御影の意思 その7
日本は時に、オミカゲ王国と呼ばれる事がある。
政治の世界に関わる事を強く拒否し、また関わらせようとする声を拒絶する行動は常に一貫しており、また古くは将軍家に対しても同様に接触を拒んできた。
では、何故そのような呼び方をされるのかと言うと、オミカゲ様の行ってきた宗教の枠組みから飛び越えた活躍が原因だった。
オミカゲ様は古くから実業界へと関わりが深く、日本初の銀行や全国商法会議所、日本証券取引所といった多種多様な会社や経済団体の設立・経営を行っている。
更に約五百社にも及ぶ会社を立ち上げ、その経営権を信頼できる者に譲った。日本の企業の多くは遡ればオミカゲ様との関わりが見つかると言われ、だから『日本資本主義の母』と称されている。
過去の偉人ではなく今も生きる神様であるから、その影響力も甚大で、誰も逆らうことが出来ないという。表だけのみならず裏から手を伸ばせば、その意向を無視して何事かできる者などいないと言う者もいる。
そういった理由で、真の支配者との意味合いを込めて、オミカゲ様王国と呼ぶものがいるのだ。
無論、オミカゲ様により近い者たちは、それが口さがない陰口だと理解している。しかし、外から見る事しか出来ない者たちからすれば、それが真実のように思えるのだ。
だがオミカゲ様は拝金主義という訳では、決してなかった。
同時に日本養育院など信者以外への福祉事業、日本慈恵会などの医療事業を開拓し、商法講習所、商業学校、高等商業大学などの実業教育現場を作った。
予てより女系国家の毛が強い日本国であっても男子優遇の色は濃く、それゆえ日本女学館などの女子教育にも力を入れ、私学教育支援や、理化学研究所設立等の研究事業支援、国際交流、民間外交の実践等にも尽力した。
その道徳経済合一の思想は広く知られている。
また災害支援、復興資金の提供は神社主体で行われる為、その潤沢な資金から多くの人が助けられた。国の支援がなくとも仮設住宅や炊き出しなど、全て自力で行えてしまう故に国よりも頼りになるという意味合いから、オミカゲ王国と呼ばれる原因にもなっている。
それだけ多くの実績がある上に、神の加護として病気と怪我からも守られているのだから、オミカゲ様に実権を握って欲しいと望む声は強い。
それと比較され続ける首脳陣も哀れとは思うが、それを超えるようでなくては国体を任せられないと思うのも無理ない事ではあった。
そのようしてオミカゲ様は常に日本人に対して、その御心を砕いているというのに、最も強い信頼を向けられている御由緒家が仲違いなど冗談にもならない。
睨み合いが終わった結希乃と十糸子は、それぞれが視界に入らないよう移動を開始した。京之介は残って機嫌取りをするつもりらしい。
しばらくしてから凱人がやって来て、その母に見えないよう小さく頭を下げた。
「……母が失礼しました。次期当主として、母に成り代わり謝罪いたします」
「凱人くんが謝る事じゃないけれど。……でも、ありがとう。後継者が貴方のような人で、私も嬉しいわ」
「は……、恐縮です」
結希乃がようやく笑顔を見せた。
そうしていれば凛とした中にも女性的華やかさが顕になり、大層美しい。幼い頃より知っている仲とはいえ、口元へ扇子を寄せる仕草などを見ては妙にドギマギしていた。
「御由緒家同士でいがみ合う危険と無意味さを、母も理解していない筈がないんですが……。このような事を続けるようでは、オミカゲ様からもお叱りを受けるでしょう」
「それを分からぬ身でもないでしょうに……」
御由緒家同士の対立は御法度だ。
どの時代、どの年代でも、常に御由緒家の関係が良好だった訳ではない。腹に一物抱えるぐらいの事はあって当然なものの、かつて明らかな敵意を向けた家があったと伝えられる。
最も忠誠心の高い家は自分だと吹聴する程度なら可愛いものだが、過度にライバル視した上、暴言も目立った。その自尊心以上に実力が伴わず、そのうえ重責に押し潰されて錯乱した。
