静けさ、その後 その7

 アキラは必死に足を動かしながら、今は冷静となった心と向き合っていた。

 鬼の出現地点と、そこから予測される逃亡範囲、三つの円が交差するように示された範囲を、結希乃が説明を加えながら状況を報せている間に、それは起こった。


 ――奥宮にて侵入者あり。現在交戦中。


 その報告が会議室にもたらされた時、騒然具合は、鬼に逃亡を許した時の比ではなかった。奥宮には――奥御殿にはオミカゲ様が御わす。

 日本国民を守護して下さる神が住まう地であり、そして同時に国民の心の拠り所であり、天に戴く誇りでもある。敵の侵入を許すなど恥の一言では済まされない事だった。


 奥宮を囲むように結界を展開したというなら、敵は袋の鼠だと推測できる。

 敵は実際結界から逃れたが、逃亡を許した時とは状況が違う。奥宮には巫女もおり、最悪の状況を想定して、オミカゲ様の守護するに相応しいだけの力量を持った者たちが在中している。

 展開された結界は堅固だろう。


 更に、今回の逃亡を機に更なる安全を確保する為、緊急措置として多くの実力者をその守護に当てた。防備は万全となったが、それが逆に捜索を遅らせる原因ともなった。

 侵入を許しても、そこで堰き止められる事を喜ぶべきか、捜索が遅れたから侵入を許す事になったと嘆くべきか。その判断をどうするかは分からないが、ともかくオミカゲ様の安全だけは最優先で確保しなければならない。


 その説明をされてアキラの動揺は少し紛れたが、しかしその膝下に敵がいる事には違いない。逸る気持ちは誰もが同じだろうが、結希乃は鋼の意志で全員を統率し、今は現場に急行している。


 現在は全員が大型のバンに乗って移動しているが、信号機で止まるような事もなく、法定速度を無視して疾走している。これはサイレンなどで周りに停車して貰うという訳でもなく、結界を順次進行方向へ展開する事で、まるで無人の野を行くかのように目的地へ向かっているからだった。


 サイレンを使う事も出来るが、対向車などはやはり完全に停車しない事もあるし、事故の危険は常に付き纏う。それなら結界内を移動した方が、下手な気遣いもない分、それだけ早く、かつ安全に移動できる。過去からある、緊急事態の移動方法だった。


 結界の展開は一度に生成できる大きさに限りもあり、車の移動速度も速い為、すぐに結界の端まで行き着いてしまう。だから次々と新たな結界を生成して行くのだが、これは口で言うほど容易ではない。

 現場にいる――バンに乗っている結界術士と、各神社からの援護あっての結界だが、オミカゲ様の危機とあっては、どの神社も協力は惜しまない。


 最短距離、最短時間で神宮前まで辿り着くと、それぞれが飛び出すようにバンから降りる。敵と交戦しているとして、現状どうなっているかは、ここから窺い知る事は出来なかった。

 どれほど大規模であろうと、神宮内の結界は独立しているから、ここからでは判断できないのだ。


 奥宮には、もしもの場合を想定し、大規模な部隊が駐留していた。

 交戦報告と結界の展開からここまで、二十分も経っていない。応援としては破格の速さで辿り着けた。だが安心も油断も出来ない。


 結希乃の指示の下、それぞれが小隊規模で参道をひた走る。

 誰より早く駆け付けたい、早く現状を確認したい、という気持ちを押し付けて、隊列を維持したまま走り抜けた。


「総員、抜刀! 武器構え!」


 正面に奥宮前の鳥居が見えて来て、それで結希乃の命令が飛んできた。

 装備は基本的に支給され、アキラが身に着けている防具も他と同様、足軽のように見える装備だった。全員それぞれの防具に、付与術士が用意した最高の一品が付与されている。


 この防具は大抵の理術に抵抗があって、それだけで炎や雷など、多くの威力を削いでくれるし、耐刃性能も高い。武器も支給されているが、アキラはミレイユから渡された一品物を使用していた。


