奮戦 その8
孔は物理的にも、魔術的にも破壊できるものでない以上、魔物の侵出を止める事は出来ない。
もしを言っても仕方ないが、ここにインギェムがいれば無効化できただろう。あるいは、それを無効化できる権能があれば、可能であるかもしれない。
しかし、無いものを強請っても仕方なく、これを消滅させるには、『地均し』を沈黙させる以外、今は有効な手立てがない。
それに、魔物の数は増える一方なのだ。
魔術士を使えば対処可能となる目はあるが、攻撃すれば敵の目は当然そちらに向く。
今は内向術士が暴れているから、より近い脅威へ盲目的に攻撃しているが、それもいつまで続くか分からない。
考え知らずに魔術を撃ち込ませる事は、敵を引き寄せてしまうだけでなく、神宮の外へ飛び出させてしまう危険性を生む。
活用するには部隊を再構成する必要があるのだが、整える間に前線を維持する兵力などない。
それこそミレイユ達が出れば解決する問題だが、それだと『地均し』を自由にしてしまう。
今まさに動き出した『地均し』を放置する事が、どれ程の被害を出すものか想像も付かない。
ミレイユかオミカゲ様、最低でもどちらか、欲を言えば――やはりその両方で、対処しなければならない問題だった。
――結局のところ、兵力、兵力、兵力が足りない。
臍を噛む思いで、ミレイユは顔を歪ませた。
どうすれば良い、という焦りばかりが思考を空回りさせる。
そこへ走り去ったばかりの咲桜が、一つの籠を携えて帰って来た。
その顔には、オミカゲ様を失望させないと確信するだけの、高揚した表情が浮かんでいた。
オミカゲ様から不躾でない程まで近付いて膝を折ると、持っていた籠を捧げ持って、その中身が分かり易いように見せる。
「お待たせいたしました、オミカゲ様! こちらにご所望の品、手付かずのまま残っておりましたこと、ご報告いたします!」
「大儀であった」
オミカゲ様は頷く動作で咲桜を労い、それからルチアへと顔を向けた。
「奥御殿は結界神殿まで赴き、結界の再展開に備えよ。力ある者へも箱詰めを渡し、一千華と協力した上で再びアレを閉じ込めて貰う」
「それは……、了解しましたけど……」
ルチアは物憂げな――あるいは、悲嘆に暮れるような顔で『地均し』を見つめた。
そこでは、今まさに地面へ押し当てていた上体部が徐々に起き上がろうとしており、両手も地面について立ち上がろうとしている。
巨体故か鈍重で、その動きは早くないものの、既に結界が展開していた範囲から身体は侵出してしまっていた。
それを忌々しくも鋭く見ていた視線を、オミカゲ様へと戻して更に言う。
「『地均し』が完全に立ち上がるまでもなく、既に結界内へ閉じ込めるのは不可能です。神宮から出て行かれてしまうなら、より近い地点の神社から結界を張り直した方が良いと思います」
「疲労困憊している術士達を移動させるのは、現実的ではなかろう。――ならば、何としても移動を食い止めなくてはなるまい」
「その上で、転倒でもして貰う必要があるんですけど……」
「――然様。自ら蹲るつもりがない限り、こちらでどうにか倒してやらねばならぬだろうな」
それが文字通りの転倒であろうとも、外へ被害を出させない為には……そして、被害の拡大を防ぐ為には、結界内で戦うしか方法がない。
だが、あれだけの巨体を転倒させるのは、あまりに非現実的だった。
それは誰の目にも明らかだったが、ミレイユの方から指摘する。
「その方法が無い以上、立ち上がる前に攻撃し、転倒させるしかない。……とはいえ、封じ込められたとしても、やはり再び起き上がろうとするだろう。その時、結界に掛かる負担は更に大きい筈だ」
「……ですね」ルチアが首肯して顔を向ける。「五分も保てば奇跡と思って下さい。実際には三分、あるいにはそれ以下かもしれません。どちらにしろ、結界の展開と同時に倒すくらいの気持ちでいて欲しいですが……」
