楽しい遊び場 その5
「面白い光景だったわねぇ」
「うるさいですよ。いいじゃないですか、別に」
ルチアが拗ねたように口先を尖らせ外を向く。その表情と態度に気を良くしたユミルは、最初から散漫だった足元への注意を怠った。そして、それ故に悲劇が生まれた。
ユミルはエスカレーターの下り口に爪先を引っ掛け、盛大に前のめりにすっ転ぶ。
「よっし、さすが悪魔のアギト!」
ルチアが喜色を満面に浮かべて、両手を上に突き上げる。
しかしユミルも然したるもので、頭から落ちそうになるところを片手で受け止めた。一瞬の均衡の後、そのまま上手に慣性を移動させ、くるりと回転して足から着地する。
そのまま平然とした顔でミレイユの傍までやってくると、腕を組んで続いてやってくるアキラ達を待つ構えを見せた。
「いや、なに平然とした顔してるんですか。コケましたよね? いまコケてましたよね?」
「……は? 何が? 言ってる意味が全然分かんない」
「下手な誤魔化しは通じませんよ! しっかり見てましたからね!」
「いやぁ、分からないわねぇ。全っ然、言ってる意味分かんないわぁ」
「それが下手だって言ってるんですよ!」
ミレイユの横でぎゃあぎゃあと言い合いを始めた二人を放って置いて、やけに来るのが遅い二人を待つ。てっきりユミルのすぐ後ろに二人が着いてくると思っていたのだが、何かあったのだろうか。
そう思ったのも束の間、すぐにアヴェリンの頭が見えてくる。両手をサイドにあるゴムの手摺り部分に乗せて、余裕の表情を覗かせている。
何事もなかったか、と思ったのもその一瞬で、昇り部分が終わるや否や、その足元が妙な事に気がついた。
「え、あれ……」
「足、着いてなくない?」
そう、アヴェリンは両手で体重を支え、足をエスカレーターに乗せていなかったのだ。短い時間とはいえ、平行棒のように手摺りを使って微動だにして見せないのは感心するが、エスカレーターとはそういう乗り物ではない。
そしてゴムベルトの終わり際はその階段と同様、ずっと掴んでもいられない。
どうするつもりかと伺っている間に、肩を沈めて身体も少し屈めると、体重を感じさせないふわりとした動きで下り口より少し離れた場所に着地した。
肩と腕の力だけで、足を使わずエスカレーターを乗り切ったのだ。力の掛け方も絶妙で、エスカレーターに余計な圧力が掛かっていない。
力任せに同じことを行えば、アヴェリンの膂力からして破壊してしまっていただろう。
ある意味で感心していると、その更に下から気まずい顔をしたアキラがやって来る。こちらは当然慣れたもので、何の造作もなく、何の捻りもなく、ごく普通に降りてくる。
「ていうか、今の何ですか。絶対ズルいですよ」
「何がだ。不正とでも言うつもりか? 動く階段の乗り方など不調法だったものでな」
「いや、不調法とかそういうレベルじゃないでしょ。明らかに足着けるの怖がってたじゃないの!」
ユミルが唾を飛ばして指摘すると、アヴェリンは不快に眉を顰めて見下すように鼻を鳴らした。
「私が怖がる? 馬鹿を言うな、私はなにものも恐れない」
「はぁぁあ? じゃあ悪魔のアギトに足を着けて立ち向かって下さいよ!」
次いでルチアが、次々と階段を飲み込んでいくエスカレーターの下り口を、何度も指差しながら言う。だが、そのルチアが使った呼び名に、敏感に反応したのはユミルだった。
「え、ちょっと、何その物騒な名前。これ、そんな名前だったの?」
「降り方を間違えると、足持ってかれるらしいですよ……」
「嘘でしょ!?」
ユミルは慌てた様子でミレイユに向き直る。
どう答えたものか迷ったが、何か面白い勘違いをしているようなので、敢えて訂正せずに頷いてやる。
途端にユミルは青い顔してエスカレーターを見つめ、アヴェリンは得意顔になって髪を掻き上げた。
「ならば、私の乗り方が最も正しい事にならないか。こんな事で足を失うなど、馬鹿のする事だ」
「楽をする為に足を失うとか、意味分からないですしねぇ……」
