常識 その3

 一つ大きな問題が片付いた思いで肩の力を抜いたのだが、よくよく考えると、別に何一つ問題は解決していない。

 既に何かが終わった雰囲気の中で、これを切り出すのは勇気が必要だった。


 それにしても、とユミルはルチアに顔を向ける。


「マナのこと、よく知ってたわね」

「エルフ族には伝わっている話ですから。まだ若芽のわたしでも、それぐらいは知ってるわけでして」


 ユミルは現状、当時を知る唯一の存在だから当然として、エルフもかつて支配者層の一角だった。かつての興廃を知ればこそ、教訓として伝わっていてもおかしくなかった。


「雑談に興じてる場合か。話が壮大に脱線しただけで、当初の問題は何一つ終わってないのだぞ」


 アヴェリンが言った事は、まさしくミレイユが戻そうとしていた話題だった。どう切り出したものか迷っていたので、正直有り難かった。


「そうはいうけど、でも実際ちょっと良かったでしょ? 改めて気持ちを伝えられて了承を得られて。アンタも忠義の尽くし甲斐があるってもんでしょうが」

「そうだな。それを思えば胸が熱くなる。――が、それとこれとは別の話だ」

「お堅いわねぇ。……アタシなんてもう、何もかも終わった気分よ。今日はもう寝たっていいぐらいだわ」


 疲れたような顔色を見せつつ、その表情には笑顔を見せるユミルだが、それに対する三人の反応は実に冷ややかだった。


「起きたばかりだろう、馬鹿者」

「それは早すぎるのでは。馬鹿なんですか?」

「流石にそれは許可できん。起きてろ、馬鹿」

「――ちょっと、何でいきなり謎の連携見せるのよ。やめなさいよ、そういうの!」


 肩を震わせ、ついには吹き出したミレイユを皮切りに、全員が口を開けて笑う。


「あっはっは、良かったな、今の!」

「ふふふ、何であんなこと言ったんですかね?」

「分からんが、何故か息が合ったな。……ふふっ、こういうのもたまにはいいな」

「……あっそ。ほぉんと、楽しそうで何よりよ」


 笑い合う三人と明らかに空気の違うユミルは、半眼になって頬杖を突く。

 一人だけ除け者にされたユミルとしては当然面白くない。口の形は笑みを浮かべているが、その発達した犬歯の隙間から息を吐き出し、不満をあらわにしている。


「それでぇ……? 可愛子ちゃんにぃ、説明するのぉ……?」


 ユミルの不満は留まることを知らず、頬杖に段々とより掛かって身体が斜めに倒れていく。流石に哀れに――気まずくなったミレイユが、その肩に手を置き上体を起こしてやる。


「ほら、悪かったから機嫌を直せ。これからアキラの機嫌も取らんといけないのに、これ以上面倒な事やってられるか」


 態勢の戻ったユミルが再び傾く。


「機嫌? 何であの子の機嫌を取る必要あるワケ?」

「最初の話に戻すと――、アイツに金を出させなきゃならない。気持ちよく出せるようにしたいだろ」

「……する必要あるかしらね?」


 ある、とミレイユは頷く。

 元日本人の小市民としては、金を借りるという行為に後ろめたさがある。これは出す方も借りる方も感じる忌避感だ。貸す方が慣れていると言うならまだしも、今回のような特殊なケースだと、それはもう一入ひとしおだろう。


 理解を示さないのは誰もが同じようなものだったが、特に顕著なのがアヴェリンだった。

 というより、弱肉強食が染み付いている彼女だからこそ、理解できないと言った方が正しい。ミレイユとの旅で弱者に寄り添う気持ちを育んで来たが、それでもまだ理解の不足は大きかった。


「……ですが、何の為に?」

「何の為、というほど明確な理由がある訳ではない。私が、そうしたいからだ」

「――では、そうしましょう」


 アヴェリンは即座に頷いた。

 理解を放棄した返事だったが、ミレイユもまた言った通り明確な答えは持ってないし、また明解な言葉で説明も出来ない。

 案外簡単に、気にせず貸してくれる可能性を考えたが、頼るものもない一人暮らしでその金銭感覚は致命的だろう。少しでもまともな性格をしていれば、安易に金の貸し借りには応じまい。


