二つのギルド その9
吹き飛んだアキラは、防壁へと強かに背中を打って動きを止めた。
一瞬の均衡の後、重力に従ってズルズルと落ちる。腹には三つの穴が空き、今も血が流れ始めていて、放っておけば死にかねない。まさしく、致命傷に違いなかった。
これは勝負あった、と誰もが思い、スメラータも同様に思った。
結局、一級者が順当に勝ちを拾っただけ。見応えある試合であったのは確かだし、挑む価値のある相手だったと思うが、やはり寂しくも思う。
あれだけの戦いぶりを見せたアキラなら、もしかしたら、と思わせる期待感はあったのだ。
それは勝手な期待に違いなかったが、しかし番狂わせがあったなら、と思わずにはいられなかった。アキラが見せた刻印には、それだけの可能性があるように思えた。
すぐにでも治癒術を持つ誰かが駆け寄るだろうと思ったし、勝利の勝ち名乗りを上げるとばかり思っていたのに、それが未だに起きていない。
それどころか、イルヴィは死に体に攻撃を仕掛けようとしている。
誰か止めないのか、と思った瞬間、弾かれたようにアキラが動き出した。
「――バッ、……か!?」
まるで傷を受けた事など感じさせない動きに、周囲もまた大きく騒ぎ立てる。
「あれ食らって動けるのかよ!?」
「でもよ、ほら、動けば回復されんだろ?」
「馬鹿、腹に三個も穴あいてんだぞ! 痛くて動けねぇんだよ、普通は!」
「痛みってモンを知らねぇのか、あの新人は!」
痛みがあるのは当然だろう。
アキラの表情を見れば、歯を食いしばって必死の表情で動いている。だが、痛みを感じるより、痛みに屈するより、それより大事な何かがあるから動けるのだ。
それは戦士の誇りであったり、勝利への渇望であったりと、その内容は様々だろうが、何にしろ強い意志がなければ出来ない事だ。
その姿に気持ちを後押しされて、それまで大声を上げなかったスメラータも、喉を裂くように張り上げる。
「やれーーー!!! 負けるなぁぁぁ!!」
アキラの奮戦には、スメラータの興奮から伝搬するように、味方する声も増えていく。
足を踏み鳴らし、腕を持ち上げ、高らかに勝利を願って叫ばれる。
「ソール! ソール! ソール!」
「ソール! ソール! ソール!」
イルヴィも口角を持ち上げて、攻撃を躱すアキラを見る。イルヴィの槍を躱し、しかし避けきれず肩や腕へと傷を増やしていく。
動いて癒えて行く傷より、新たに増えていく傷の方が多い。
結局のところ、治癒の速度がそれなりにあっても、それ以上の速さで傷を作られるなら意味はないのだ。新たに刻印を使って防御を固めれば良いのに、使い慣れていないアキラには集中する時間が必要なようで、再度の使用がまだ無かった。
だと言うのに、アキラは決して動きを止めない。
動いている限り勝ち目はあるのだと、その行動で示しているように見えた。だが、無駄な動きがあろうものなら、そこをイルヴィは容赦なく突いてくる。
不必要で意味のない行動は、熟練の戦士にとっては格好の的だ。
だから、時には足を止めて隙を窺う必要もある。傷を癒やしたいという後ろ向きな動きでは、逆にそれを利用されるだけだ。
だが、アキラの動きは、決して後ろ向きなものばかりではなかった。
『年輪』が無かったとしても、その果敢な攻撃には緩みがない。それどころか、相手の動きや癖を読み解こうとする、攻めの姿勢が見て取れた。
――勝ち筋を諦めていない。
その闘志や戦意、勝利へ執着を見て、スメラータまでもが嬉しくなる。イルヴィがアキラを本物の戦士と評していたのは、これを見抜いていたからなのかもしれない。
そのイルヴィからも歓喜の声が上がる。
「――いいぞ! 我が部族以外に、本物の戦士などいないと思っていた! 刻印に頼らず、自らの力のみで戦う! それが戦士だ! それこそが戦士だ!」
刻印を否定する戦いは、今の世にあって健全とは言い難い。
誰もがそれを頼りに戦っている。刻印は戦の華でもあり、それを十全に扱える事もまた、一流の冒険者と見做される。
しかし、傷だらけになりながら、それでも足を止めずに戦い続けるアキラを見ると、スメラータの胸にもどうしようもない感情が暴れ出しそうになる。
それは同じ戦士としての渇望だった。
