静けさ、その後 その4
「人を……、人殺しをしろって言われたら、ですか?」
「そうだ。――出来るのか?」
「それは……」
アキラはやはり答えに窮して口籠る。
出来る、と言わねばならないだろう。付いていく上で、ミレイユの命令には絶対従え、という約束をさせられたら、アキラは人を殺さなければならない。
そんな機会があるのか、と思うのと、単に覚悟を確認している例えに過ぎない、という思いでせめぎ合う。
この場で出来る、というのは簡単だ。その機会がいざ訪れた時、武器を振るえなかった場合を考えなければ尚更簡単だろう。
だが、嘘を吐けば信頼は失墜する。
そしてアキラ程度の嘘、ミレイユは簡単に見抜いてしまうだろう。
アキラがいつまでも答えないでいると、ミレイユはアヴェリンへ顔を向けた。
「アヴェリン、お前は私が殺せと言えば殺せるか」
「問われるまでもありません。――出来ます」
そうだろう、とアキラは納得するしかない。
アヴェリンは野蛮という訳でもないし、ミレイユの命令にどのようなものでも絶対服従でもないが、必要と思えば殺人を躊躇わないと思わせる、揺るがぬ意志がある。
言われなくても、それが必ずミレイユの益となると判断すれば、それが誰でも殺して見せるという、信頼めいた確信があった。
「ユミル、お前はどうだ?」
「そりゃ殺すわよ。殺せと言われたら殺すわね。それ以外ある?」
ユミルの返答は飄々として軽いものだが、そこには決然とした思いがあった。
そもそも命を重いものだとは考えていない節が窺える。樹の実を枝からもぎ取るような気安さで、人の命を奪うような気がした。
魔物も人も、殺すとなれば、そこに差を持たない。彼女はその様に考えているように思う。
「ルチアは、お前は殺せるか?」
「殺せますよ。必要とあれば、幾つでも」
ルチアの容姿でそれを言われるのは、正直心に重かった。
しかし彼女もまたミレイユの腹心の一人で、そして多くの修羅場を潜った魔術士なのだ。実際、言われただけでなく殺した事もあるのだろう。
彼女の一言も軽いもので、その発言どおり例え千人であろうと、必要なら魔術の一掃で殺してしまいそうであった。
ミレイユの双眸が、ひたとアキラを見据える。
「それでアキラ、お前は殺せと言われたら殺せるのか?」
「それは……、その、悪人だけの話ですか?」
「今更何を聞いてるんだ」
アヴェリンが深く溜め息を吐いて、頭をガシガシと搔いた。
「相手が悪人だとハッキリ判明するまで、猶予を与えろと言うのか? 悪人らしい悪人、目の前で殺人でも起こした野盗でなければ武器を振るえんか?」
「それは……そうですよ。善人を斬って良い筈ないです」
「そうかそうか。では、先程いった野盗なら、躊躇わずに殺せるんだな?」
「……、分かりません」
「分からない? 分からないとはどういう意味だ? 悪人なら殺せるんだろう?」
「だって、人を殺した事なんてないんですよ! 悪党らしいってだけで、殺されそうになったというだけで、だから自分も殺してやるとはならないですよ……!」
アヴェリンは明らかに落胆した溜め息を吐いた。
目を細め、侮蔑するような視線を向ける。それからミレイユに向き直った。
「なるほど、ミレイ様の危惧した事が分かりました。こいつは連れて行くべきではありません」
「そんな……!」
アキラは追い縋るようにミレイユを見つめ、それから擁護してくれていた二人に目を向ける。
しかし見つめ返してくるのは、アヴェリン同様落胆か、あるいは軽蔑する視線だった。
ミレイユは言う。
「私が殺せという相手を殺せないなら、お前は付いて来ない方がいいだろう。……私が無辜の民を殺せと命じると思うか? 街道で適当に目を付けた婦女子を斬りつけろって?」
「……思いません」
