。

 それをいつまで抑えきれるかだが、男の吐き出すセリフによっては、アキラにもその自信はなかった。


 結希乃が底冷えする声でエルゲルンに問う。


「鬼はお前が送り込んでいた、という認識で良いのか?」

「いや、俺じゃないし別の誰かだと思うが……どうだろうな。送ってたっていう認識はないんじゃないか? なんていうんだ? 放ったらかしさ、つまり。……小さく穴を開ければ、そこを通りたがる奴らが勝手に穴を拡げてく。蜜に吸い寄せられる虫の様にな。だからまぁ、その認識はなかった、っていう答えになるんだろうさ」

「……穴を空けていたという自覚はあるんだな」

「そりゃそうだろ、それが目的なんだから。……な? だからもう目的は達した。俺がここにいるからな」


 エルゲルンは嘲笑するように顔を歪め、鼻で笑った。


「大昔から御大層に続けて来て、やることがお前一人を通す事か」

「んー……、それはちょっと違うかな。始まりさ、つまり。ここまで拡げりゃ、もう取り返しはつかない。苦労はなくても気苦労はあったと思うぜ? 全然見つからねぇし、空けても直ぐに塞がるんだから」

「見つからない……? シンジンとやらか?」

「そうそう、いつからかパッタリと見えなくなったと聞いてる。でもいるのは間違いないから、それで続けていたって話だな。詳しい事は知らんが、とにかくまた見えるようになったから、今度は逃がすかってんで、だから本腰入れたんじゃねぇのか。そこんとこは俺もよく知らん。大事なのは、ここまで拡がった方の事だろ」


 男はまるで親しい友人に語るように、聞かれた事を素直に話す。それが不気味でもある。自分たちの内情をペラペラ話す人材など、到底信用できるものではない。

 それなのに話すという事は、何か複雑な思惑があるように思われた。


「シンジンというのは?」

「教えてくれりゃ良いんだけどなぁ。教えてくれねぇんだろ、どうせ。この近辺にいるのは間違いねぇと思うんだが……また囚われちまったしなぁ」


 そう言って周囲を見渡し、遠く奥御殿で視線を止める。


「折角こっちで目立たないように、それっぽい服も奪ったってのに。塀を越えたら、この始末よ。お前らも死にたくねぇだろ? 素直に教えて通しちゃくれねぇかなぁ。とはいえ……まぁどうしたところで、どうせ死ぬかね、お前ら」


 それは嘲笑ではなく、決定事項を告げるような口調だった。

 互いには隔絶した実力差がある、という事実を口にするというより、既に死が決定しているというような口ぶりだ。抵抗が無意味というのもそうだが、それよりもっと大きな別の何かを思っての事な気がする。


 男が何もかも簡単に口を割るのも、そうした後腐れが発生しないと確信している為か。

 死に行く者への、手向けのつもりですらあるかもしれない。


「色々聞かせてもらって感謝するけど、だからと言って、こちらから渡すものは何一つない。最期にお前は、首を置いてけ」

「そりゃフェアじゃねぇよな。……まったく、見逃してやるって言ってんのによ。神っぽい奴を差し出しゃ、少なくとも今は死なずに済むんだぜ?」

「……何だと?」


 その一言は結希乃のみならず、この場にいる誰にも聞き捨てならない台詞だった。

 この国で――もっと言えば、この場所で、神と名の付く者は二柱だけ。更に言うなら、神と聞いて連想するのは、オミカゲ様以外いなかった。


 ――この侵入者は、オミカゲ様を狙っている。

 それが分かってしまえば、もはや隊士達を抑え込む事は出来ない。誰もが戦意を漲らせ、殺意を持って男を睨んだ。


「お前の目的はオミカゲ様かッ!!」

「ほら、怒った。前のヤツも、そう言って言葉が通じなくなったもんだ。けど、そいつが神っぽい奴っていうんなら、そういう事になるんだろうな」


 エルゲルンが腕組みしたままあっさりと肯定した事で、殺気は更に膨れ上がる。

 戦闘態勢を維持したまま二人の遣り取りを黙って見ていた部隊も、そろそろ我慢が利かなくなってきている。それでも勝手に飛び出して行かないのは、この惨状を作ったのが目の前の男であるという事と、結希乃からの指示が飛んで来ていないからだ。


