静けさ、その後 その5
失意にも似た感情のまま観覧車を降りると、陽はすっかり落ちて、遠く稜線に薄っすらと明かりが見える程度になっていた。
観覧車を始めとした、様々なアトラクションに飾り付けられた電灯が、綺羅びやかな発色で主張している。
ミレイユが言ったのは明らかな拒絶だった。
そして、その原因はアキラの方にある。あそこまで整然と理由を述べられ、それに納得してしまえば、アキラにもミレイユに理があると理解できてしまう。
アキラがしたいのは恩返しであって、決して困らせる事ではない。
戦力的な足手纏いという程度なら、ルチアやユミルも受け入れるつもりでいたと思う。しかし、アキラの精神性、その倫理観一点において、連れて行くのは無理だと態度を一変させた。
人を殺せる度胸があるかが問題ではないのだろう。
いざ自分に危険が迫ったところで、それを跳ね除けるのに武器を振るえないのが問題なのだ。その一撃が相手の生命を奪うと思ったら、きっとアキラは手加減するだろうし、急所は外して狙うだろう。
そして、それが理由でアキラは手酷い反撃を受け、致命傷を受けると――死に繋がると考えている。
現代人の常識――命は平等、という考えが通用しないのは、ファンタジー漫画を読んでいても当たり前に登場する設定だ。だからアキラもそれを頭では分かっているつもりだった。
成熟した精神性を持った国家はなく、いっそ野蛮で武力を示す事が求められる国家。どちらが正しいというのではなく、時代がそれを求めるのだろう。
それに人間の敵は、同じ人間ばかりとは限らない。
魔物が普遍的に存在し、野生の鹿や熊などと同じように生息しているのなら……そしてそれが人間の生活圏を脅かす位置にあるのなら、武力とそれを背景にした統治は必須だ。
まずは話し合いからではなく、まず殴り付けてから、という考えが根底にあるのは、そのせいなのかもしれない。
であるならば、アキラの思考や倫理観は、間違いなく世界の常識と大きな齟齬を生む。
その齟齬が、幾らでもアキラに危険を及ぼすだろう。生きづらい世界だとも感じる筈だ。
ミレイユが日本出身である、と言っていたかつての言葉を信じるなら、彼女もまた同じような葛藤があったに違いない。それを鑑みて、ミレイユはアキラには無理だ、向いていない、と判断を下したのだろう。
そうであるなら、アキラにはもう何も言えない。
どちらにしろ、異世界の事を知らないアキラが何を言おうと、それは彼女たちの心には響かない。現実が見えてない奴のセリフだと思われるだけだろう。
考える程に気持ちが後ろ向きになっていく。
アキラにミレイユを説得できる材料がない事こそ、それに拍車を掛けていた。
アキラが一つ溜め息を吐いた時、ポケットに仕舞っていたスマホが音を立てて震える。取り出して確認すると、凱人の名前が表示されていた。
ミレイユに目線で確認を取り、頭を下げて通話ボタンを押す。耳に当てて返事をすると、焦ったような声音が聞こえてきた。
『アキラ、お前いま何処にいる?』
「え、どこって……、あー……」
質問の意図が不明なことを除いても、これに答えるのは難問だった。
現在の状況がプライベートな事と捉えても、遊園地と素直に答えて良いものか。一人で行く場所ではないし、共にいるのは御子神様だと知られている。デートのような甘酸っぱいものでない事は確かでも、余計な詮索をされそうだ。
それに、素直に伝えてしまえば.自分以外の居場所も教えてしまう事にもなる。
ミレイユは神宮から逃げて来たような素振りを見せていたので、それで密告するような形になるのは不本意だった。
それにアキラ達は、ミレイユの転移でやって来たので、大雑把な場所を伝えようにも、ここが九州地方である事以外、何も分からない。
アキラは答えに窮して、曖昧に口から出た言葉をそのまま伝えた。
「……うん、どこだろう」
『真面目に聞いてるんだ。緊急招集が掛かっている、相当拙い事態が起きた。すぐに帰還しろ』
「き、緊急招集……!? 一体なにが!」
『電話口では伝えられない。とにかく、可及的速やかに帰還、これは上からの命令だ。確かに伝えたからな』
