別世界の住人 その4
目的のコンビニは、目の前を横切るバス通りの反対側にあった。
アヴェリン達が自動車が走る姿を見たのは、先程走り去ったバンが初めてだった。しかし、実際に間近で見るのは今が初めてだったし、それも大量に走る車とれば余程の衝撃だった。
「これほどの速度で走るものが、これほど大量に溢れているのか……!」
「数だけの問題じゃないわよ。多種多量で、似たデザインはあっても色が違うし、生産性の上でも相当幅が大きいのよ」
「そこは重要か?」
「考えてもご覧なさいな。一人で一台の馬車保有なんて、庶民じゃ無理だったでしょう? でも、こっちにはこれだけある。この国が、国民が豊かであることの証明よ」
なるほど、と神妙に頷くアヴェリンに、笑みを浮かべるユミル。
しかし二人の表情から窺えるのは、好意的なものばかりではなかった。
「だが、あの速度だ。暴れ馬車より余程速いぞ。ミレイ様のお側に近づけさせるのは、あまりに危険だろうな」
「そこまで過保護にしなくても、あの子なら避けられるでしょ」
「それとこれとは話が別だ。自衛の手段をお持ちだからとて、安易に危険の傍へお連れするべきじゃない。一台なら幾らでも対処できようが、複数で襲われたらどうするつもりだ」
「それでも、どうにかするでしょ。むしろ、あの子で対処できない状況ってのが想像できないわ」
「無論、いかなる状況でも対応なさる実力をお持ちである事は疑いようがない。だが言っているだろう、それとは話が全く別だ」
「それこそ同じよ。壊れ物のように、丁寧に扱うことだけが、あの子に対する敬意の現し方じゃないってこと。――そう思うでしょ、アキラ?」
言い合いの雰囲気が剣呑になりつつあったところで、不意に意見を向けられ、アキラはたじろぎ戸惑った。これはどちらに味方しても駄目なやつだ。
「い、いやぁ、どうですかね? 車は確かに命の危険がありますが……」
「ほら見ろ。あの速度だ、危険があって当然というものだ」
「よくご覧なさいな。どの車もお行儀よく一列になって走っているでしょう? あれはそういうルールがあって動いていると見るのが妥当。赤とか青とか光るランプ、あれで行き来を制御してるのね。それに従う限り、余程の危険はないのでしょう」
「馬とて癇癪を起こせば制御を失うし、道の往来で突然立ち止まりもする。車とて同じじゃないのか?」
「それは……、どうなの?」
再び水を向けられ、アキラは何とか答えを絞り出す。
アキラとて免許を持っていない身、一般常識としての知識しか持っていない。だが確かにブレーキとアクセルを踏み間違えたり、エンストを起こして止まる事態は起こり得るのだ。
毎年、自動車事故で少なくない命が失われてもいる。しかし、それをここで馬鹿正直に話すのも憚られた。
大体、車の利便性や危険性は、心配されるミレイユの方が余程詳しいに違いない。
「いや、大丈夫ですよ。ユミルさんが言ったみたいに、ルールを守れば危険はないんです。皆ちゃんと守ってるんですから、そんな心配することないんですよ! ミレイユ様だって、ちゃあんとそのルールを熟知してる筈なんですから!」
「ふむ……」
「それもそうね」
お互いに納得した姿勢を見せたところで、アキラは信号機を指差した。
「ユミルさんが言ったとおり、あの青く光っている時が横断するチャンスです。今のうちに早く行きましょう。ここで話し合うより食事を持ち帰る方が、絶対大事ですよ」
「――そのとおりだな。お待たせする訳にはいかない」
ミレイユの名前を出せば素直に従う、その事実にアキラは気づき始めた。
何かあればその名を出して誤魔化そうと、密かに心の中で誓い、ユミルにも信号機の奥に見えるコンビニへ手を向ける。
「早く済ませて、早く帰りましょう」
コンビニの前に辿り着いた三人は入口の前で歩みを止めた。
アヴェリンなどは近づくに連れ、その外観に興味を示していたが、到着するや否や呆れを含んだ声音で言った。
「何故こんなに明かりが強いのだ。あまりに眩く、あまりに不自然。ここまでやる必要があるのか?」
「目立つのは確かよねぇ。襲撃のいい的になりそうなものだけど」
「いやいや、襲撃とかありませんから。安全ですから。早く入りましょう」
そうだな、とアヴェリンが頷いて、同時にユミルも動き出す。
コンビニの入り口は引き戸になっていて、そこに手を伸ばしかけていた二人の動きが同時に止まる。
「……私が先に入る。お前は後からついてこい」
「……あら、そう? 譲るべきはアンタじゃなくて?」
二人の視線が交差する。
「お前は光が苦手だろう? 暗い外の方が余程のお気に入りだと知っていればこそ、先に行こうと言っているんだ」
「別に明かりを嫌がってはいないわよ。蝋燭の明かりを、一度でも遠ざけた事があったかしら?」
「あれとは光の強度が違う。蝋燭の炎は弱々しい、これとは違う」
「暖炉の炎からだって遠退いた事はないわよ。いいからお退きなさいな」
二人は視線だけでなく、顔を近づけ威嚇を始めた。
「なぜ先にこだわる? 先陣を切るのは私の役目だ。いつだってそうしてきた。今回もそうする」
「別にそこは譲るわよ。危険な場所は一番にアンタに譲るわ。でも、ここに危険はないもの」
「危険がないかどうかが何故わかる? 例えなくても、それはこの際問題じゃない。私が先で、お前が後だ」
