別世界の住人 その3
外は満天の夜空だったが、夜風は冷たく
アキラは階段を降り、待っていたアヴェリンと合流する。握りしめていた財布をポケットに捩じ込むと、途端に不安がよぎってきた。
嫌味ではなく、常識がない人と一緒に買い物というのは、些かハードルが高すぎるのではないだろうか。
せめて食い違いは多々あっても、ミレイユに付いてきて貰った方がいいと思うが、あの貴族のように丁寧な接しぶりを見る限り、望み薄だろう。
買い出しなど使用人のすること、と非難を浴びせてくる可能性すらある。
確かにオミカゲ様と瓜二つの人物に――別人と分かっていても――同行してもらうというのは恐縮してしまう。だとしたら、やはりそうする以外に方法もなかったのかもしれない。
アキラが頭の中でそう結論を下して、先導するようにコンビニ向けて歩き出す。アヴェリンはそのすぐ横に位置取り、アキラが手ぶらで出てきた事に怪訝な視線を向けた。
「武器は持って来てないのか? お前は“中に”仕舞っておけないんだろう?」
「はい……? 武器、ですか?」
「日が完全に暮れてから家を出るとなれば、護身用の武器くらい持つものだ。実際に振るわなくとも、威嚇程度にはなる」
「いえ、そんな危険はないですから」
アヴェリンの至極真面目な顔つきから、純粋な善意で言った事が分かる。だから小さく苦笑して手を横に振って否定したのだが、それではやはり納得しないようだった。
「野盗、物取り、強姦、考えられる危険は幾らでもあると思うが。特にお前なんて女と変わらん、隙を見せれば襲われる」
「いえ、大丈夫です。この国、治安は世界で最も良いと言われてるぐらいなので」
それもまたオミカゲ様による御威徳の賜物だ、とアキラは思う。常に見守られているという思いがあるからこそ、人は正しい行いができるのだ。
女だと言われた事は頭から除外して、思いを新たにしているアキラに、アヴェリンは感心したように言う。
「そんなに治世がよい国か……。ふむ、ミレイ様が静養先と決めた理由も、そこにあるのかもしれんな。――これだけ明かりを灯せば、確かに夜の影で隠れて悪事を働く者はやり辛かろう」
電柱を下から上へと眺めてから、怪訝とも感嘆とも取れるような声音で続ける。
「明るい光だ。揺らぎもなく、煙も出さない。火の灯りとは別の物なのだろうな」
「ああ、はい。あれは電気で灯している灯りですよ」
「また電気か……。こちらでは、それを主流に使っているのか?」
「ですね。他にも色々ありますけど、一般的な恩恵が一番大きいのは電力じゃないかと思います」
アキラの返答を聞いて、アヴェリンは幾度も頷く。
そして、あれ、とアヴェリンが指差す先にアキラも目を向けると、そこには家庭の前に停まっている自動車がある。
「馬を使わないというなら、あれも電気で動かすから必要がなくなったのか?」
「あれはまた別で……。いえ、最近はハイブリッド車とか出てきて、完全な電気自動車もあるんですけど……。とにかく、あれは違います。また別のガソリンというもので動きます」
アヴェリンは明らかに胡乱げな視線をアキラに向けた。
「言ってる事がさっぱり分からん。――が、馬を必要とせずに動く物、ということだけは分かった」
「ええ、はい。そうです」
「あれだけ大きい物が、馬の牽引も必要なしで動くのか」
感心したように言うと、アヴェリンはやおら自動車の下に手を突っ込み、片手でそれを持ち上げてしまう。まるで道端に落ちてる置物を持ち上げるような、無造作な動きだった。
前輪部分は完全に持ち上がり、その車体は軽く四十五度は傾いている。
アキラはその非常識な行動、というより現象に目も口も開いて動きを止めた。
「な、なん……!?」
「なかなか重い。馬車より何倍も重いだろうに、それでも必要ないというのか。……一体、どうやって動かすんだ?」
