楽しい遊び場 その6

 たっぷりと一生分は笑った気分で、ミレイユは大きく溜め息をついた。

 腹筋を擦りながら帽子のツバを下げ、改めて三階の案内板に向き直る。

 他の二人も流石に溜飲を下げたようで、大人しくミレイユの後ろに付き従っていた。

 三階は家電製品をメインに取り扱っているようで、既にフロアの奥から眩い光が放たれているのが見て取れる。ここから見える範囲では、冷蔵庫やエアコンなどが壁際に並んでいるのが確認でき、箱庭に持ち込んでも意味のない商品ばかりだ。


 ここも見送っていいかと思って背後を振り返ってみると、そこにルチアとユミルの姿がない。

 簡単に左右へ視線を巡らせても見つからなかったので、手近にいたアヴェリンに聞いてみると、困ったような表情で返答があった。


「……二人はどこに行った?」

「あそこに」


 アヴェリンの指し示した方向には、柱の陰になって見え辛かったものの、二人の後ろ姿が確認できる。店先にズラリと並んだ商品を熱心に見つめては、互いに意見を出し合っている。

 その商品が何か目に入って、ミレイユは頭が痛くなるような思いがした。

 二人がしている表情の具合からして、あの場から引き離すのは簡単に行きそうもない。


 かといってそのまま放置していく訳にもいかず、ミレイユは渋々二人の元へ向かう。

 二人の後ろに立つと、その会話が僅かに聞こえてくる。既に二人の中では購入する事が決定していて、後はどのデザインにするかというところまで来ているようだ。


「やっぱり色は暗色系がいいと思うんですよ」

「分かるけどねぇ。でも目立つ色の方が、外で使うとき見栄えが良くない?」

「……何をしてるんだ?」


 後ろから声を掛けると、振り向いたルチアが満面の笑みを浮かべる。商品の一つを手に取って、掲げるようにミレイユに見せてきた。


「これですよ、私達にも必要ですよね!」


 ルチアが見せて来たのはスマホだった。

 デザインに多少の違いはあっても見分けの付かないミレイユには、それが何の機種なのかまで分からないが、しかしそれが必要ない事は分かる。

 ミレイユはルチアからスマホを取り上げると、元の場所に戻した。


「これは必要ない。別のフロアに移動するぞ」

「何でですか! 絶対必要ですって! だって欲しいですもん!」

「欲しいは理由にならん。子供かお前は」

「でも便利でしょ、これ。アキラの部屋にあったタブ……なんちゃらよりも、ずっと小型なのに同じこと出来るんだから」

「便利なのは分かってる。別に意地悪で言ってる訳じゃないんだよ」


 ミレイユは難しい顔をして顔を背けた。

 購入するだけなら出来るだろうが、外でも使えるようにするとなると携帯会社との契約が必要になってくる。それはつまり身分証明証が必要になるということで、ミレイユ達に用意するのは不可能だ。


 アキラの部屋の中だけなら問題なく使えるだろうが、普段の憩いの場が箱庭の中である事を考えると、やはり無用の長物と化す。かといって、アキラの部屋を溜まり場にするのは気が引ける。


 学校に行って部屋にいない間なら好きにしていい、と本人が言ったにしても、スマホには時間を溶かす魔力がある。

 一度ソシャゲの存在を知り――知らずに済むことは不可能だろうが――それで遊ぶ事に慣れると、アキラがいる時間帯であろうと部屋の中に居座る光景が容易に想像できる。


 アキラとて年頃の男性なのだ。

 彼女らのような、ミレイユさえ時として見惚れてしまうような女性が傍に居て、心休まる時間が過ごせるとは思えない。ここは心を鬼にして反対しなければならない。


「それは部屋の外では使えないからだ。使えるようにする手続きが行えない。部屋の中で使うだけに留めても、別に無料タダで使える訳でもないしな」

「でもですよ、部屋の中だけでも使えるなら有用ではないですか。これは調べたいと思えば何でも出てくる、叡智の箱ですよ」

「知恵は時に扱いに気を使わねば牙を剥く。知恵とは自らを高みへ押し上げるが、高みにあればこそ足を踏み外し落ちるものだ。低く平坦な場所にいれば、そんな目に遭わずに済むというのに」

