決戦の舞台 その4

 本来ならば、アヴェリンと共にエルクセスへと挑んだ方が良いというのは理解している。

 だが、あの魔力を開放させてはならない、という本能が理性を凌駕し、とにかく一撃加えるのが優先だと割り切って頭上へ跳んだ。


 名ばかりの飛行術は、こういう場面では非常に役立ち、初めてこの術が無駄でなかったと実感した。

 ミレイユの胸中を支配するのは、とにかくエルクセスがやっている制御を妨害すること。解き放たれてしまった後で、その術を止める事も封じる事も出来ないと理解していた。


 飛行術と同時に始めていた制御を、ここで開放する。

 『灼熱の新星』と呼ばれる最上級魔術で、まるで手の中に星が生まれたかのような灼熱の球が生まれる。片手で制御を始めていたが、完成に近付くにつれ制御が乱れ、両手で行わなくては暴発する危険性すら発した。


 幸い、飛行術は一度発動させれば後の制御は必要ない。

 ミレイユは即座に一つの魔術へ制御を集中し、そして同時に狙いをつける。

 この魔術は派手な爆発は起きないが、着弾した場所に高々温度の灼然が球となって、まるで超小型の恒星のように維持し続ける。炎に耐性のある敵であっても、その灼熱が対象を溶解させるまで維持するような代物だから、発動さえすれば勝算はあった。


「まったく……ッ!」


 だが、制御に集中する程、その魔力が箆角へと流れていくのを感じる。

 発動の妨害も発生しており、制御の綱引きが始まるような感覚だった。押し合いへし合い、集中し辛い中で完成させても、あの箆角がどれほどの魔力を吸収できるものか不明だ。

 もしかしたら全くの徒労に終わるかもしれないが、やらない訳にはいかなかった。


 そして、狙いは最初から頭や胴体ではない。

 どうせ避雷針の役目を持つ箆角が、放った魔術を吸い付けてしまう。それこそ、不自然な角度で曲がって向かってもミレイユは驚かない。


 初めからあの角が厄介なのは、分かっていた事だ。

 どうせ無理だと分かっていても、ここで賭けに出ない理由もなかった。


「くらえ……ッ!!」


 ミレイユは渾身の制御を練って、その頭上――箆角めがけて魔術を放つ。

 その放つ直前、エルクセスの視線がミレイユと交わる。その瞳の色には優越と、そして勝ち誇るような喜色が浮かんでいた。


 ――笑っていられるのも……!

 そう腹のうちで罵っていると、ミレイユの魔術を無視してエルクセスが準備していた魔術も解き放たれる。

 先に着弾したミレイユの『灼熱の新星』は、直径三メートル程の、赤よりも白に近い真球を作り出したが、即座に箆角へと吸収され、その魔力が葉脈のように角全体へと流れていった。


「ぐぅ……っ!!」


 ――足りなかったか。

 ミレイユは歯噛みしながらエルクセスを睨み付ける。

 ミレイユの魔術は間違いなく、その箆角へ多大な影響を与えた。吸収しようとした魔力は角全体へと伝わり、その魔力を分散させようとしているが、それも完全ではない。


 本来なら魔術の使用に変換させたりと、即座に利用するのだろうが、今は既に魔術を使用せんとする段階だ。だから吸収した量を即座に消費できず、膨張しようとしている。

 だが、破裂させるまでには至らないようだった。


 もしもルチアと同時に魔術を使えていたら――。

 それならば、今回のようなタイミングを狙えば……その時は箆角を破壊に成功し、そして続行される戦闘も有利に進めていけただろう。


 未だ飛行術の影響下のまま上昇を続けている中で、エルクセスの魔術が目の前で発動する。

 それは閃光に等しく、目の前が真っ白に染まり、何が起きたか理解できない。強烈な閃光は網膜が焼かれるかと思う程で、その直後に響いた轟音が、尚の事ミレイユの理解を困難にさせた。


 それはまるで落雷のように聞こえ、エルクセスが放とうとしていた魔術とは別物に思える。

 視界が利かず、さりとて極寒が肌を凍らせる事もなく、何が起きたか分からないまま上昇し、そして唐突に動きを止める。

 結界の天井にぶつかるには早すぎ、また不自然で、そして何より誰かに掴まれているような感覚が意味不明だった。


 一応、治癒術を瞼の上から当てながら目を開くと、気の所為ではなく、確かに誰かに掴まれている。それが誰かを確認するより前に、再びの落雷が耳元で鳴った。

 それと同時に何かが破壊される音が響き、そして大きな物が地面へと衝突する音も聞こえる。


 いい加減、何がどうなっているのか確認したくて、手の平で庇を作るようにして目を開くと、そこには箆角を破壊されているエルクセスがいた。

 角の根元から、その自慢の箆角がポッキリと折れてしまっている。

 何が起きたのかと思い、そして自分を空中で支えている誰かへと顔を向けると、そこには意外な人物が視界に映っていた。


「――オミカゲ、か。何故……」

「ここにいるのか? 元よりここが分水嶺、出向かぬ筈がなかろうよ」

「その割に随分と遅い登場だったが……。狙っていたのか?」

「いいや、女官や巫女たちを結界の維持と強化へと回し、そして集積しておいたマナを取り出すのに、少々時間を取られた」


 激戦に次ぐ激戦、それで消耗しない筈もなかった。元より隊士達にとっては格上との戦いを強いられる訳で、その消耗度合いも普段とは段違いだろう。

 そして、そういった場合に備えての蓄積というのなら、ここで使わない手はない。


「私に対抗する為に用意していたものだと思っていた。……そうも言っていたよな?」

「無論、対抗策の一つとして用意していたが、本来の用途はこちらである。最初から、そなたとは対話で納得してもらうつもりでおった故に。……これ程の規模になるとまでは、予想しておらなんだが」


