決戦の舞台 その2
まるで世界の終わりを示すような、大量な孔の出現に、誰もが浮足立っていた。
アキラも同じような気持ちだったが、何より信用するミレイユ達が魔物達を迎え撃つように立っている。その背を見ているだけで、全ては大丈夫だと思えるのだ。
勿論、神たるミレイユを自分たちが支えるでもなく、その盾になるでもなく後ろに下がっている事に不満はある。ミレイユへの思いではなく、そうさせなければならない、自分達の不甲斐なさに思う不満だ。
だが、直前に自分達と神の力量を思う様知らされた身としては、後ろに下がっていろ、という命令を無視して横に立つなど、そんな傲慢さを見せる事は出来なかった。
何れにしろ、あの大量の魔物全てを相手にするつもりはく、負担を減らす為に隊士達へと流していくという話だったから、それならばと雑魚の相手と処理は請け負おうという気概でいた。
それを伝え聞いた結希乃も、十分な対応が出来るよう、人員を相応しい形へと手直しし、そして防御陣地を適切に作っていっている。
既に孔から幾つも魔物が落ちてきている事から考えても、その構築に掛かる時間から間に合いそうもない、というのがアキラの所見だったが、素人が何を言える筈もない。
隊長として、そして部隊全体を預かるリーダーとして、結希乃を信じて指示に従う他なかった。
今はそのリーダーも、由井園侑茉という、アキラにとっては馴染みのない御由緒家が復帰して、隊士達を鼓舞する事で上手くいっている。
防御や警戒に対しては、普段から神宮の警備を任されているだけに阿由葉家よりも秀でていて、それを存分に発揮して陣地構築を助けていた。
「それでは敵の突撃を受けきれない! どう動くのか想定して防壁を築け! 多数の敵を相手にするんだ、それを阻害するよう構築するんだ! 数の利を相手に使わせるな!」
そうして改良されていく陣地に、アキラは奥まで到達した時の前衛として配置されている。
正面には蛇行した細い道があり、その両端には外向術士が攻撃する為のトーチカめいた防壁も用意されていた。
数と勢いに任せた突撃は出来ず、そして詰まって上手く移動できていないところを、外向術士の攻撃で数を削り、そして到達した敵をアキラ達が仕留める。
そういう流れを想定していた。
本来なら、これに段差を設けたり穴を掘ったりと、簡単に前進できないよう工夫をしたかった所らしいが、兎にも角にも時間が足りない。
いつ
孔から落ちてくる魔物が殺意を向けて突撃するのを見て、アキラは生唾を飲み込み覚悟を決めた。先程からしきりに尿意をもよおしていたが、戦闘が始まったと理解した途端、ピタリと止まる。
そして魔物側からの突撃が始まり、殺意が形を持って吹き付けて来るのを幻視した直後、ルチアとユミルの合せ技とも言える魔術が、いとも簡単にその突撃を蹴散らした。
「信じられない……、これが神の戦いか……!」
「あれほど精密に正確な制御……、実際に感じないと嘘だとしか思えない……!」
人間に到達できる領域であるかはともかく、それが現実として存在するものだとは、その肌で理解できた事だろう。その興奮が、ミレイユの挙げた手で更なる興奮を呼び起こした。
安心しろ、この程度の敵何するものぞ、と言っているようですらあった。
御子神様と、その尊称を連呼しながら、誰もが腕を突き上げる。
「ウワァァァァアア!!」
御子神様とあのような方たちが味方にいて、それでどうして負ける事があるだろう、と誰もが思う。アキラとしても同意見だが、孔の数を見ているとあれだけで終わる訳でも、あの規模しか出ない訳でもないと予想できてしまう。
今は一時の勝利に酔っているが、それが醒める時が来てしまうのが怖い。
だが士気が高まるのに文句を付ける馬鹿もいないだろう。彼女らの背中は頼もしい、それは間違いない事実なのだから。
そして多くの敵勢に対し、一人で突っ込むアヴェリンに、アキラは己の目と正気を疑った。そしてそれが自分の見間違いではないと分かると、次いでアヴェリンの正気を疑う事になる。
明らかに悪手としか見えないのだが、彼女が高く跳び上がり、そして手に持つメイスを叩きつけたところで、それが決して勝算なしでやった事ではないと分かった。
遠く離れたアキラの位置にすら届く衝撃は、多くの魔物を吹き飛ばし、そして一振りする事に魔物が紙細工のように吹き飛んでいく。
アキラから見ても、到底一度武器を当てる程度で倒せるようには思えないが、大人と子供以上の力の差を見せつけて圧倒していく。
「あれが……、御子神様の護衛を許される戦士なんだ……」
誰かが零した言葉が、誰もの心中を代弁していた。
アヴェリンの事を、ここにいる隊士の誰より知っているアキラからしても、あれ程の戦士だとは思っていなかった。強い事は知っていたし、自分では一生敵わないとも理解していたが、まさかあれ程の力量を持っていたとは思わない、というのが本音だ。
続いて出てきたドラゴンにも度肝を抜かれた。
最初の一匹をいとも容易く屠っていたアヴェリンだが、三体ともなると容易くはないだろう。もしアキラにもっと力があれば、その助力に走りたいと思う程度に、さっきのドラゴンより強そうに見えた。
だが、それさえアヴェリンに取って、敵わぬ敵という訳ではないようだった。
苦戦はしていても、優勢に戦闘を運び、そして勝利して見せた。己の身の丈とは比べ物にならない巨大な魔物に対し、あそこまで戦えるものなのか、あれほど圧倒できるのか、という感動が胸の内を締める。