「でも馬鹿なままではいられないでしょう? それは性分が許さないわ。見ること知ること感じることから逃げることは出来ないの。アンタだって、それは良く知っているでしょ?」


 ユミルもスマホを手に持って弄りながら、ルチアの助力に入った。

 こうなると話が長くなる。説き伏せるのは容易ではなく、そして二人はまず諦める姿勢を見せていない。これが菓子や玩具程度なら、多少渋る程度で許容したろうが、何しろ要求はエスカレートするだろうと予測が立つ。

 かといって、頭ごなしに拒否すれば禍根を残すだろう。

 更に難しい顔で押し黙ったミレイユに、畳み掛けるようにユミルが口を出した。


「エスカレーターの件、挽回するならココしかないと思うけど」

「む……」

「私の方が絶対欲しいですし。このままだと、アキラの部屋にある方を奪うことになりますよ」


 急に自分へ飛び火したと見て、遠くから見守ることをやめたアキラが、慌てた様子で三人の中に入ってきた。


「いや、ちょっと、何で急にそういう事になるんですか。やめて下さいよ……!」

「困るのなら、アキラ……お前が説得しろ」

「えぇ!? ミレイユ様がどうにかして下さいよ、なんで僕が!」

「スマホを手に入れたら、どうせお前の部屋のどれかを占領される事になるからだ」

「なぜ!?」

「電気も電波も箱庭には無いもの、届かないものだからだ。使う事に慣れれば、早晩居着かれることになる」


 それだけ言って、ミレイユは踵を返してアヴェリンの隣に立つ。どうせ言う事を聞かないと匙を投げた形だが、その結果一番の被害を被るのはアキラだ。それを防ぎたいなら、アキラが自分で説得する他ない。


「……よろしいので?」

「よろしくはない。よろしくはないが、どうせさっきの件で私に二人の説得は無理だし、アキラに期待しよう。貧乏くじを引くのはアキラとて嫌な筈だ。必死になってどうにか言い包めるだろう」

「出来るとは思えませんが……」

「それは私にも分かってる。だが結果としてアイツの部屋を占領されるなら、その過程から関わっている方がいい」

「敢えて言わせていただきますが……ひどい詭弁です」

「自覚してる」


 ミレイユは壁際によって背を預け、腕を組んで三人の様子を見守ることにした。見守るというよりは完全に傍観なのだが、アヴェリンも気の毒そうな顔をして追従してくる。


 店員すら遠巻きにする三人の言い合いを、白熱するまま放置した事は申し訳なく思う。

 だが、こういう時の為に用意したのがアキラなのだ。

 今こそ役立つ時だと念じながら、ミレイユは最終的な結論がどうなるか、半ば予想しながら見つめていた。




 遠くに置いてある家電を見るともなく見て、まだ話し合いは終わらないのかと、他人事のように思っていたら、どうやら漸く話はついたようだ。

 二人が和気藹々とした口調で近付いてくるのを感じて、ミレイユは顔を向ける。それぞれが手に何かが入った袋を持ち、満足げな表情をしている二人がいた。


 アキラは当然というかやはりというか、げんなりとした表情で後を着いてきていた。

 ミレイユは二人が下げている、メーカーのロゴがついた紙袋を指差して尋ねる。


「それ、どうしたんだ」

「買いました!」

「買った……、何を?」

「これよ、これ!」


 ユミルが自慢げに袋から取り出した箱には、表面に綺羅びやかな色彩で、未来感の詰まったスマホが印刷されていた。

 ミレイユは愕然とした気持ちでそれを見つめる。


「……もう、スマホを買ったのか?」

「いやこれ、結構いいものらしいんですよ。なんと景色を写し取れる機能まである上に、しかも動きまで鮮明に……」

「それは標準装備で、どれにでも付いているものなんだよ」


 得意顔で解説しようとしたルチアに、ミレイユが訂正を入れる。尚も箱を掲げて満面の笑みを浮かべる様が憎らしい。

 それにそもそも、アキラは説得が無理にしても、一足飛びに購入させるとはどういう事か。


 ミレイユは恨みがましい目でアキラを見つめ、指先をちょいちょいと動かして近くへ呼んだ。アキラも何を言われるのか予想がつくのだろう、嫌そうな顔を隠そうともせず、しかし素直に近付いてくる。


