決戦の舞台 その3
殺意が塊となって襲い掛かる、それは錯覚や比喩表現ではないと、アキラはこのとき生まれて初めて知った。敵意と戦意、それを合わせたものを殺意と言うのだと思っていたのだが、実際に体験してみると全く別物だった。
吹き付けるような怒号と共に、何が何でも息の根を止めてやる、という感情の発露こそが殺意なのだ。実戦に出ていた経験から知っていたつもりになっていたが、その本物の殺意に身を震わせそうになる。
だが、そこに結希乃から発せられる激励があった。
「臆するな! 敵は多い、だが統率された集団ではない! ただ前進し、目に付く者を攻撃したいだけだ! 戦うのは自分一人ではない、仲間を信じて武器を振るえ! 理力を高めて鬼にぶつけろ! それで勝てる!!」
実際はそう簡単なものではないだろう。
しかし、目先の出来る事だけ指示され、都合の良い未来を示されれば、それに縋りたくなるのも人間というものだった。
そして何より――。
「オミカゲ様もご照覧なされている! 今こそ、我らが武威を示すのだ! 悪鬼の尽くを殲滅せよ!!」
「ウォォォオオオ!!」
そう、ここは奥宮、オミカゲ様の住まいである。
ここで戦う隊士達の姿を、そのオミカゲ様が見ていない筈がない。
かつて、民を鬼から救う為、オミカゲ様は御自ら武器を手に取って戦っていたという。それを御由緒家が己が役割と定めて共に戦う事になり、そこへ神の血を引かない者達もまた助力するに至った。
鬼との戦いは千年にも及ぶ。江戸時代が訪れる頃には、既にオミカゲ様は御由緒家を、その矛と定め一線を退いた。
元よりオミカゲ様を守る盾としての側面が強かったが、それからは矛として第一線で戦うという役割を担う事になる。
御由緒家の歴史は戦いの歴史であり、そしてオミカゲ様の千年は鬼と戦う歴史でもある。
国を支え民を守護するという表の顔は、返せば鬼と闘争する裏の顔あってのものだった。
その闘争の歴史に類を見ない侵攻が、いま目の前で起こっている。それに注目していない筈がない。それはつまり、隊士達の動向も見守っていらっしゃるという事だ。
――不甲斐ない姿は見せられない。
アキラの心に炎が
アキラも、そしてこの場に立つどの隊士達も、オミカゲ様から見られていると察して奮起しない筈がないのだ。
特に御由緒家の何人かは、鬼の目的がオミカゲ様の簒奪だと聞かされている。
鬼が結界の外へ抜けたら何をするつもりか、そんな事は考えるまでもない。決して簡単にやられるとは思わないし、御子神様たるミレイユがあれ程の強さを見せるなら、オミカゲ様の御力も推し量れようというものだが、だからといって玉体への襲撃を許せるものではない。
――でも、ちょっと待てよ?
