決闘演舞 その1

 最初はイルヴィがお代を持つ、と言っていたのだが、酒場は既に満席に近く、纏まった人数が座れそうもなかった。解散を命じられた彼らは、そのまま仕事へ赴く者も多かったが、同時に興奮の余韻を肴に、酒を飲もうと考える者も多かったのだ。

 座れないとなれば、何処か別の場所へ行くしかない。


 その意見にはミレイユも同意し、では何処が良いだろうと考えてみても、まだ昼にもなっていない時間帯、飯屋だって開いてはいない。

 冒険者ギルドに隣接している酒場だからこそ、どのような時間でも酒や食事が取れるのだが、他の場所でも同じ様にいかないのだった。


 だが、本日の主役はイルヴィとアキラの二人だ。

 その二人を押し出すような真似はできないと、一番大きいテーブル席を譲り、元いた冒険者たちはどこぞへ去って行く。


 六人がけのテーブルで丁度良いと思ったのだが、何処からか椅子を持ってきたスメラータが、無理やり身体を捩じ込んで参加して来た。

 それを見かねたミレイユは、眉を顰めて言う。


「何でまだお前がいるんだ。もう関係ないだろう」

「関係ないなんて言わないでよ! アタイはもぅ……っ、感動した! あぁなりたいって思った! だから絶対弟子になりたい!」

「馬鹿を言うな」


 険しい顔で否定したのはアヴェリンだった。


「弟子ならば、もう間に合ってる。増やす気もない。お前の勝手を押し付けるな」

「へぇ……! じゃあ、その弟子ってのがアキラかい! まぁ、あんた程の弟子がアキラっていうなら、あの強さにも納得だねぇ!」


 イルヴィが上機嫌にエールを喉に流し込み、盛大に酒臭い息を吐く。

 隣に座っていたアキラは、鼻の頭に皺を寄せて顰めっ面をしたが、彼女は構わず肩を組んだ。


「羨ましいよ、あたしも弟子にして欲しいくらいだ。……いやいや、それより前に、名前を聞いていなかったね。改めて、名乗りを上げた方がいいかい?」

「それは必要ない。酒の席での自己紹介まで、そこまで堅苦しくするものじゃないだろう」

「それもそうだ! だが一応礼儀として、あたしから名乗ろう。イルヴィだ、バスキ族だよ」


 晴れ晴れと名乗って、拳を三度、前頭部にぶつけた。それが彼女の――部族なりの礼儀らしい。それを終えると、イルヴィは再度エールを喉に流し込む。

 空になれば即座に称賛と共に振舞い酒が飛んで来て、自分で注文する必要がない状態だった。


 アヴェリンは即座に返礼しない。何と言ったものか迷って視線を彷徨わせている所に、ユミルが嫌らしい笑みを浮かべて、ワインの入ったマグから口を離した。


「ほらアンタ、礼儀って大事なんでしょ? 同じ部族なら尚のコトじゃない」

「黙ってろと言ったぞ」

「……同じ部族?」


 イルヴィが首を傾げ、それで観念したようにアヴェリンが溜め息と共に名乗る。


「アヴェリンだ。バスキ族、エルベルの子。……同族の誼みだ、よろしくな」

「あーっはっは! そりゃあんたが戦祭に参加すりゃ、優勝間違いなしだろうさ! でも、今から名乗るのは気が早すぎるね! 今代のアヴェリンはあたしなんだ!」

「……まぁ、そういう反応になるか」


 思わずミレイユがそう零し、アヴェリンもどうしたものかと複雑な表情をした。 

 しかし、偽名を名乗らせるのも違うと思うし、そもそも誤魔化す意味もない。ギルドとの付き合いもなければ、今後、深く結びつく事もない。


 必然的にイルヴィとの付き合いも希薄になるだろう。それなら、この場だけ名前呼びを改めれば良いだけだ。

 大抵は目配せで通じる二人だから、殊更名前で呼び合う必要もない。

 他の二人は、そもそも積極的に会話の参加を考えていないし、少し言い含めておけば問題ないと思われた。


 イルヴィはひとしきり笑ったかと思えば、突然動きを止めて顔を顰めた。

 いったい何事かと思えば、突然、脇腹を抑えて蹲るように背を丸める。


「いた、いだだだ……! まったく、同じとこ二度もぶっ叩きやがって……!」

