二つのギルド その10
防壁が解除されると、周囲の冒険者も喝采を上げて勝負を称え始めた。
喧嘩が起きるのは日常茶飯事でも、命を賭けた戦いは勿論、実力者同士の名勝負も、滅多に見られるものではない。特に実力者というのは、簡単に力をひけらかしたりしないので尚更だ。
一級冒険者と、それ以外の実力差というのは隔絶しているという事もあり、そもそも勝負が成立しない。熟練の冒険者は勿論、まだ日の浅い冒険者も、この戦いには目を輝かせていた。
ただし、そもそもがつまらない喧嘩を発端とした勝負だ。
勝ったとしても名誉は得られない。
アキラだって、大事になってしまった勝負事に付き合う必要はなく、更に言えば命を失う覚悟で挑む必要もなかった。実力差を知ったなら、そこで降参したとしても、新人である事を加味すれば善戦を讃えられただろう。
しかし、アキラはイルヴィ最大の一撃を喰らって尚、戦う意志を投げ捨てなかった。
一級冒険者へ食らいつくだけでなく、命果てるまで武器を手放さず、戦い続けられる意志を示した。勝って得られるのは名誉だけ、それでも尚、命を賭けられる者は少ない。
非常に少ないと言って良かった。
現在では、それを称えるという習慣さえ久しく見なくなった。
無理をする必要はない、生きていれば丸儲け、勝利と名誉より人命、そういう風潮が蔓延した所為でもある。
だからアキラが見せた戦意は、スメラータには眩しく映った。
そしてそれは、どうやらイルヴィにとっても同様だったらしい。
先程よりも随分狭くなった人垣の輪、それらから称賛の声を浴びせられながら、その中心で二人は手を握っていた。
スメラータも人波を掻き分けるようにして、二人へ近付いていく。
「お前なら死なないとは思っていたが、まさか起き上がるだけでなく、未だ戦おうとするとまでは思わなかった……! 全く……っ、あたしは嬉しい! お前の様な戦士を、部族以外で見られるとは!」
「あぁ……、えぇ……」
「しかし、直撃だった筈だ。手応えもあった。……どうやって対応した?」
矢継ぎ早に繰り出される質問に、アキラは困った表情を浮かべるだけで返答しようとしない。
イルヴィは眉と唇と跳ね上げるような、奇妙な思案顔を見せたあと、次には得心顔で頷いた。
「……あぁ! 相手の手管を聞いておいて、自分の話はしない、というのは不実だったな。あたしのは隠すもんじゃない。刻印のとおりさ。たった三秒しか効果がない、しかし爆発的な効果がある自己強化魔術。その二つだけを持って挑むのが、あたしの流儀なのさ。ほら、あんたは?」
「えぇ……、あー……」
「――割り込んで済まないが」
やはり困った顔で答えないアキラに、イルヴィが詰め寄ろうとしたところで、横からミレイユの声が割り込んできた。
やはり彼女とその周辺は異質な気配が漂っており、冒険者が近寄って揉みくちゃにしないのは、彼女らの存在が大きい。近寄りたくても近寄りがたい雰囲気が漂っている。
「そこのアキラは言葉を知らない。事情があってな……、だから言っている事の一割も理解していない」
「なんだ、そうなのか? お前にも色々あるんだろうが……そうか、言葉が分かってたら、あたしの我儘にも付き合っていたのか? 実に知りたいところだな」
「やれと言われれば、何を思うでもなくやるだろう。そもそも、昨日まで刻印など持っていなかったんだしな」
「――昨日!?」
その一言は、イルヴィのみならず、周囲で話を聞いていた冒険者まで驚かせた。
「それで今日、あの戦いの最中に初めて使ったって? 道理で使い方がおかしい筈だ。ぎこちないし、もっと上手い方法もあったろうと思ってたところさ」
「実戦に勝る訓練はない、とも言うしな。使い方を覚えて、そして使いこなそうと知恵を絞ったんだろう」
ミレイユはアヴェリンへと目配せすると、それだけで意思疎通が出来るらしく、アキラの手を取って刻印が見えるように甲を翳す。
そこには使用回数制限に達した事を示す、暗褐色の刻印が刻まれていた。
「恐らくは、『年輪』の外皮が破られた直後にまた貼り直す、というのを繰り返したんだろう。最低でも十枚以上は、一撃で削ったという事になるのか」
