御影の意思 その8

 ミレイユは昨夜に通された和風の一室で身体を休め、朝起きてからこちらの室内で過ごし、今では昼も過ぎて時間を持て余していた。

 板張りの部屋ではあるのだが、その半分に畳を敷いて二分している。全部で三十畳程の広さがある部屋で、休憩する為、寝る為のスペースを区切ったせいでこうなっているのかもしれない。

 ミレイユはベッドの方が慣れていると思われてか、板張りの部屋の端には天蓋付きのベッドまである。


 ベッドとは洋風のものである筈だが、部屋の調和を崩さぬよう特注されたと思われる意匠で作られていた。ベッドである事は間違いないのに、純和風の木製で、何かしらの拘りを感じさせる。


 調度品の花瓶や生けられた華、流れる川が表現された掛軸などの高級品で室内を彩っている。戸棚一つ取っても高級感溢れ、そこに歓迎の意が込められているのは明らかだった。


 部屋の中にはアヴェリンもいる。他の者も同様に一室を与えられていたのだが、敵陣真っ只中だと認識しているアヴェリンにとって、ミレイユを一人にさせるなど考えられない事らしい。


 全員が同じ一室で、となると流石にそれは許可されず、何とかごねてアヴェリンだけは頷かせた。しばらく廊下で押し問答が続き、もうどうでも良いと思いかけた時、恐らく上司と思われる老婆がやってきた。

 全て望む通りにいたします、と意外な程アッサリと許可をくれたのだった。


 今もルチアとユミル、アキラは別室で待機している筈だ。

 扉は鍵のかからない襖だから、仮に支え棒を当てていたとしても、それで逃亡を防ぐというのも心許ない。まるで逃げるなどと考えていないようですらあった。

 用があるなら近くの鈴を鳴らす事で、即座に誰かしらが対応に動く。

 まるで和風高級ホテルのような有様だった。


 特にミレイユの部屋の前には必ず一人常駐しているらしく、鈴の音と同時に襖が開く。逃亡を防ぐための監視員としての役割もあるのかもしれないが、甲斐甲斐しい世話を見ると、実は違うのではないかという気持ちも湧いてくる。


 理由を聞いても、答えられませんの一点張り。

 犯罪者として拘留されていた筈が、僅か一時間でこの変わりよう。不審に思わない訳がなかった。一応はこの部屋の中で大人しくしていなければならないらしいが、本気で望めば奥宮の見学くらいさせて貰えそうな歓待ぶりだ。


 茶とお茶菓子が欲しいと言えば、即座に持ってきてくれる。

 コーヒーはなく抹茶であったものの、菓子とよく合い、実に美味かった。そしてその手つきの実に恭しい事といったら、まるで自分が偉くなったかのように錯覚してしまう。


 何が彼女たちをそうさせるのか、是が非でも知りたいのだが、そこについては箝口令が敷かれているらしい。聞いたところで、やはり答えられないという返事があった。


 だが、嘘は言わない。

 このような部屋まで用意していたというなら、体よく耳当たりの良い嘘も用意できただろうに、それを口にする事はない。

 検証のしようもない、その場だけ納得させる事も出来ただろうに、まるで尊敬の対象だと言わんばかりの態度で、実直に接してくるのだ。


 ――いや、とミレイユは思う。

 あれは尊敬というより尊崇だ。あるいは崇拝ですらあるだろう。彼女たちの態度を見れば、かつての信仰を向けてくるエルフの事を思い出す。

 そしてそれは、ミレイユが考えていた推測が正解かもしれない事実を指している。


 ミレイユは大きく溜め息を吐いて、傍らで未だに警戒を怠らないアヴェリンを見つめた。

 視線を向けられたアヴェリンは、顔をミレイユに向ける。話を聞く態度でありつつも、周囲への警戒は怠っていなかった。


 ミレイユとアヴェリンは中庭が一望できる板間で、小さなテーブルを挟んで椅子に座って対面していた。旅館でもよく見られる形式で、畳の間から外れた場所にこうした憩いの場が用意されている。

 そこで茶と茶菓子を片付けたあと、こうして話をしてみる気になった。


「アヴェリン、どう思う。この対応について」

「ハ……、ミレイ様に対する態度としては及第点といったところで。中々に礼儀を弁えていて結構な事ですが、しかし理由が分かりません。私達は虜囚のような扱いだったのでは?」

「そう思っていた筈だがな。あるいは、機嫌取りでもしたいのかも」

「機嫌……。戦力として使いたいと考えるのは、むしろ自然かもしれません」


 ミレイユはそれに深く頷く。

 

「それは一考に値するな。敵にするより味方に引き込む、と考えるのは有り得る事だ。恩赦でも与えて言うことを聞かせよう、というのは良い手かもしれない」

「そのような横暴、許せますか?」


 アヴェリンの声が一段低くなった。その眼にも剣呑な光が灯る。


「刑務所行きよりマシだろう、と言われたら確かにそのとおりなんだが。しかし入れられたところで、逃げ出すような奴しかいないしな」

「全く、左様ですね」


 ミレイユが笑えば、アヴェリンの表情も柔らかく緩む。

 そして、もう少し踏み込んで考えてみる。


「この高待遇は実際、異常だ。そして我々は間違いなく彼らの邪魔をした。結希乃達の作戦内容を聞き出し、理解した上で我を通した。逮捕されるのは妥当としか言いようがなく、そしてそこから解放したのは神宮勢力だ」