己の力を高め、そしてその高めた力でぶつかりたい。
互いの全力を出した上での勝負がしたい。
今すぐにでも、その欲求をぶつけたくなる。だが、それと同時に目の前の決闘からも目が離せなかった。そのせめぎ合いがまた、スメラータの胸の内を掻き毟るのだ。
アキラの傷は増えるばかりで、致命傷に思える傷も増えていっているように見える。
口の端から血を流しているし、腕や足にも傷は多い。だというのに、決して動きが鈍らないのは不思議でしかなかった。腱が切れた訳でなければ動けるのだろうが、しかし、だからと動き続けられるものでもない。
傷の治癒も止まっているように思う。
効果時間がどれ程なのかは知らないが、所詮は初級魔術、何十分も継続するものではないだろう。この戦闘が始まるより前から使われているのだから、その効果はとっくに切れていても不思議ではなかった。
だが、アキラの猛攻は決して無意味ではなかった。
癖を見抜いたか、あるいは猛攻に槍を持つ手が痺れたのか。アキラの攻撃をいなし続けていた槍の穂先が、次の一撃を躱せず跳ね上がり、接近を許した。
その隙が最初で最後、最大のチャンスだと理解しているのだろう。
アキラの瞬発力は、これまでに類を見ない速度を見せた。身を低く屈め、まるで地を這うような格好で接近し、そして下から掬い上げるように鉄棒が振られる。
脇腹に突き刺さった一撃は、メシリと骨が軋む音を立てて、イルヴィを吹き飛ばし――したかに見えた。だが、イルヴィは僅か一歩後ろによろめいただけで、即座に足を踏み立てて耐える。
アキラの一撃による衝撃で顎は上がっていたが、それで見下されるような視線になって、その眼光に些かも衰えがないのが分かる。
背筋が冷えるような恐ろしい眼光だった。直接間近で見ているアキラは、遠くで見ているスメラータの比ではない圧力を感じているだろう。
アキラの一撃は、肋骨あたりに罅が入っていても、不思議ではない一撃だった。
剣でない分、その衝撃は更に大きかったろう。だが、それと感じさせない機敏な動きで盾を一振りし、アキラを突き飛ばすと同時に、短く持った槍で追撃を放つ。
だが、その時にはアキラも両手の甲を打ち付け、火花を散らすように甲を弾く。
それがアキラのルーティーンのようだった。
一瞬の内に『年輪』が展開され、そして槍の穂先を肩で押し付ける。
やはり、その一撃で三枚の外皮が剥がれるのが見えたが、アキラは構わず突撃した。
これまで頑なに使わなかったのは、あるいはこれの為だったのか、と理解した。油断を誘うつもりだったのか、単に使い方を理解していなかったのかは分からない。
しかし、ここぞという完璧なタイミングで不意打ちの様に発動した『年輪』は、間違いなく有効に働いた。
再び繰り出される脇腹への一撃で、衝撃が起こる。
金属同士を打ち付けたようには思えない衝撃音が鳴り響き、そしてイルヴィの身体が傾いた。
しかし、倒れはしない。
背筋が反れるように傾いたが、倒れる事も、更には一歩引くこともない。砕けてしまうのではないかと思えるほど、強く歯を食いしばり、そしてそれまでとは違う軽い調子でアキラの腹を突く。
まるでただ当てるだけで攻撃する意志はない、と言っているかのような一撃だった。
しかし、それは違うのだと、一瞬あとに理解する。
テコの原理を利用するように、アキラの身体がひょいと持ち上がり、宙へと浮き上がった。
突然の浮遊感に、アキラも動揺を隠せないようだったが、イルヴィは次の瞬間にはまるでやり投げをするかのように、自身の体を弓のように引き絞っていた。
「刻印を使わないなんていうのは、あたしの我儘だ。使う使わないは勝手な事。お前が悪いわけじゃない。――だから」
イルヴィの瞳に剣呑な眼差しが光る。
引き絞られた身体と、槍を握った手に力が籠もった。両太腿へこれ見よがしに刻まれた刻印が発光し、その発動を知らせた。
「あたしの刻印も知っていけ。――死ぬなよ……!」
アキラの浮遊が落下に変わる瞬間、イルヴィから全力の突きが繰り出される。
身体を捻り、腕の先まで捻り込んだ動きが、刻印と合わさり旋風すら巻き起こして、アキラへと突き刺さった。
