楽しい遊び場 その4
そしていざ、そのデパートに辿り着くと、入り口付近だというのに、アヴェリン達は固まってしまった。
無理もないと言えるだろう。彼女たちが目にした事のある、最も大きな商業施設は田舎のファッションセンターだった。今はそれと比較にならない大きさのフロアが、多くの商品と共に眼前を支配している。
天からは隙間なく敷き詰めてあるかのような照明が店内をあまねく照らし、地には多くの服が所狭しと並んでいる。一階入り口は婦人服売り場のようで、正面から見える範囲以外にも、壁際に目を移せば化粧品売り場や靴売り場などが目に入る。
そして極めつけは、ともすれば寒いとすら感じる冷房だった。
入った瞬間にひやりと肌を撫で付け、そして快適に感じる清潔感に満ちている。魔術で同じことをしようと思えば、同じ結果を出すのに何十人の魔術師が必要となるか分からない。
呆然とし、あるいは愕然とすらしている者たちを、ミレイユは腕を取って入り口付近から移動させる。
端によったアヴェリンたちを迷惑そうな目をして横を通り過ぎていく傍ら、その美貌に嫉妬するような羨望するような顔をして去っていく。
アキラの方に目を向ければ、困ったような苦笑が返ってきた。
警戒するように、あるいは索敵でもしているかのように厳しい目を向けるアヴェリンに、ミレイユはその腕を叩いて意識を向かせる。
アヴェリンは一瞬ミレイユに目を向けた後、警戒を怠らないまま睥睨した。
「ミレイ様……、これがデパートですか。恐ろしい物の数です。これだけの数を揃えるのに、一体何年の月日を使うものか……」
更に視線を動かし、エスカレーターで目を留める。
「それにあの階段……。常に蠢いて人を運ぶとは……、恐ろしいものの片鱗を見た気分です」
「蠢くとは随分な言い草だが。そうだな、驚く気持ちもよく分かるが、これは一階部分だ。まだ他にもフロアはある」
「これで全てではない? あの蠢く階段は何かと思っておりましたが……、あの先に何かがあると?」
「興味惹かれるけど、その前に、あっちの奥がどうなってるか見ていたいわね」
茫然自失から帰って来たユミルが、フロアの奥を指差しながら言った。
何があるか分からないが、フロア構成を見る限り、女性のファッションに関係する何かだろう。ユミルは特別女性的な見た目に感心がある方ではなかったと記憶しているが、見たいというなら止める気もない。
アキラの顔が引き攣っているのは、男性として女性に混じりながらこのフロアを歩くのは遠慮したいからだろうが、解説役が必要になった時の為に、開放するつもりもなかった。
ミレイユはユミルに頷き、アキラに向かって顎をしゃくった。
「では、行ってみようか。……ルチア、いつまで固まってるんだ。着いてこい」
「は、はいっ。ちょっと待って下さい……!」
そうして全員を連れてフロアをぐるりと回ってみたのだが、結局は代わり映えのない光景を目にすることになった。化粧品と一口に言ってもメーカーも多種多様にあるもので、入り口から見えた範囲から足を伸ばしても、他のメーカーの化粧品コーナーが並んでいるようなものだった。
ユミルも興味深くはあるようだが、店の中に入って物色しようとはしていない。
アヴェリンは何一つ興味が惹かれないようで、変わらずミレイユの横を維持して周囲の警戒に勤しんでいる。
そんな中、ミレイユがつい足を止めてしまったのは、化粧品入り口に掲げられたポスターを思わず見入ったからだった。
ピンク色のルージュを引いて、淑やかに微笑む姿をアヴェリンに重ねて、こういう化粧をしたら似合うのではないかと思った。
同時に、そういう女っ気をまるで出さないアヴェリンは、絶対につけないだろうな、と独白した。
そうして足を止めたのが、僅か数秒であったとしても、ミレイユが止まればアヴェリンも止まる。そうして二人が止まれば全員が止まるのは必然だった。
店員が接客中でこちらに意識が向いていなかったのは僥倖だった。顔面指数の高い一団がいれば、声を掛けずにはいられなかったろう。
アヴェリンが怪訝な声で尋ねてきた。
「ミレイ様、どうされました」
「……いや、ああいう風に口紅を着けたら、お前はどうなるかと思っただけだ」
「ベニ、ですか……」
アヴェリンもミレイユが見ていたポスターを見つめ、それから困ったように笑った。
「そういったものには、全く疎くて……」
「疎いっていうか、したコトないんじゃない?」
「馬鹿を言うな、化粧くらいしたことはある」
「戦化粧はナシよ」
「う、むぅ……」
