誠実の恩返し その1

 アキラは強い使命感を持って、ミレイユの傍を飛び出した。

 盾となってその身を護ると誓った上で、傍を離れるのは辛い。


 だが、日本が、故郷が、神宮が蹂躙されようとする様を見れば、自分にも何か貢献できる事がある筈だと、居ても立っても居られなくなってしまった。


 ミレイユの気持ちは分かる。

 オズロワーナの人々も、今まさに苦境の時だ。助けを待つ人も、きっと多いのだろう。


 地震対策をしていない家屋は脆い。

 家財も食料も突如失い、途方に暮れている人は多かった。


 他の誰かを救助しようと、動く人も皆無ではなかったが、その手助けとして主体で動いていたのは森の民だ。突如として家財など多くを失った人が、それでも精力的に動くのは難しい。

 森の民が中心に動いていたのは、そういう理由もあった。

 そして、その人達を奪って行く事になるのだから、ミレイユとしては心中穏やかでいられなかっただろう。


 だが、ミレイユには助けて欲しい、と声を上げる権利がある。

 確かに被害は出た。それはミレイユが『遺物』を使った事に原因があるかもしれない。

 それを心苦しく思うからこそかもしれないが、ミレイユが決断しなければ世界は終わっていた。


 大地が消滅し、全ての命が失われただろう。

 それを救った代償があの被害だと思えば、むしろ破格というべきで、お釣りが出るくらいだと思うのだ。

 やってる事は救世主――いや、それ以上の創造神でなければ不可能な偉業だ。


 だから多少の我儘は許される。

 ……そう思うのは、果たして傲慢だろうか。

 しかも、『地均し』による侵攻は、単なる神宮の破壊だけで被害は収まらない。

 あの巨体が暴れ回れば、神宮周辺だけに留まらず、もっと広い範囲に破壊が拡がるだろう。


 被災というなら、日本の住人もデイアートの地震とは、比較にならない被害を受ける事になる。

 そして何より、嫌がらせの様に作り出された孔の件もあった。

 あれが再び百、鬼夜行を生み出そうとしているのだ。

 疲弊の大きい隊士達では、また同じ規模を繰り返されたら、きっと耐えられない。


「く……ッ!」


 アキラは孔の中に広がる暗い世界で、身体を運ばれながら歯噛みした。

 いま神宮で起きている事を思えば、共に戦った隊士達の顔が脳裏に浮かぶ。


 一度目の百鬼夜行でも、本当にギリギリの薄氷を踏みつつの勝利だった。

 前線へ躍り出た結希乃や七生、凱人が浮かべた必死の形相は、己の死を覚悟してのものに見えた。


 ――それを救いたい。

 だが、そこに自分一人の奮戦が加わった程度で、到底覆せないものだとも分かっていた。


 それこそオミカゲ様やミレイユの助力なくして押し返せるものではないのだろうが、彼の神達には、それよりもっと厄介で強大な敵と戦う使命がある。


 ――ならば。

 自分一人で駄目ならば、もっと多くの助けがあれば良い。

 そう単純に考えて閃いたのが、外に援軍を頼む、という事だった。


 アキラはそれが誰かは知らないが、恐らく森の王様と思しき――テオと呼ばれた青い肌の少年は言っていた。

 助けが欲しいなら遠慮するな、という旨を口にしていたのだ。

 無理やり奪う形で連れ去るのは問題だろう。

 だが、差し伸ばされた手に縋る事は、決して浅ましい行為ではない筈だ。


「ミレイユ様は、誰かを頼る事が苦手だから……」


 特に自分より弱い相手を頼るのが、苦手なのだと思う。

 強者は弱者を守るべき、とは言わないが、弱者に頼るのは恥と思っているのかもしれない。

 しかし、それを言ったらミレイユより強い者などまず居ない。


 ミレイユは心許せる仲間以外、何一つ頼れる者なく、戦う事になってしまう。

 彼女を助けたい、と思う人は多い筈だ。頼りにしてくれ、と思う人も、同じだけ多い筈だった。

 一声上げれば、きっと手助けしてくれる人がいる筈だ、という確信めいた期待があるから、アキラはミレイユに進言したのだ。


 あの時、一緒に連れ立って孔を潜った森の民は、エルフしかいなかった。

 だから、新たにエルフの追加は望めなくても、獣人族など頼みに出来る森の民はきっといる筈だ。


