静けさ、その後 その2

 観覧車は時計回りにゆっくりと回転しながら一周する。

 現在は一時の角度まで上がり、そろそろ二時に届こうかというところだった。とうにピークを過ぎた現在、終わりに向かって少し寂しい気分で眺める事になる。


 アキラは窓の外へ顔を向け、茜色もすっかり消え、藍色へと変わりつつある空を見た。

 先程まで賑やかに笑い声が響いたのに、今ではすっかり沈黙が降り、誰もが何も発しない。終わりゆく景色を惜しむようですらあった。


 観覧車が三時に差し掛かろうとした時、ポツリとルチアが言葉を落とした。


「ミレイさん、……今日はありがとうざいました」

「私が好きにやった事だ。以前の約束もある、改まって言われるような……」

「いいえ、きっとこれが最後の機会だから、ですよね。最後のギリギリ、その余裕があるところで外へ連れ出したかった。遊ぶ暇なんて、これから訪れるか分からないから」


 ミレイユはこれに答えなかった。

 ルチアの目を見て、表情を変えず、ただその言葉を聞いている。


「……やり遂げるつもりでいます。箱庭での修練、大社での実践、それを繰り返す日々ですけど、手応えは感じているんです」

「うん、その努力を疑った事はない。近づきつつあるのだとも思う。完成は目前に控えている、あと一歩といったところなんだろうな」


 ミレイユは優しく諭すように言って、言葉を一度区切る。

 アキラには二人が何を話しているのか理解出来ないが、何か重要な事を言っているのだと、雰囲気で察した。

 それからミレイユは重い溜息を細く細く吐き出し、それから小さく頷いた。


「……間に合わないと思われていたものが、間に合うかもしれない、というところまで来た。それは確かだ。だが……」

「どうにもなりませんかね?」

「どうにかする努力は続けて来た。私も、お前も、それ以外も。……だが拡大率は上がっている。一定速度ではなく、加速度的に拡がる可能性はある、と聞いていただろう。そのとおりになっただけだ。当初あった早くて半年という数字が、そもそも見通しの甘い楽観でしかなかった、という事だろう」

「……悔しいですよ、己の力が及ばなかったのは」


 ルチアの顔は未だに窓の方を向いている。

 今まで一度もミレイユの方へは向けていない。姿勢正しく座席に座り、顔だけ外を向いていた。だが、その膝に置かれていた手が震えていて、強く握りすぎて関節が白く染まっていた。


「結末を変えるには、そもそもの根幹を変えなければならない。それは全員が一致する見解だった。ならばどうする、という解決案は、ついぞ見つからなかった。孔の放置が許されない以上、そちらを優先せねばならず、結果として後手に回って何も出来ない。……それが全てだった」


 アキラには二人が何を言っているのか理解できない。

 しかし孔という単語から、鬼やそれに纏わるだと理解できる。そしてそれが、決して良くない方向へ進んでいるという事も。

 アキラは他の二人へ視線を向けるが、黙して何も語らない。達観したような表情で正面を見据えるだけだった。


「せめてお前の半分程の実力が、他の者にあれば良かった。だが遺伝的問題で魔力はヒトに上手く伝わらず、謀反を警戒して能力を伸ばせず、鬼を弱いまま維持できたお陰で危機意識を刺激する事も出来なかった」

「せめて後三十年、早く計画を進められていたら……。時間が足りていれば、人材が足りていれば、そうすればもしかして縮小も封印も、そして決着も付いたかもしれないのに……」

「もし、を言っても仕方がない。考えたくないが、オミカゲの発想どおり、方法しかないのかもな……」


 それまで黙っていたユミルが、首を動かして否定した。


「それはやめておくのが懸命よ、同じ轍を踏むだけだわ。次へ託すという考えは捨てなさい。そうでなければ、いつまでも繰り返す事になるわよ。……とはいえもしかしたら、もっと視野を広げた時、現在の流れすら予定調和の可能性もあるけど」