「水薬は持ってないのか?」

「そういう訳じゃないけど、強者との決闘で受けた傷は名誉だろ? それにあたしは嬉しいんだ、これだけの傷を与えられる奴がいる事が!」


 そう笑ってアキラの肩を遠慮なく叩き、そしてその自ら起こした衝撃で再び痛みで動きを止める。


「いぎ……! ハッ、痛みだって喜びさ。この痛みを肴に酒を飲める。酒が旨くてたまんないってなもんだ……!」


 間違いなく本音である事は分かるのだが、痛みで顔を顰めていては強がりのようにしか見えない。しばらく痛みと格闘した後、アキラの手の中にある杯が、全く減ってない事に気付いたようだ。


「なんだアキラ、お前全然飲んでないじゃないか! ほら飲め、今日はお前が主役なんだ。タダで浴びるほど飲めるぞ!」

「アキラは酒を飲んだ事ないんだ」


 ミレイユから注釈が入ると、意外なことを聞いたように目を見開き、それから杯同士をぶつけ合う。


「何だ、そうなのか。だったら今、飲んだらいい!」

「……そうだな、アキラの好きにさせる」


 ミレイユが身振り手振りと、簡単な単語でそれを伝えると、アキラは意を決したように口を付け、そして盛大にむせた。

 見ている方が可哀想に思えるむせ方で、顔を真っ赤にさせていつまでも咳を続ける。見ているこちらが申し訳なくなるような有り様で、到底もっと飲めと言える雰囲気ではない。


「……まぁ、こいつは……、向いてなかったみたいだね」

「あるいは飲み慣れれば、という事もあるかもしれないが……。今日のところは別の物にさせておこう」


 それに反対する声はなく、アキラを除いて全員が杯を傾ける。

 そうしてイルヴィは、酒で傷を癒やすかの様に杯を空にし続け、四杯目を口にしようとした時、高らかに杯を掲げながら声を上げた。


「――だから、アヴェリンとは最も気高く、もっとも強い戦士の名なんだ! あんたがどれだけ強かろうと、二年先まで、その名はあたしのもんだ!」

「あぁ……、まぁ、分かった」


 イルヴィの声は大きく、顔は赤かったが呂律が回っていない訳でもない。

 しかし酒の勢いが、彼女の気を大きくしているのは間違いなかった。


「アヴェリンは誰より力が強かった! 山だって動かしたんだ!」

「それは無理だ」

「アヴェリンは何より強かった! ドラゴンを一撃で倒したんだ!」

「それなら出来た」


 イルヴィの一言に、アヴェリンが一々相槌を打って、それで機嫌を悪くするように顔を顰める。


「何であんた、我が事のように言うんだい。違うだろ、あんたはアヴェリンじゃない!」

「まぁまぁまぁ……!」


 イルヴィが掴み掛かろうとしたところを、スメラータが間に入って止めた。

 そのやり取りをユミルがいつもの嫌らしい笑みを浮かべ、頬杖を突きながら眺めている。もう片方の手にはワインが入った杯を、弄ぶようにゆらゆらと揺らしていた。


「でもねぇ……、こいつってば自分をアヴェリンと勘違いしてる、ちょっとおかしな奴だから。まるで見てきたかのように言うワケよ。ほらアンタ、どのドラゴンを倒したんだっけ?」

「お前が喋るとロクな事にならん。いいから黙ってろ」


 アヴェリンは汚物を見るかのように顔を顰め、揺らしている杯を手で払って弾き飛ばそうとした。

 それを俊敏に察知したユミルが、その攻撃から逃れようと身を捻る。


 逃げられた事が気に食わなかったのか、顰めた顔を大仰に歪めて二の撃を放とうとした時、スメラータを躱したイルヴィが、アヴェリンのすぐ傍に立った。

 顔を間近に寄せて、酒臭い息を吐き出しながら、胡乱げに上へ下へと視線を向ける。


「……大体あんた、本当にバスキ族なのかい? 見たところ、そう年も離れてないだろ。なのにあたしは、一度だってその顔を見た事がない! それに、あんたほど強い奴が一度も人の口に上がらないなんて事あるものかい? ――いいや、有り得ないね。エルベルの子なんて言われても、そんな奴だって知らないさ!」