「私がそれを命じるなら、それ相応の確信あっての事だ。例えそれが無辜の民に見えたとしても、それを命じるなら、命じるだけの根拠がある。それを懇切丁寧に説明し、お前が納得しなければ刀を振るえないか? 悪人であっても殺せないと言うお前が、私の命に従わず、逆に自分の命を失っても、私は仕方ないの一言で済ませると思うのか?」
「……思いません」
だが、殺人というのは忌避感があって当然だろう。
度胸の一つで出来るものではない。鬼や魔物のように、それが人型であるというなら問題なかった。それは人のような形をしているだけであって、あくまで人に仇なす敵でしかないからだ。
仮に戦争中の敵兵であったとしても、殺す許可が得られているとしても、実際に武器を振り下ろすのは簡単な事ではない。やるべきだ、やるしかない、と頭では分かっていても、だから出来ると断言できなかった。
ミレイユは平坦な声で続ける。
「私が何より危惧するのは、その倫理観だ。その精神は、現代日本では尊ばれるものだ。悪人にも人権があり、公平な裁判を受ける権利がある。人の命は平等で、犯すべからざる権利であるとな」
アキラは何も答えられない。
「だが、国も違えば文化も違う、文字通りの別世界で、お前の倫理観など何の役にも立たない。むしろ枷だ。人の命に差があり、権利も無ければ不平等。法があっても尊重されず、犯罪が横行する。一度町から離れれば、そこは法の届かぬ力の世界だ。襲うのは人だけではない、当然魔物も闊歩している」
アキラは項垂れる気持ちで、何一つ返せない。
「お前の倫理観はどこまで尊重される? 人を殺すのは間違いか? 無論、そうだ。ではそれを、誰が判断する? 国か、法か、憲兵か? どれも当てにならない。では、誰が判断するんだ」
「それは……自分で、するしかないんでしょうか」
「頼りになるのは自分だけ、というほど殺伐としたものでもないがな。互助会のような物があり、互いに互いが睨み合って、それで安全が確保されていたりもする。憲兵よりもギルドの方が頼りになるし、そこに所属する事で身分も安全も、ある程度保障されたりもする。……では、ギルドの全てを信頼できるのか? お前はどう思う」
問われてようやく、アキラにも答えられそうな質問が来た。
その世界の常識のように思えたが、そこに疎いアキラに正解など知りようがない。だから自分が考えられる範囲で答えを言った。
「分かりません。法とは別に、ギルドにはギルドの規則みたいな物があるんでしょうか」
「そうだな、ギルドにはギルドのルールがある。無法であればこそ、最低限のルールがあり、それを守れないなら追放となる。それには当然、殺しも含まれる」
「命じられるんですか、誰かを殺せって……」
「あの世界の命は軽いが、だからと言って、とにかく殺せというほど野蛮ではない。だが、ギルドの保護を受けるなら、命じられれば殺さなければならない。追放処分は、無所属よりも立場が悪い」
それは分かるような気がした。
犯罪を起こした訳ではなくとも、命令違反は軽犯罪者扱いのようなものだろう。無所属はどこかへ所属する選択肢があるが、追放となれば別組織でも所属は難しくなるのは当然だ。
「……いいか。どこに所属するにしろ、お前が考えるより簡単に、暴力が振るわれる。まずそこが根底にあるんだ。言うことを聞かせるのに、そして見せしめという意味でも、実に有効だからな。話し合いでの解決も勿論あるが、まず暴力で屈服させようと考える奴に話し合いは通用しない。話したいなら、まず殴って黙らせて、そこからスタートとなる」
アキラは開いた口が塞がらない。
アヴェリンやユミルが、暴力に手慣れていると感じた事がある。いま聞いた話のとおり、暴力を根底にしている世界で培った常識なら、そうなるのも当然という気がした。
剣と魔法の世界というのは、一種の憧れだ。
どこか綺羅びやかで、そして殺伐としている世界。そういう認識だったのだが、実際は遥かに泥臭い世界らしい。