「努力はするが、保障は無理だ。――何しろ、一筋縄ではいかない事など分かり切ってる」
ミレイユは細く息を吐き、未だ心配そうな顔を向けて来るルチアへ微笑みかけた。
「だが、何とかする。必ず、再び、結界内へ閉じ込めてやる。――だからルチア、頼むぞ」
「はい、頼まれました。どうか無事で……。共に戦場に立てないのは悔しいですが、結界を頼みたいという気持ちも、よく分かりますから」
「うん、お前の気持ちを無下にするんだ、それだけの意味があったと安心させてやる」
ミレイユが頷くと、ルチアも毅然とした態度で頷く。
互いの気持ちが通じ合った事を理解すると、ミレイユの脇をすり抜け、咲桜から籠を受け取って奥宮へと駆けて行く。
多くの時間を大社の方で暮らしていたルチアだから、正確な場所など分からないだろうが、彼女の感知魔術は一流だ。
一千華の所在地を掴めば、勝手に行き着くだろう。
その様に思っていると、オミカゲ様が咲桜へと顔を向ける。
「これよりは、我らの守りはいらぬ。術士の守りへ入り、攻勢理術の支援へ向かえ。今の指揮官は先代の阿由葉だ。詳しくはそちらで指示を受けよ」
「畏まりました!」
咲桜が立ち去るのと入れ替わりに、ミレイユもアキラへと顔を向けた。
「聞いたとおりだ。お前も前線に出て、魔物の掃討に参加しろ。盾の役目を負っていても、動きについて来られないなら邪魔だ。――何せ、あの巨体だしな」
「は、はい! しかし、僕は師匠に……!」
「分かってる。だが、これ以上は話している時間が惜しい。最後の盾としての任があろうと、お前は私の動きに付いてこれない。それが事実だ」
『地均し』に接近攻撃を仕掛けるとなれば、まずあの巨体に張り付く必要があるし、その際に攻撃もあるだろう。
起き上がる事を許せば、頭付近まで駆け上がる必要だって出て来る。
守りたいと言う気概があろうと、ミレイユと同じ速度で付いて来られないなら、アキラの存在は全くの無意味だ。
それならば、自身の能力を活かせる戦場で武器を振るっていた方が良かった。
アキラは悔しそうに顔を歪ませたが、事実なのは間違いないので頷くしかない。
当然、アキラも粛々と指示に従うと思ったのに、即座の返事をしなかった。
顔を俯けたままで視線や表情は見えないが、単に悔しさに苛まれてるという様には見えない。
しかし、一刻を争う状況で、素直に従わないのは不愉快だった。
さっさと行け、と指を動かすと、アキラは勢いよく頭を下げ、腰を深く曲げた状態で声を上げる。
「ミレイユ様! どうかお側を離れる事、お許し頂けないでしょうか!」
「……話を聞いてたか? そう言ったろう、早く前線に行け」
「違います、そうじゃありません!」
一層声を張り上げて、アキラは顔を上げる。そこには一大決心を口にする、緊張した表情が浮かんでいた。
「兵数が足りてないのは明らかです! ですから、その、援軍を呼んだら如何かと、思った次第です!」
「お前から、そういう進言を受けたのは初めてだな……」
自分の立場や周りの有能さを見れば、一歩引くしかなかった、という部分はあったろう。
誰もアキラの助言など必要としない、と低く見ていた訳でなく、大抵はミレイユが自分で判断するし、ユミルが微に入り細を穿つといった指摘もするものだ。
殊更、アキラの意見を必要としていなかった、というものもあるだろう。
そもそも知能派といえる程、賢い訳でもない。
何気ない疑問を口にする事はあっても、戦闘や作戦に寄与する進言をする事はなかったのだ。
だが、アキラが口にした援軍、というものに、ミレイユが全く当たりをつけなかった訳ではない。
テオも必要なら呼べ、と言っていた。
借りを返すだけだから、と――。
