御影の意思 その6

 翌日、午前中も早くから屋敷の中では慌ただしく準備が始められていた。

 本日午後三時より神明裁判が執り行われる事になったのだが、それに合わせて屋敷を出れば良いという問題でもない。

 御由緒家が一同揃う場というのは案外少ない。この機会に色々と話したいと思うのが当然で、特に当主ともなれば話す内容にも気をつけねばならない。


 そして何より次期当主同伴の上参加、という点である。

 内々に報せている事でもあるし、実際に世襲したなら挨拶もあるものだが、この場を借りて面通し話通しもしておきたいものだ。


 それには一時間どころか三時間でも足りるものではなく、また呼ばれた者が御由緒家のみとも限らない。本日は秘密裁判の非公開で行われるものと通達があったから、呼ばれる者はそれだけ重要な人物ばかりだと推測できる。


 これが昨日の今日という話でなければ、どのような者たちが来るのか調べようもあったのだが……それは言っても仕方がない。


 京之介は既に着替えを終えて、居間にどっかりと腰を下ろす。

 服装は和服の第一礼装。オミカゲ様の御前に侍る時は、必ず第一礼装と定められている。


 黒羽二重の染抜き五つ紋――羽織背筋の上に一つ、左右の袖の裏にそれぞれ一つ、胸の左右にそれぞれ一つ――に袴、角帯をつけ、更に黒羽二重の羽織を着ている。袷仕立てとし、薄い色で凝った裏地を付けた一品だ。


 着物の下着は鼠色の色羽二重を用い、共色の裾廻しに白絹の胴裏を着用している。袴は仙台平という縞の平織を用い、角帯には西陣織の正絹物を選んだ。

 襦袢の半襟は白、足袋も白で、これに草履は畳表を用いる予定だった。


 御由緒家の当主とあらば、いつお呼び立てがあっても馳せ参じれるように、礼装の準備は常にしてある。妻に手伝ってもらい小一時間で全ての準備は整ったが、結希乃も同じようにとはいかない。今も使用人の三人掛かりで礼服を整えている筈だった。


 長い時間が掛かるとは予想していたが、既に昼を迎えそうな時間になり、ようやく結希乃が二階から降りて来る。

 色留袖を着用した姿は美しく、薄めの化粧を施した表情には緊張が見られる。

 袖の生地には一越縮緬が用いられ、染抜き日向紋の五つ紋付きだった。裾模様はオミカゲ様の御前では定番の梅枝と花。


 帯は袋帯で金銀糸を織り込んだ吉祥文様のものを用い、半襟は二枚重ねにみえる比翼仕立て、帯揚げと帯締めは礼装用の白を用い、祝儀用の黒塗骨で金銀張りの扇子を帯に挟んでいる。


 第一礼装を結希乃が着込む機会は今までなく、またオミカゲ様の御前に正式な礼節を持って侍る機会もなかった。表情が固くなるのは仕方ない。

 だが、結希乃は次期当主として面通しをするのだから、これから慣れていってもらわねばならない。


 京之介は満足気に頷いて、少し腹の中に何か入れておこうと提案し、十二時を僅かに回った頃、家を出ることなった。




 奥宮へは直接車で乗り付ける事は出来ない。

 御由緒家と言えども大鳥居より前で車を降り、そこから歩かなくてはならないのだ。本日は常になく警備が厳重で、阿由葉家にも専属の護衛が周囲につく。


 あからさまに武装した兵が傍で守る、という訳ではなく、参拝客に混じって着かず離れずの距離で護衛している。

 暴漢が出たところで物の数ではないが、そもそも対処してしまえば問題に成り得る。それを避ける為の措置だった。


 参拝者も今日の物々しい雰囲気を敏感に感じ取り、何事かと周囲を見渡している。

 そこに第一礼装を着用した者たちが参道を進んで行くのだから、ある程度察せる人が出るのも当然だった。中には御由緒家だと知って頭を下げる者もいる。


 奥宮周辺とその入り口の警備は更に厳重で、普段は鳥居近くにいる参拝者は更に遠くへ押しやられていた。

 その中を悠々と進み、決まりきった型通りの確認を済ませて中へと入る。この扉が開く事は滅多に無い。遠くから見ていた者たちは、思わず歓声のような声を上げた。


「おぉぉぉ……!」


 その声を背後に聞きながら扉が閉まる。

 中は神が住まうに相応しい荘厳な造りで、庭木や池、生え揃った芝生、その全てに十分な手入れがされていた。御殿までは石畳が続いており、その両端には梅の木が植えられている。

 花の盛りに歩ければ、さぞ見応えがあるのだろうと思えた。


 御殿もまた大きく、城と神社を組み合わせたような作りで、釘の一本も使わず建てられているというのは有名な話だ。宮大工が修繕を重ね、八百年以上も当時の姿を残している。

 とはいえ、多くの改築を重ねて広がっているので、当時のまま残している建物はそれほど多くない。神の住居となる御殿には、そう簡単に通される事はない。


 本日も神明裁判を執り行う為、それより手前にある奥宮へ入る事になる。

 御殿も大きいが、奥宮も迷うほどに広く大きい。案内をしてくれているのは神に仕え、その身の回りの世話をする女官だが、彼女がいなければ到底辿り着けないと思われた。


 そうして案内された一室には、既に到着して待っていた者たちがいた。

 全員が全員、第一礼装を着用した、御由緒家の比家由と由井園、そして由衛だった。京之介たち同様、それぞれ次期当主と目される者、あるいは既に内定している者を連れていた。