アキラの頭、その片隅に違和感を覚えて眉をひそめる。
何かがおかしいと思うのに、それが形を成してくれない。あの人を食った嫌な奴が言っていた台詞と、何か食い違う部分があったような……。
結局アキラは答えを見つけ出せず、目の前に集中する事にした。
何しろ今は襲撃を受けている真っ最中なのだ。その鬼に対し、意識を逸らすのは馬鹿のする事だ。オミカゲ様をお守りする為にも、気の紛れをしている時ではなかった。
そう思いながら、アキラは迫りくる鬼たちを見る。
鬼どもが隊士達を無視して、四方八方に散ろうとしないのは、何故だか不思議だと思う。知恵ある姿には見えないし、統率する個体らしきものも見えない。
だから逃げようとする者さえ現れるのは当然とも思うのだが、ミレイユ達へ向かうか、ルチア達へ向かうか、隊士達へ向かうかという動きが出来ている。
それがアキラにはどういう事か分からないが、理力ある者を標的にしているというのなら、むしろ願ってもない展開だ。元より、結界の外に出すつもりはなく、そしてこの場で食い止めるつもりでいる。最悪でも、この場に縫い止めておく必要があり、そしてそれが叶うなら役目を果たしていると言えた。
アキラは迫りくる鬼どもを見据える。
ルチアの操る氷嵐によって数を減らされ、そしてユミルが使役している悪霊が、鬼へと手を触れては昏倒させている。どういう効果によるものか、その手が触れるだけで崩れ落ちるように倒れる鬼は気絶しているだけなのか、それとも命を奪われているのかまでは分からない。
だが、その見るだけで生気を奪われそうな外見は、ひと撫でするだけで命を奪うと言われても信じてしまいそうだった。それなら、あの悪霊に近付きたがらないという鬼の行動にも頷ける。
もしかしたら、鬼はこちらに向かっているのではなく、悪霊から逃げているだけなのかもしれない。
蛇行するように作られた道へ、鬼どもが雪崩れ込む。
そこへ鋭く侑茉の声が響いた。
「第一、第二、――撃てぇ!!」
左右に作られたトーチカから、理術の炎が飛び出し着弾と共に爆発する。明らかに威力が高いと思われる火球は漣のものか。次いでまばらに撃たれたと思えた火球は、しかし続けて放たれたものが雨あられと降り注ぐ。
使用された理術の差によるものだったらしく、着弾した炎は弾けて周囲に炎を撒き散らす。
飛び火して自分のみならず、周囲の敵にまで燃え移り、それがさらに広がっていく。
進むにも逃げるにも困難な道、そこへ更なる理術の追撃が入った。
「第三、第四、撃てぇ!!」
再び侑茉の声が聞こえて、今度は氷の風が吹き荒ぶ。単に全員で同じ術を使用しているという訳ではなく、氷と風は別の理術らしかった。
それでルチアが使った理術を再現しようとしたようだが、どれほどの人数がいたかは不明でも、ルチア一人分の術と比肩するものは出来ていない。
そこからもルチアの非凡さが窺えるが、それでも隊士たちが放った理術は有効だった。
ろくに戦闘行動を取れない燃える敵は氷付き、炎に強い敵は、その急激な温度変化に堪えられず、やはりその身を氷像へと変じた。
それがまたバリケード代わりに機能し、後続の進行を鈍らせている。
鈍った足では悪霊に追い付かれ、そして触れられる事に抵抗もできず崩れ落ちていく。武器を悪霊に向かって振り回す鬼もいたが、そのどれもが有効打になっていなかった。
やはりそこは幽霊らしく、武器が素通りしてしまうらしい。
ミレイユが抜けた穴も、現状はどうにか補えている。
鬼の数は多いが、前進を愚直に続けようとする知恵の足りない戦法を取っている限り、このまま耐える事は出来そうだった。
ルチアやユミルによるフォローもある。
アキラたち近接部隊まで辿り着いても、まだそこから粘って見せるという気概もあった。今のところ前方を睨み付け、警戒を怠らないという構えしか出来ていないが、だからこそ戦場の奥でミレイユとヘラジカが戦う姿が良く見えた。
そこで気付く。
鈍色の箆角が眩く明滅し、何か巨大な力が渦巻くのを。
アキラが気づけたぐらいだから、他の誰にもそれが気づけただろう。箆角へと集中する力は、今にも解き放たれんと更に激しさを増し、そして鬼の攻勢もまた激しさを増した。
焼け爛れ、氷漬けにされた鬼を踏み潰し、あるいは殴り砕いて前進してくる。