 イルヴィは言うだけ言うと、目を座らせてアヴェリンへと凄む。


「あたしにそんな嘘は通じないんだ。本当の事が言えないっていうなら、ここで決闘始めて名乗らせようか?」

「別に嘘なんか言ってないんだがな……」

「百歩譲って、うちと全く無関係の別地方で、偶然その名を受けて育った、って言うんなら良いさ。そういう事もあるんだろうさ。でも、同族だって言うんだろ? おかしな話じゃないか」


 アヴェリンからすれば真実を言っているだけだが、当然イルヴィは虚言だと疑っていない。それも当然だろう、としか思えないが、さりとてアヴェリンも誇りを賭けて偽名ではないと言うだけだ。


 どうしたものか、とミレイユは膝の上に乗せていた帽子を弄んでいると、今度は標的がこちらに移る。


「それにあんた、この見事な戦士を預かる程の女……。忠義を向けられるに相応しい者かどうか……。加えて、その格好……」

「……おや、分かるのか」

「なんで分からないと思うんだい」


 ミレイユは悪戯混じりの笑みを浮かべて肩を竦めたが、イルヴィは不機嫌に鼻を鳴らした。

 常に周囲を鋭く観察するような者には、そもそも幻術を掛けていても無駄に終わる事もある。彼女はもしかしたら、そういう類いなのかもしれない。


 イルヴィには初めから本来のミレイユの装備が見えていて、そしてこの格好が未だに伝聞で、魔王装束として伝わっているのも承知している。


 ミレイユはわざとらしく袖を持ち上げて、見せつけるように掲げた。魔王が気に食わない者には、これが挑発として映るだろう。

 だが、イルヴィからの返答は否だった。


「……まさか! アヴェリンは魔王の右腕だったんだ。思う様、その腕を振るって有象無象を片付けた。アヴェリンが従うくらいだ、やった事の是非はともかく、強大な存在だったんだろうさ」

「意外と肯定的なんだな……。蛇蝎の如く嫌っているものと思っていたが」

「強者には敬意を払う。それがどういう類いの者でもね。ただ、この国が言っている魔王ってのは私怨が入ってるみたいだし、本気で信じちゃいないってのもある」


 この都市とその周辺が特に被害が大きかった事もあり、それが理由で嫌うのは分かる。だが、その被害のなかった者達まで、それにつられて嫌うほど強い理由ではない。

 特にアヴェリンという不世出の英雄を一族から排出してる者としては、簡単に朱に交わる気にならなかったのかもしれない。


 だが、とイルヴィはミレイユへ凄もうと近づき、それより前にアヴェリンから首根っこを捕まえられて動きが止まる。

 抜け出せないと瞬時に悟ったようだが、しかし凄むのまでは止めなかった。


「だが、その格好をしてミレイユを名乗り、この戦士にアヴェリンを名乗らせて良からぬ事を企んでいるんだとしたら、それはあたしと我が一族への侮辱だ。その時はあたしが、この首落とされようとも、喰らいついてやるから覚悟するんだね……!」

「……なるほど、良く分かった。肝に銘じておこう」


 それでいいんだ、と豪勢に頷いて杯に口付け、全て飲み干し高らかに笑う。

 イルヴィは単に顔に出ない体質なだけで、案外酔いが回っているのかもしれない。

 アヴェリンへ目配せてした解放するよう促すと、イルヴィは掴まれていた事など一つの文句も言わず、足取り確かに元の席へと戻って行った。


 その様を見送ってから顔を戻せば、こちらを見ていたアヴェリンと視線が交わる。

 お互いに苦労を偲ばせる表情を向け合い、ひっそりと苦笑しながら杯の中身を飲み干した。

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