静けさ、その後 その3

「お願いします、僕も一緒に連れて行ってください。この世界を鬼の氾濫から守る為だというのなら、この世界に住む僕にも手伝わせてくれませんか……!」

「へぇ……?」


 アキラが持論を展開すると、ユミルが面白そうに眉を上げた。

 興味深げにアキラの顔を舐め回すように見つめ、それからミレイユへと視線を向ける。


「なかなか尤もだと思えるコト言うじゃない。苦し紛れの発言に思えて、結構的を得るコト言ってるわよ」

「……そうかもな」


 ユミルはアキラに肯定的で、ミレイユもそれに同意したが、それは結局表面上の言葉だけだと分かる。ミレイユの表情は変わらず、アキラから視線を切って見向きもしない。好意的に思っていないのは瞭然だった。


「お願いします、僕はミレイユ様に御恩があります。その恩に報いるだけの事を、させて貰っていません。もう二度と会えないかもしれないと言うなら、僕は恩知らずになってしまいます」

「……何処かで聞いたようなこと言うじゃないですか」


 ルチアがここでようやくアキラの方へ顔を向けた。

 睨み付けてるようでもあり、また眩しいものを見るようでもある。声音は突き放すようでありつつ、どこか優しさを含んでいた。


「恩を返したい、その気持ちは私にも良く分かるんですよ。離れ難いという気持ちもね。私達は自力で……というと語弊がありますか。……まぁ、手段があったから後を追いましたけど、もし無かったらと思うと、とても平静ではいられなかったと思います」

「それは……悪かった」

「いえ、責めたい訳じゃないんです。その話はもう、とうに終わったじゃないですか。ただ、アキラの気持ちも分かるという話で……」


 ルチアはミレイユを見て困ったように笑みを浮かべる。儚い笑みで、どこか胸を締め付ける思いがする。アヴェリンにも同様に思う事があったのか、目を固く瞑って難しい顔をしていた。

 しかしミレイユは、だからといって絆されるつもりはないようだった。避難するような目付きで、ルチアの目を見返す。


「だから連れて行けとでも? そんな無責任な真似が出来るか」

「無責任というなら、返せる恩の機会を奪うのもまた、無責任って気がしますけど」

「……お前はアキラの味方なのか?」

「いいえ、徹頭徹尾、貴女の味方です。……ただ、頭ごなしに否定するより前に、一度考えるだけの機会を与えても良いと思っただけです」


 ミレイユは呆れたように首を振った。


「絆されている様なものじゃないか。アキラは確かに身近に置いていたが、お前達と同列に扱うなんて出来ない。お前たちを置いて行こうとし、しかし受け入れたのとは全く話が別だぞ」

「それはそうでしょう。むしろアタシ達とアキラを、同列に扱われちゃ堪らないわ」


 ユミルは小馬鹿にしたように笑った。

 ミレイユを見て、次いでアキラを見る。それから頬に手を当てて、上下に頬を撫でながら言った。


「共に乗り越えた修羅場があるワケでもなく、単に教え導いてやった、謂わば師弟関係のようなものでしょう? ――あぁ、アヴェリンは本当に師弟関係なんだけど、だからアタシ達より一段も二段も下に置くのは当然よ。だけど切り捨てるという程、浅い関係でもないじゃない?」

「……なんだ、お前もルチアの意見に一票か。……考えてやっても良いが、置いていく結果に変わりはないぞ」

「それならそれで良いわよ。考えを覆せって話じゃないし、一度見直した結果、やっぱり駄目っていうなら仕方ない。……アンタもそうでしょ、考えを改めないと許さないって言うワケじゃないわよね?」


 ユミルがアキラに水を向けてきて、咄嗟に何度も頷く。


「勿論です、駄々をこねたい訳じゃありません。ただ、お許し頂けるなら行きたいですし、そして駄目な理由を教えられるなら、それを聞いてみたいです」

「幸せになれない、という理由だけじゃ納得できないか?」

「……ですね。漠然としすぎてますし、それを断言できる理由も分からないというか……」


 ミレイユは重く息を吐く。駄目な教え子を見るような視線でアキラを射抜き、そして口元を覆うように片手を当てた。それで口の動きは分からなくなったが、舌打ちをしているような気はする。


「……そうだな、理由の一つとして文化の違いが挙げられる。いつだったか、その食文化について話した事もあったろう? 治安の違いも察せる筈だ。この国に住んでいれば、多くの当然を享受できていたが、あちらにはそれがない」

「簡単に言えば、不便だと言う話ですか」

「……そうだな、それが一番分かり易い。テレビやスマホもない生活、ガスも冷蔵庫もない生活に、いきなり放り出されてやって行けるか? 海外旅行じゃないんだぞ、一週間で元の生活に戻れるなら不便も一種の楽しみかもしれないが、一生そこで生活すると考えてみろ」


 確かにそれは、現代人として生きてきたアキラには、想像も出来ない生活だった。テレビやスマホは我慢できても、便利な電化製品、更に言うなら夜の灯りだって身近なものではなくなるだろう。