「考えるだに恐ろしい話だな。……そうでない事を祈ろう」


 ミレイユは眉間に皺を寄せ、それから揉み解すように指を添えた。


「けれど、こちらで封じ込める事も、締め出し跳ね除ける事も出来ないとなれば、元凶を潰すかやめさせるか……。それしか方法はないと思うのよね」

「……あぁ、決定的な被害が出る前に、私達が移動する事で注意を逸らすか? やはり考えたくないな、それは」

「間違いなくその目はアンタを見てる筈だから、注意が逸れるのは間違いない……けど、腹いせは続く可能性がある」

「あるいは自動的かもと言っていたな。千年続けているのではなく、止めていないから千年続いただけなのだと」


 ユミルは渋い顔をしたまま頷く。


「もしもそうなら、当然アンタが移動した程度じゃ孔は塞がらないって事になる」

「……だが、それに賭けるしかない段階に来ているのも、また事実という訳か」

「そうね、不本意ながらね」


 ユミルが溜め息を吐き、それにつられるようにミレイユも息を吐いて、眉間に深い皴を刻む。その表情には不満がありありと浮かんでいて、それで沈黙が再び支配した。

 それから二人の視線が申し訳無さそうにルチアへ向く。

 向けられたルチアはガラスの反射越しに、その二人を見ているように思えた。


 ここまでアキラも口を挟まず――挟めず、黙って話を聞いていたが、何か凄まじい事を聞かされた気がする。世界の裏側、その一端を垣間見たかのような、不条理を一つ知ったかのような、そういう居た堪れない気持ちが沸き上がってくる。


 果たしてアキラが聞いて良かったものなのか、それとも聞いた上で何も話さないという信頼の上で交わされた会話なのか、それすら分からない。

 ただ、ここにいる四人が何処か遠くへ行ってしまうような、漠然とした不安だけを感じてしまった。


「……あの、今の会話、僕が聞いても良かったんですか?」

「……そうね、あまり良くなかったかもね」


 ユミルがちら、と視線を向けて、それからミレイユの顔を伺うように言った。


「でも本当に駄目なら、この子が途中で止めてる筈だから、そう深刻になる必要はないと思うけど」

「あぁ、そうなんですね……。実際、まるで良く分かりませんでしたし……。ただ、凄く深刻な感じだけは伝わってきましたけど……」

「そうだな、実際深刻だ。だから聞かせたとも言える」


 ミレイユがアキラの目を見てそう言った。


「お前は一応アヴェリンの弟子でもある。身内という程近くはないが、他人という程遠くもない。だから、義理を通すような意味合いで、その事を聞かせた」

「……でも、話の内容が難しくて、一体なにを言っていたのか、よく……。結界についてなのか、とはおぼろげに理解できましたけど」


 ミレイユは眉間に添えていた指を離し、胸の下で腕を組んだ。それから天井を見上げて、しばし動きを止める。何か考えがあるのだろうと、アキラはミレイユが話し始めるのを待った。


「……そうだな……、非常に業腹だが……。私達は近く、元の世界へ帰還する事になるのだろうな」

「そうなんですか!?」


 その一言は、アキラを驚嘆させるには十分だった。

 かつて、この世界へやって来た当初、休暇のようなもの、という話を聞いた事がある。バカンスのようなものとアキラも考えていたので、ならば帰る日が来たとしても不思議ではないが……それでも、その事実を聞かされるのは、相当な衝撃と失意を呼んだ。


「どうしても帰らないといけないんですか? オミカゲ様だっておられますし、こっちの世界だって良いものですよ」

「それは分かっている。嫌気が差して帰る訳じゃないからな。そうする必要がありそうだ、という後ろ向きな発想か来るものだ。残れるものなら残りたい」

「だったら……!」


 言い募ろうとしたアキラを、アヴェリンが一睨みで黙らせる。鬱陶しそうに髪を掻き上げ、鼻を鳴らして威嚇するように顔を顰めた。


「ミレイ様が既に言った事だろうが。不本意ながら帰還する、その必要があるのだと。何も告げずに消えるのは不義理だからと、こうして話して下さっているんだ。それに感謝して、別れの言葉でも考えていろ」