 アキラは必死に祈りながら孔の中を進む。

 一人でも多く――可能であれば十人くらい借りられれば、魔物の対処に希望が見える。

 そこに冒険者からの力も借りられるなら心強い。


 スメラータとイルヴィに会う事は、やはり気不味い思いがある。

 まだ別れて五日程度という短い時間で、再び顔を合わせる事になるし、そのうえ助けを乞うのは何を都合の良い事を、と激怒される可能性すらあった。


 だが、アキラは平身低頭、頼み込むつもりだ。

 殴られても、詰られても、この身一つで済むのなら、自分の頭など幾らでも下げる決意がある。

 一つそれを決心すると、胸の鼓動がドクリと跳ねた。


 覚悟を決めたつもりでも、緊張だけは強まった。

 孔の奥に見える光点が大きくなるに連れ、鼓動は更に早くなっていく。

 ――覚悟は決めた筈なのに。


 援軍を頼む事より……顔だけしか知らない相手に頼み込む事より、彼女らに会う事の方が緊張している。

 その事実に、アキラは自分の不甲斐なさを感じた。


 思わず自嘲の笑みが漏れた時、光点が一気に拡大して、アキラは城の一角に身を投げ出される。

 体勢が前のめりに崩れ、咄嗟に前回り受身を取って、勢いそのままに立ち上がった。


 即座に状況を確認してみれば、そこはミレイユ達を送り出す為に孔を作り出した部屋で、そしてその近くには手持ち無沙汰で所在無さげにしている二人の女性がいる。


 アキラが飛び出して来たことで、一瞬身体をビクリと震わせたが、すぐに何者かを確認して肩から力を抜く。

 ため息混じりに息を吐き、それから金髪の女性――確かインギェムという名の神――が、アキラに声を掛けてきた。


「何かと思えば、お前か。ミレイユのとこの……あー、名前は知らんが。状況はそれとなく分かってる。援軍が欲しいんだろ?」

「えぇ、はい。そうなんですが……、分かるんですか?」

「そりゃそうだろ。孔は己の――あー、アレだ。魔術……だからな。状況ぐらいは掴めてる」

「そうだったんですね。それじゃあ、既にテオという方にも、話は通ってたりするんでしょうか……?」

「あぁ、その筈だ。結構な危機だと話してあるから、状況が許す限りの人数を、既に掻き集めてるんじゃないのか。己はそっちに顔出してないから、詳しい事までは知らんが」

「それを聞いて救われた気分です! じゃあ、僕はちょっと聞いてきます……!」


 一礼してから出口の方へ身体を向けると、その先から慌ただしい雰囲気が伝わって来た。

 引っ切り無しに人が行き交い、人間、エルフ、獣人の区別なく何らかの役目を果たそうと奔走している。

 それが地震と被害に対処する仕事だと分かるから、この場で援軍を頼む事に対する緊張も浮かんでくる。


 話は通っているとの事だし、大丈夫な筈だと思っても、やはりそれを直接口にするのは度胸がいる。

 王様の様な偉い人と話す機会を持った事がないのも、それに拍車を掛けていた。


 部屋を出れば、すぐにテオのいる仮指令室になっていて、部屋の奥ではやはり書類に埋もれた少年と、それを補佐する壮年の男性エルフがいた。

 その二人が中心に事態へ対処しているのは、前回チラリと見て分かっていたが、今はその時よりも更に人が増え、怒鳴り散らす様に指示を出している。


「そうだ! 東区画はギルドが受け持ってる、元より自分たちの庭だ! そっちは勝手にやってくれる! それより西の商業区画だ! 金に物を言わせて人手を攫って行きやがる! 勝手をさせるな! まずは居住区が先だ!」

「でも、金で動く奴らは、それで止める事が出来ません。優先させたいなら、こちらも金を出さねば動かない。危機があるなら、更に値を吊り上げようとする奴らですよ」


 テオは書類が満載の机を、苛立たしく叩いて気炎を上げる。

 小さな手でも力はそれなりらしく、それで書類が幾つか舞った。


「くそっ! 足元見て商売する奴らはこれだから……! 同じ人間、少しは助け合おうって気はないのか!」

「まずは自分の安全や保障が優先という事でしょう。自分の利益を最優先という輩は、森の外ならむしろ当然。そうであるならば、捨て置きましょう。こちらはこちらで、棲み分けが出来たと割り切るべきです」

