静けさ、その後 その6

 その日、神宮内部、奥宮の警備を任されていた由井園侑茉ゆいぞの ゆまは、妙な胸騒ぎを感じていた。常に宮内の警備を任される由井園だから、結界討伐に向かう事は少ない。

 しかし御子神様に制御力の精髄を学んでからは、強く志願して赴く機会も得られていた。


 磨いた制御力をそこで発揮し、由井園恐るべし、と思われることを期待したが、他の御由緒家も同様に実力を磨いていた。そこに驚きはなかったが、同時に落胆もあった。侑茉には御子神様御自ら見出されたという自負がある。


 その自負を身に抱えたまま戦闘を続け、隊士の中にも由井園侮りがたし、と思われるに至った。宮内警備も決して軽んじられるものではないが、同時に鬼の脅威から遠い場所でもある。

 最前線は、やはり結界内での戦闘という事になる。だから、そこから離れた位置に配置される由井園は、同じ御由緒家の中でも、その実力という面において一段低く見られる風潮があった。


 だが、侑茉が実戦でその力を見せつけた事で、侮るような気配は消えた。

 宮内に留まるでもなく、強力な鬼が出現するようになった昨今、その侑茉が助力して結界討伐に参加してくれる事は非常に歓迎される事でもあった。


 しかし現在の侑茉は宮内警備で、険しい顔をさせて周囲を見渡している。

 電灯を用いていないので、基本的に篝火で明かりを取っていた。鉄製の籠に三本の足で支えたもので、高い位置で明かりを燈しているものの、遠くまでは照らせない。

 利便性より伝統や雰囲気を崩さない為、という理由で古来からの様式を維持しているが、それが今では恨めしい。


 侑茉の表情が険しいのは、単に結界討伐に参加出来ない訳でも、闇夜を照らす光が弱い事でもない。現在の警備、警戒を厳とする事にあった。


 ――鬼が結界から逃げ出した。

 巫女や神社の失態でもあるが、それを咎めるつもりはなかった。元より弱体し始めた結界、そしてそれに反するように強化を始めた鬼。結界の絶対性と安全神話は、遠からず崩れ去るだろう事は予測できていた事だ。


 侑茉が問題とするべき事は、その鬼の行方が知れず、そして未だに捕捉できていないという点だった。それはつまり、この神処たる奥宮へ鬼が侵入するかもしれない事を意味する。

 神の庭を守護し、オミカゲ様の盾として敵に対峙する由井園の、その本分を発揮するべき時が、遂に来たのかもしれない。


 それを思うと、侑茉は誇りと共に緊張感も押し寄せてくる。

 今までの宮内警備も、決して警戒を怠っていた訳では無いが、本日だけは明らかに別だ。迷い込み、あるいは興味本位で覗き込もうとする輩はいるものだが、その様な者さえ、今日だけは許さない。


 侑茉は宮内に揃った精兵達を前に、厳しい顔で睨み付けて見渡した。

 身に着けているのは陣笠を取り払った足軽兵のような恰好だが、その全てに理力を伴う付与が為されている。鬼からの鋭い爪や牙ですら、容易に貫通されない特殊な防具だ。


 武器には手に槍を持ち、腰には刀を佩いている。

 その何れも当代の刀工によって打たれ、当代の最高峰による付与術士に作成された理術秘具だ。緊急事態でなければ持ち出されない、警備部門の本気を窺える装備だった。


「今日だけは、それが例えどのような理由があろうとも、侵入した者に誅を下す。一切の言い訳も釈明も許さず、それが例え子供であろうと躊躇わず武器を振るえ!」

『はいッ!』

「ここはオミカゲ様の御わす神聖な場所、その庭を荒らす様な、いかなる狼藉も許さん! 我らオミカゲ様の盾として、誰であろうと必ず食い止める! 我らの誇りと命を持って、どのように強力な鬼であろうと臆せず喰らいついて行け!」

『はいッ!』


 侑茉の薫陶が終わると、それぞれが一個小隊を組んで警戒に当たる。奥宮は広い、それなりの人数がいなければ、その全域を覆えるものではなかった。

 だが敵は結界を逃げ出し、その後の追跡も振り切るような相手だ。

 宮内もまた、多くの巫女を擁しているから、その警戒と感知、そしていざという時の結界展開も可能だが、発見には人の目が重要であると結論付けられていた。


 だから一人を分散して配置に付けるのが最善と分かっていても、敵を警戒して小隊規模で動くしかない。その網の目を躱して侵入されるのも怖いが、一人しかいない部分を狙って侵入されるのもまた怖い。

