常識 その2

 ミレイユはかつての自分を思い返す。

 この世界に、一人の男として暮らしていた時の事を。そして、その暮らしの慰めとして遊んでいたゲームの事を。

 ゲームプレイ中、その設定で見たものの中に、次のような記述があった。


 昔はマナは世界に溢れていなかった。ごく一部の物質にのみ確認されるだけだったが、それが時と共に広がっていった。

 マナは次に一部の生命にまで含まれ、それが時と共に魔力と成し、遂には魔術を使える種族を生んだ。魔術を使える者と使えない者との格差が生まれ、支配者と奴隷という関係を作っていく。

 だが支配者の時代は永遠には続かず、あらゆる生命が魔力を持つようになると、奴隷たちは支配者を打ち倒した。

 そして奴隷は魔力の有無ではなく、今度はその強弱で特権階級を作り、また別の格差を生み出していく。この時代の強さとなる基準は個人的魔力の大小より、むしろ種族人口の多少へと変移した。更に時代が進むと、魔力もマナもあって当然の認識になっていくのだが、この支配者時代は、そうではなかった。

 マナが含まれていない鉄剣は、支配者には通じず、一方的に攻撃されていた。これは防いだのではなく、文字通りの意味で刃が立たなかったのだ。

 このマナを含んだ物質が世界に溢れるまで、支配者はマナ物質を独占したからこそ奴隷を支配できていた。マナは世界に溢れ続け、止まる事はなかった故に、ついには石さえ武器に変わった。

 支配が盤石で覆る事はないと高を括っていた者たちは、その傲慢さ故に木の枝で眼球を貫かれたという。


 そこまで思い出して、この世界に当てはめてみれば一目瞭然だ。

 包丁を持ち出したところで、最弱の魔物に対し皮一枚傷つける事は出来ない。


「戦えと言うのなら、武器の供給は絶対条件になる。それも、この世で恐らく、私達だけが持つ武器を」


 ルチアは神妙な顔つきで頷いた。


「これでご飯を少々頂いただけじゃ、割に合わないと馬鹿でも気付きますよ。だから、こちらに貸しを作ることでバランスを作らせないと……」

「武器を受け取らないだろうし、こちらとしても貸せるものではない、と……」

「ですね。まぁ正直、それでもこちらが貸す方が大きいと思うんですけど。でも他に、アキラさんが他に貸せるものありますか?」


 ――あるかもしれない。

 パソコン、スマホ、何かしらの情報媒体。この世界、この日本で、それらを持っているかどうかは大きなメリットになる。

 アキラ達がコンビニに買い出しに行った時、部屋の中を見て回った。その時パソコンとタブレットは確認できたから、いずれかの貸与でもいい。

 これ以外で学生の身で提供できる物など高が知れている。

 大体あまりに危険だと判断するなら、そもそも武器を与えず逃げることを選択させる。

 武器がなければ戦えないというなら、そうするしかないのだから。


「この説明は絶対に必要だな……。全くの盲点だった……。そうか、そもそも最初から逃げる選択肢しかなかったのか」

「焚き付けちゃった、アンタの責任でしょうねぇ」

「だが別に、まだ引き返せる問題だ。宣誓書や契約書で縛った約束でもないのだ、事情を説明すれば諦めるのではないか?」

「どうでしょう? 説得は可能かもしれませんが、でもただ逃げ続けるより対処を学びたいという姿勢は賞賛されるべきものでは?」


 ルチアがそう言えば、アヴェリンも考え込むように押し黙った。

 そして縋るようにミレイユに顔を向ける。


「こうなってはやはり、他人任せというのも問題があるのでは。我々のみが対処できるというのなら、我々もまた対処の義務があるかと」

「義理はあっても、義務はないだろう……」

「ですが、ここはミレイ様の故郷です。故郷の町を奴らに好き勝手させてやるおつもりですか? それはできません。故郷を守り戦うのは義務です。これは確かに法による義務ではありませんが、魂による義務なのです」


 アヴェリンは熱い視線を向け拳を握って熱弁する。

 しかし、その気持ちはアヴェリンだけのもので、他の者はむしろ冷ややかだった。

 ユミルは手を振って、それに口を挟む。


「アンタの言い分は理解できるけどね。それはアンタの部族にとっての見解でしょ? それに付き合ってやる必要あるかしら?」

「魂の故郷を持たぬからそう言えるのだ。生まれ死ぬ故郷を守る。そんな当然のことが分からないのか?」

「それ自体を否定したいんじゃないわよ。アンタは提言のつもりで、自分の気持ちを押し付けてるだけ。義理はあっても義務はないって言ったでしょ? それがこの子の気持ちなのよ」

「だが、なくなってから嘆くのでは遅い!」

「だから嘆くかどうか決めるのはアンタじゃないの。アンタとアンタの部族がそうだからって、この子も同じ気持ちだと決めつけるのはお止しなさいな」

「私はいつだってミレイ様の御心に寄り添っている! ミレイ様の御心の内は理解している! だからこそ言っているのだ!」

「分からない子ね。じゃあ義務はないなんて言葉出てこないでしょ? それこそが、その気はないって証拠じゃないの」


 言葉を交わすたび白熱する議論に、それを冷ややかに見ていたルチアが手を叩いて口を挟んだ。


「仲のお宜しい事で、たいへん結構ですね。でも、そろそろ御本人の意思を確認しませんか。――というか、何で本人はダンマリなんですか。何か言ってくださいよ」

「……もう少し、今のじゃれ合いを聞いていたがったが」

「貴女、いい性格してるって言われません?」

「たまにな」


 ミレイユは笑って見せて、アヴェリンたちへと向き直る。

 何を言おうかと言葉を探していると、先にユミルが口を開いた。


「アタシは祖先たちが痛みに耐えて手に入れたものを、何の躊躇もなく軽々と棄て去る連中を何度も見てきた。そんなの好きにしろと思う反面、愚かしい行いとも思う。でも一番大事なのはアンタ自身が決めるコト。後から悔いることのなく、納得できる選択をするといいわ」