全く重さを感じさせない動作で、ひょいひょいと上下に動かしながらアキラの方へと顔を向けて、それでようやくアキラも動作を再開させた。
「ちょちょちょ……! 駄目ですって、それは駄目です!」
「なんだ、この程度で壊れるほど脆いのか?」
「違います、そうじゃなくて! そんな簡単に持ち上がるものじゃないですし、――いや何で持ち上がってるんですか!」
何を言ってるんだ、とアキラは自分で自分を叱責する。
ここは非常識な部分を指摘する場面で、驚いている場合ではない。アヴェリンはそもそも常識をしらないのだから、こういう状況を予め想定して、事前に言い含めておくべきだった。
「普通、こっちの人は車を持ち上げるような真似しないんです。持ち主に怒られますし、知られたらきっとミレイユ様も怒るかもですよ!」
「……そうか」
アヴェリンは素直に腕を降ろす。乱暴に車を手放すかと思って身構えていたが、意外に繊細な手付きで前輪が地面に着いた。
「なんか、すみません……。こっちの事も知らない人にアレコレと……。ただ、なんて言うか口にするのは難しいんですけど……」
「まぁ、悪いのは私だろう。あっちでも普通、馬車を持ち上げるような奴はいないしな」
「嘘でしょ。じゃあ、何でするんですか……」
ドン引きする様を隠そうともしないアキラに、アヴェリンは悪ビレもせず胸を張った。
「ミレイ様はこちらで長く静養するつもりであるようだったからな。私もこちらの色々な物に精通しておく必要がある。見て聞いただけでなく、実際に触れて知った方が理解が深い。お役に立つと思えば、自ら率先して知見を得ようとせねばならない」
「言ってる事は凄くご立派です。ですけど、今だけはどうか、ただ買い物を済ませるだけで勘弁して貰えやしませんか……!」
アキラが懇願すると、アヴェリンは数秒考える仕草を見せる。
それからしばらくして頷きを返した。
「ま、そうだな。着いたばかりで気が急いていたのかもしれん。今はそちらの言い分に従おう」
「ええ、どうも。助かります……」
我儘という訳ではないので、そこは簡単に納得を見せた。
家を出てすぐこれかと嘆こうと思ったアキラだったが、これなら何とか家に帰るまで手綱を握れそうだと想い直す。後はただ、何事もなく買い物を済ませられるよう願うばかりだった。
名前以外の自己紹介も必要かと、歩きながら話している時だった。
沈黙が気まずくてとりあえず振ってみた話題だったが、アヴェリンはこれに意外にも相槌を逐一返してきた。時には簡単な質問もしてくる。
その内容は年齢と学校に通っている事ぐらいなものだったが、アヴェリンからすると、その学校制度自体が物珍しく感じられたのかもしれない。
「では、最低でも九年間は教育を受けるのか」
「ですね。でも普通はそこから更に三年間高等教育を受ける学校に進学しますし、それから就職というのも珍しい部類です」
「だが、それではいつまでも半人前以下ということになる。十五を過ぎて尚、徒弟ですらないと言うのか?」
「うーん……、その徒弟というのも、こっちではもうあまり見られない制度で……。勿論そうした慣習が活きている職業はあるんですけど、多くは――」
「――待て」
アヴェリンが立ち止まり、腕を横に伸ばしてアキラの進路を止めた。
顔を向ければ険しい視線で前方を睨んでいる。また例の化け物かと身を固くしたが、あるのは無人の道路と、それを照らす街頭。それ以外には何もない。
ただ五十メートルほど先には例の公園があるくらいだ。この場所から公園の内部まで詳しく見えないが、誰かがいる様子も何かが動いている様子もない。
「……どうしました?」
「声を出すな」
アヴェリンからは緊張した様子は窺えなかったが、警戒の度合いを一つ上げたように感じられた。言われるままに口を閉じ、何があるか分からないので一歩後ろに下がっておく。
