神明裁判 その2
ミレイユはそれに返事をして、入るように促す。
女官は静かに入室して、実に教育の行き届いた給仕だった。動作一つ一つが優雅でありつつ、押し付けがましく見せる事もない。
それぞれの前にソーサーに乗ったコーヒーカップを出し、砂糖とミルクを卓上に置く。
全ての給仕を終えると、女官は一礼した後ミレイユの傍に寄り、不躾にならない距離で膝を折った。
座った訳ではない。
「言伝を預かってまいりました」
「預かるような知人はいない筈だが……。誰からだ?」
「此度の裁判における進行役を任されました、
「……裁判だと?」
ミレイユが眉根を寄せ視線をぶつける。
言伝を任されただけの女官に怒りをぶつけたところでどうなるものでもないが、突然飛び出した単語に驚きを隠せなかった。
理不尽、とは思わない。ミレイユは実際、それだけの事をした。しかし何より性急すぎるし、これまで見せてきた対応にも道理が合わない。
囚人として扱われる事に不満はないが、ならばどうしてこのような対応になるのか分からなかった。
アキラは裁判と聞いて白目を剥いている。自身の暗澹たる未来を想像して、頭が完全にショートしてしまったらしい。
他の面々については大した反応はなかったが、やはり怪訝そうな表情は変わらない。
女官は更に続ける。
「――小一時間程あとに、神明裁判が執り行われます。準備のほど、よろしくお願い申し上げます」
「ちょっと待て。その裁判長が審判を下すのか? その、神明裁判とやらで」
「いいえ、神判を下すのはオミカゲ様でございます。裁判長様はあくまで進行役としてご協力下さるとの事。オミカゲ様が直接、その場で裁きを下すと聞き及んでおります」
それを聞いた瞬間、アキラは後ろに倒れた。
ドサリと重い物が倒れた音でそちらに目を向ければ、白目に涙を流して不格好な姿勢で倒れている。アキラにとっては悪夢以上の現実に直面して、意識を手放す事にしたらしい。
ミレイユは嘆息を一つ零して、それから女官へ下がるように手を振った。
「分かった、小一時間後か。十分前になったら一度声をかけてくれ」
「畏まりました。他に御用はおありですか?」
ミレイユはアヴェリン達に目を向けて、何の反応もない事を確認すると首を横に振る。
「いいや、ない。下がって良い」
「……それでは、御前失礼いたします」
再び一礼し、巫女はトレイだけ持って退室していく。
襖を閉める前にも一礼し、ぴったりと閉めるのを確認すると、それぞれが机に手を着いて頭を突き合わせる。
一番最初に口を開いたのはユミルだった。
「……で、これってどういう事? 裁判ですって?」
「裁判が起こる事そのものは、別におかしい事じゃないが」
「私達は犯罪者で、囚人で、裁きを待つ身ってワケね。別にそれで驚いたんじゃないわよ。じゃあ、この待遇は何なのって話でしょ」
「牢の中で聞かされたんなら、全く疑問は抱かなかったろうに」
アヴェリンも腕組みしながら頷いた。
ユミルも勢い込んで話を続ける。
「――そうよね? なんで囚人にコーヒーなんて飲ませようとするのよ? アタシは最初から何一つ口に入れる気がないからいいけど、毒の一つも警戒しなさいよ」
「している。昨日から口に入れるもの全て、ミレイ様が食す前に毒見をさせて頂いた。結果、なんの毒も見当たらなかった」
「まぁね、そこは別にいいんだけど。どうせないって思ってたし。支離滅裂すぎて頭に来るわ」
ユミルの表情には理解を拒絶する色が浮かんでいた。
あるいは拒絶に近いのかもしれない。どちらにしろ、理解の及ばない現状に困惑しているのは誰もが同じだ。
「それで、神明裁判って何よ? アンタ知ってる?」
ユミルに水を向けられて、ミレイユも困ったように頭を掻いた。
「意味だけなら知ってるが、それがこちらでも同じ意味を持つかは分からない」
「ちょっとアキラ起こしなさいよ。こういう時のアキラでしょ」
吐き捨てるようなユミルの言葉にアヴェリンが頷いて、乱暴に頭を小突く。しかし反応はなく、くぐもったうめき声だけが返ってきた。
次に肩を揺するも効果はなく、仕方なく頬を叩き始めたが、やはり目覚める気配がない。
「ホラちょっと、ご覧なさいな。アキラの頬ピシャンピシャンって、いい音出しすぎじゃない? こんな時でも笑えるわ」
「言ってる場合か。――ミレイ様、これだけしても起きないとなると、水でも被せるか、精神的に揺さぶりを掛けるかしかないかと思いますが」
「畳を汚すわけにはいかない。精神的な方だな」
ミレイユがユミルに目配せすると、面倒そうにしながら立ち上がる。そのままアキラの傍で膝をつけると、頭に手を当て魔術の制御を始める。
結果はすぐに現れた。
突然、飛び跳ねるように起き上がり、辺りを見回してはミレイユたちの顔を確認し、荒い息をつく。額の汗を拭って、目についたコーヒーを口に含んでホッと息を吐いた。
どのような手段を取ったのかはユミルにしか分からないが、悪夢のようなものを見せたような気がした。
落ち着いて来たのを見計らい、アヴェリンが問う。
「アキラ、神明裁判とは何だ」
「――ゴホッ! えほっ、ゲホゲホ!!」
「むせてないで早く言え。それ次第で、今後の動向も変わるだろうが」
未だむせるアキラに苛立ちを見せるが、急かしたところでどうにもならない。とりあえず落ち着くのを待って、それでようやく涙目のアキラが口を開いた。