 だが、結希乃が構えた武器を掲げた事で、全員の意識がそちらに向かう。

 刀の切っ先で円を描くように動かすと、それの意味を知っている部隊が制御を始める。あの合図は支援理術の行使を命じるもので、そしてそれは外向理術士を強化させる為のものだ。


 戦いが始まり、そしてそれが乱戦になれば細かな指示は難しくなる。

 だが初撃だけは、その機会がある限りにおいて、事前に組み立てた戦術を使う事が出来る。場合によっては前衛が動きを止めてからも考えていた作戦で、砲手に当たる部隊がまず全力で攻勢理術を撃ち込む事から始まる。


 距離も十分にあり、味方への被害を考えず撃ち込む事が出来る筈だ。

 エルゲルンは未だに動きを見せない。どうせ自分には効果がない、とでも言っているかのようだった。その完全に舐めた態度は、先程まで交戦していた部隊で、こちらの戦力を見切ったつもりでいるからだろう。


 後悔させてやれ、という気持ちを敵にぶつけて結希乃の指示を待つ。

 そして遂に、その腕が振り下ろされた。

 紫都を始めとした支援理術のエキスパートが、漣を含む外向理術士へと術を放つ。一度に放たれた光は眩いばかりに漣たちを包み、そして既に制御を終了させていた術が、支援の効果が出ると同時に放たれた。


 使われたのは漣の十八番でもあり、こういった場合の定番、炎の矢だった。一発の威力は決して高いものではないが、数を揃えた術の威力は侮れない。

 しかもそれが、最高峰の支援能力を持つ理術士達から援護された上で放たれるのだ。


 そして、一発放てば終わりという訳でもない。

 威力こそ弱いが、素早く制御を終了できるという点において、この術は他より優れている。だから、全員が少しタイミングをずらして放つ事で、途切れる事なく発射する事を可能としていた。

 強化支援も受ければ、その雪崩の如く打ち付けられる術に耐えるのは容易ではない。


 十発耐えようと、五十、百と着弾が続けば、どこかのタイミングで防御も崩れる。

 長時間の制御の果てに撃つ理術というのは、当たれば強いが、その制御する時間が枷となってしまう。また、高威力な術は味方を巻き込む恐れもあった。


 だが、これなら間違いなく同士討ちの可能性はない。

 四腕鬼ですら、この術を受けては根を上げる。防御はされるが、防御の先が続かないのだ。そして何れ、その防御を貫き軽症を与える事になる。


 一度防御を破り、それが軽症であれ傷つけば、後は飽和攻撃で片が付く。

 制御力の向上で、出来るようになった事の一つだった。


 その炎の矢が打ち込まれ続け、辺りから着弾の煙と、周囲を燃やす煙が立ち昇る。範囲を絞っているので、大人三人が並ぶ程度の大きさでしかないが、敵の姿は確認できなくなってしまった。

 だが煙の奥から、ゆらゆらと揺れる人影が見えた。


 あくまで揺れて見えるのは光の当たり加減、そして煙の動きに寄るもので、エルゲルンの影そのものに動きはなかった。まるで棒立ちしているかのように見える。

 幾ら何でも、これだけ撃って一切の痛痒を与えていないとは思えないから、もしかしたら変わり身のような何かで置き換わっているのかもしれない。


 その懸念は結希乃も思い至ったようだった。

 肩の高さまで手を挙げると、それに呼応して炎の砲撃が止まり、次第に煙が晴れていく。しかしそこには変わり身となった何かではなく、果たして先程までと全く変わらないエルゲルンの姿があった。

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