「なぁ、アキラ。どうして、ああなった?」

「いえ、それがどうにも説得は難しく……」

「それは分かってる。どうせ押し切られるとは思っていたしな。……だが、それでどうして一足飛びに購入なんてところまで行ってるのかと聞いているんだ」


 現金をルチアから取り上げていれば良かったか。今更ながら考えたが、それも後の祭り。それよりもアキラの私生活が、彼女らに侵蝕されてしまう方が憐れに思う。


「そんな簡単に諦めていいのか。――いや、もう時既に遅しだが、部屋を奪われて我が物顔で過ごされるんだぞ?」

「いえ、そこのところは大丈夫らしいです」

「……何故そう言える?」

「何でも、ミレイユ様の協力があれば解決する問題らしくて」


 そんな話は一切聞いていないし、何を想定しているかも不明だった。

 ミレイユは嫌な予感がしながら、しかし聞かない訳にもいかず、とりあえずアキラを下がらせた。そして二人に目を合わせ、近づくように手招きする。

 二人は互いに箱を見せあいながら、笑みを浮かべて近付いてくる。こちらが口を開く前に、ルチアが口を開いた。


「ほら、見て下さい、これ。一世代前の品だって言ってたんですけど、去年の秋のモデルなんですって。去年の秋に作られたものが、もう古いもの扱いするなんて、ちょっと可笑しいですよね」

「時間の進み方が違うのかしらねぇ。もうちょっと悠長でいいと思うのよ。でもお陰で、なんと二人合わせて五万程度よ」

「……ほぅ」

「ね? 金貨五枚でしょ? 叡智の箱を使えるなら、その倍でも足りないくらいだわ。百倍でも良かったかも。これぞ賢い買い物ってものよねぇ。即決で買って、まさに正解って感じ」

「それは何よりだったな」

「でしょ?」


 ミレイユからの冷静な返答に、二人は気を良くして饒舌に語りだす。

 実際、ミレイユは怒ってはいなかった。値段を聞いた時も高いとは思わなかった。今後の生活における娯楽を持つのは推奨していた事だし、のめり込む事は懸念材料だが、そこは良く言い含めれば聞かない二人ではない。


 ただ、生活費を大きく削られた事にこそ怒りを覚えていた。今後の収入を、まだ考えて行かねばならない時だからこそ、支出についてはよく考えねばならない。

 その事はユミルもよく理解していると思っていた。化粧品売り場での発言がそれを裏付けている。だから、買わされる事になるにしても、今この場で買うとは言わないという思いが根底にあった。


「しかし五万か。決して安い買い物じゃないが」

「そこはご安心を。私がまた細工品を作りますよ。そしたらまた同額近い稼ぎを出せる訳ですから……そうだ、その時はまたミレイさんにも助言を貰って――」

「同じ手段は使えないから、それは駄目だ」


 ミレイユがきっぱりと否定すると、ルチアは固まって隣のユミルを見た。ユミルはそれを想定していたようで、納得した顔つきで頷きつつも、口元には苦い笑みを浮かべている。


「え、やっぱり、あれですか……。顔を知られたからですか」

「それも理由の一つに挙げてもいいが、一番の理由はあの場所はもう見張られているからだ。敵の縄張りに、罠があるかも知れないと窺いながら出入りするのは得策じゃない」

「まぁ、そうなるわよねぇ。前回は便宜を図ったのだから、今度はこちらの願いを、と言われないとも限らないし」

「違法取り引きをしたのはあちらも同じだから、何かあれば道連れだろうが……。敵の――今は暫定的に敵としておくが、敵の出方が分かるまで、あそこからは遠ざかった方がいい」