中には明らかに盾として利用しながら進んでくるものもあった。奴らの瞳に理性の色はない。ただ前進し、誰かを殺そうと殺意を燃やして前進しているのだ。
外向理術による攻撃も継続して行われているものの、何しろ数の桁が違う。遠くに見える孔からは、今も鬼が落ちてきていた。時間が過ぎる程に孔自体が拡大し、鬼の強さも底を上げる。
ドラゴンと聞かされた、頭が竜なだけの大蛇もいて、それが後方に控えているせいで安心も出来ない。あれが何をするつもりでいるにしろ、いま行動に移さないのは鬼で通路が埋まっているせいだ。
それを倒さなければならないのは当然だが、倒せば次にはあれが突っ込んでくる。
アヴェリンでさえ簡単には倒せない相手だ。アキラ達にどうこう出来る相手とは思えない。アキラは歯噛みする思いで迫る鬼を睨み付け、結希乃の掛け声で我に返った。
「まず鬼の突進を受け止めろ! 支援班、足止め用の防壁を展開! 動きを止めた所で、逆突撃を加える! 衝突するより前に解除しろ!」
事前に聞いていた作戦通りの内容を、再度聞かされ刀を構えた。
忘れていた訳でもないが、こうして直前に言い直されれば考えも纏まるし安心できる。自分の行動一つで勝ち負けが決まるとは思わないが、些細のミスもしたくない状況なら、こうした指示は大変助かる。
実戦経験の少ない者達への配慮でもあるのかもしれない。
「構え! ――突撃ッ!!」
「ウォォォオオオ!!」
結希乃の号令と共に近接部隊が飛び出した。アキラや凱人、七生などの見知った小隊以外にも、既に現役で活躍している小隊が幾つも横一列になって突撃していく。
全部で五個中隊はある近接部隊は、通常の結界掃討なら、まず投入されない数というだけではなく、あまりに頼もしいと思える光景だ。
用意された最高戦力。
その勇士と肩を並べて戦えるなら、アキラも普段より力を発揮できるような気がする。蛇行の道を通ってきた鬼は、いずれも無傷ではない。理術の集中砲火を潜り抜けてきた鬼だから、確かに強力な鬼ではある。しかし理術の爪痕は確かなダメージを刻んでいて、だから本来なら挑めないような相手でも、上手く対処する事が出来ていた。
小隊のメンバーも頼りになり、アキラを前面に立たせつつその補助として立ち回り、支援理術を加えてより優位になるよう動いてくれている。
日の浅いチームの割に、他と遜色ない成果を上げていた。
「ハァッ……!」
今もまた一体の牛頭鬼を斬り伏せ、後ろへ押しやる。
倒れる筈の身体が横へと弾かれ、何がと思うより前に別の鬼が襲い掛かってきた。息つく暇もないとはこの事で、とにかく後続を止めてくれない事には、この勢いに攻め負けてしまう。
アキラは必死に制御を振り回して目の前の鬼を斬り付け、あるいは躱し、時に距離を取っては切り替えして倒していく。
アキラは内向術士だからその消費も少ないが、他の者たちはそうもいかない。どれだけ続くか分からない戦いだから、その継戦能力を維持する為に控えめな使用に留めている。
それでも長く続けば陰りが見え始める。
後続の処理も上手く行かず、むしろ数の圧は増しているようですらあった。
巨大なヘラジカが集める魔力も、それが更に高まってきたのを感じる。何をするつもりにしろ、それが莫大な被害を招くのは疑いようがない。
誰かに警告したところで意味はないだろうし、何か出来るとも思えない。
ただ高まる緊張感が増し、そして鬼の圧力も増してくる。刀を振り続けながら、とにかく目の前の鬼を倒す事に全力を傾けた。
――オミカゲ様……ッ!
そうしながらも縋る事を止められなかった。このような窮地にあって、何かに縋るものがあるとしたら、その御名しか思い浮かばない。
困った事辛い事があれば、ついその名前が思い浮かぶのは日本人のサガだ。日常的に頼る癖があるから、こういう時でもついその名前が頭をかすめる。
そして――。
その時、頭上で光が瞬いた。
巨大なヘラジカの頭部から発せられる、鈍色に光っていた角が明滅の終わりと共に魔力が解き放たれ、その一瞬に、アキラの視界は白一色に染め上げられた。
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