「消耗なしなら、あるいは完全に止められていたのかもしれないねぇ。全く……、『年輪』をそこまで見事に、盾として有効に使った奴なんて聞いた事もないよ」
台詞自体は呆れを含んだものだったが、その表情は反対に晴れやかで、我が事の様に喜んでいた。
では、あの両腕を交差するような動作も、単に防ごうとしただけでなく、刻印を発動するつもりでやっていた事だったのか。使い慣れていないアキラは、どうやらそのルーティーンがなければ使えない、というのが、この戦いで見せた癖だった。
イルヴィはアキラへと向けていた好意的な視線を、次にアヴェリンへと移す。
「しっかし、あんた何者だい? 部族の流儀も、戦士の名乗りも知っている……。多分、あんたの主さんもだ」ミレイユへと意味深げな視線を向け、それからすぐに戻す。「けど、あんたほど見事な戦士など見た事もない」
「……そうだろうな」
「それに刻印だって持ってないだろう? 鎧の下に隠しているとも思えない。あんたは誇りを知る高潔な戦士だ。刻んだとしても、それを隠すような真似はしない」
「それもまた、そうだろう」
アヴェリンが再び大きく頷き、強い視線を送る。
まるでそのひと睨みで、値踏みだけでなく彼我の実力差を教えるような圧力があった。
イルヴィは早々と両手を上げて、降参の意を告げた。
「……こりゃ参った。あたしも部族の中では、一番の戦士だと思ってた。張り合える奴がいないってんで、こうして街に出てきてギルドなんかにも入ってみた。確かに強い奴はいたさ、でもあたしが求める戦士はいなかった」
「刻印が気に入らないか?」
「本当の戦士は、己が力のみを頼りにする! ……するもんだったさ、昔は。でも、そうも言ってらんないもんなのさ。実際、あるとなしとじゃ雲泥の差だ」
自分を卑下するように顔を伏せ、その先に自分の刻印を見る。たが、すぐに持ち直してアヴェリンへと熱の籠もった視線を向ける。そこには、長年追い求める理想を目にした、乙女のような情熱が見え隠れしていた。
「まさか本物の戦士が実在してるなんて……! もしも、あんたが部族の戦祭に出ていたら、アヴェリンの称号はあたしの物じゃなかったろうね!」
「……何だって?」
「まぁ、知らないだろうとは思ってたよ。三年に一度行われる、戦士の技量を競う大会みたいなもんさ。一番強い奴が、アヴェリンの名前を譲られる。かつて実在した、部族始まって以来最強の戦士だ。あたしはそれを寝物語に育ったんだ」
ほぅ、とアヴェリンが気のない返事をする。
スメラータは互いの顔を見比べて、その熱の入れ込み違いに眉を顰める。既にその名を憚りなく名乗る彼女、そしてそのアヴェリンを知らない、同じ部族だというイルヴィ。
またもピースが一つ埋まった気がするが、それを口に出すのは拙い気がする。
何しろ、訝しげな顔を向けた途端、ミレイユから射抜くような視線が突き刺さった。迂闊な事を口にすれば容赦しない、と言っているようで、だから口を噤んでいるしかなかった。
そこへユミルがニタニタと笑いながら、挑発しているとしか思えない顔つきでアヴェリンを見る。
「良かったじゃない、アンタ。勝ち続ければ、晴れてアヴェリンを名乗れるわよ」
「うるさい、黙ってろ」
アヴェリンは視線すら合わせず、にべもなく切り捨てた。
イルヴィも二人のやり取りに違和感を持ったようだが、それでも深く考えるつもりも追求するつもりもないらしい。
職員が業務を再開するにあたり、邪魔だから解散するようにと声を掛けているのを見て、イルヴィの顔が晴れやかに変わる。
「いつまでも立ち話ってのも悪いね。どうだい、隣に場所を移して話さないかい? それとも、何か用事でもあるってんなら、日を改めるけど」
「別にないが……、どうされます?」
アヴェリンがミレイユへと顔を向けると、少し考える素振りを見せて立ち上がる。
手首を小さく上下させる僅かな動きで椅子が消え、イルヴィに案内するよう告げた。
「……ま、いいだろう。少し話すくらいなら」
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