「男の機嫌をくすぐる方法など心得ています。お任せください」


 アヴェリンが自信満々に言うのを見て、ユミルは明らかな興味を示した。傾いていた身体を戻して、いつもの人を食った笑みを浮かべる。


「なに、アンタ。男を転がすやり方、知ってるの?」

「転がす……? 転ばす方法など、幾らでもあるではないか」


 ユミルは発言に不安を感じて眉根を寄せた。


「だからつまり、男を機嫌よく気持ちよくさせてやる方法よ」

「勿論だ、そう言ったろう? 男なんて単純なもの、どんな奴でも大体同じだ。いつも満足させてきた」

「へぇ……! そう! ちょっと意外じゃない! そうなの、アンタ。自信あるのね!」

「あるとも。あの年頃の男など、考えてる事は大して変わらん。いつだって欲するものは同じだろう」

「そうねぇ、同じよねぇ」


 ユミルの笑みは粘りつくような嫌らしい笑みに変わり、アヴェリンを上から下まで見つめる。

 アヴェリンも同意を得られ、得意顔になって頷いた。


「まぁ、任せておけ。昨日アイツと外を歩いた時にな……」

「――時に?」


 ユミルは明らかに期待した顔つきで、椅子の背から身を起こした。


「遠くに林があるのを見つけた」

「はやし……?」

「上手くいけば見つけられるだろう。――そうと決まれば急がなくては。ミレイ様、失礼します」


 アヴェリンは椅子から立ち上がり自室へと下がっていく。

 それを三人が呆然とした目つきで見送る。


「え、なんですか、あの自信。任せて大丈夫なんですかね?」

「いやぁ、話を聞いている間は面白く感じたけど……。でも確かに、手慣れてる感じは出てたわよね?」

「いや待て。雲行きを怪しく感じるのは私だけか……?」


 ルチアとユミルが顔を見合わせ、ミレイユもまた頷いてアヴェリンが消えた方向を窺う。

 しばらく息を呑むように互いに目配せしていると、先程より物々しい装備に整えたアヴェリンが帰ってきた。


 それは鉄具を使われていない軽装の装備だった。

 上下は皮革を用いたもので、ベルトにさえ鉄は使われていない。本来ならベルトを通す穴にローブらしきもので結んで止めている。肩から腰にかけては獣の毛皮があって山師を連想させる作りだ。


「では、行ってまいります。遅くなりはしないと思いますが、夕方前には帰ってきます」


 言うだけ言って踵を返して邸宅から出ていくアヴェリンを、やはりユミルは呆然と見ていた。

 呆然というより理解できない行動に、ただ面食らって動きが止まっていただけかもしれない。

 そんなユミルに、アヴェリンが扉の取手に触れて、思い出したように振り返った。


「……ああ、そうだ。火を用意しておいてくれ」


 簡潔にそれだけ言うと、今度こそ出ていってしまう。

 ユミルは取り残されている二人に目配せしてから、身を乗り出して顔を近づけた。


「どういうコト? 火ってなに?」

「分かりません。……蝋燭の火、でいいんですか?」

「……ムチも用意した方がいいのかしら?」

「いきなりハードなプレイを要求してきますね」


 いよいよもって顔を顰めたミレイユが、敢えて誰も口にしなかった事を言う。


「誰もが何か勘違いしていないか? ユミルは元より、アヴェリンもまた大きな思い違いをしているような気がしてならない」

「いや、してますよ。絶対してますって」

「……追いかけるべきかしら?」

「よし、行くぞ」


 ミレイユが号令をかけて、全員が椅子から立ち上がる。

 ろくに準備もしていなかったユミルは、とりあえず着る物を取りに自室に戻り、ルチアはその後について髪の手入れなど手伝ってやる。

 慌ただしく準備を終えて、ミレイユは二人を伴い外に出た。

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