「こっちの世界の住人は、ホント馬鹿ね」
それぞれが可笑しな結論に達しつつあるところで、最後にユミルが吐き捨てるように言った。
そこに恐る恐るという風に、アキラが横から声を掛けてきた。
「あの、いいんですか、あのまま誤解させたままで……。ひどい思い違いをしていますけど」
「もうしばらく、ああいう馬鹿やってる姿を見ていたい」
表情を一切変えずに言うその無慈悲な返答に、アキラは口元をヒクつかせる。
彼の考えは何となく理解できる。何かあったら、それを自分のせいにされると思っている顔だ。彼女たちはミレイユに強いことを言えなくとも、アキラになら幾らでも理不尽になれる。
そして、その考えは正解だった。
「二階は紳士服売り場がメインのようだな。他にも時計など身を着飾る物もあるようだが、ここのフロアは通り過ぎてもいいだろう。このまま上の階に行く」
すぐ傍にある案内板を指差し説明する。それぞれから同意する首肯が返ってきて、更にエスカレーターに乗ることになった。
ミレイユが先頭になって乗り、続く者たちを階上で待つことにした。
「さて……」
そそくさと一人で降りて、皆を待つ。通行の邪魔にならないようにしつつ、正面付近で待ち構えた。
すると、アヴェリンを先頭にして、ルチア、ユミルの順にエスカレーターを昇ってくる。
総じて全員、真顔なのが可笑しかった。
手摺りのゴムベルトへ突っ張るように両腕を張り、足を階段に着けずに昇ってくる。
まるで微動だにしないが、動くことが不調法だとでも思っているかのような有様で、ミレイユは吹き出すのを堪えるのに大変な労力を使う事になった。
帽子のツバを下げ、体ごと顔を背けて大きく息を吐く。
吐いた息が震えて、口元がだらし無く歪みそうになる。油断すると、このまま大声を上げて笑ってしまいそうだった。
これからは見ないようにしようと心に誓いながら、あくまで顔を下に向けて帽子で隠したまま、皆を迎える。
「三階は何だったかな……」
「アンタ、何で声、震えてるの?」
案内板に目をやったミレイユに、いつの間にか降りていたユミルが横から覗き込んでくる。
それを無視して案内板を無心で見つめた。内容は頭に入ってこない。ただひたすら笑いに繋がらないよう、視線を一つに固定して見つめる事に集中した。
「まぁ、いいけど。……ほら、あれ」
ユミルの淡白な台詞と共に指を向けられるままに顔を動かすと、そこには両腕を突っ張る姿勢のまま、真顔で足をクロスさせて、こちらを見つめるルチアが居た。
「――ぶふぉッ!」
ミレイユはついに吹き出して、声を出して笑い出した。
そんなミレイユを横から小突きながら、ユミルが恨みがましい声で言う。
「アキラが全部吐いたわよ。安全装置とやらが働いて、足を飲み込んだりしないそうじゃない。よくもオモチャにしてくれたわね」
「何が悪魔のアギトですか、馬鹿らしい」
それを言い出したのはルチアの筈だが、笑い声を抑えようと必死なミレイユに弁解できる余裕はない。ルチアまで小突くのに参加しだして、恨み声を横から囁く。
「これはもう、ちょっとやそっとじゃ許されませんからね」
「事あるごとに、エスカレーターに乗るポーズ見せるわよ」
「分かった……! 分かったから……っ!」
笑いを堪らえようと必死なミレイユに、その両脇から小突く二人。
アヴェリンは複雑そうにその様子を見ていたが、結局止めるような事はしなかった。むしろ、楽しそうに笑いを堪えるミレイユに安堵するような顔を見せる。
助けを求めようと手を伸ばして、しかしそれをユミルに妨害された。何が何でも、という程ではなかったので成すがままにされてしまう。
そこから数歩離れたところでは、アキラが他人の振りして商品を見ている振りをしていた。ミレイユ達の様子を遠巻きに見ている客たちに、同じ仲間だと思われたくなかったから、というのは明白だった。
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