奮戦 その7

「破られた……!」

「――結界、再展開を急がせよ! 『地均し』を外に逃がすなッ!」


 オミカゲ様が背面へ向き直ると共に腕を一振りし、誰にとも無く指示を出す。

 傍に控えたままだった咲桜は、緊急の伝令役として残っていたので、その言葉で即座に反応する。

 彼女の顔は状況を理解して蒼白になっていたが、しかしそれだけが理由ではないのだと、続く言葉で理解した。


「お言葉ですがオミカゲ様、到底不可能と思われます! わたくしが皆様方の様子を見た時には、既に疲弊著しく、大半の者が理力を使い切って倒れておりました! 再度の展開は絶望的です!」

「ぐ……っ!」


 咲桜の反論は、オミカゲ様にも想定されていた事だったろう。

 だから言葉に窮しても、激高まではしていない。咲桜の指摘を正しいと理解しているから、一振りした腕の先で拳を握って震わせるだけだった。


 だが、このまま対策せずに傍観している事だけは出来ない。

 『地均し』はあれだけの巨体だから、周囲からの目撃を隠せるものではないし、そして高層建築が無い神宮の周りでは視線がよく通る。


 神宮周辺の土地では五階建てまでの建物しか存在しない為、あれが背筋を伸ばすだけで、さぞ目立つ事になるだろう。

 直立した高さは五百メートルを越えると予測できるし、どれほど遠くの者から見られるか想像も付かない。隠蔽は最早、不可能と考えるしかないだろう。


 被害も甚大になる筈だ。

 結界が解けた事で、見るも無惨だった奥宮の中庭は、以前の整った風景に戻ってしまっている。

 塀が破壊されようと、中庭がどれだけ抉れ、焼かれて損壊しようと、結界内で決着するなら戦闘後を考慮する必要がなかった。


 威厳もあり威儀もあり、歴史ある建物が破壊される事は、その歴史を侮辱されるに等しい行為だ。

 好きにさせる訳にはいかない、という気持ちが沸き上がるのは当然だが、それよりも重大な事がある。


 それは溢れ返った魔物どもが、周辺に飛び散る事だった。

 『地均し』の攻撃で生まれる被害も大変だが、それで神宮の塀が破壊されてしまう事も防がねばならない。


 魔物相手にどれ程高い塀も気休め程度にしかならないが、安易に出られる状況こそ作らせる訳にいかなかった。

 魔物が氾濫し、外の平和を蹂躙する事こそ、考慮せねばならなかった。


 だから、孔の数があれから増えていない事は、その中にあって歓迎できる材料だった。

 魔物も襲い掛かるアヴェリンや隊士達、そして精霊へ場当たり的に反撃しているだけで、統率されてはいない。


 付け入る隙は十分にあり、そして場当たり的に対応しているのは隊士達も同じだが、魔物と違ってより効率的な形へ修正しようという意志が見える。


 単に火の粉を払うだけに耽溺せず、より最適な運用へと切り替えようとしているのは、長年魔物と戦って来たからこそ出来る芸当だろう。

 それがこの絶望的な状況の中で、唯一救いになる材料だった。

 ミレイユは胸に手を当てながら、オミカゲ様へ窺う。


「どうする、魔物については、任せておいても良さそうだ。……二人でこのまま、『地均し』相手か……!?」

「……他に、あるまい……! 緊急事態故、近隣と言わず遠方の神社からも結界術士を要請しておった筈だから、その合流次第では結界の再展開もあり得るが……!」

「不確定要素に期待している場合じゃないだろ! 今ある戦力で――」


 そこまで言い掛け、ミレイユは戦場の一点、頼りになる味方の背中に目を留めた。

 被害を拡大させない為にも、結界の再展開、そして堅持は急務だ。


 あそこまでの長時間、維持できていたのは間違いなく一千華の奮闘あってのもので、そして近いレベルの事がルチアには出来る。

 頼みの綱を探すというなら、今ここに彼女を置いて他にいなかった。


「ルチア! お前は結界を再展開する為、奥へ入ってくれ!」

「ちょっと待ってください!」


 いつもなら即座に頷いて動くだろうルチアが、意に反して攻撃の手を止めて詰め寄って来た。


「私を貴女の傍から離すんですか? この場、この状況、孔から湧き出る魔物の対処もあって、私を貴女から離すと……!?」

「そうだ、そうして貰うしかない。現段階で、どちらに重きを置くかを考えると……そして誰に可能か考えると、他に手がないと思う。……分かってくれ』

「……分かります。分かりますけど、心配です」


 ルチアが言ったとおり、実に案じる表情でミレイユを見つめてきて、思わず苦笑して頬を擦る。

 

