楽しい遊び場 その3
そこには倒れ伏した男達が地面に転がっていた。
日もろくに差さぬ路地裏、そこで氷の壁に阻まれている。逃げぬことも儘ならぬ中、立ち向かうしかないと判断しても、歯向かうというには相手の力量は甚大だった。
男の一人は腕を捻り上げられ、苦悶に顔を歪めている。
うつ伏せに倒れ、背中を踏まれて身動きが出来ない状態で、腕だけ捻り上げられているのだ。
「あ、ぐ、がぁぁぁ!!」
それ以上腕が上がらないにも関わらず、万力のような力で徐々に上へ上へと押し上げられていく。
悲鳴も嘆願も意味はなかった。それをすれば相手を喜ばすだけなのだと、とうに知れていた。
その元凶となる女は楽しそうに声を上げながら、また少し力を込めていく。
「ほらほら、頑張って抵抗なさいな。楽しませてくれる約束でしょ?」
「あぁ、うぐっ! あぁぁぁああ!!」
「痛みのせいで返事も出来ない? でも、それって怠慢じゃない? 楽しませるつもりがあるなら、返事ぐらい出来るでしょ」
女が更に力を込める。みちみち、と筋が切れるような音が聞こえた。
「あ、あぁぁッ!! はい、はい、はいィィィ!!」
「折れる心配してる? 大丈夫よ、上手くやれば、外れるだけで済むから。入れる時は痛いけど、安静にしておけば三日で元通りよ。優しいでしょ?」
男が何事かの返事をしようと声を出す。意味のある言葉ではなかったが、とにかく必死で、ただ痛みから逃れようと、その思いだけで声を出していた。
その口から笑い声が漏れる。女性らしく可愛らしい声だった。
腕からは相変わらず続く異音、相変わらず増し続ける痛み、視界が白味始めた時――。
腕が壊された。
外れたのではない、折れたと分かったのは、思わず目を向けた肩先から鋭く尖った骨が肉を裂いて突き出ていたからだ。
「あ、あがぁぁ! ほね! お、おれッ!!」
「ゴメンね、僕ちゃん。力加減、間違っちゃったわ。もうママのスカートの裾、握れないわねぇ?」
楽しそうな声と共に腕が開放される。
痛みで悶絶し、とにかくこの痛みから逃れたくて身をもがく。目から鼻から液体を垂れ流し、口の端からも血の混じった涎が垂れた。
そうしている内に、無事なもう片方の腕を握られた。
ハッとしたのも束の間、背中を踏まれた足の圧が強まる。そしてまた、腕が捻り上げられた。その腕をどうするつもりか、想像したくなくとも分かってしまう。
「や、やめ! やめで! やめでぐだざいッ!!」
「イヤよ。だって他の子、気絶しちゃってるでしょ? 腕を捻り上げても呻き声しか出ないじゃない」
「う、あう、うぁあああ!」
「あぁ、それとも……」
女は腕を離して身を屈める。
背中への圧は強まり息も苦しかったが、痛みはマシになった。
女は屈んだままに男へ顔を寄せ、真横から楽しそうな笑みを覗き見せる。
「アンタ、他の誰か起こしてみる? 目を覚まさせたら許してあげるわよ。自分か、他の誰か、選びなさいな」
言うだけ言って、身を離す。背中の圧力も消えて、息も楽になった。そろりと肩越しに窺うと、腕を組んでニヤニヤと笑う黒髪の美女がいた。
顎をしゃくって見せる方向には、倒れ伏した仲間達がいる。それぞれ昏倒し、白目を剥いたりしているが、命に別状はなさそうだった。
泣きながら懇願しても、許してくれないのは分かっている。それでも懇願せずにはいられなかった。
――どうして、こんなことに。
「ゆじで、ゆるじで、くだざい……ッ! どうか……ッ、どうか……!!」
「あー、それはつまり……他の誰も選ばないって意味でいいの?」
「う、うぅ、あぐぅ……!」
涙で顔をグチャグチャにしながら首を振る。
薄情と言われても、もう一度あの痛みを味わうのは嫌だった。もう一本の腕も散々いたぶった上で折られるかもしれない。それで満足しなければ、今度は足かもしれない。