ユミルの容赦ない追撃に言葉に窮すると、アキラが首を傾げてミレイユに聞いてくる。
「戦化粧って何ですか? 普通の化粧と何が違うんです?」
「現代で使うような、潤いを保つとか、より綺麗に見せるとか、そういうものとは全く別物だ。肌を青く塗ったり緑に塗ったり、そして掌の形そのままを顔面や身体の見えやすい場所に白や赤など目立つ色で貼り付ける」
「え、何ですか、それ……」
アキラが思わず身を引いたのを見て、ミレイユは苦笑した。
「つまり威嚇だとか戦意高揚に使う為の化粧だ。戦場に出る前に、戦士を彩る。だから戦化粧と呼ぶ」
「ああ、なるほど……。師匠は生粋の戦士ですもんね。でも勿体ないな、化粧したら絶対綺麗ですよ。モデルにだってなれるかも」
「あら、アタシ達にはそういう言葉かけてくれないの?」
ユミルがシナを作ってアキラに歩み寄ろうとするのを見て、アキラは咄嗟にミレイユの後ろに隠れた。
「いえ、別に。そういうつもりで言った訳じゃないので……」
「そういう時は、嘘でも言葉を掛けるものよ。……まったく、駄目な子ねぇ」
呆れを存分に含んだ溜め息を吐いて、ユミルは両手を腰に当てた。そして周囲をぐるりと見渡す。
「ま、なかなか面白いけど、今は別にいいかしらね。色を使って楽しむのは、もっと余裕が出てからでいいもの」
「よく理解してくれているようで何よりだ。レストランのあるフロアは、上の方の階だろう。一階ずつ上がりながら、少し各フロアを覗いてみよう」
ミレイユが促してエスカレーターのある方へと進む。
そちらへまたゾロゾロと引き連れて、目的の前で止まり背後に振り返る。他の客もエスカレーターに順次乗っていくのを目で追っているのを確認すると、先に行くよう促す。
ルチアがエスカレーターが迫り出して来る部分を、まるで悍ましいものでも見るように覗き込みながら言った。
「これ、本当に乗るんですか……」
「怖いものじゃないぞ」
「それは分かってますよ。他の人も乗ってますし……、でも慣れもいると思うんですよね」
「あら、じゃあまず慣れてるっぽいアキラに行って貰えばいいじゃない。それならアンタも安心でしょ」
ルチアは眉に皺を寄せてユミルとアキラを見比べ、そしてもう一度エスカレーターに顔を向ける。再び振り返って見せた顔には、眉の皺が更に深く刻まれていた。
ミレイユはその眉を揉んで伸ばしてやりながら、その細い肩を掴む。
「言い合ってる場合か。いいから行くぞ」
「えっ、あ!? ちょっとミレイさん、まだ心の準備が――!?」
「いらないから。ほら、飛び乗れ」
促しながら足を伸ばし、エスカレーターの一段に乗って見せて、ルチアにも同じようにさせようとした。しかしルチアは足は乗せたものの、もう片方の足を残したままになっている。
当然、エスカレーターは乗せた足を容赦なく上へ持ち上げて行くので、ルチアの足はどんどん開かれていく事になる。
「あ、ああぁ!? 足が持ってかれます!」
「当たり前だろ、ほら」
ミレイユが強めに手を引っ張り、エスカレーターに無理矢理乗せると、心底安堵したような顔でミレイユに抱きつく。
一定の速度で昇っていく中で、下からユミルの爆笑する声が聞こえた。
それを恨めしそうにルチアは見つめる。
「ひどいです……。まるで悪魔のアギトですよ。そうです、これは悪魔のアギトと名付けましょう」
「エスカレーターだ、エスカレーター。もう名前は決まってる」
言いながら二階へ辿り着こうとしたところで、そうだ、とミレイユは声を上げた。
昇りが終わって平行に動くのが見えてくると、それを指差して注意を促す。
「上手いこと飛び移らないと、そのまま足を飲み込まれるからな」
「ちょっと、やっぱり悪魔のアギトじゃないですか! なんでそんな危険物に乗せるんです!?」
「……楽だから、かな」
「楽の為なら命も惜しくないとでも!? この世界やっぱり可笑しいですよ!」
やっぱりとは聞き捨てならないが、ルチアなりにこの世界は思う所があったらしい。喚きながらも迫ってくる終わりに、ルチアは身を固くした。ミレイユの腕を掴んで離れず、その掴む力が増していく。
次々と階段が飲み込まれていく様を、顔を青くしながら見つめている。ミレイユが一歩先じて飛び移って見せると、同じようにひょうと飛び移って安堵した息を漏らした。
ルチアは降りたエスカレーターを気まずい調子で見つめる。
下から迫り上がってくるユミルの顔が見えてきた。そこには嫌らしいニヤニヤとした笑みが浮かんでいた。
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