「そんなに酷い顔をしているか?」

「顔というより、身体の方です。私が傍を離れたら、誰が怪我した時の貴女を助けられますか。自分で高度な治癒術を、今も問題なく使えますか?」


 咄嗟に返事をする事が出来ず、ミレイユは一瞬言葉に詰まる。

 今のミレイユに、治癒術に限らず高度な魔術の使用は困難だった。時間を掛けて使うなら、可能だと断言できる。

 戦闘中でも黙って立ってる場合に限っては、問題なく使えるだろう。


 だが、傷を負えば集中力も乱れるし、それを継続する事も難しくなる。

 ミレイユが持つ魔力耐性は、攻勢魔術と治癒魔術を分け隔てなく遮断するから、敵の攻撃にだけ都合良く耐性が働く、という事にはならない。


 だから傷を受けた時、自分で治癒できなければ他人に頼るしないのだが、隊士の能力では力不足だった。

 ルチア並の魔力がなければ治癒出来るものではないのだが、それを傍から離すというなら、ミレイユの命が脅かされるという事だ。


 だから、普段なら一もなく頷くルチアが、ここで頑強に否定している。

 誰もが死ぬ覚悟を持ってやって来たのは間違いないが、みすみす不安の種を作るのも嫌だ、という主張も理解できる。


 だが、覚悟を見せるというなら、ミレイユもまた別け隔てなく見せるしかないのだ。

 ミレイユはルチアの目を、じっと見つめて切なく笑ってやる。

 困ったような笑いには、ルチアも困ったような笑みを浮かべ、根負けしたように頷いた。


「……分かりました。行きます。でも、自分で何ともならないと思ったら、素直に助けを求めて下さいね。貴女って、我慢すればするだけ偉いと思ってるふしありますから……」

「……そんなつもりはないが、分かった。自分の身に余る時は、素直に助けを求める」

「それと……」


 まだあるのか、と困った顔で、眉根を更に八の字をさせると、ルチアは首を横に振って笑った。


「結界の再展開は分かりました。でも、流石に一人では無理ですよ。可能であったとしても、紙と変わらない耐久力しか作れません。展開させるのに使用する魔力の無駄にしかなりませんから、補助要員は絶対に必要です」

「それは、今も来ている……かもしれない、って話だが……」

「でも、アテに出来ないんですよね? 例の回復させる箱詰め、あれってもう無いんですか?」


 残念ながら、と首を横に振って否定する。


「それは先程、最後の一つを私が使った。ユミルの水薬が残っているなら、それを使うのも……いや、時間が掛かり過ぎるか」

「えぇ、どうしても即効性に欠けますし……。それだけ待つ時間が、果たしてあるものか……。それなら、いつ来るか分からない増援を待つのと、殆ど変わりませんよ。箱詰めを全て使ってしまったのは、あの激戦を思えば当然ですが……」

「――あっ!」


 ルチアが憂う表情で沈んだ声を出した時、咲桜から素っ頓狂な声が上がった。

 そこに全員の視線が集中し、口元へ上品に手を当てていた咲桜が、恐縮した素振りで首を横に振る。

 些細な思い付きに過ぎないと、忘れて欲しいとでも言うように頭を下げた。


 本当に些細な何かであるにしろ、希望があるなら訊いておきたい。

 本人にとっては些細と思えるものでも、あるいはミレイユ達ならそれを上手く利用してやれるかもしれなかった。

 だから、それを聞き出そうとしたのだが、ミレイユより早くオミカゲ様が問う。


「何か思い付いたか。――良い。些細な事でも申してみよ」

「は、承知しました、オミカゲ様!」咲桜はオミカゲ様に一礼して続ける。「もしかしたら、という話でしかありませんが、箱詰め理力が残されている可能性があります」

「……真か? それは幾つ?」

「籠に入るだけの数ですから、十は下らないかと……」

「つまり、手付かずの籠が残されているかもしれないと、そう言いたいのか?」

「然様でございます!」


 咲桜は更に一礼――先程より深い角度の礼――をして、引き攣った声音で弁明を始めた。


「先程、蔵まで取りに戻るよう言われた時、言葉どおりにしか捉えて行動できず、申し訳ございません! 今も手付かず籠が残されていた可能性があり、それならば真っ先に確認へ向かうべきでした!」

「なるほど……、あい分かった。戦場を経験しておらぬ者に、常に冷静で一切の不備なしを求められるものではなかろう。……して、その籠は何処ぞにある」

「時間は掛かりません。直ちに確認し、もしも残っていれば持参いたします!」

「良かろう。急げよ」

「はいっ! 御前失礼いたします!」


 一礼するや否や、咲桜は矢の様な速さで走り去って行く。

 神宮お付きの女官として理力制御を修めているから、本気で走れば相応に速かった。思わず目で追ってしまったが、その様な場合ではない。


 ミレイユは改めてルチアへ向き直り、今は咲桜の反応待ちだと目配せする。

 やけに静かなユミルはどうしているかと目で探すと、既に前線へ飛び出してアヴェリンの背後に付き、互いをフォローしながら戦っていた。


 状況を俯瞰して見る事が出来、何を言わずとも最も適した動きをしてくれる彼女だから、それが非常に頼もしい。

 ユミルに命じる時、適当に上手くやれと言う事が多いのは、まさにああして現状に合わせて最適な行動を勝手に取ってくれるからだ。


 自分の攻撃が通じるかどうか不明な『地均し』には早々に見切りを付け、確実に貢献できる魔物の掃討に参加したようだ。


 そして実際、アヴェリンと背中合わせに戦える戦士というのは、この場では見つけられない。

 単純にそれだけの力量が足りない、というのではなく、アヴェリンの行動を阻害する事なくフォローするには年季が足りないのだ。


 戦士としての能力なら、アヴェリンに全く敵わないユミルだが、長いこと一緒にいたからこそ癖もまた良く知っている。

 数を相手にする以上、ユミルのフォローは助かる筈だ。


 しかし、当然ながらユミル一人が参戦したからと、それだけで状況は好転しない。

 お陰でアヴェリンはより攻撃的に動くことが出来るようになったし、それ故に更なる戦力増強となったが、劣勢には依然変わりなかった。

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