神明裁判 その1

 ユミルに言われてミレイユは困ったように笑った。

 大抵の事は聞いてくれるし、融通も利く。向こうも使用人のように控えているものだから遠慮なく使ってしまったが、言われてみれば確かに図々しかったかもしれない。

 今も胡乱な目を向けてくるユミルから視線を切って話した。


「……まぁ確かに、少々調子に乗ってしまった感は否めないが」

「ちょっとじゃないでしょ。あそこにいたのって、別に使用人ってワケじゃないんだから」

「だが、頼めば大抵のものは用意してくれるぞ。……部屋で大人しく過ごせる内容に限ってだが」

「ミレイ様の事を考えれば、その程度の配慮は当然です。奴らが何を考えているにしろ、相応しい態度を取っている事に関しては評価しても良いかと」


 アヴェリンの放った強弁は、しかしユミルに鼻で笑われた。


「全くおめでたいわね。本気でもてなそうと思っているワケないじゃないの。何か裏があるに決まってるでしょ?」

「そんな事は当然だ。拘置所から助けられたなどと考えてはいない。先程もそれを話していたところだ。恩赦でも与えて、我々に何かさせようとしているのだろう」


 へぇ、とユミルは面白そうに眉を上げた。


「なるほど、ただくつろいでいただけじゃなかったのね。安心したわ、既に懐柔済みかと思ったもの」

「馬鹿にするな。少々優遇された程度の事で、安易に媚びを売るものか」

「そうよね」


 ユミルはその言葉を全く信用していないのか、小馬鹿にするように笑って、それから唐突に顔を歪めた。

 膝や股関節、太もも周りを撫でて、どうにか楽な体勢はないものかと、足を伸ばしたり腰を持ち上げたりしている。


「いだ、イタタタ……! ていうか、何なのこの座り方、股を開いて座るなんて淑女にあるまじき姿だし……!」

「正式な座り方はアキラがしている姿勢だ。足は閉じれるが、あれはあれで痛くなるし痺れもする」

「じゃあ、どうしろってのよ……」


 ユミルが先に足を崩した事で、ルチアもまた顔を歪めて体勢を変えた。アキラの座り方を見様見真似でやろうとし、そして膝を畳んだものの、気に食わなかったのかすぐに戻した。

 見かねたミレイユがテーブルの上に手を付き腰を上げる。


「適切な形ではないが、こうして……」


 ミレイユは実演形式で二種類の座り方を見せた。一度正座し、その状態から両足を横に崩した座り方と、正座に近いが足を外に出す、所謂女の子座りをする。


「まぁ大体、座布団の上の座り方といったら、このくらいだな」

「結局、椅子ほど楽にはならないのよねぇ……」


 ミレイユのやり方を真似て座るが、どうにも落ち着きなく尻を浮かせる。ルチアも同様、もどかしいような表情を見せ、結局正座する事にしたようだ。

 アヴェリンなどは最初からどっかりと胡座をかいているが、その座り方は彼女の部族としては実にありがちなものだ。何の抵抗もなく股を開いて座っている。


「お嬢様には少し難しい座り方だったか」

「はぁ? お嬢様かどうかは関係ないでしょ。そんな下品な座り方、普通だったらしないってだけよ。アキラだってしてないじゃない」

「あれがまだ戦士ではないというだけの話だろう。それを考えれば、ミレイ様は最初から我が部族の慣習へ敬意を表していらっしゃった。実に仲間思いの姿勢をお見せになる」


 ミレイユに向けて感謝の目礼を向けると、次いでユミルに顔を向け、目を細める。暗に、お前には無理だろうが、と言っていた。

 ユミルはそれをさらりと流して、ミレイユに顔を戻す。

 ミレイユも小さく肩を竦め、ユミルへ宥めるような視線を向けた。


 そもそも、ミレイユにしてもアヴェリンの部族の慣習に対して配慮など全く考えていなかった。女性の身で胡座をかくのは確かに珍しい事だが、ミレイユにとっては馴染み深い座り方で、単に慣れた方を選んだという理由に過ぎない。


 それを勝手に深読みされてしまったのだが、訂正するとそれはそれで角が立つ。

 仕方なくユミルには飲み込んでもらう事にした。


 空気を変えるようにユミルが一度、窓の外に目を移し、小さく鼻から息を吐く。

 そしてたっぷりと時間を使ってから、再びミレイユへと顔を戻した。


「……それで? いつ逃げ出す?」

「逃げるんですか……!?」


 悲鳴のような声を上げたのはアキラだった。

 先程から一言も発さず、顔を青くさせて萎縮しきっている様子だったが、今では更に青くさせて、正座した膝の腕で拳を固く握っていた。


「そりゃ逃げるでしょうよ。いつまでも、ここで遊んでいるワケにもいかないし?」

「でも……でも、御影本庁を相手に立ち回ったんですよ。敵に回したんです。そして今は神宮の中枢、奥宮にいるんですよ……! この上、そこから逃げるなんてしたら、日本全国を敵に回すだけじゃ足りなくなります!」

「アキラの言い分も理解できるがな……」


 蒼白の顔面に、脂汗をたっぷりと掻いた額を見せるアキラへ、ミレイユは努めて優しい声音で言った。


「ここにいれば安全を保障される、という話でもない。今この瞬間を切り取って考えれば、そのように見えるだろう。お前たちもこうして自由に部屋を出入り出来ているしな。恐らくこの区画、と決められた範囲なら出歩く事も出来るだろう。……だが、次は?」