 御由緒家には多い話だが、支給品よりもオミカゲ様から下賜された武器を愛用していて、当然それは支給品より出来が良い。

 やはりそういう武器を持つ者は頼りにされるし格がある、とされる。

 一目も二目も置かれるので、アキラもまたここでは戦闘の中核を成す部隊に配属されていた。


花郁かい、結界の一部を開放しろ!」


 結希乃が己の部隊にいる結界術士に命じると同時、塀の上の一部が切り裂かれるように開かれる。

 門扉は閉じているし、開門させる訳にもいかないので、不本意ながら塀を乗り越えて入る事になるようだ。あまり大きく開けても逃げられる可能性が出てくるので、大人二人が並べるくらいの幅しかない。


 そこへ小隊規模で、到着した順番で潜って行く。


「行け、行け、行け!!」


 尻を蹴飛ばすような勢いで促され、前にいる部隊――凱人の部隊の背に続いて後を追う。

 そして結界内への侵入を果たすと同時に、その光景を見て唖然とした。


 激しい戦闘の痕があった。

 綺麗に整えられた芝は捲れ上がり、所々大きな穴が開いている。

 人が吹っ飛ばされ、地面を抉って地を滑った後も残されていた。見事な枝振りを見せていた梅の木も折れ、無事なものを探すのが難しい程だった。


 辺りは小さく火種が燻り、煙があちこちから上がっている。

 焼けた芝も多く見られ、青々としていた草の絨毯も、すっかり焦げて見るも無惨な光景になっていた。

 結界内での損壊は、その解除と共に無かった事になる。それが分かっていても、目の前の光景には怒りと衝撃を受けた。


 そして、その上に、やはり倒れ伏せた隊士達。


 無事な者は殆どいないように見える。ただし、倒れ伏した者ばかりではなく、治療を受ける者も見られ、命を繋ぎ止めている者もいる。

 基本的に術士というのは頑丈なもので、治癒を自力で出来ないまでも、その命を生存させる能力は秀でているものだ。


 即死でない限り、自己の持つ理力が最後の最後まで命を繋ぎ止めようとする。

 それ故の頑丈さでもあるのだが、今現在、倒れ伏している者たちに、どれほど無事な者がいるのかまでは分からなかった。


「これは酷い……」

「オミカゲ様の庭だもの、精兵を集めた筈なのよ。それなのに……」


 思わず呟いてしまった声に、律儀に返してくる七生の声があった。

 御由緒家並とまで言わないまでも、それに準じる力を持つ者たちだった筈だ。ミレイユから制御法を教わる前の御由緒家になら、その実力に並べる程に成長を遂げた者たちばかりの筈だった。


 鬼の数は一体だった筈。

 複数逃げたという話は聞いていないが、一体のみで確定している、という情報でもなかった。

 ならば、もしかしたら、ここを襲撃した敵は複数いるのかもしれない。


 そう思って気を引き締めた時、最後の一人まで結界を潜って、背後の開いた穴が閉まっていった。結希乃が再び陣頭に立ち、現状を素早く確認する。


 惨憺たる有様だが、まずは今も敵が生き残っているのか、それとも相討ちに持っていけたのか、それすら分からない。アキラが呆然としている内に、一部隊が現状確認の遣り取りを生き残りと行っていたらしく、それを結希乃に伝えている。


 険しい顔で二度頷くと、結希乃は総員に向き直った。


「今も鬼は生存しており、由井園が交戦中、敵を引き付けているとの事だ! 我々は即時援護に入り、この鬼を排除する!」


 アキラの顔が強張り、刀を握る力も更に増した。


「鬼の見た目は、青い髪をした若い男だそうだ。サイズの合わないスーツを着ている。だが惑わされるな! どのような外見であろうと、奥宮でこれだけの狼藉、死罪に値する!」


 鬼の外見が、懸念したとおり人間のような見た目である事に、アキラは渋面を作って眉根を寄せた。周りからも動揺する気配が伝わったが、続く狼藉の言葉で誰もが黙った。


 そう、神の庭をこれだけ荒せばただでは済まない。

 人の外見を持っていようと、鬼の首を落とすのと同様、そこだけは変わらないだろう。一瞬萎え掛けた戦意が向上する。倒すべき敵、という気持ちを新たにして、アキラは理力の制御を高めていく。

