学園の転入生 その10
アキラが試合開始線の前に辿り着いた時には、既に対戦相手は指定位置で待っていた。
ミレイユ達への距離が近くなって、否が応でもその視線を意識してしまう。何か語りかけてくる訳では無いが、不甲斐ないところだけは見せられないと、アキラは胸中で決意を新たにした。
対戦相手と、お互いに目が合って一礼する。アキラも例外なく壁から木刀を借りていて、それを正眼で構えた。相手も一応、木刀を構えてはいるが、あくまで主体は理術の使用だろう。
重心は中央よりも後ろ寄りになっていて、初手から距離を離す事を考えていると窺えた。
アキラとしても、当然逃げられたら対処が難しくなるので接近する事しか考えていない。七生がやっていたように、とにかく攻め立て術の制御を妨害してやるのだ。
そこから先は流れで動くしかない。
相手の得意戦法を知らない以上、今はそれしか考えられなかった。
緊張を滲ませた表情はお互い様で、アキラが知らないのと同様、あちらもアキラの得意戦法を知らない。だから、その初手を見誤らなければ主導権はこちらが握れる筈だ。
「……始め!」
それぞれが睨み合う三つの組を見渡して、鷲森が声を張り上げ合図を送った。
アキラも足に力を込め、逃げ去る相手を追撃しようとして、突然目の前に現れた対戦相手につんのめった。振るわれた木刀を咄嗟に受け、そして力を逃げす為に後方へ逃げる。
しかし、距離を取ろうとした事さえ読まれて、更に追撃を放ってきた。
「くぅ……っ!」
攻撃は受け切れたが、一撃は思いの外重たく、その力の全てを逃がす事が出来ない。
木刀だけの攻撃ではなく、隙を見つけて蹴りまで放って来た。それも躱すが不格好な姿を晒してしまい、恰好の一撃を繰り出すチャンスを与えてしまった。
振り降りされる一撃を、横転する事で躱し、距離を取る。
そうしながら、アキラは完全に出し抜かれたと歯噛みしていた。
外向術士は別に剣を振るえぬ訳じゃない、というのは知っていたつもりだった。最低限の腕前を持っているのは間違いないが、外向理術を学ぶからには二足の草鞋を履いて、刀の鍛練まで出来る訳がないと思っていた。
それに開始線の前では確かに重心は後ろへ傾いていた。
だから理術を使うことを前提としていると思っていたのに、それは全てアキラを騙す為の擬装だったのだと、今更理解した。理術を学んでいるからとて、刀を捨てる事はない。
彼女はきっと、今までどちらか片方を捨てる事を良しとせず、両方の鍛練を続けて来たのだろう。
卑怯とは思わない。
ミレイユが――御子神様が見ている前で、単に全力を出すだけで満足する訳もない。負けるより、引き分けより、勝った姿を見せた方が印象も良いと考えるのは自然な事だ。
アキラにも、勝った姿を見せたいという欲はある。
これは単に相手の作戦勝ちであって、思うとすれば、相手の戦力や戦術を真剣に捜さなかった自分の不甲斐なさだ。本気で取り組むというには、覚悟が足りなかった。
アキラは転がって逃れた先で、即座に立ち上がって振り返ったが、その先に相手の姿はない。
――どこに!?