「神宮にいる高官ともなれば、逮捕をされた虜囚を解放する事も出来るのでしょうか?」

「出来るのかもしれないが、それより余程話の早い者が神宮にはいる」


 アヴェリンが難しい顔をすると共に、実に嫌な想像に行き当たったような顔をした。

 ミレイユはそれが正解であるという風に頷いた。


「……オミカゲ様とやらが勅を出した」

「しかし、何故いまさら?」

「別々の意思、あるいは意図があったように思う。勅は二つ出ていた。作戦前、そして作戦中だ。大宮司とオミカゲ、同じように捕縛命令を出したが、結果としてはこうだ」


 言ってミレイユは両手を広げた。

 本来なら拘置所にでもいる筈だったミレイユだ。しかし今は客人として、本来は部外者が入り込む事の出来ない奥宮で歓待されている。


 結界を用いて、その中に閉じ込めてから展開された作戦だった。

 相手の本気度合いも窺える。逃げ出す事に成功していたし、再度取り囲まれた時も、その意思があれば逃げ出す事ができた。


「オミカゲ、ないし大宮司は我々の存在を把握していた筈だ。結界にも何度となく入り込んでは魔物を倒し、結界を解除させていた。作戦の邪魔になるというのは後付の理由だ。その気があるなら、いつでも捕まえる事は出来た」

「……成功するかは別ですが」


 ミレイユはちらりと笑う。


「そうだな。だが、今回はやる気になった訳だ。何か条件が重なったか……?」

「結界解除にも我慢できなくなったと言えなくもないでしょうが……、これ以上は推測するのも難しいのではないでしょうか」

「そうだな……」


 ミレイユが小さく息を吐いた時だった。

 控えめであっても、音はよく通るノックで襖の戸が叩かれる。それに返事をすると、まず指が挟まる程度に開けられた。それから滑らかに半分ほど開き、一度動きを止めるかと思いきや、ゆっくりと最後まで開けられる。


 丁寧に足をたたみ、一礼した世話役の女官が静かな声音で言ってくる。


「お連れ様がいらっしゃっております。お通ししても宜しいでしょうか」

「連れ……? 誰だ?」

「――アタシよ。あと他にも」


 そう言って顔を出したのはユミルだった。その後ろにはルチアの姿も見える。アキラはいないのかと思えば、すっかり恐縮して背を丸めた姿でユミルに隠れて立っていた。


「自由に出られるのか? 一応、私達は囚われの身である筈だが」

「頼めば出してくれたわよ。頼むというか聞いてみただけだけど、お好きにどうぞ、って感じだったわね」

「それで他の二人に声をかけて、ここまで来たという訳か?」

「ご明察」


 そう言ってミレイユの返事も待たず部屋の中に入ってくる。

 室内は広く、人数が増えたところで閉塞感はない。ただ椅子の類はないので、高級で沈みこむような座布団に座って机を囲む事になる。


 ミレイユとアヴェリンは二人でいた板間から出て、広い畳の間へと戻る。

 上座にはミレイユが座り、その右手にアヴェリンとアキラ、左手にはユミルとルチアが座った。アキラは正座したが、ミレイユは崩した座り方でひょいと胡座を組む。


 そのアキラが誰に言うでもなく作法に則った座り方を見せた。まず座布団の上に軽く握った両手をつき、身体を支えるようにしながら中央までにじり上がる。

 道場で習ったものなのかまでは知らないが、実に堂に入った座り方に見えた。


 どっちの座り方がいいのか見て迷い、結局は楽そうな方にそれぞれの座り方に倣って座った。

 そこで襖を閉めて退室しようとする女官へ、ミレイユが声をかける。


「人数分のお茶を頼む。やはりコーヒーはないか?」

「昨晩お求めでしたので、すぐにご用意いたしました。砂糖とミルクもお持ちしましょうか?」

「そうだな、頼む」


 ミレイユ自身はストレートを好むが、時にミルクを入れて飲みたくもなる。どのような豆を使ったものか分からないので、一応と思って頼んだ。

 それに確か、アキラやルチアはミルクや砂糖を入れて飲んでいたような気がする。

 用意してあれば、誰かしら使うだろう。


「畏まりました、少々お待ち下さい」


 女官は一礼し、襖を閉めて去っていく。足音をさせずに歩くのは、あれも一種の礼儀だろうか、と思いながら襖の開け閉めすら作法を見せる姿を見て、そう思った。

 顔を合わせるのだとしても、まだ先の話になるだろうと思っていた者たちが来て嬉しく思うのと同時に、やはり納得のいかない気持ちもある。


 それで、とりあえずユミルに向けて口を開いた。

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