竜の谷 その7

 ドラゴンは直下にいるアキラへ、息を吹き付けるように口先を突き出す。

 そのお陰でミレイユまで飛び火する心配はなかったが、吹き付けられる炎で、アキラの身体は完全に埋もれてしまった。


 吹き付ける炎の奔流は凄まじく、範囲も広くて逃げ場がない。

 アキラは絶体絶命のピンチに見えるが、吹き付ける炎の中から硬質な音が断続的に聞こえてくる。

 年輪が削られている音だろうから、それが続く限りは存命だという事だ。


 互いの根比べが続くかと思えた矢先、ドラゴンはあっさりと身を引いた。

 音の意味が分からず不気味だった事もあるのだろうが、炎がそれほど有効ではないと気付いたからかもしれない。


 岩場へ吹き付けられた炎は、周囲を焦がして変色させていたが、アキラは相変わらずの格好で立っていた。

 それを見て、思わず口の端から笑みが漏れる。


「呆れた頑丈さだな。魔術を防げるのは以前見たから知っていたが、ドラゴンの炎まで有効なのか。あの炎は別に、魔力が含まれたものじゃなかったと思うが」

「しかし、やはりあぁいう継続してぶつけられる攻撃には弱い様ですね。聞こえていた音から察するに、削られた年輪も相当多かったと予想しますよ」


 ルチアと互いにアキラの盾を分析していると、三体のドラゴンより遥か後方から衝撃波が飛んで来た。

 敵か味方か、援護か攻撃か、と見守っていると――その衝撃波はドラゴンを吹き飛ばし、その延長線上にいたアキラも吹き飛ばした。

 まず先に三体が四方に弾かれ、次いでアキラも一瞬の均衡ののち弾かれる。

 そして、衝撃波はアヴェリンの元まで届いた。


 しかし、ドラゴン三体の時点で衝撃力が吸収されていた事と、アキラもクッション役となった事で、大きく弱体化していた様だ。

 アヴェリンが一歩踏み込み、呼気と共にメイスを振り上げると、たったそれだけで衝撃波は霧散してしまった。


 アキラはドラゴンよりも早く起き上がり、再び腕を交差して刻印を発動させながら、第二射に備えて射線上へ身を晒す。

 再び来た時には梃子でも動かない、と示すかの様な気迫だが、いつまで経っても追撃はやって来なかった。


 ドラゴン三体も遅まきながら身を起こしたのだが、何が起きたか理解しておらず、目を白黒させて何かを探すように首を動かしている。

 まるで新手を警戒しているかの様子だったが、本当に別の敵がいて攻撃をして来たのなら、既に奥地まで入り込まれている事になってしまう。


 この三体は神々の尖兵を警戒している様でもあったし、番兵の役割を持ってこの場で待機させられていた筈だ。

 しかし、この迂闊さ加減を見るに、満足に仕事を果たせていたか疑問が残る。


 ここより奥地に敵がいる訳ない、とミレイユは思っていたが、今の様子を見せられると、早計な判断は危険かもしれなかった。

 何者の姿も確認できない広場の奥を睨みながら、周囲に聞こえるよう声を上げる。


「……先手を打たれたか?」

「ドラゴンと協力関係を結ばせない為に、誰かが侵入を果たしていたって言いたいの? アンタがどんな願いをするか分からないってのに、妨害するつもりなら『遺物』の方を先に網を張るでしょ」

「そちらに気付けず、たまたまドラゴンの様子が目に入った場合は?」

「侵入するより先に攻撃……かしらね? 幾度となく奸計に利用し、互いに犬猿の仲、翼を取り戻せば、まず逆襲してくると考えるでしょうよ……。先手を打てるなら、もっと大規模な攻撃してるんじゃないかしら」