この女は狂っている。他の女も、誰も彼も止めやしない。全員狂っている。
這いずるように手近な誰かに近寄り、肩を揺すり、腹を押し込み、頭を乱暴に掴む。
しかし、白目を剥いた男は反応を示さない。くぐもった声を上げるだけで、それ以上の反応は返さなかった。
「なぁ! なぁって!!」
尚も揺するが、反応は返ってこない。
別の男に狙いを変えても、やはり反応はなく、力なく身体が跳ねるばかり。
そこにあの女が心底可笑しそうに声を上げた。
「アッハハハハ!」
「おい! だのむ! だのむよ……ッ!」
男達全員の肩を揺すり、乱暴に顔を殴り、髪が千切れるほどに頭を振り回しても、誰一人目を覚まさない。
そこに上から声が掛かった。
「誰も起きないわねぇ。……じゃあ、続き、しましょうか」
片腕が動かせず、体力も残らない中、簡単に転ばされて地面に顔を擦った。口の中に土が入るが、構わず片手で起き上がろうともがく。しかし、逃げる間もなく背中を押し潰され、すぐに身動きできなくなった。
そして、いとも簡単に無事な片腕を捻り上げられる。
「い、いやっ、やべで! やべでぇぇえ!!」
「あら、可愛い声だすじゃない。まるで女の子みたいよ」
「は、はい、ハイッ! ハイィィィッ!!」
とにかく必死に首を動かす。返事をしなければ痛みが来ると知っているからだ。涙を流した部分に土汚れがつき、口の中に土の味が広がっても、返事と首の動きは止められない。
「いい返事ねぇ。お礼に痛くないよう、腕の関節外してあげましょうねぇ」
「い、いや、やめでぇぇぇえ!」
「んー……。やっぱり、ちょっと痛いかも」
「ぁぁぁああああ!!」
身体が上下に激しく動く。痛みに耐え兼ね、痙攣のように細かく、だが激しい動きだった。
背中の圧は一切変わらず、だから逃げ出すことも出来ず、足は悪戯に空を切るばかり。
「アッハハハハ、ハッハハハハ!」
頭上から聞こえる女の笑い声が余りに恐ろしい。悪魔がいるとすれば、間違いなくこの女だ。
悪魔が、鬼が、この世の悪がいる。
オミカゲ様、お救いください! どうか鬼を退治して下さい!
精一杯の信心を込めて、痛みの合間に祈りを捧げる。必死の願いも虚しく痛みは増し、女の声は強まっていくばかり。
そして――。
「……わぉ」
ルチアの間抜けな声が辺りに響いた。
男のズボン、その股間部分から湯気が立って濡れそばっていく。
アキラは路地裏に倒れて、壁際に一直線に並んだ男達を哀れな眼をして見つめていた。時折、びくんと跳ねては呻き声を上げる男達を、心底同情しながら見据えている。
ルチアが男の一人を小突いた後は一瞬だった。
氷の壁に阻まれて逃げ場を失くした男達をルチア達が一掃した――そう思っていたのだが、気づけばアキラの前には壁一面に昏倒した男達が並んでいた。
「これ、どうなってるんですか」
「強めの催眠よ。今頃、夢の中でいっぱい酷い目に遭ってるか、いっぱい良い思いをしているか、どちらかね」
「催眠? いつから? 僕も掛けられていたんですか?」
催眠と言えば、コンビニの時のユミルを思い出す。わざわざ自分の目を合わせて催眠にかけていた。女性店員には首根っこ捕まえてまで自分の目を合わせていたと思う。
しかしアキラはユミルの後ろにいたし、ユミルは後ろを振り返ったりもしなかった。
「ちょっと錬金術で作った薬剤をね、空気に散布して使ったの。甘い匂いを感じてたら、それもう催眠状態に入ってるわよ」
言われて気付く。
路地裏に入って男達に囲まれた後、辺りには甘い匂いがしていた。特に気にしていなかったが、その時にはもう術中に掛かっていたのか。
「ほらね、穏便に済ませる事だって出来るのよ、アタシは」
「うん。なかなか見事だった。時折お前は有能さを見せるな」
「いつも有能でしょ? おふざけが過ぎるだけで」