だが、彼らも今は苦境の時で、一人として余分な人員はない筈だった。
そこから引き抜き、援助を頼む事に遠慮がある。
だが現在、危機的状況なのは確かで、ミレイユがやった事を思えば、多少の我儘は許されるかもしれなかった。
そこへオミカゲ様が一縷の希望を見出した視線を向けつつ、口を挟んでくる。
「つまり、エルフの兵を、まだ呼べると言う事で良いのか?」
「……そうとばかりも限らないが。なにしろ、彼らも今は救助作業している筈で、相応の疲労もあるだろう。万全な戦力とは言えないし、数も多く用意できない筈だ」
「しかし、十や二十であろうと、とにかく数が増えれば……。エルフに戦士はおらんだろうから、あまり前線への負担は軽くしてやれんだろうが……」
「いや、森の民はエルフだけじゃない。獣人族など、前線向きの奴らだっている。……だが、高い身体能力を持つ彼らは、あの状況では便利使いされていた筈だ。疲労は、やはり多いだろう」
オミカゲ様は、ふむ、と頷いて前線へ視線を飛ばした。だが数秒と見つめる事なく、ミレイユへ視線を戻す。
「この際だ。呼べるというなら、呼んで欲しいものだな。例え十の増援であろうとも」
「ミレイユ様、呼べるというなら、人間も数に入れられると思います」
「オズロワーナは確かに攻め落とした。だがテオはまだ、その戦力や民意を掌握した訳ではないだろう。……望みは薄い」
重ねて否定しようとしたところに、アキラがまたも否定の声を上げた。
そして決意を込めた視線で、ミレイユの目を射抜く。
「確かに兵は無理かもしれません。でも、冒険者がいます。そちらに声を掛ければ……あるいは、助けに来てくれる人もいるだろう、と……!」
「かも、しれないな……」
「最低でも二人は動いてくれます。きっと、僕が誠心誠意頼めば! ……多分、ですけど」
全く当てに出来ないという気持ちで返事していたミレイユだが、アキラとチームを組んでいた二人の顔を思い出す。
アキラに対して強い執着を見せていた二人だから、確かにこれには希望が持てる。
だが、喧嘩別れとまでは言わないものの、気不味い別れ方をしていた筈だ。
謝り方一つ、要請の仕方一つで更に拗れてしまいそうだが、ここはアキラに頼んでみるしかない。
一人の戦力でも欲しいところで、アキラと同格の相手が援軍となるなら、それは確かに願ってもない。
「テオに援軍を頼む事を考慮しても、お前なら顔も知られているだろうから……。そうか、適任か」
「では……!」
「うん、お前に一任する。打って損のない手だ。テオや、……今も救助を待つ住人には済まないが、こちらの都合で助けてもらう」
「はい、その大任! 見事やり遂げて見せます!」
「頼むぞ」
ミレイユがそう声を掛ければ、アキラは俄然やる気を出して頭を下げた。
一礼した後、オミカゲ様にも深々と一礼した後、踵を返して颯爽と走り出す。
そうして、今もまだ開いたままの、エルフ兵が出て来た孔へと飛び込ん行った。
苦慮の場所へ更なる苦慮を押し付ける様な真似は出来ないと、遠慮心から援軍を思考から外していたが、こちらも世界の破滅に片足が入っている状態だ。
本来なら、もっと早く形振り構わず援助を頼んでも良い筈だった。
自分に出来る範囲を越えても、自分で事を成そうとする――。
ミレイユの悪い癖だ。
「だがこれで、もしかしたらという希望は繋がった。前線は彼らに任せ、援軍の到来に少しは期待しておこう」
「うむ。……では、我らは、あのデカブツをどうにかするとしようぞ」
言うや否や、オミカゲ様はミレイユの脇に腕を差し込んで持ち上げる。
そのまま自身も飛び上がると、今まさに腰を浮かそうとしている『地均し』へ、一直線に突っ込んで行った。
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