 ルヴァイルにナトリアがいた様に、即座に動かせる兵隊くらい、他の神々も持っているだろう。

 だが同時に、神々の傲慢さを考えると、これまで同様、ドラゴンを利用しようと考えそうでもあった。

 単に処理するより、何かのついでに使ったうえで処理をする。


 ドラゴンの処分は決定事項であれ、単に虐殺して終わりにするとは考られなかった。

 その様に思いながら、敵の影が見えないかと暗闇の奥を注視していると、そこへ厳かな声が響いて来た。


 老齢というほど嗄れてもいないが、若い声にも聞こえない。

 齢五十を過ぎた女性の、威厳に満ちた声が広場に満ちる。


「お前たち、そいつらは私の客だ。通してやんな」

「……客? こんな小さい奴らが?」


 首をもたげて胡乱げな視線を向けてくるが、ミレイユ達にだって言っている意味が分からない。

 無論、単語の意味だけなら分かる。

 しかし、会ったことも名前すら知らない相手から、客と紹介される謂れはなかった。


 ドラゴン達は既に衝撃波で吹き飛ばされた事など、露ほども気にしていないようで、先程見せていた怒りや敵愾心はすっかり鳴りを潜め、素直に道を開けている。


 視線から感じるものは敵意から好奇へと変わっていて、上から下まで舐めるように這う。

 只でさえ物珍しい人間が、更に珍客として遇せと言われれば、そうもなるだろう。


 ドラゴンの横を通り過ぎようとしたところで、アキラとも合流する。

 肩の辺りをさすっているが、怪我らしい怪我もない。

 焦げ臭い気はするが、ぱっと見た限りでは火傷痕もないようだった。


「見事な頑丈さだったな。正直、見直した。使い方次第では、もっと激しい攻撃でも耐えられそうだった」

「あ、ありがとうございます……! ミレイユ様に刻印を鍛えろと助言頂いてから、習熟する事に邁進して来ました!」

「今の防御で、合計何枚の年輪を失った?」

「十二枚です」


 確かアキラは、刻印一つで八枚の年輪を作っていたと記憶している。

 尻尾と叩き潰し、そして炎のブレス攻撃を受けた事を考えれば、消費した枚数も悪くない数字に思えた。


「刻印一回プラス、半分の消費か。その刻印は、最大何回使える?」

「三回です。――少ない様に聞こえるかもしれませんが、一回の使用で十枚まで張れるようになりましたので、最大防御回数も増えましたよ。これは刻印の理論上、最高回数になるようです」

「なるほど……。合計三十枚の年輪か。武器で魔力の補充も出来るし、場合によっては、その最高回数とやらも更に増えるな……」


 実際は相手によって、そう簡単にはいかない状況も多々あるだろう。

 だが、年輪一枚の強度と、合計三十層の多さは馬鹿に出来たものではない。


 ドラゴン三体から受ける好奇の視線を受け流しながら、ドラゴン達が指し示す方向へと足を踏み入れる。

 入り口となっていた道の倍ほどは広い通路を通り、今はただ前を向いて進む。


 しかし、確認しておきたい事もあった。

 ミレイユは、ユミルへと顔を向けながら問う。


「一応聞くんだが、客人というのはお前の事ではないんだよな?」

「何でアタシなのよ。幾ら古くから生きてるからって、ドラゴンに知り合いなんていないわよ」

「……そうだよな」

「まぁ、当て擦りみたいなもんじゃないの? どういう理由であれ、多くのドラゴン狩って来たのは事実だし、中でも最古の竜の一つを落としてるんだから」

「そうだな……」


 神々に踊らされるまま狩った命だが、当のドラゴン達からすると、そこに対した違いはないだろう。

 仇討ちのつもり――仇敵を指して客と呼ぶのなら、そちらの方がしっくり来る。


 元より簡単に行くとは思っていなかったが、予想以上に面倒な交渉になりそうだった。

 いや、交渉できるかどうかすら危うい。

 四竜と同時に戦う事も予想されて、今から頭が痛む思いだ。


 特に、この山にある岩の石質は魔力に対し非常に脆い。

 魔力制御に長けた者ほど、一々地面に足を取られて、戦闘どころではなくなるのではないか。


 それは同時に、大規模魔術であっさりと山を切り崩せるという意味でもあるのだが、今や空を取り戻したドラゴンと、足場が不安定な魔術士ではどちらが有利かなど言うまでもない。