「ユミル……」

「その上でアタシの退屈を吹き飛ばしてくれたら、言うことないんだけど」

「……台無しだろ」


 ミレイユは呆れ、半眼で呻くように言う。聞いていたルチアも同じような表情をしていた。

 その空気を断ち切るようにアヴェリンが姿勢を正し、ミレイユに向き直る。

 

「私は何も、ミレイ様に戦えと申し付けたい訳ではないのです。貴女は今まで、ずっとそうだった。自ら重荷を背負い、潰れず済むからと無理に歩いて来られた。ですが、もっと背を向けることを学ぶべきなのです。進んで重荷を背負う必要はありません」

「さっきと言ってるコトが違うじゃない」

「何も違わない」射抜くようにユミルを見てから、すぐに戻す。「――ですからミレイ様、私にお命じ下さい。自らの傍に現れる有象無象を悉く滅せよと。自らの物を損なおうとする者を許すなと。必ずや、私がご満足の行く結果を献上いたします」


 そこまで言って、アヴェリンは丁寧に頭を下げた。

 ミレイユは腕を組んで考え込む。目を瞑り、小さく息を吐いた。


 アヴェリンの言いたい事は分かる。彼女と同様故郷に思い入れはあれども、戦うまではしたくない。重荷を積極的に背負ってきたのは、この世界に帰ってくる為であって、帰ってきてからも同じように生きていくつもりは毛頭なかった。

 何なれば、再就職して適度に以前と同じ生活をしようと考えていたくらいだ。


 アヴェリンの言葉は魅力的ではある。

 自分は知らない、お前に任せると言って好きに過ごせばいい。彼女もそれを望んでいる。今まで背負った重荷の分だけ、今少し休息する期間があってもいいのだと、そう言いたいのだろう。

 休息の間は、自分が何とかすると。


 ミレイユは組んでいた腕を、ゆっくりと解いて目を開く。

 アヴェリンは礼の姿勢のまま黙して動かず、他の二人は緊張とは違う固い表情で待っていた。


「……まず、私のことを思ってくれた事に礼を言おう」


 ミレイユが話し始めたのを聞いて、アヴェリンが顔を上げた。


「私自身、そこまで自分が価値ある存在だと思っていないが……。それを口にすると、お前たちの敬意を蔑ろにしてしまうから止めておこう」

「それがいいわね。あまり自分を卑下してみせるものじゃないわ。それもまたアタシたちを侮辱する行為よ」

「……肝に銘じておく」


 頷きを返せば、ユミルは満足気に笑みを浮かべる。

 ミレイユはアヴェリンに向き直り、話を続けた。


「私は未だに迷う。自分の我儘に付き合わせて良いのか、お前たちの善意に甘えて良いのか」

「それでよろしいのです。私達は何もただ甘やかしたくて接している訳ではありません。闇雲に肯定したい訳でもない。ただ貴女の労苦と成し遂げて来た偉業を知ればこそ、敬意を払って報いを返したいと考えているのです」

「私たち、貴女に何度助けられてきたと思います? 何度死の淵を歩いて、その度に掬い上げられてきたと思います?」

「そりゃあ勿論、アタシたちだって相応に苦労してきたわよ。上に立つ者は、その労に報いのが義務だわ。でも、下にいる者にだって返したい恩というものがあるものよ。そして、そう思って貰える人間ってのはね、ドンと構えてるぐらいが丁度いいのよ」


 ユミルは一瞬、悲しそうな笑みを落とす。自嘲にも似た表情だった。もしかしたら、父親のことを思い出しているのかも知れない。

 それには気付かず、アヴェリンは続ける。


「私達が貴女を慕うのは、単に貴女が偉大だからでも、偉大な功績を残してきたからでもありません。それを成すまでに貴女が何をして来たか、それをこの目で見て知っているからです。なればこそ、貴女は私たちに――少なくとも私を、好きに命じる権利がある」


 アヴェリン、ルチア、ユミル、それぞれが思いを吐露して視線を向け合う。

 ミレイユはこれまで、ただ必死だっただけだった。必要だったから、言うなれば、その一言に尽きる。利用してきたという自覚もある。

 だが、これ程の思いを打ち明けられれば、受け取らないのも不義理になる。


 ミレイユは一つ息を吐いて、観念するかのように頷いた。


「お前たちの想いを受ける。よろしくやってくれ」

「――お任せ下さい、ミレイ様。ごゆるりと休息を楽しまれ、吉報をお待ち下さい」


 アヴェリンが代表し、背筋を正して礼をする。

 二人はそれに続くような真似こそしなかったが、晴れやかな笑顔を見せている。ユミルに至っては、世話の焼ける妹でも見るような目つきだった。

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