「差別も横行していて、むしろ当然と認識されている。命が平等じゃないなら、権利も当然平等じゃない。お貴族様の世界は平民とまた違った不平等があるし、正しい事は報われない。それを続けるというのは、本当に難しい事なんだ」
「……分かるか? その正しさを続けて来たのがミレイ様だ」
アヴェリンが補足するように言い足して、それでアキラは顔を上げた。
彼女は誇りを存分に感じる姿で、そしてそれを口にするのが誇りであるという様に続ける。
「誰もが正しい事を望んでいる。しかし、腐敗の力というのは相応に強く厄介だ。大抵はそれに潰されるか、同じく腐り果てていく。だがミレイ様だけが違った。何が正しいかを示し続けた。あらゆる不平等、あらゆる腐敗、あらゆる暴力を跳ね除け、現在の王政を敵に戦った」
「私がエルフである事を理由に迫害され、差別されていた事も同様に、それを正しエルフを救ってくれたのもミレイさんです」
「そういえば、神様のように崇められているって……」
かつて聞かせてくれた事があった。
ミレイユが、耳を丸めたエルフと呼ばれるような事があったのだと。それはこれが原因だったのか。そこにどれだけの差別や迫害があったかのか、アキラには分からない。
しかし、神のように崇められるというのは、尋常でない事だけは理解できる。
ミレイユが仲間内から尊敬されている理由、そして最年少でもリーダーである理由が、これで少し分かった気がした。
そしてだからこそ、ミレイユが殺せと言えば、躊躇わず殺す事が出来るのだろう。その絶対の信頼が、その背景にある。
アキラもミレイユを信頼しているのは間違いないが、だからと動ける程ではない。彼女らとアキラの違いはそこにある。
「暴力もまた正義には違いない。それを正しく扱える限りにおいて、その暴力は正しい力となる。ミレイ様はそれを良くご存知だし、どのように扱うかも熟慮される。だから多くの人を救ったし、災害のような竜すら討伐に赴くから、その人徳と武威から多くの尊崇を集めた」
「言ってましたね、千人を集めた大連合で挑み、唯一生き残ったミレイ様たちが討伐したと」
「うむ、その時の事と言ったら――!」
アヴェリンの発言に熱が帯びて来たところで、ミレイユが待ての合図が飛んできた。
「話が脱線している。それはどうでも良い。――アキラ、私が言いたいのはな。振るうべき時にすら力を振るえないなら、何一つ自分の思うとおりにはならない、という事だ。理想のまま生き抜くのは難しい。無念のままに死ぬのも人生かもな。だが、それを私の後に付いて来てまでやるな」
「……はい」
「今のお前なら、理想を抱いて死ぬというほど、立派な死に様を迎えられない。ただ、そうしたくないという稚気で死ぬだけだ。それも、私が許可したという前提の元でな。それは認められない。……だから、お前は付いてくるな」
アキラは何も言えなかった。
暴力が根底にある、それが法を――ルールを機能させる大前提だというなら、確かにアキラの倫理観はその世界にそぐわない。殺しも躊躇わないだけの強い胆力もなしに、ミレイユの後ろを歩く事すら出来ないのだ。
アキラはやはり、やれと言われて殺せるとは思えなかった。
顔を上げて周囲を見る。
ユミルを始め、最初は擁護してくれていた人も、今では考えを正反対に変えている。
ミレイユにあそこまで言われては、アキラもまた自分が付いていく事が正しい事とは思えなかった。悔しさはある。恩を返したいという気持ちは本物だ。
しかし、それを許されるには、多くの覚悟がアキラにはない。
どうしようもないのかと、諦めの溜め息を吐いた時、観覧車が終りを迎えた。
乗降口の係員が扉を開け、外へ促す声が聞こえる。
アキラはグッと重たくなったように感じる身体を、引き摺るように外へ出ていった。
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