自分より優れた者を蹴落とし一番上に立てば良い、と考えたらしい。
顔を合わせれば口舌で斬り結び、合わせなくとも本人の居らぬ場所で罵詈雑言を撒き散らした。最も優れているのは自分だと主張も行ったらしい。
誰もがそれを聞いて距離を置いていき、そして自分の周りに誰も居着かなくなったのは陰謀だと喚き散らし、逆上して斬りかかる事態にまでなった。
それがオミカゲ様の耳に入ると、たちまち大きな怒りを買った。
直接その報せを御耳に入れた女官は、怒りに染まった玉顔を見て腰を抜かしたと伝えられる。
快晴の空は暗雲に覆われ、雨は降らせず雷だけが雲の間から何度も落ちた。日本人が、雷が落ちる度にオミカゲ様の心痛を思うのは、この故事から来ている。
最終的に当主は自害を命じられ、その腹を斬って果てた。家は取り潰し、名も剥奪され、御由緒家の歴史から一家が消えた。
過去に実際あった出来事だと伝えられる。
それを思えば、御由緒家は常に友好な関係を築き続けるべきなのだ。多少の悪口減らず口ならば良いだろうと、常習化させるといつタガが外れるか分かったものではない。
そこへ由衣園志満がやって、やはりおっとりと笑って一礼した。
「先程は大したご挨拶もできず、失礼いたしました」
「あ……いえ、こちらこそ。丁寧な挨拶、痛み入ります」
結希乃が頭を下げ、それに続いて凱人も頭を下げた。
一足早く頭を上げた志満が、じっと結希乃の顔を見る。時折、その顔を横から見ようと身体を傾け、それから嬉しそうに笑った。
結希乃は思わず眉根を寄せた。
「あの……?」
「結希乃さん、最近ますますお母様に似ていらしたわね?」
「え、えぇ……」
志満に指摘されるのと同様、結希乃とその母をよく知る人には言われ慣れた事だった。ここ二年程は特にそうで、その美貌で知られた母だったからこそ、それが嬉しくもありこそばゆくもある。
それをわざわざこの場で言う志満に、僅かながらの困惑を乗せて尋ねた。
「それが、何か……?」
「十糸子さんの事、悪く思わないでください、と言うのは難しいからしらね」志満もまた眉根を寄せる。「子供のような嫉妬心から来るものだから」
「嫉妬……?」
結希乃は今度こそ困惑を大いに感じて眉に皺を寄せた。
凱人も意外そうに目を開けている。
「ええ、貴女のお母様とは恋敵だったものだから……。とはいえ当時、既に互いは当主になると決まっていたようなもの。婚姻は不可能、道ならぬ恋だった訳だけど……。それが分かっていても、嫌った女性に気持ちを向けた男を取られて、それに娘がよく似てきた。面白くないと思ったのでしょうね」
「母に、そんな過去が……」
「聞いていない事にしてくださいね」
志満が凱人に茶目っ気を多分に含んだ笑みで言った。
結希乃も、どう反応して良いか分からず頷くだけに留める。
過去の恋心から来たものと言われても、結希乃にとっては全く関係ないし迷惑でしかない。既に互いは子を設け、それぞれの道を邁進していた筈だ。
そこを突っかかられても、結希乃としてはどう返したものか。
困ったように――心底困って、結希乃は重い息を吐いた。
そこに志満が、やはり困ったように首を傾け頬に手を当てた。彼女の温和な雰囲気と相まって、表情と仕草がよく似合う。
「こんな話を聞かされても、結希乃さんは困ってしまいますわね。……でも、この話を聞いた後なら、少しは冷静でいられるのではと思いましたのよ」
「それは……どうでしょう」
結希乃は難しい顔をして小さく首を傾けた。
志満はおかしそうに笑う。
「あら、だってそうしたら、今度から憎まれ口を叩かれても余裕が出るでしょう? ああ、そんな事言ってるけど、結局単なる嫉妬心なんだって……」
「まぁ……」
結希乃は思わず絶句してしまう。凱人も同じような感想なようだ。