「そのフォローをするのが森の民か……! えぇい、忌々しい!」


 顔を多いに歪めるテオと、涼しい顔をしたエルフとの対比は凄まじい。

 だが、そうして意見をぶつけ合っている間にも、次々と人がやって来て報告なり書類を置いて行ったりしている。

 到底声を掛けられる雰囲気ではなく、そのうえ援軍らしき者たちが用意されている気配もなかった。


 いま聞いた話から考えると、使える人手を横から奪う商人達がいるせいで、余計に人手が足りなくなっているようだ。

 集めた援軍も、あるいはその穴埋めとして回してしまったのかもしれない。


 アキラがまごついて声を掛けられずにいると、エルフの方が気付いてくれて立ち上がる。

 手招きするので素直に近付くと、エルフの方が申し訳なさそうに眉尻を落とした。


「あちらの状況は伺っている。大変な時だろうと分かっているし、我々も協力は惜しまないつもりだ。その為の人員も掻き集めている最中だが、少々時間を要する」

「はい、分かっています。こちらも大変だって事は……。でも、一人でも多く、こちらから援軍を連れて行くとミレイユに約束しました。あちらの状況は、きっと思っているより悪いです」

「……そうだろうな。そして、我々が大事に思うのは、何よりミレイユ様だ。その方の御心に背く事はしたくない。だから今も取り急ぎ、部隊を作っている最中だ」


 話している間にも、兵士らしき人や伝令役らしき獣人が、幾人もテオへ報告していた。

 それを横目で窺う限り、事態は深刻でありつつも、改善の方向へ向かっているようだ。


 つまり、正念場、といったところだろう。

 アキラはそこから視線を戻して頷いた。


「分かっています。こちらも相当な無茶をお願いしている事は。でも、時間がありません。少しでも多く援軍を持ち帰らなければ、魔物が外に逃げ出してしまいます。――僕は冒険者にも、声を掛けるつもりでいました。そちらはどうなのでしょう?」

「元よりギルド同士は連携が強い。こういう事態であれば、やはりそこは頼もしい事のようだ。刻印を宿している者ばかりである所為か、彼らの協力の元に行われる対処も順調だと、報告には聞いてある」

「そうなんですね。それじゃあ……!」


 アキラが明るい声を出してホッと息を吐こうとした時、やはり申し訳なさそうに見据えられて動きが止まる。

 壮年のエルフは重々しく首を振り、それから小さく頭を下げた。


「あちらが順調であるのは確かだが、人命救助の部分についてに限っての話だ。その分、傾いた家屋や、崩れた荷など、それらの復旧に人手を使っているらしい。それもまた、力自慢が多いお陰で順調であるようだが……、危険物も多かった為、作業は慎重に行われ、また多くの人員を割いた。即座に割ける人員は少ないと見るべきだろう」

「う……! そう、ですか……っ」


 助け合いの精神が強い、相互互助の取り決めがあるギルドだ。

 自分のところで安全が確保できたら、他のギルドを助けに行くだろう。

 そういう意味では、こういう場合、冒険者は頼りになるものだし、実際頼りにされそうだと思った。


 そして、冒険者だからこそ、金銭で動く者も多いだろう。

 商人の金で釣られて、優先的に手を貸している者もいる筈だ。

 だがこの状況、商品を掘り起こす手伝いをするくらいなら、せめてこちらにやって来てくれ、と思ってしまう。


「分かりました。でも、確認だけはしてきます。一人か二人は、もしかしたら手を貸してくれるかもしれませんから」

「すまない。だが、こちらからも急がせる。実際、人命救助については、もう片付いている分は多い。戦闘要員として回せる者との調整させ済めば、すぐにでも派遣できる」

「はい、無理を言ってるのはこちらですから。……どうか、よろしくお願いします!」


 アキラはそれだけ言って頭を下げると踵を返し、城の出口を目指して走る。

 行き交う人が多いので、速度を上げて走る事はできなかった。

 焦れる気持ちは強くなるが、まさか弾き飛ばして走る訳にもいかないから、せめて掻き分けるように前へ出ながら出口を目指す。


 そこへ灰色の髪をした、獅子の様な女性がまさしく人を弾きながら迫って来る。

 その後ろには幾人か引き連れた獣人がおり、なにやら血相を変えて走って行った。

 何事かと気になったが、とにかくアキラはそれらを躱し、自分の役目を果たそうと、出口に向かって駆け出した。

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