刻印はどれも、自己強化の物で間違いない。
だからあれは、引き絞られ、そして繰り出された一撃から生まれた余波に過ぎないのだろう。
アキラは直撃を受ける寸前、両腕を十字にして受けようとしたようだが、それを掻い潜って腹へ当たった。
その直後、複数の外皮が破られ砕かれる音と、捻られた衝撃そのままに、アキラもまた乱回転しながら吹き飛んでいった。
その衝撃は凄まじく、防壁に当たってもなお動きを止めず、それどころか突き破って飛んでいく。
はるか後方でようやく着地し、それでも勢いが止まらず、何度も跳ねてようやく止まった。土煙が尾を引いて姿は隠れて確認できないが、どうなってしまったかなど想像するだに恐ろしい。
「……おい、死んだろ、あれ……」
「防壁に当たった時点で失神して、下手すりゃ身体が上下に分断されてんよ」
「誰か見て来い……!」
「嫌だよ、おっかねぇ!」
スメラータはその光景を、呆然と見ているしかなかった。
イルヴィは技を放った後の硬直のまま動きを止め、それからゆっくりと腕を降ろしている。その表情から読めるものはないが、落胆でも失意でも、過失を悔やむものでもなかった。
こんなギルド内で決闘を起こして、殺人だけは止めろという警告もあったのに、彼女の心境はどうなっているのか。一級冒険者としての名誉は地に落ちただろう。
他の者達からの追求もあるに違いない。
今すぐアキラに駆け寄って、その安否を確かめたい。
そう思うのに、周りが言う声に自らも煽られてしまって、見に行くのが恐ろしい。本当に死体があったら……、それを知ってしまうのが恐ろしい。
何故こうなったんだ、と嘆きたい気分だった。
興奮は水を掛けられたように冷え切り、誰も彼も言葉を発しない。
ミレイユ達ですらそうなのだが、しかし不思議と安否を気遣う素振りが見えなかった。彼女らにとっては、弟子などその程度の価値しかないのだろうか。
その時、ギルドの外――その入口の石を踏む音がする。
こんなタイミングで誰かがギルドに用事があって来たのか、それとも誰か外にいた冒険者が何かを伝えに来てくれたのか、そう思いながら出口を注視していると、足を引き摺る音が聞こえてくる。
咳き込むような音まで聞こえて、何だ、という声とまさか、という声が混じる。
入り口は外の明るい日差しが入り込んで逆光になっている所為で、その姿まで確認できない。
暗い室内へ入って来て、そして蝋燭の明かりで照らされて、ようやくその姿が視認できた。
「ゴホッ! ごホツ!」
咳き込む物の中には血が混じっている。
しかし、一歩進む毎にその足取りは確かになり、割れた防壁を潜った時には、調子はすっかり元に戻っていた。
「――アキラ!!」
無事だったのか、と安堵ともに涙が漏れた。
周囲の冒険者も悲鳴やら歓声やらで、怒号がホールを支配する。
「何で生きてんだ!? ありゃホントに同じ奴か、別人じゃねぇのか!?」
「本人だろ、見ろよアイツの武器!」
「ていうか、あれ武器じゃねぇだろ、いま気付いたぞ!」
「しかも、あんな目に遭っても握ったまんまかよ! おっかねぇな、おい!」
「アイツを新人って言った奴でてこい! あんな新人いてたまるか!」
再びギルド内が騒がしくなったが、アキラとイルヴィの態度は変わらない。
イルヴィは実に嬉しそうに笑みを浮かべ、その奮戦を讃えているようだった。アキラはきまずそうな視線をアヴェリンへ向けており、それでも武器を構えようと体勢を取った。
「おい、嘘だろ! まだやる気か!? 死ぬのが怖くねぇのか、あいつ!」
「やめろやめろ、死ぬって今度こそ! 回復してるのは傷だけだろ、正気じゃねぇぞ!?」
それにはスメラータにも同意しか出来ない。
挑むからには勝機があると思っているのか、スメラータが見る以上に戦力差は開いていないだけなのか。どちらにしても、もう十分だろうと言うのが全体の総意だし、誰か止めてくれと叫んでいる者まで出て来る始末だ。
流石にここまで大事になっては、職員も出て来るしかない。
ギルド権限を持って終決を宣言し、それでようやく場も収まったのだった。
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