アヴェリンが懐から何かを取り出すような動作を見せると、そこには既にメイスが握られていた。明らかに仕舞っておけるような大きさではないので、例の個人空間から取り出したものなのだろう。
便利でいいな、と思っていると、道の端に寄るよう手を動かして来た。
指示のとおりに移動して、何か見えるかと首を動かしていると、アヴェリンもまた移動してきて身を屈める。それを真似てアキラもすぐ近くに屈んだ。
数秒の沈黙の後、公園で動きがあった。
和装の兵員、そう表現するのが正しいような、現代では余り見ない格好の人間が数名でてきた。甲冑姿ではなく、袴姿でもない。陣傘と甲冑を外した足軽のような見た目をしていた。
辺りを警戒しながら公園から遠ざかり、近くに停めてあったバンに乗り込んでいく。息を潜めながらそれを見守り、やがて車が発進していくと、ようやく息を吐いて力を抜く。
予想以上に強張っていた肩を解しながらアヴェリンの顔を窺うと、武器を持ったままそろりと立ち上がる。遠ざかっていくバンを見ることなく、相変わらず前方に注視していた。
一体なにを、と思ったところで肩を抱かれ、何者かの体重が掛かってくる。
「バァ……!」
「うわぁ!!」
耳元で起きた突然の声に、アキラは声を上げて飛び上がった。
アヴェリンは即座に身を翻し、その頭に武器を振るう。
ヒュンと風切り音が耳のすぐ横を通り過ぎ、そして何の手応えも出さず、アキラの身体からも感じていた重さも消えていく。
アキラは蛙のように無様な動きで前に動くと、振り返りながら立ち上がる。
自分の居た場所には誰もおらず、視線を左右に動かしても尚、誰の姿も見当たらない。全身から冷や汗が浮かび上がるのと同時、闇の中から幕を降ろすように、何者かが姿を現す。
「やはりか……」
「分かっていたなら、物騒なもの振るわないで頂戴な」
「悪巫山戯をした、お前が悪い」
くすくすと笑いながら、楽しそうに赤い目を細めて顔を見せたのは、部屋で待機していた筈のユミルだった。
背中にかいた嫌な汗を自覚しながら、今更ながら襲ってきた緊張で足を震わせた。
「な、なん、何するんですか……!?」
「だって一緒に、楽しそうに道端でくっついているものだから。妬けちゃうじゃないの」
「それでわざわざ、姿を隠して後ろに回ったのか」
「そうそう」
呆れた口調に対し、楽しそうに返すユミルの言葉に、アキラは怪訝に思って眉根に皺を寄せた。
後ろに回るも何も、後から着いてきたのなら、後ろから追い着く以外ない筈だ。複雑に道を曲がったわけでもなく、ここまで道を一直線にやってきたのだから。
アキラの思案を余所に、アヴェリンは武器を収めながら、話の先を促すように顎を動かす。
「それで? その様子なら公園の動きも見てきたんだろう。どうだった?」
「詳しいことは帰ってから話そうと思うけど、何か調査していたみたい。血痕の発見で何やら騒いでいたわね」
「ふん……、他には?」
「詳しい事は別にないわよ。先回りして待とうと思ったら奴らがいて、聞き取れたのもそれぐらい。いつからいたのか知らないけれど、アタシが着いた頃には撤収準備をしていたし」
「……そうか。では、詳しい報告はミレイ様に」
「そのつもりよ」
お互いに頷き返すのを見て、アキラもようやく動き出す。
何とも傍迷惑な振る舞いはされたものの、既に危険は去っていた。いや、危険であったかどうかも分からないが、とにかく今はもう、すぐにでも帰りたい気分になった。
コンビニまでの距離は既に半分を切っている。
アキラは急かすように二人を手招くと、返事を待たずに歩き出した。
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