 それぞれ顔なじみではあるものの、奥宮の中にあっては互いに礼を尽くさねばならない。

 京之介はそれらに頭を小さく下げつつ挨拶する。


「いや、どうも遅くなりまして恐縮です。皆様ご壮健で何よりです」

「ああ、阿由葉さんもご壮健そうで何よりです。うちも倅がようやく使い物になってきたぐらいなもので、阿由葉さんが羨ましいですわ」


 朗らかな笑顔を見せつつ、その瞳は笑っていない。

 京之介に何かとあたりを強く見せる、由衛家の当主、十糸子としこだった。御由緒家の中でも京之介ととみに縁の深い間柄ではあるが、それも昔の事。それが執着だと分かっていても、今更そのようなこと京之介には関係ない。


 タヌキとキツネの化かし合いのようだが、ともあれ笑顔で挨拶を終える。

 結希乃の事も当然顔を知っているが、改めて次期当主としての紹介する為、傍らに佇む結希乃へ前に出るよう促した。


「阿由葉家次期当主、阿由葉結希乃です。どうぞ皆様、よろしくお願いいたします」

「えぇ、えぇ、よろしくお願いしたいですわ。しかし最近、本庁の方では不甲斐ない者もおるそうで、結希乃さんもさぞご苦労してる事でしょう」

「さて、どうでしょう。誰もが鋭意努力してると思いますけれど」

「そうでしょうとも。オミカゲ様の顔にドロを塗るような真似は出来ませんもの。好きなように結界を荒らすような輩を放置してるなんて、私が担当なら切腹してますわ」


 そう言って口元を袖で隠して笑った。

 結希乃の頬が引き攣る。軽い牽制のつもりで放ったジャブだろうが、明らかに結希乃を狙い撃ちにした口撃だった。

 まったく大人気ない、と京之介は嘆息した。


「ええ、勿論、好き勝手にさせるなんて許し難い事ですわ。ご存知ないようならお教え致しますけれど、これを放置させる事を決定したのは大宮司様ですの。本庁の人間といえども、この命には逆らえませんわ」

「あら、そうかしら。だからといって、本庁の方々がその誇りを投げ捨てるのは別の話ではなくて?」

「誇りを? 誰も投げ捨てるような者はおりません」

「そうですわね。結界内の鬼退治をまさか外部の者に頼り切り、自分たちは安全な場所で見ているだけなんて、実に誇りを感じさせる働きぶり。大変楽をなさって、よう御座いますわね」

「……知りもしないで」


 結希乃が小さく、吐き捨てるように呟いた。

 それを聞きつつ、京之介は結希乃の肩に手を置いて下がらせる。辟易しながら十糸子をねめつけた。


 同じ御由緒家でいがみ合うなど全くの無意味だ。

 それが息子に引き継がれていないのは幸いと言ったところだろう。凱人は顔を歪めて母の言動を無視し、視線を外に向けている。


「まぁまぁ、その辺で……」


 おっとりと笑いながら間に入ったのは由井園家の当主、志満しまだった。

 オミカゲ様の御庭番として神宮、奥宮の警護を一手に引き受け、またその御馬係として品種血統管理を受け持つ由衣園家は、基本的に戦いとは無縁だ。


 オミカゲ様の剣となり盾となるのが御由緒家の誇り、と考える比家由と相性が悪いように思えるが、実はそうではなく最も親しい間柄だった。

 そもそも一種のナワバリとも言える鬼退治に入り込まないからこそ、内側にいながら外側にいる彼女と反目しないのかもしれない。


 十糸子はつまらなそうに鼻から息を吐き、顔を外方に向けてしまう。

 結希乃も頭を小さく下げて礼をし、感情的になってしまった自分を責めるように場を移す。


 その志満の後ろにも一人の女性が控えている。

 名前は侑茉ゆま、年齢は結希乃より三つ上、既に結婚もしているが、まだ当主にはなっていない。資格がないという訳でも、志満が譲らないという訳でもないのにその座に座っていないのは、己の実力が足りていないと強く律しているからと聞いている。


 結希乃をライバル視していた彼女は、その実力に並び立つ事を目標にしていた。結希乃は御由緒家の歴史においても稀有な実力を持つから、それに並び立とうとすれば並大抵の努力では足りない。


 それに、そもそも阿由葉は武断の家系だ。

 培ってきた技術が違う。より戦闘向きのイロハを保有する阿由葉へ挑んでどうなるものではない。護身術として、あるいは身を盾にし護る技術で阿由葉が太刀打ちできないように、それぞれの家が得意とする事でオミカゲ様に貢献すれば良いと思うのだが、そうと思えない事情があるのも理解できる。


 由衣園家はその昔、御馬係ではなく先陣を切って戦う先鋒隊だった。

 オミカゲ様と共に馬を駆り戦場へ向かっていたという。その馬捌きを褒められ、いつしかオミカゲ様の馬の世話まで任されるようになった。


 そしてその信頼は、玉体の警護まで任せられる程になる。それがどれほどの誇りとなったことか。しかし時を経て、ふと見渡すと戦場から弾き出されたような位置にいた。


 またあの時のように、誇りを持って一番槍を勤める御家に。

 侑茉の気持ちはそのような思いが強く、しかし実力奮う事なく現在に至る。

 御家の再興と言うほど落ちぶれている訳ではないが、かつての栄光を夢見ている。それが由衣園侑茉だった。

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