「自覚があるのが、尚タチが悪いな」
ミレイユが喉の奥で笑っていると、ルチアが何とも言えない顔で男の頭を乱暴に小突く。
「下着の替え、ちゃんと用意してるといいんですけど」
「してる筈ないと思います」
アキラが同情を禁じえない声音で顔を背けた。
そして気づけばミレイユの椅子がない。あれも催眠だったのか、それとも既に消しただけなのか……。そこまで考えて別にどちらでもいいか、と思い直す。
ここで寝ている男達は何が起こったか分からないまま目を覚ますだろうし、催眠中の出来事を覚えているのなら――いっぱい酷い目に遭うという言を信じるなら――もうきっと、寄って来ないだろう。
ミレイユが気を取り直した声を出して、全員を促した。
「さ、余計な小石を蹴り飛ばしたところで、飯でも行くか。……まだ少し早いかな」
「小石……、いや、そうなんでしょうし、そうとしか思えない扱いでしたけど……。なんて憐れな……」
路地裏の狭い空を見上げながら、さっさと歩き出してしまったミレイユの背を、他の面々が後に続く。
アキラも最後に男達を一瞥し、小走りになってそれらの背に続いた。
路地裏から表通りに出て喧騒の中を歩いていると、右隣にアヴェリンが着く。その反対、左隣にユミルが着いたのを確認すると、どちらへも顔を向けずに平坦な声で問う。
「関係あると思うか?」
「ないでしょうねぇ」
「やはりか。接触するには、あまりにタイミングが早すぎると思ったが……」
「何かを施術された痕跡もなし。つまり、単に偶然近くを通った男が、女を引っ掛けようとしただけなんでしょ」
ユミルの判断に、声には出さず同意して首肯する。
ミレイユは表情も声音も変えず、ただ視線のみを外に向けて、重ねて問うた。
「だが、そうだとしても見ていた者は居た筈だ。その者たちの目には警告として映っただろう。今はそれでいい」
「そう。……ま、アタシは退屈しなければ何でもいいけど」
そう言って笑い、肩を竦めるのを視界の端に映した時、正面に大きな交差点が見えてきた。スクランブル交差点という程に大きなものでもなかったが、十字路しか知らないアヴェリン達からすれば、余程複雑に見えただろう。
驚愕というより困惑の度合いが強い表情で、横断歩道を歩く者を見つめている。
「これ、どうなってるんです。何で皆、平然と歩いていられるんですか」
「あれとか何で途中で信号があるワケ? つまり途中立ち止まる必要があるってコト?」
「道路が長いせいですかねぇ。立ち往生する人が出た場合の避難先、とか?」
「ははぁ……」
感心したように道路の設計に見入る三人に、ミレイユは前方に見えるビルを指差す。
他にも大きなビルが並ぶ一角だけに影になって見えにくいが、それとなしに伝わればいいと思うので、気にせず声を掛けた。
「あそこに見えるデパートに行ってみよう。興味深いものが一つのビルで纏まっているし、腹が減れば飯を食える場所もあるだろう」
「いいわね、見てみたいわ」
他にも賛同する声を聞きながら、ミレイユは帽子のツバを少しばかり上げて空を仰ぎ見る。
日は高くなり始め、中天に差し掛かろうとしていた。雲の姿は見えなくなり、ギラつくような暑さを肌に伝えてくる。
「それに、中に入れば涼む事も出来るだろう。手早く移動して、落ち着くとしよう」
「大いに賛成です」
暑さに弱い訳ではないアヴェリンも、これには声を出して同意した。
あちらに比べると、日本の湿度は随分高い。少し日差しがあると、日差しの熱以上に気温の高さを感じるのだ。始めてそれを味わうアヴェリン達は、その洗礼を受けつつあった。
後ろに続くアキラやルチアからも同様の声を聞いて、ミレイユ達は急ぎデパートまで足を進めた。
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