「中々、面倒な戦いになりそうだ……」

「端から戦う想定っていうのも、どうなんですか……」

「そして、当然の様に勝つつもりでいるわよ、この子。やっぱり、無自覚に勝利者気分なのよね」

「そんなつもりはなかったが……そうだな、確かに負ける事は頭に全くなかったな」


 かつて同格のドラゴンを下しているからといって、四体同時に戦うとなれば、当然苦戦は免れない。

 だが不思議と、ミレイユはここで負ける未来が全く見えなかった。

 それが余裕や侮りと映るのかもしれないが、そのつもりも全くない。


 ただ漠然とした、悪い事にはならない、という確信だけがあった。

 それからは会話もなく道を進んでいると、不意にアヴェリンが立ち止まる。

 何事かと前方に目を向けてみれば、大岩が落ちていて道を塞いでしまっていた。


「どういう事だ、通行止め……? 私達に来て欲しいんじゃなかったか?」

「痕跡からして、今しがた置いたばかりの物でしょう。いえ、地面のヒビ割れの状況からして、高い位置から落ちてきた、と見るべきです。と、すると……」


 アヴェリンが視線を上に上げて、つられるようにミレイユもまた上を見る。

 暗くて見え辛いが、切り立った崖の一部が欠けているのが見えた。

 あそこから落ちてきたというのなら、アヴェリンの推測とも一致する。


「ドラゴンどもを吹き飛ばした時の衝撃で、落ちてきた岩が道を塞いだ、というのが真相なのかもしれません」

「なるほど……、わざとではなく事故か。じゃあ、どかしてくれ」

「畏まりました」


 アヴェリンが肩をぐるりと動かしたのを見て、ルチアが声を上げて止めた。


「……一応、聞いておきたいんですけど。今回って、交渉しに来てるんですよね? そういう前提で動いていると見ても?」

「相手の出方次第で幾らでも変わるが、前提という意味ならそうだ。話し合いで済むなら、それが一番早いし楽だしな」

「なるほど、そういう事なら……。別に戦うのは良いんですけど、最初からそのつもりなら罠など張りたいと思ったものでして。この岩をどけたら、幾らの距離もなく、ご対面になりますからね」


 温和な態度を取る事が多いから誤解されがちだが、ルチアも十分好戦的で、やるとなれば自分有利で進めたがるタイプだ。

 アキラが何とも言えない顔をしてルチアを見ていたが、彼女は目すら合わせようとしない。


 交渉が前提になるなら、分かり易く魔術を使っておく事は悪手だろう。

 いらぬ警戒を起こしてまうだけだから、自重した方が良い。

 そうして、会話が途切れた瞬間を見計らって、アヴェリンがミレイユに尋ねてくる。


「では、始めても?」

「あぁ、そうしてくれ。丁寧に、横にでもずらせ。ドラゴンと交渉するに辺り、友好的だと分かるように」

「お任せください。この岩を、ドラゴンの頭と思って丁重に扱います」


 言うや否や、アヴェリンは岩を持ち上げようと両手を広げ、その両端を掴んだ。

 僅かな拮抗を見せたあと、岩が持ち上がるかと思いきや、その腕が交差するように振り切れてしまう。

 当然、岩は上下に引き裂かれ、余波でヒビが入って砕けて落ちた。


 そういえば、と今更ながらにミレイユは思う。

 ここ一帯の石質は魔力に弱い、と誰にも言っていなかった。

 ミレイユが気付いた事なら、他の誰もが気付いていると思い込んでの事だったが、今の場面を見るに全くの勘違いだった様だ。


「ちょっと師匠……。ドラゴンの頭、砕いちゃってますけど」

「実に丁重で、友好的って感じよね」


 ユミルが鼻で笑い、アヴェリンが苛立ちを全面に出しつつ顔を向ける。

 この向こうには四竜がいる筈だというのに、ここで馬鹿騒ぎを許す訳にはいかない。


 それを見た彼らに、一体何を思われることか……。

 ミレイユは勝手をしようとする二人を諌め、石質について説明しながら、アヴェリンに岩の撤去を頼んだ。


 今はとりあえず、人が通れる隙間だけあれば良いので、道は簡単に完成した。

 その間にミレイユが気付いた事の説明をし、全員がアヴェリンの所業に納得がいったところで、ようやく四竜と対面する事になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る