おっとりと常に和を望むように立ち回る彼女からすると、随分と過激な表現に思えた。
凱人は慌てて周囲を見渡し、聞き耳を立てている者がいないか確認する。幸い、部屋の中にいる人数も多くなく、こちらに注意を向けているような者もいない。
唯一懸念していた十糸子も京之介との会話で意識を割いていなかった。
凱人は今更ながら声量を抑えて、辺りを憚るように言う。
「宜しいんですか、そのような事まで言って……。母に知られると面倒な事に……」
「構いやしません、同世代では有名な話です。本人に対してならともかく、その子に当てつけるなんてみっともない……。あんな様子を見せられては、結希乃さんに味方したくなるのも当然というものでしょう?」
結希乃はそれに返答できず、曖昧な笑みを浮かべた。
腹芸は貴族のたしなみと言えど、ここまで明け透けに言われては結希乃も困ってしまう。志満もそれは十分に理解していると見え、改めて一礼して場の空気を変えた。
「詰まらない話をして失礼いたしました。――そうそう、結希乃さんはご存知? 本日執り行われる一件は、少々毛色が違うようですわ」
「それは……勿論。神明裁判など、そも行われる方が異常というものでしょう」
結希乃が厳しい口調で言うと、志満は声を潜めて口元を扇子で覆った。
「ええ、勿論。でも、そういう事ではありません。我が由井園はこの奥宮の警護を任されておりますから、昨夜訪れた客人についても他の家より良く知っております。……知っているというなら、結希乃さんも御同様でしょうけれど」
「……ええ、とある事件で妨害行為がありましたので、その件もあって逮捕しました。現場には凱人くんもおりましたが……」
「はい。ただ、こちらとしては全く全貌が見えておらず……。一人の兵としての参加でありましたから、それも当然と言われればそうなのですが。……その相手にも力で押し切られ為す術もなく……、なのに素直に捕まったのが意外でした」
苦渋に耐えるような凱人の言い方に、志満は扇子の向こうで目を丸くした。
「御由緒の盾を冠する者を、力押しで? そこまでは知りませんでした、何とも凄まじい……。ですが、或いは必然なのかも……しれません」
「どういう意味でしょう?」
「妨害行為の犯人として捕まった筈が、奥宮に入る頃には客人として遇されておりました。そして、先導されて着いて行く女性の中に、帽子とサングラスを取り去った女性がいたそうです」
結希乃の顔が思わず歪んだ。
外せと凄んだ職員は、強い拒否と共に吹き飛ばされたと聞いている。結希乃を前にしても同様、室内だというのに、どちらも外す様子を見せなかった。
思わず結希乃の目に力が籠もった。見せまいとしていた素顔を、見た者がいる。
「……えぇ、その素顔は、まるでオミカゲ様だった。そう、聞いております」
「そんな!」
結希乃は声を荒らげそうになって、慌てて口を噤んだ。口の前に手を当てて、周囲を伺えば怪訝な視線が返ってくる。
結希乃はその全員の視線から目を逸らし、身体の向きも変えた。
志満は呑気な声をさせながら続ける。
「一体どういう事でしょうか。見間違え? ええ、十分あり得る事ですわ。明かりがあったとはいえ、昼のように明るかった訳でもない」
志満は一度言葉を切って、それから自分に言い聞かせるように言った。
「でも、急遽行われた神明裁判、御由緒家招集。その理由が彼女――甲ノ七にあるのだとしたら、そしてその容姿が極めてオミカゲ様と類似しているとしたら……。あるいは、そこにこそ理由があるのかもしれません」
志満がそう言い切った時、扉が開いて結希乃は思わず鋭く視線を向ける。
そこには最後の御由緒家、比家由がやってきたところだった。当主と一緒に息子の漣が同様の第一礼装に身を包み、肩苦しそうに襟元に指を入れては顔を歪めていた。
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