「あ、ちょ、ちょっと……!」
詳しく話を聞こうとするより早く、通話が切られてしまった。
何事かと視線を向けてくるミレイユに、アキラは困惑した表情のまま、電話口に伝えられた事をそのまま教えた。
「……なるほど? 何が起こっているかはともかく、お前は今すぐ帰した方が良さそうだ」
「はい、申し訳ありませんが、お願い出来ませんか」
「ああ、だがここでは目立ち過ぎる。場所を変えよう」
ミレイユに促されるまま、アキラはその背の後を付いていく。
そうしながら、アキラは彼女達がどう動くつもりなのか聞いてみた。これは興味本位ではなく、緊急事態が起きているというなら、御子神様たるミレイユにも緊急連絡が届く可能性があるからだ。
もしかしたら、いつか強力な鬼が出た時のように、救援要請のようなものが出されているかもしれなかった。それならそれで、ミレイユ達も待機状態に入るのか、それを現場に伝えられたら、という思いからの質問だった。
「ミレイユ様は、どうされるんですか? やっぱり神宮にお帰りになるんでしょうか?」
「まずはルチアを大社まで帰す。それからどうするかは、そこで得られる情報次第かな。鬼に関係する事なら、結界を通して詳細な情報を既に入手している筈だ」
それはアキラに取っても分かり易い判断だった。
少なくとも、ミレイユは現状に対して傍観を貫くでも、御由緒家に全てを任せるつもりでない事も分かった。いざという時はミレイユがいる、というのはアキラの心を軽くさせた。
ミレイユの先導に従って進んだ先はトイレの裏で、茂みのようになった場所で振り返る。
その手には既に紫色の光に包まれていて、制御も完了している事を示していた。
「……とにかく、こちらでも確認しておく。いつもの様に、また一段強化された鬼が出ただけという気もするが……まぁ、気をつけろ」
「はい、ありがとうございます。身命を尽くします」
アキラの返答にミレイユは困ったように眉根を寄せ、それには答えず腕を振るう。
その一瞬あとには視界が黒く染まり、そして次の瞬間、自分が転移したのだと悟った。一秒に満たない時間の後、肌を撫でる空気の違いに気付き、自分の転移が完了したのだと理解した。
冬の夜、その肌に感じる冷気に身を引き締めながら現在地を確認してみれば、そこは学園の入り口より少し進んだ辺りだった。
今も凱人を始めとした隊士達は、緊急事態に忙しく対処している最中だろう。
アキラもそれに助力するべく、地を蹴って校舎へ走り出した。
そしてアキラが知ったのは、衝撃の事実だった。
今は御影本庁の会議室、現役の隊士達に囲まれて、御由緒家全員が揃った中で知らされた。正直、そこにアキラが混じるというのは相当な場違い感があるのだが、有無を言わさず連れて来られた場所が、ここだったので仕方がない。
会議室にはパイプ椅子が整然と並んでおり、室内には現在五十人近い人数が揃っている。
その最前列には各小隊の隊長格が肩を並べ、そしてそれとは別に御由緒家の面々も座っていた。アキラもその末席に連ねていて、紫都の横で小さく肩を窄めている。
その会議室全面のディスプレイには現在の状況などが表示されていて、その横には鋭い視線と重い口調で説明する阿由葉結希乃が立っていた。
「――以上、説明したとおりだ。鬼が結界から逃げ出し、市街地へと紛れた。現在これを全力で捜索中で、神社の宮司と巫女達……結界術士がそれを血眼になって痕跡を追っている」
それを聞かされたアキラが受けた衝撃は、遥かに重大で直視したくないようなものだった。まるで大地が崩れて空に上がった、とでも言われたような、現実ではないと拒絶したくなるほど信じられないものだ。
――結界神話の崩壊。
それが目の前で起きている。これまで幾度も鬼が出て来たが、同時に結界内へ閉じ込める事も成功してきた。だから理力を持たない日本人は、その存在自体、フィクションの出来事だと思っている。
――かつてのアキラのように。
だが、それが崩れた。
逃げ出した鬼は、今も人を襲って爪や牙を血で濡らしているかもしれない。それを思うと、居ても立っても居られなかった。
アキラが握る拳にも力が入る。