そして、いつの間に消えたのか、そう思って一瞬の硬直が生まれ、そしてその一瞬は相手にとって値千金の時間だったろう。上空から影のような何かが見えた気がして、考えるよりも先に手が動いた。
咄嗟に振り上げた木刀が、硬質な音を立てて何かを遮る。腕に掛かる負担は、それまでの比ではなく、腕ばかりか身体全体に衝撃が走って踵まで貫いた。
「ぐぅ……ッ!」
うめき声を鳴らして、沈み込みそうになり身体を必死に堪えて、上から襲撃をして来た相手を上半身のバネで跳ね返す。あと一瞬でも反応に遅れていたら、この額は割られていた。
冷や汗を拭う暇もなく、着地したばかりの相手が攻め立てて来る。
外向理術といっても、その内容は様々である事は知っている。
どういった術があるのか、それはユミルから簡単に聞いていた。何しろ種類が多いし、アキラは使えないし、使う相手とも戦う機会がなかったので、割愛される部分も多かった。
だが目の前の対戦相手が使ったのは攻勢理術ではなく、身体強化などを含む支援系だと察知できる。そうでなければ、アキラの視界が切れている一瞬の内に、自身を上へと姿を消す事など出来ない筈だ。
それとも、その認識そのものが間違いだったのか。
初めから外向術士というのが嘘で、アキラの聞いた情報が嘘だったとか――。
それもまた、十分にあり得る事だと思われた。情報戦を仕掛ける事は卑怯ではない。それとて事前に対戦相手を知っている段階で、調べようと思えばアキラには知る機会があったのだ。
漏れ聞こえた話だけで、知ったつもりでいたアキラが悪い。
不甲斐ない思いで自身へ歯ぎしりしながら、鋭く打ち付けて来る木刀を捌く。
完全に冷静さを欠いていて、本来なら反撃に移れるような機会も、そのせいで逃してしまった。防戦一方の戦いが続き、苦し紛れの反撃も難なく防がれ、返しの一撃を受けた。
息が乱れ、攻め立てる動きは幾つものフェイントを含む複雑さを見せてきた。
それを受ける事に集中するあまり、ろくな反撃も出来ず――、そしてそのまま試合を終えた。鷲森の終了の合図を耳が拾ったが、その内容を理解できなかった。
到底、始まってから三分経ったようには思えないのに、相手は武器を降ろしてしまうし、隣の試合も荒い息をつきながら終えている。
愕然としながら、アキラは両手で構える持ち手部分を見つめた。
――何一つ出来なかった。
最初から最後まで相手優位で、主導権を握られ、それを取り返す事も出来ず、そしてがむしゃらに対応している内に終了してしまった。
アキラは目の前の対戦相手に顔を向ける。
その目には、そんなものか、という呆れと侮りが如実に現れていた。
アキラは自分が不甲斐なく、また自身を鍛えてくれた師匠に申し訳なかった。
別に華々しいデビューを飾りたかった訳ではない。ただ、せめて正当な評価はして欲しかった。自分の力量はこんなものではない、と叫びたかったが、口で言ったところで意味はないだろう。
アキラは項垂れたまま開始線へと戻り、相手と対面して頭を下げた。勝ち誇る顔を見て、憎々しく思う。相手にではない、何もかも足りてなかった自分自身に対して怒りが湧く。
その時、肩を落として元の場所に戻ろうとしたアキラの背に、降り掛かってくる声があった。
「……アキラ」
運動場は仲間の勝利を祝う声などで少々騒がしかったが、その呼び声は静謐の中に一石を投じるように響き渡る。
アキラはそちらへ顔を向けるのが怖かった。何を言われるか想像はつく。叱咤されるなら救いはあるが、落胆の声を聞くのは耐え難かった。
アキラがゆっくりと声の方へ振り向くと、平坦な表情で見つめるミレイユと目が合う。
その後ろに立つアヴェリンの形相は凄まじいもので、明らかな怒りが見て取れた。アヴェリンからは咄嗟に目を逸らすと、次はユミルと目が合う。こちらはいつもどおりで、特に怒りや呆れの表情は見えなかったが、つまらないものを見せられたとは思っているような顔をしていた。
ミレイユは感情を感じさせない、ゆったりとした口調で続ける。
「……負けたな」
「はい、申し訳ありません」
「負けた事を責めてるんじゃない。私はお前が全く本気でなかったことを嘆いている」
「本気の……つもりでした」
自分でそう言ってから後悔する。つもりどころか、本気の本気であったのは間違いなかった。後手後手の対処で十全に力を発揮できなかったが、それでも本気であったのは確かだ。
「何を持って本気だと言うんだ? 試合の開始から、ようやく戦う気になった事か? 攻め方に遠慮があった事か? 死ぬ目に遭わねば必死になれない事か?」
一言一言が胸に刺さる。
そのどれもが的確にアキラの試合内容を表していた。試合が始まるまで、アキラは理力を制御してなかった。対処が後手になったせいで、満足に練る事ができず、まともな運用は出来ていなかったと思う。