「でも……師匠、それじゃあ……、いつか帰ってくるんですか? すぐじゃなくても、またいつか、帰って来られるんでしょうか?」


 これにミレイユは答えない。

 他の誰も答えなかった。ユミルすら何も発せず、誰もアキラと目を合わせない。

 それが答えのような気がした。


「もう、会えないんですか……? だったら、僕も連れて行ってくれませんか?」

「それは断る。お前の世界は、こちらの世界だ。こちらの世界の住人は、こちらで暮らした方が幸せになれる」

「幸せって何ですか……? 平穏に暮らせれば幸せなんですか?」

「何が幸せかは、お前にしか決められない。だが、あちらにはないだろう。それだけは断言できる」


 そんな、とアキラが項垂れると、ユミルは難しい顔で重苦しく息を吐きだしてから口を開いた。


「……こちらでいるのが幸せっていうのも、どうでしょうねぇ」

「なんだ、お前は連れて行きたいのか?」

「そういう意味じゃなくって。さっき言ってたでしょ、アンタが還ったところで、孔は残り続けるかもって。孔はその大きさを維持するのかしら、それとも変わらず拡大するのかしら。拡大したとしたら、より強い鬼が出てくる事になるんでしょうね。……平穏って、いつまで続く?」


 ミレイユはそれに答えない。ただ答えないというより、答えられないように見えた。

 しかし何よりアキラを動揺させたのは、その孔に対する言及だった。


「待って下さい、孔ってこのままだと手に負えなくなるんですか?」

「……伝わってないのか? 孔の拡大、鬼の強化、それは十分周知されている筈だろう」

「それはそうですけど、過去にも例年より強い鬼が出る事はあったと……。一時的なもので、それを耐える必要があるとしか……」


 アキラは自分の発言が、そう思わせる為に上が言った嘘でしかなかったのだと、ようやく気付いた。何しろミレイユ達が嘘を言う理由がない。

 拡大しているのが事実なのは周知の通りで、そして対抗する為にミレイユ達が、その真髄を享受させて隊士たちを強化して回った。自分たちも強くなったが、同時に鬼の強さも激しさを増した。

 相対的に見て、まったく楽になっていないというのが現状だった。


 そしてそれが本当に破綻する前兆であったとしたら、それを馬鹿正直に言う筈もない。

 混乱は避けられず、御由緒家は例外としても一般組には離反する者も出てくるだろう。悲観的になって、何もかも放り出す者だって出るかもしれない。


 それが分かっていない筈もなく、ならばミレイユ達が話していた内容にも、ある程度信憑性が出て来た。もはや、こちらで止められないなら、元から止めるしかない、という事だ。


 パイプから流れてくる水のようなものだ。

 幾ら出口でバケツを用意しても、それが満たされてしまうのは止めようがない。パイプを手で塞ぎ続ける事は出来ないだろうし、それならば元栓を閉めるのが賢い選択だ。


 彼女たちは、その元栓を閉める為に、世界を越えようとしている。

 元より鬼はあちらの魔物だ。それを和風に呼び習わしていたに過ぎない。あちらから流れてきたと言うなら、あちらで直接止めようというのは、実に理に適っているように思う。


 それならば、尚の事アキラには強い決意で持って口にする事が出来る。

 単なる帰郷ではなく、この世界を守る為の旅路だと言うなら、アキラにはそれを手助けしたい意志がある。待ちの姿勢ではなく、攻めの姿勢で赴くミレイユ達に、僅かながらでも力になりたい。

 その気持ちが、今も激流のように沸き上がってきた。

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