 ミレイユが神妙に持論を展開すると、ユミルは同意を持って頷く。

 二人が納得ずくであると見るや、ルチアは明らかに狼狽した様子で手元を見つめた。


「えっ、じゃあ、これからまた収入の目処を立てるところから考えないといけないんですか!? これ買っちゃいましたけど!?」

「それ単品で見ると、別に高い買い物じゃないのは事実なんだろう。安いものを探せば、それの半額以下で見つかるとも思うが」

「そ、そうなんですか!? ユミルさん、貴女ちょっと! 今すぐ買うなんて言うから!」

「だって欲しかったし……。ルチアも欲しがってたし」


 目を逸らして紙袋にスマホの入った箱を袋にしまう。奪われないよう、それを後ろ手に隠した。


「貴女がまた細工品を作ればいいって言うから買ったんですよ! それが出来ないって知ってたんですね……!?」

「まぁ、予想では……でも、あくまで予想だしね、あくまで」

「それ、何割の予想だったんですか」

「……九割かしらね。あ、いや、六割。だいたい六割で」

「遅いってんですよ。――九割!? 私は九割の負けに賭けさせられたんですか!?」


 ルチアが胸ぐらを掴む勢いで言い募るが、ユミルはあくまで顔を逸して知らぬふりを決め込む。

 ミレイユはそれを制して二人の間に割って入った。


「それはいい。今後のやりくりでどうにか出来るし、どうにかする。それより、私の協力でどうこうとアキラに言ったらしいな。どういう意味だ」

「ああ、いや、あっちは完全な詭弁。この場をどうにか乗り切れば、その後はどうにでもなるし」

「……アイツも不憫だな」


 つまり完全に口から出任せで言った事だったのか、と納得する。

 まぁ、そうだろう。ミレイユに任せようというのに一つも相談がないとなると、それはミレイユのみならずアヴェリンの怒りも買う。下手をすれば戦闘に発展するような事に、この二人が結託してやるとは思えなかった。


「単に利用するんじゃなくて、受け取るならお前たちからも何か与えろ。それは金銭でもいいし、戦闘に役立つ何かでもいい。物品でも知識でも、過剰にならない相応の値を付けた何かをな」

「んー……、まぁ、そうね。それって最近与えてる水薬を数に入れてもいいの?」

「そうだな。それも含んでいいだろう。これから長く付き合う間柄になるかは不明だが、貸しが多くなることだけ避ければそれでいい」

「分かりました、そういうことなら。魔物の知識について伝授っていう話は最初からありましたけど、でもその辺って値に変換するの難しいですよね」


 斜め上に視線を向けて首を傾げるルチアに、ミレイユは同意する。


「それは確かにな。さじ加減は任せる。お前自身の誇りに反しない形で上手くやれ」

「なかなか難しいこと言いますね……」


 悩ましい顔で考え込んでしまったルチアを連れて、アキラとアヴェリンの待つ元へ戻る。この場で使った時間も、なかなか大きいものになってしまった。

 既に昼は過ぎ、腹の空き具合も大きくなってきた。

 ミレイユは案内板を受けから順に眺め、レストランのフロアが六階にあることを確認すると、皆を引き連れエスカレーターに向かい、その直前で振り向いた。


「これから食事にする。上の方にあるようだから行ってみよう。食事処といっても、店の数がそこそこあるようだ」

「それは楽しみです」


 アヴェリンがにこやかに頷いて、次いでエスカレーターに顔を向けて一筋の汗を流す。ミレイユの隣に立って先頭付近にいたものだから、まずアヴェリンを乗せようと考えたのだが、その足が僅かに震えている。

 表情自体は冷静そのものに見える事には感心させられるが、足先をそろりと向けたところで、ミレイユは冷徹な声で指摘した。


「普通に乗れよ」

「分かっております」


 気丈に振る舞いながら足を乗せ、不自然なまでに流麗な動きで乗り込み、ほっと息を吐くと自慢げな表情で振り返って来た。ミレイユは帽子のツバを少し上げてアヴェリンと視線を合わせ、少しの笑みを見せて被り直す。

 それから順次エスカレーターへと乗り込み、目的の階へと向かった。

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