「次……」

「私達を飼い殺しにしたいだけだとでも? ――有り得ない。必ず何か要求を突き付けてくる。今はそれの準備期間であると共に、懐柔期間でもあるんだろうさ」


 ミレイユが自分の考えを開陳すると、アキラは青い顔のまま押し黙ってしまった。

 元よりオミカゲ様に対する信仰心の強い男だ。弓引く考えなど最初からない。そして、ミレイユ達に付き合わされてここまで来た。


 もう何もしないでくれ、と思わずにはいられないだろう。自分では止められないと思っていても、更に神宮勢力と敵対を深めたいとは思っていない。


 それはミレイユ達にとっても同様だった。

 我を通す事によって敵対する事になってしまったが、そもそも敵とは認識していない。今のところは、という但し書きは付くが、武器を向けられない限り敵対も邪魔もするつもりはなかった。

 今回の騒動については完全にミレイユが悪いので、その部分だけで言えば、帳消しにするような要求があれば飲むつもりでいた。


 ――しかし。

 こうもあからさまな懐柔を仕掛けてくるとなると話は別だ。

 お前は罪を犯した、罰する代わりにアレをやれ、という程度の話なら二つ返事で了承しただろう。だが今は、茶を望めば恭しく差し出す始末だ。

 不気味に思い、警戒しない方がおかしい。


 ミレイユは自身の周囲の更に外、奥宮全体へと気配を探りながら言った。


「だが安全に逃げられるかと言うと、それもまた難しいように思う」

「……簡単じゃないのは確かでしょうけど」


 ユミルが眉根を寄せて腕を組む。

 それを横からルチアが顔を出した。


「ここがマナの生成地だって事実を、忘れて貰っちゃ困りますよ。同時に集積地でもあるようですけど」

「それの何が問題だ? それに集積地? 何か関係があるのか?」


 アヴェリンの質問に、ルチアは大いに頷いて続けた。


「ここまで近付いたからこそ気付けた事実ですけど……。霊地の力をマナに変換して、そしてマナを使って人々の病や傷を癒やしている訳じゃないですか。マナは魔力にも変換して利用し、それを電線を通して全国に流している。人々の感謝や願いは信仰となって、巡り巡って神の元へ返って力になっている。でも同時に、全てを取り込んでいる訳じゃない。再びマナとして放出している」

「それはつまり、電池のように溜め込んでいるという事か?」

「そうですね、放出したものの多くは再び傷や病を癒すのに使っているのだと思います。龍脈を通して全国へ伸ばしているんじゃないですかね。でも、自身に取り込むのとは別に集積しているものがある」


 ルチアは難しい顔をして顎を摘んだ。

 深刻そうな表情をしているが、それがどれだけの問題になるのかまで、聞いたアヴェリンも、聞いていたミレイユも理解していない。

 続きを促せば、自身の考えを整理するように口に出した。


「その大きさはどれ程の物か分かりませんが、仮に持ち運べないのだとしても、この場で戦う素振りを見せるのは下策です。相手に魔力切れが起きないだけでなく、大いに強化させる手段となる」

「ブーストアイテムみたいなものか……」

「しかも問題は、それが魔力持つ者なら誰でも強化できる代物だろう、って事ですよ。仮に神の意志一つで集積したそれを与えられるなら、さっき姿を見せた巫女程度でも、油断ならない相手になりますよ」


 ルチアの推論を聞いて、誰しも難しい顔をして黙りこくった。

 そこにアヴェリンから声がかかる。


「誰でもという事は、我々にも使えるという事か?」

「流石にそこは対処してあると思いますよ。敵にも安易に利用できるなんて、そんな馬鹿な真似をするとは思えませんし」

「そうか……。だが、そんなに脅威になるものか? 先程の巫女とて、アキラよりは上程度でしかなかったろう」


 言いながらアヴェリンがアキラへ視線を向けると、アキラ自身虚を突かれたような顔をしている。まだ鍛えている最中とはいえ、戦闘職には見えない巫女より格下と言われて動揺が隠せないようだ。

 しかし神の身辺警護も兼ねているのだろうから、むしろそれぐらいの力量がなくては務まるまい。


「個の力量は、それほど大事ではないと思いますね。その気になれば、あれらは魔力を取り込むだけ取り込んで自爆しますよ」

「ああ、そういう……」


 アヴェリンが納得して頷き、ミレイユもまた腑に落ちるような気持ちでいた。

 神に対する強い信仰心は、時として自己の生命よりも優先する。仮にアヴェリンが力づくで神へ押し迫ろうとしたら、その命を投げ出す事に躊躇しないだろう。


 命をかけて護ると誓っていても不思議ではなく、そして自身を引き裂くほどの大きな魔力というのは、アヴェリンをして馬鹿に出来ない威力になる。

 それが十や二十やと投げ出してこられたら、流石のアヴェリンも無事では済まない。


「オミカゲ様がどの程度の力量かは分かりませんけど、神がそれを駆使してきただけでも、私達は相当な苦戦を強いられる事になります。それこそ、過去一番の苦戦を……」


 ルチアの落とした言葉が、部屋に重い沈黙を落とす。

 そのとき、襖が控えめに叩かれ、すっと僅かな音を立てて開く。顔を覗かせたのは先程用意を申し付けた女官で、そばには湯気の立つカップを乗せたトレイがあった。


「御用の品をお持ちしました。入室しても宜しいでしょうか」

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