「出現した鬼は結界が生成され、次に堅固になる理力が注がれるまでの僅かな時間で逃げ出した。生成されたばかりの結界は脆い。そこを突かれた形だ。合わせて被害者が出ていないかも探しているが、現状は何の手掛かりも得ていない。――現状伝えられる情報は以上だ」
結希乃が質問を許可する旨の事を言うと、隊長格の一人が挙手をする。それを指差すと、彼女は起立して口を開いた。
「手掛かりがないとなれば、我々も捜索に出向くべきではないでしょうか!」
「それは認められない。現状のまま待機、ただし戦闘態勢を最大レベルで維持したままだ」
「何故でしょうか? 神社関係でさえ探せていないというのなら、足を活用するべきです。足の数は多ければ多いほど、発見が早まると思われます」
何一つ質問内容など思い付かないアキラからすれば、その質問は実に理に適っているように思えた。理力を使った捜索で鬼が発見できないとは思えないが、それで見つからないというのなら、人の目で捜すしかないように思う。
戦闘でそれなりの手助けしか出来ないという、アキラの自己判断からすれば、そちらに回してくれた方が貢献できそうとすら思っている。
「結界術士ですら見つけられていないというのが問題だ。その事実は、鬼が単なる鬼でない事を示している」
前代未聞の結界逃れをした鬼だ。普通でない事など、誰の目にも明らかだ。
何を言いたいのか分からず、アキラが目を白黒させていると、結希乃が構わず言葉を続けた。
「つまり、理力に寄る捜索から逃げ続けられるだけの、制御力を持っているという事だ。それが強力であろうと非力であろうと、目に映らず逃げ続ける事は不可能だ。だが、現状それを成しているという事は、非常に優れた制御力で痕跡を消すか残さず移動している事になる」
「鬼は強力なだけではない、優れた理力制御のできる相手である、という事でしょうか」
「理力という呼び名が適切であるかは、この際置いておこう。だが、そのとおりだ。鬼というより術士を敵と想定するべき、という結論に至った」
会議室の中が騒がしくなる。
誰もが動揺を隠せず、隣り合う相手に信じられない表情を向けたりと、規律の行き届いた隊士にはあるまじき失態だった。
だがその気持ち、アキラにも良く分かる。
いつだって敵は醜悪な魔物だった。人型をしていても人とは似ても似つかなかったり、そもそも頭部が別の何かだったりする。攻撃するにも刀を振るうにも躊躇はなかったが、それがもしかすると、人と変わらぬ姿をした相手かもしれないのだ。
動揺は当然と言える。
しかし、そこに結希乃から鋭い叱責が飛ぶ。全員を睥睨し、起立したままの隊長を座らせた上で言った。
「――聞け。敵がその様な相手である以上、各個撃破されかねない人海戦術による捜索は出来ない。敵が孔から偶然漏れ出たと言う訳でなければ、必ず目的がある。その遂行の際には、力を表面に出さず成せない筈。その瞬間であれば神社も即座に捕捉できるだろう。そうなった時、我々が全力で当たるには纏まっている必要がある。だから、連絡があるまで現状のまま待機。……分かったな?」
『了解しましたッ!』
全員から裂帛の気合による返事があって、部屋そのものが振るえたような気がした。覚悟も何もないまま、そして用意する間もないまま、事態はアキラを置いて進行していく。
アキラはドコドコと音を立てて激しく動悸する胸を抑え、細く呼吸を繰り返す。
ミレイユから先程言われたばかりの懸念が胸をよぎる。
それが例え悪人と分かっていても、その生命を奪う為に刀を振るえるのか――。
今から相手にするのは明確な敵だ。
その姿形が本当に人間型なのか、それとも別物なのは分からない。変わらず醜悪な姿をしているのかもしれない。そしてそれは、間違いなく人にとっての敵だ。
鬼がそうであったように、放っておけば際限ない被害が出るだろう。
今までと何も変わらない。それが人間型だったとしても、アキラのやる事もまた変わらない筈だ。頭では理解できる。だが躊躇う気持ちが生まれるのは、止めようがなかった。
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