「……くそっ、夢じゃなかったのか!」
「そうとも、夢じゃなかったな。……それで、一体どういうものなんだ?」
「僕も詳しくは知りませんよ……! ただ、オミカゲ様が直接有罪かどうか判断する裁判、ってぐらいで……。えぇ、嘘でしょ……オミカゲ様と対面するの……!?」
自分の口から出た言葉が信じられなかったようで、自分で自分を疑っている。頭を抱えてブツブツと言い始めたアキラを置いて、再び顔を突き合わせる。
今度はルチアが先んじて口を開いた。
「つまり人ではなく、神に結果を委ねる裁判って事ですね。……これは有罪になる事が決定したって思っていいんですか?」
「大体、委ねたところで実直に判断を下すハズないじゃないの。面白い結果になるんだったら、実際に有罪かどうかなんて気にしないんだから。神なんてそんなモンでしょ?」
「ユミルの言い分には一理あるが、しかしあちらの神基準で考えるのもどうだろうな。合法的に処刑命令を出せると言う意味なら、確かに有効だろうが」
「それなのに、この高待遇ですか? 死ぬ前に良い思いをさせてやろうとでも? だったらまず逃がさないよう、対処するのが先でしょう」
ルチアが皮肉げに笑って、ミレイユも頷いた。
内容はともかく、大いに矛盾する対処である事は間違いない。あるいは、逃げ出さないという確信でも持っているのだろうか。
明確な敵意を向けさえしなければ、敵対する意思を持たないというのは本当だ。しかしそれはミレイユを知らなければ出ない発想だろう。
結希乃がミレイユ達の力を警戒するあまり、大規模な部隊展開と結界を用いたのと同様、ここでも大規模な警戒があって然るべきなのだ。
――あえて。
そこまで考えて、ミレイユの中にあった疑問と胡乱な根拠が、見事に形作ったような気がした。
オミカゲ様は何者なのか、というのは早くからミレイユの頭を悩ませて来た事柄の一つだ。そして御影神宮にやって来た事で多くのことが知れた。
――もしもあえて、多くのヒントを与えていたのだとしたら。
これより早い段階で、その推論にミレイユが辿り着いていたと、オミカゲ様が見抜いていたとしたら、ミレイユは逃げ出す事はないと確信しただろう。
ミレイユは逃げ出さない。
目の前にオミカゲ様と対面できる機会があれば、それを逃がす事はない。潜入が難しく、千載一遇のチャンスがあるのなら、まず会ってみようと考える。
何事かあっても、このメンバーならどんな困難も潜り抜けられると信じているからだ。
捕縛命令を出した事には、何か重なった条件があったのかもしれない、とミレイユは思った。
それはまさに、ミレイユが御影神宮へ行って確信を得た事と関係があるのかもしれない。オミカゲ様の正体がミレイユの思っているとおりなら、それも納得できてしまう。
ミレイユの異変に気付いて、ユミルもアヴェリンも、その顔を覗き込む。
「どうかなさいましたか、ミレイ様」
「ああ、そうだな。一つ、方針が決まった」
「逃げるのよね? 昨日の内にざっと下調べはしておいたから……」
「いいや、逃げない。裁判に出席する」
ミレイユの発言には、ユミルも流石に顔を顰めた。
「正気……? 絶対有罪になる裁判なんて、出る意味ないじゃない。有罪判決が出ればどうせ逃げ出すんだから、今のうちに逃げた方がまだマシでしょ?」
「ユミルの言うとおりです。今ならばまだしも警戒は緩いでしょう。困難ではありましょうが、判決が出た後では遅すぎます」
「そうはならない。私の考えが正しければ、有罪にだけはならないだろう」
ミレイユの顔色は険しかったが断固とした口調があった。
ユミルの顔は更に険しくなる。
「恩赦が出るって言いたいの? あるいは帳消しにする為の取り引きを持ちかけられるって? 有り得るでしょうけど……」
「分かりました、ミレイさんがそう言うなら」
言い渋るユミルに、軽い口調で了承を伝えたのはルチアだった。
ユミルはそちらにも険しい顔を向けて、諭すように言う。
「いやいや、アンタ……。よく考えなさいよ」
「考えてますよ。……いつだって、後から考えればミレイさんの言う事は正しかった。今回もそうだと言うだけの話です」
「分かるけどね、今回はちょっと異常よ。前と同じように考えると痛い目を見るわ。確証もなく――」
「確証も保障も、何一つ必要ないんです。ああいう顔をした時のミレイさんはね……」
言って指し示したミレイユの表情は険しかった。だが同時に、断固とした決意が浮かんでいる。
それを見て、アヴェリンもまた安堵するように頷く。
「そうだな、必要ない。それが信じるって事だろう」
アヴェリンが晴れやかに言って、ルチアも微笑を浮かべて頷いた。
いつの間にか顔を上げていたアキラが困惑しながら皆を見ていて、ユミルも耐えかねたように大きく舌打ちして顔を逸した。
「アタシだって分かってるわよ。でもね、誰か一人くらいは反対して、冷静さを促す役は必要なの。まぁ、なるようになれ、よ……。いつもどおりだわ、何も変わらない」
「……うん、苦労をかけるな」
「だったらもっと詳しく説明しろっての!」
堪りかねてユミルは叫んだが、ミレイユは笑うだけで答えなかった。
何もかも理解しているように頷くアヴェリンとルチアに、ただ困惑しか出来ないアキラが見つめていた。
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