「中は大変興味深い物で溢れているようなの。アンタにはどうせ何を見ても同じに見えるでしょうから、まずアタシが確認する方が合理的というものだわ」
挑発的だった最初の言い合いから一転、言葉を交わす度に表情から感情が消えていく。今では小さな笑みさえ消えて、瞳の奥には剣呑な色が見える気がした。
流石にこれを放置するのはマズイ。殴り合いの喧嘩になるかどうか、アキラには分からない。二人が何かと言い合うのはいつものことだと、ルチアも言っていたが、ここまで白熱するのもいつもの事とは思えなかった。
アキラは二人の脇を通って扉の前に滑り込み、両開きに対応しているドアを開け放った。
「すみません、お二方。どうせなら同時に入ったらいかがですか」
「……そうしよう、時間の無駄だ」
「……そうね、無駄にしていい時間はなかったわね」
睨み合う二人は顔をお互いに背けて、店の方へと身体を向ける。
アキラが身体を脇にどけて、お互いの入店を促せば、我先にと足を踏み入れる。それを見届けて入り口近辺にあった買い物カゴを手に取った。
「お二人とも、こちらのカゴを持って下さい。買いたい物があれば中に入れてくれればいいので。ただ、今日は食料品だけにしてくださいね」
言って渡せば素直に二人は受け取った。しげしげとかごを上下から眺める二人を置いといて、アキラはとりあえず弁当コーナーへと足を向ける。
あの二人に付き合っていると、いつまで経っても買い物が終わらない。
今だけは店内の商品に目が移って、いがみ合いも止まってくれる事に期待し、そのチャンスを活かして買い物を終わらせてしまおうという算段だった。
幸い、店内に他の客はいなかった。
田舎町の晩飯時間も大きく過ぎたこの時間帯なら、そう珍しいことでもない。
アキラはお米が食べたいと言っていたリクエストに応えるべく、おにぎりを適当にカゴに入れていく。
「これはまぁ、いるやつだろ」
好みが分からないので鮭と梅、シーチキンにおかかと、定番の物を選んでいく。
「まさかこれだけって訳にもいかないし、そうなると……」
焼肉弁当やカレー弁当も喜ばれるかもしれないと思い、それに加えて肉と野菜を中心に惣菜を選んでいく。パスタ関連も喜ばれるかもしれない。
女性と言えばパスタ好きという偏見があったアキラは、嫌いなら自分が食べようとカゴに入れた。人数分となれば結構な量になるもので、一つのカゴではまるで足りない。
明日の朝ごはんの分まで必要なことを考えれば、これの倍は購入せねばならない。
「それにサンドイッチ系とか、バーガー系のパンもあれば食べるかも……」
ミレイユの用意したパンやらチーズもあったけど、あのパンは固いし、こちらでは容易に手に入る柔らかいパンは、案外喜ばれるかもしれない。
二つ目のカゴにパン類を入れていると、他の二人がどうしているのか顔を向けた。
先程からやけに静かなのも気になる。
ユミルは生活雑貨コーナーと雑誌コーナーで目移りしていて、アヴェリンはスイーツ関連に興味を引かれているようだった。
ユミルはそこに並ぶ商品を、しげしげと眺めている。
「何これ、色付きの紙がこんな雑に扱われていいわけ? このロール状になってる柔らかい紙も、極薄にした上で何層にも重ねて……? 狂ってるわね」
アヴェリンはシュークリームとロールケーキを手に取って、屈み込んで手に取っている。それぞれを上から見たり匂いを嗅ごうと鼻を近づけたりと、真剣な表情で商品を見ていた。
「ほのかに香る甘い匂い、見たこともない甘味。それもこれほど無造作に、かつ大量に……。狂ってるな」
違うものを選んでも似たような評価になるのは、流石に別世界から来た故だろうか。
アキラはそこに近付き、同じく屈み込んで同じ商品を手に取る。
「スイーツお好きなんですか?」
「む……。いや、まぁ、そこそこだ。……つまり普通だ」
明らかにスイーツに向ける視線は尋常なものではなかったが、本人は興味がない素振りをしているつもりらしい。その視線がスイーツに向いて固定してしまっている辺り、成功していると思えなかったが。
アキラは苦笑しつつ商品をカゴに入れる。
「僕は結構、こういうものに目がないものでして。ミレイユ様も好きかもしれませんし、幾つか買っておきましょう」
「う、うむ。そうだな! ミレイユ様は甘味を殊の外お気に召した筈……!」
明らかに目の色に喜色を浮かべるアヴェリンに、気付かないふりで人数分のスイーツを目についた物から入れていく。
今からどのような味なのか期待して、想像している姿が何とも微笑ましい。
凛々しいばかりの、あるいは苛烈なばかりの姿しか見ていないので、あまりに意外な表情が見られて得した気分だった。
「それじゃあ、そろそろ精算しに行きましょうか」
アキラが腰を上げようとした時だった。
店内に別の客が入ってきた音が鳴ると同時に、ずかずかと音を立ててレジへ近づいていく。
レジからは影になって見えない位置だったのが幸いした。
グラサンとマスクを着けた一人の男が、包丁を突きつけて女性店員を脅している。
店員が小さく悲鳴を上げ、両手を上げて身を引いている。顔は青ざめ涙を目に溜め、その全身は震えてもいるようだった。
「声を出すな、大人しく金を出せ……!」
何でこうトラブルが続けてやってくるんだ、とアキラは額に手を当て、痛いものを堪えるように顔をしかめた。
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