 オミカゲ様は眼下へ視線を向けては、苦虫を噛み潰したかのように顔を顰めた。

 その気持ちは誰もが同意するところだろう。孔の拡大は常に大きくなる一方だったし、いずれの破綻は予測できていた事だ。しかし、それは常にあるような、鬼が十体未満出て来る事を予測されていたものであり、その差はあっても敵の強度が異なる程度だと思っていた。


 しかし蓋を開けてみれば、そこにあったのは地獄の始まりを示すような鬼の氾濫だった。

 この場合、何より重要なのは鬼を外へ逃さない事だ。周りは壁に囲まれているとはいえ、飛び越えて行けない高さではないし、鬼の種類によっては壁にすらならない。


 特に、あのエルクセスの出現も例外中の例外で、ミレイユの見通しでも結界が未だ破綻していないのは意外でしかなかった。

 だがそれが、オミカゲ様の助力あってものものだったとすれば納得できるものがあるし、そこで一段落ついたからこそ、こうして現場に出て来れるようになったのだろう。


 そうして、改めてエルクセスの頭部を見つめた。

 根本から何かが破裂したような、ささくれた後を残し、立派に広がる箆角はなくなってしまっている。何かが崩れ落ちたような音は、その角が地面に落ちた際に聞こえた衝撃音だったのだろう。

 今は無惨に割れた姿を晒している。


 誰かあと一手――ルチア並みの術者が放つ一撃さえあれば、と思っていたが、これがオミカゲ様であったのなら、確かに十分すぎる追撃となっていただろう。

 エルクセスが憎々しげにミレイユ達を睨み付けているのが、視界の中に映った。

 潰れた片目があるので、そちらを庇うように顔を背けているのだが、それがまるで人間らしい感情表現に見えて、ミレイユは小さく笑ってしまった。


「随分と余裕があるではないか。角がなくなれば、確かに大した相手でもあるまいが」

「そういう意味じゃなかったが……。というか、浮いているんだな」


 ミレイユは今更ながらに気が付いた。

 オミカゲ様に肩を抱かれ、足は宙に浮いている。気づかぬ方が不自然な状況だが、何しろ目の前にある角を失ったエルクセスのインパクトは大きかった。


「神の権能故にな、浮くことぐらい造作もない事よ。……とはいえ、雑談に興じている暇もない。我が愛し子、我が隊士達が鬼の数に圧殺されようとしておる。我はそちらを対処する故、引き続きエルクセスの相手をせよ」

「ああ、分かった。……抜かるなよ」

「誰に向かって申しておる」


 皮肉げに笑って、オミカゲ様は何の合図もなく手を離した。

 久しぶりの実戦だろうから、それを気遣うつもりで言ったのだが、どうも侮りに近い発言のように聞こえてしまったようだ。

 ぞんざいに手放されれば、ミレイユは自由落下するしかない。その先にエルクセスがいる訳でもないので、攻撃に移るにはひと手間が必要だ。


 落下している間に制御を練り込み、眼下の動きを見極める。

 そこでは既にアヴェリンが走り始めていて、一撃を加えようとエルクセスに向かっていた。それを『念動力』で捕まえて、エルクセスの顔面近くへ放り投げる。


 そうしながら、ミレイユは『落葉の陣』で着地し、その後を追うように駆け出した。自分自身に『念動力』を使えれば楽できそうに思うのだが、残念ながらそういう使い方は出来ない。


「ブフィィィンン!?」


 アヴェリンがエルクセスの鼻面を殴り、辺りに大きな悲鳴が鳴り響いた。

 その鼻からは大量の血が流れ出ているが、瞳から感じられる戦意には些かの陰りも見えない。落下を始めたアヴェリンに、首を振って弾き飛ばそうとするところを、またも『念動力』で捕まえ、回避させつつもう片方の眼に送った。


 意図を明確に察したアヴェリンが、その眼球目掛けてメイスを振り下ろせば、閉じた瞼に防がれるものの、またも大きく悲鳴を上げて顔を振り回す。

 ミレイユは『念動力』でエルクセスの長毛に掴まると、テコの原理で反動を利用しながら上に登っていく。そうして顔まで辿り着き、眼球付近の長毛を握りしめて、張り付いているアヴェリンと合流した。

 やはり念動力で回収して、アヴェリンを自らの傍に置く。


「無事そうだな」

「はい、お世話をお掛けしまして」

「もう片方も潰したか?」

「えぇ、手応えはありました」

「良くやった」


 簡潔に褒めると、アヴェリンは大きく顔を綻ばせようとして、即座に表情を引き締める。こくりと小さく頷き、続くミレイユの声を待つように姿勢を正した。

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