 食生活についても同様で、初めてミレイユと会った時、米が食べたいと言っていたから、あちらには当然ないのだろう。米だけに限らず、醤油やソースなどの調味料もないと聞いた覚えもある。便利なスーパーなど望むべくもなく、新鮮な食材なども手に入らない世界なのだろう。


 アヴェリンが遠くに見える林を見て、鹿でも狩って来ようと思うぐらいには、肉を得る手段というのは限られてくるのだと予想も付く。

 生活の殆どに常識が通じない。アヴェリン達が日本に来て、相当おかしな行動を取っていたものが、それが今度は逆になる。


 本当にやって行けるのか、と言われれば、不安は当然ある。

 だが、その程度の不安は、アキラが与えられた多くのものと比較すれば、ごく小さなものだ。その不安に背を向けて、恩を返せずそのまま暮らすなど、アキラは考えたくもなかった。


「それでもやっぱり、僕がミレイユ様方に受けた恩というのは特別なんです。僕はまだ何も返せてません。これからは、向かう先でしか返せないというなら、その先で返す機会を与えて欲しいんです」

「うん……。その心意気は買うがな……、それを嬉しくも思う。だがな……」


 ミレイユは口元を覆う恰好を崩さぬまま、思考に没頭するように目を瞑った。

 そこにユミルが声を掛ける。


「何が不満なの? アキラの人生を背負うって部分? 付いて来たら帰れないからって?」

「そうだな、そういう部分は確かにある」

「そんなのアンタが背負う責任ないじゃない。事前に説明して、付いてくるなと言って、その上でアキラが来るっていうなら、それはアキラの責任よ。後で悔いても、そら見たことかと笑ってやる権利すら、アンタにはあるのよ」


 そうよね、とユミルが目を向けてきて、アキラは咄嗟に頷いた。

 言っている事は少々過激だが、間違いではない。来るなと言われた上で、それでも付いていく意志を示したのなら、何があろうとアキラが責任を負うべき事だ。


 その先で幸せになれないと言われ、そして本当に不幸になったと悔いるなら、アキラが馬鹿だったというだけの話でしかない。ユミルの言うように、小馬鹿にされても甘んじるし、そう出来ないなら悔いる権利すらないだろう。


 ルチアもそれに援護するような、どこか達観した遠慮のない言葉で言う。


「ここまで納得ずくなら問題ないと思いますけどね。問題だというなら、ただ弱いって事だけじゃないですか。足手まといはいらない、っていう話で終わるなら、話はもっと単純だったと思いますけど」

「それもあるがな……」


 そこを突かれると確かに弱い。アキラは思わず言葉に詰まった。

 アキラは当初と比べて腕を上げた。魔力が無かった頃と比べたら雲泥の差と言っていい。学園へ通うになって三ヶ月、そこでも更に腕を上げた。


 切磋琢磨できる、腕前も距離感も近い相手というのは、何より実力を伸ばすのに得難いものだった。今まで自信のなかったアキラも、その期間で確かに実感を得られる程に能力を伸ばした。


 だがやはり、ミレイユに敵わないのは勿論、アヴェリン達に肉薄するような実力は得られていない。その力の底すら知れない、という程に、彼女たちとアキラとの差は歴然としている。

 その彼女たちに付いていくと言うのなら、それは確かに足手まといにしかならない。


 荷物持ちとして付いていく、という理由も通用しないだろう。

 何しろ個人空間という、限りはあっても膨大な量を仕舞えてしまう能力がある。旅の間は用意する物も多いとはいえ、それは彼女たちに関係ないだろう。


 アキラにアピール出来るポイントと言ったら、恩を返すという情に訴えかけるだけ。自分が付いていく事に利がない以上、アキラにはそこを推すしか他に手は残されていなかった。


「お願いします、僕も一緒に……! どうか御恩を返させて下さい!」


 アキラは狭い観覧車の室内で頭を下げる。正面にいるのはミレイユではなかったが、それでも必死の願いを込めて頭を下げた。

 沈黙が室内を支配する。誰も何も言わない中、衣擦れの音だけが聞こえていた。


 それから静かに、そして厳かに告げるように、ミレイユから声を掛けられる。

 顔を上げろ、と言われて、素直に上げてミレイユを見返した。その表情には何の感情も浮かんでいなかったが、ただ迷惑そうに手を振っているのが、その感情の発露のような気がする。


「勝手に付いてきて、勝手に死なれても困るんだ。……分かるか?」

「……それは、はい。ご迷惑になるかと思います」

「死ぬな、なんて命令、何の役にも立たないだろうし、お前を護ってやるほど私達は優しくない。お前は私の命令に従えるか?」

「はい、従えます。自分の意志で付いていくんです。必ず従いますし、自分の身は自分で守ります」


 ミレイユはそこで感情らしい感情を露わにし、小さく息を吐く。


「その宣言一つで、本当に守れるなら話は簡単なんだがな。――アキラ、お前……私が殺せと言えば人を殺せるか?」

「え……」


 ミレイユが言った事の意味は、あまりにも明らかだ。

 だが咄嗟に答えを返す事出来ず、アキラの身体が固まった。

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