相手が女生徒という事で遠慮があったのも確かだ。頭を割ったり、骨を折ったりするような一撃は無意識的に避けていたと思う。
鍛練相手は常にアヴェリンだった。そしてそれは、常に死の危険を感じる程の一撃を受ける事を意味する。必死にならねば避けられなかったし、必死でやっても――二つの意味で――骨が折れるような内容だった。
それを思えば、鋭い一撃とはいえアヴェリンの一撃には遠く及ばず、その一振りに死の危険などなかった。上空からの一撃は、対処が遅れれば額は割られていたろうが、それだけだ。
相手も打ち負かすつもりでいたろうが、決して殺す気では来ていない。
普段の鍛練とは緊張感からして、雲泥の差だったのは間違いなかった。
それが油断や怠慢に繋がったと指摘されれば、なるほどそのとおりだと納得するしかない。
「私はお前の本気が見られると思っていた。お前もまた、この学園において自分がどの程度通用するのか、確認するつもりがあると思っていたんだがな。……それとも、この学園のレベル程度じゃ満足できないか?」
「いえ、決してそんな事は!」
「――では、見せてみろ」
ミレイユは事も無げに言って、椅子の肘付きの上で頬杖を付いた。
もう一度機会を貰えるというなら、アキラとしてもそれに応えたいと思う。しかし、何を、どうやって、と頭を悩ませている間に、ミレイユが再び声を発した。
「……由衛、相手をしろ」
「ハッ!」
ミレイユが既に生徒の待機場所に戻っていた凱人の名を呼べば、実直に声を張り上げて応えた。そして視線を横にずらすと、生徒の中からまた別の顔を見つめる。
「阿由葉、お前も出ろ」
「は、……ハッ!?」
名前を呼ばれて動揺を隠せず、裏返った声が響いた。
単に名前を呼ばれた事が意外だったからではない。このタイミングで呼ばれた事が意外だったのだろう。何故なら、このタイミングで呼ばれたというなら、それは二人を相手にするという事になるからだ。
しかし、出ろと言われて拒否する選択など有りはしない。
七生も鷲森とミレイユへ忙しなく視線を動かしながら、アキラの近くまで歩いて来た。既にやって来ていた凱人と隣り合うように立ち、それから次の指示を待って背筋を伸ばす。
ミレイユは鷲森へと視線を向け、手招くように手首を曲げた。
鷲森が即座に近寄って膝を折る。ミレイユは既に決定事項を告げる体で口を開く。
「これから今一度、この三人を戦わせたいが、問題ないか?」
「は、ハッ! 既に一通りの試合は終了しておりますので、後続が待たされる事もありませんし、授業の終了時間まで幾らか余裕もあります」
「うん。では、やってもらおう。――アキラ、この二人を同時に相手して戦え」
ギョッとしたのはアキラだけではない。
この屋内にいた誰もが同じ気持ちだろう。普通、御由緒家を一人相手するだけでも無茶なのに、順番に戦うというならともかく、同時となってはまともな戦闘は成立しまい。
二人の試合を見ていたミレイユが、それに気づけない訳もなかった。
しかし、それをやれというからには、私刑めいた罰則の考えでもあるのかと、誰もが思った。
「分かりました」
しかし、アキラは覚悟を決めて受け入れた。
この二人が同時に来たところで、アヴェリン一人より手強いという事はない。それなら普段の鍛練よりマシな戦いになるだろう、という楽観的な考えも浮かんでいる。
しかし、それに待ったを掛けたのは凱人だった。
神の決定に逆らうような発言に、驚くと共に感謝も湧く。どうやらたった一日で、良好な関係が築けたらしい。
「いいのか、アキラ。二人同時に相手しようって言うんだぞ。やれというからには手加減しない、それでも良いんだな?」
「大丈夫、罰として殴られるんじゃないんだから」
「そうは言うけど……似たようなものでしょう」
七生まで非難めいた口調で、アキラへ囁くように憂いた。彼女まで心配してくれるのは有り難いが、それがミレイユの決定だからという理由だけでなく、アキラ自身その力量を正当に判断してもらいたい、という気持ちで受け入れたのだ。
それに、ミレイユは決して出来ない事をやれとは言って来なかった。
その彼女が、この二人を相手にしろと言ったからには、きちんと意味があって言った事に違いないのだ。
アキラが開始線まで移動すると、凱人と七生は顔を見合わせて渋い顔で頷き合う。
二人が開始線まで移動し、横並びで対面した。
アキラは二人の顔を交互に見て、それから安心させるように顔を引き締め頷く。それで二人も覚悟が決まったのか、戸惑いを隠して表情を引き締めた。
立ち上がった鷲森が元の位置まで戻ってきて、手を振り上げる。
開始の合図を始めようと、大きく息を吸い込んだ。
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