 それはどの部隊も同様で、漲る理力が身体から漏れ出る者すらいた。


「鬼はここより北方向へ移動したようだ。それを追っている部隊もいる。これに合流し、討滅する!」

『おうッ!』


 誰彼も怒りを吐き出すように声を上げた。

 敵は慮外者で、不敬で不徳の輩だが、強力な鬼である事に違いはない。冷静さと余裕を欠いて倒せる相手ではないのは、現状を見れば明らかだ。

 アキラもまたそれを自分に言い聞かせて返事をした。


 結希乃が腕を振り上げ、鬼がいる筈の場所へ向かって走り出し、それぞれの部隊がそれをカバーするように付いて行く。

 アキラもそれを倣うようにして移動を開始すると、幾らもせずに剣戟音が聞こえてきた。鉄と鉄がぶつかり合う鋭い音は、激しい戦闘を想起させる。


 そして戦場に到着すると、それと同時に一人の人間が吹き飛んできた。見覚えのある防具を身に着けているから、今まで戦っていた味方に違いない。

 結希乃がそれを受け止めると、血だらけになった女性が荒い息を吐いて悪態を吐く。


「……遅いぞ、阿由葉。相手は、尋常じゃない。単騎でここに乗り込んでくるだけはある……」

「鬼はここが何処か理解した上で襲ってきたというの?」

「正確には知らないんだろう。だが、強い理力に引き寄せられたんだと思う。鬼とは会話が通じる、そのような事を言っていた」

「会話が……!?」


 外見が人間に酷似しているとはいえ、鬼だ。

 これまでの常識を打ち壊すような事を言われ、結希乃も流石に表情が強張った。それも当然だろう、鬼は叫び声や怒号を上げる事はあっても、それは獣と変わらぬものだ。

 威嚇と変わらぬものであって、会話を試みようとした事などなかっただろう。


 だが、高度な理力制御が出来るというのなら、それは即ち高い知能を持つ、という事でもあるのかもしれない。


「……そう、分かった。注意する。聞き出せた事はあった?」

「お喋りな奴だ、色々言っていたが、意味は理解出来なかった。お互いの持つ知識に隔たりがあるのだと思う。専門用語を聞かされているような……、聞き取れても意味が分からない」

「単に惑わせ、こちらの集中を乱していた可能性は?」

「……わからん、あるかもしれん」


 そう、と呟くように返事して、結希乃は手近な部下に女性を預けた。


「後はこちらで引き受ける。侑茉は休んで、十分時間を稼いでくれた」

「ああ、悔しいが……私の攻撃は通じなかった。技術の問題だけじゃない気がする、通じない事には何かタネがある。単に無力化されたとは違う、何か別の理由が……」


 侑茉は重要な情報を得て、それを伝えてくれた。

 それまでは決して気絶できないと堪えていたのかもしれない。伝え終わるや否や、最後の気力を使い切って気絶してしまった。


 アキラは彼女の事を知らない。

 だが、血だらけになって、困憊する身体で無理してでも、その最後の瞬間まで諦めてはいなかった。勝利に導くと信じて、掴んだ情報を託して意識を失った。


 ――その貢献に報いなければならない。

 それがアキラの気持ちを昂らせる。鬼が人のように見えようとも、躊躇わずに刀を振るえそうな気がする。


 その時、篝火で照らせない闇の向こうから、地を踏む足音が聞こえてきた。

 侑茉を吹き飛ばして来た方向から聞こえてくるというなら、それは敵が立てる音で間違いない。そのつもりで武器を構え、取り囲むように散開する。


 果たして闇の向こうから姿を現したのは、青い髪をした若い男だった。

 ニヤついた、人を嘲笑するように口元を歪めて、サイズの合わないスーツを着ている。戦闘があった後だろうに、その服には傷も汚れも付いていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る