 苦肉の策のようなものだが、今はこれ以上最善の策がないのも事実だった。


 侑茉もまた警戒しながら、時折周囲を歩いて回る。

 大社の方から捕捉報告でもあれば、現在の警戒方法にも変化を与えられるのだが、今は我慢の時だった。もっとも警戒が必要な入り口付近は、やはり人数を厚くせざるを得ず、他は巡回しながら警戒という形になる。


 心許ない篝火の明かりと、頼りに出来ない感知を用い、目を皿のようにしていた時、それが現れた。

 奇妙な風体であれば良かった。それが鬼であると分かるような見た目であれば、即座に頭へ槍を突き刺していただろう。

 だが視線の先、奥宮を囲む塀の上、その塀瓦の上で身を屈めるように座っているのは、人間の男のように見えた。


 髪の色は青と奇抜ではある。しかし着ている物はスーツで、しかも身の丈に合っていない。これは言葉どおりの意味で、腕や足の長さに対して服が短すぎるのだ。

 自分の体に合わせた服ではなく、誰かの物を勝手に着ているように見えた。そして恐らく、それが真実なのだろう。


 男に表情はなく、遠く奥御殿へ視線を向けていた。

 侑茉に気付いて目線を下げても、気にした風もなく興味も示さず、すぐに戻す。


 この男が果たして何者なのか、そんな事はどうでも良かった。

 塀に足を掛けた時点で利敵行為と変わらない。単なる不審者であろうと、引きずり降ろして縄をする以外、選択肢はなかった。


 侑茉は声を張り上げ、部下に命じた。

 塀の男に対する警告など与えない。それをする事の不敬を知らない等という、稚拙な言い訳は通用しないのだから。


「塀の上にいる男を撃ち落とせ、引きずり降ろして捕らえろ!」

「ハッ!」


 部下の一名が返事をし、それから理術の制御を始める。

 この部下達も例外なく御子神様から、その制御術を学んだ者たちだから、その完成までの速さも、そして威力も格段に上昇した。


 侑茉をして感嘆する程の制御を見せて、塀の男へと一直線に理術が飛ぶ。

 拘束するに向いている、念動力の理術だった。着弾と共に動きを拘束し、そのまま足元まで運んでくれるだろうと思っていたら、男は掌で受け止め、握り潰すようにして消してしまった。


「――なっ!?」


 その掌には、間違いなく理力の制御が見て取れた。

 理術の全てはオミカゲ様から授かる者である以上、扱える人間は例外なく神宮勢力だ。御子神様を始めとした例外は最近あったものの、それ以外に他にも野に隠れている、という話は聞かない。


 それに何より、鬼は理術のような力を使うという予測は立てられていた。

 ならばきっと、目の前にいるあの男が――人間のようにしか見えないあの男が、目標とする鬼に違いない。


 侑茉は警戒を引き上げ、鋭く周囲に向けて叫んだ。


「――敵の侵入を確認! 全部隊集合! 巫女は即時、結界を張れッ!!」


 叫びというより怒号に近かった。

 その声に弾かれるように他部隊が集合し、そして奥宮を囲むように結界が包んだ。この場に鬼が出るなど、そして何よりその侵入を許すなど前代未聞の事態だ。


 勘違いであって欲しいという気持ちはある。塀の男が実は侑茉も知らない理術士であったら、という懸念はある。だが、この緊急事態が発令されている時点で、奥宮の塀に足を掛ける意味を知らない者が、味方である筈もない。


 御子神様の知己であったりするようなら、その時はその時だ。

 今は敵と判断した上で、無力化する事の方が重要だった。


 侑茉は理力を完璧に制御し、その力を解き放つ。

 それだけで声の届かぬ場所にいる者にも、異常事態が発生したと分かるだろう。そして、この場で起きる異常事態など一つしかない。


 今も御影本庁で温存されている御由緒戦力にも、この事態は遅からず伝わる筈。即座に援軍もやって来るだろう。だから侑茉がやるべき事は、必ずしも敵の無力化ではなく、この場で逃さず拘束を続ける事だ。


 だがもし拘束が叶うなら、他の御由緒家を出し抜けたとも言えるだろう。

 侑茉は手に持つ槍を握り締め、男へ向かって投げ飛ばした。

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