返り血塗れのアヴェリンが、上向いて発する戦いの咆哮は、常に武勇を重んじる彼女に似つかわしく、また恐ろしくも美しいと感じてしまった。
――何か、毒され始めているのかな……。
少々不安になる自身の新たな心境に気付いたが、そんな事より戦況は刻一刻と変化していく。
巨人が出現した時も大きいと思ったものだが、次に姿を見せたのは、それすら小物と思える程の巨大なヘラジカだった。
角が鈍色に輝いているという部分が現世のヘラジカと違うが、後は巨大であるという以外は大きく違いがあるようには見えない。
遠く離れているから細かな部分は勿論分からないのだが、今までは魔物らしい魔物が出てきていたので、いっそ動物とさして変わらないものの出現には、周囲からも困惑した空気が流れた。
「ブフォォォオオオ!!」
だが、そこはやはり単なる動物ではなかったのだ。
距離があるにも関わらず、鼓膜まで震わせる咆哮は、根源的な恐怖を呼び起こす。そして次から次へと落ちてくる、小型の魔物も無視できない存在だった。
先程からルチアがその数を減らしていたし、ミレイユもまた炎で薙ぎ倒してもいたのだが、その数が飽和して来ているように思える。
敵そのものも単なる雑魚は見えない。最低でも牛頭鬼からで、見たこともない鬼も複数確認できた。
近くにいた凱人からも、上擦った声が聞こえてくる。
「おい、大丈夫なのか、あれ……」
「どっちの事?」
「どっちもだと言いたいが、巨大な奴は俺たちでは最初からどうにもならない。地に溢れるが如しの鬼どもだ」
「陣地構築に対して詳しくないけど、でも時間を多く稼いでいてくれたお陰で、その防備を厚くする事はできたみたいだ……」
アキラに手伝える事はなく、そこは支援班の仕事だから脇目に見ていたが、侑茉の指示の元、最初よりも遥かに堅固な防壁陣地を築く事が出来ている。
あの数を見ると不安にしか思えないが、それでもやれるかもしれない、という気概は湧いてきた。
「そうだな。百鬼夜行なんぞ、もう今年はお目に掛からないだろうと思っていたんだがな……」
「あぁ、噂に聞く……」
アキラ自身は体験した事はないが、その悪名高きデスマーチとも揶揄される、鬼の氾濫については知っている。そして氾濫というなら、今まさに目の前に見える光景こそ、それだという気がした。
「おい、見ろ……!」
凱人が緊張した声を出して、アキラも指し示す方へ視線を向ける。
気づけばユミルが、おぞましい幽霊のようなものを周囲に展開していたが、凱人が言っていたのはそちらではなかった。
ミレイユがアヴェリンを先行させて敵陣へ突っ込んでいる。
それまで前衛はアヴェリンに任せ、本人は後方から支援を使ったり、近付く魔物を焼き払っていたりした姿を見ていただけに、その行動は意外に思えた。
「どうしたんだろう、近接が有効な相手だとは思えないけど……」
「そうだな……。あれ程の巨体、足を斬り付けた程度では対して意味はないだろう。それに腹を狙うにしても、内蔵まで到達する傷を負わせられるかと思うと……」
「じゃあ、敢えてしないって事は、つまり出来ないって事かな?」
「理術が通用しない敵、か? 今まで、そんな鬼に出会った事はないが……」
「でも、あれを鬼と見るには、ちょっと動物的すぎない? 何か特殊な事情か理由があるのかも……」
推測は推測でしかなく、憶測の域も出なかった。
見守っているしか出来ず、そして高低差など無視するようにして、いとも簡単に頭部付近まで接近すると、何やら攻撃を仕掛けたことは分かった。
既に二人は虫より小さなものとしか見えない。
それでもアキラには二人の位置が分かったし、何をするつもりであるかも分かった。
――眼だ、視界を潰すつもりなんだ。
そう心の中で呟くのと同時、叫びを上げ暴れ始めたヘラジカにアヴェリンが吹き飛ばされる。次いでミレイユもまた吹き飛ばされた。
「――ミレイユ様!!」
咄嗟にアキラの口から言葉が出た。
呼んだところで届く筈もないと理解していても、悲鳴じみた声を抑える事は出来なかった。だが勢い付けて落ちたとしても、地面へ墜落する瞬間、その動きが緩やかになったのが見えて、そうだったと思い出す。
アキラ自身もその魔法陣に世話になった。
どれだけ高所から落ちようと、落ちる場所さえ間違えなければ怪我など負う事はなかったのだ。
だが、ホッとしたのも束の間の事だった。
ルチア達がその術によって鬼の数を削っていたものの、ミレイユが抜けた穴は埋め切れず、その処理能力にも陰りが見え始めた。
「おい、鬼どもがこちらに向かってくるぞ」
「……うん、敵を倒していながらも、対応出来ない奴らがこっちに来てる」
「それが狙いだろう。あの悪霊めいた奴ら、あの二人を護っているみたいだが、誘導員みたいな役割もあるようだ」
「でもあれって、鬼でも近付きたくないんだ……」
アキラ達が嫌悪感を示すのは自然な事に思えるが、鬼まで逃げるようにこちらへ進路を変えてくるのは、意外な発見というべきなのだろうか。
むしろ、鬼にすら嫌われる悪霊、というものが存在する事実に、恐れるべきなのか。
そこに結希乃の声が頭上から響いた。
「――さぁ、気合入れろ! ここからが本番だ、ここからが我らの力の見せ所! 再び御子神様がお戻りになり、鬼を殲滅出来るまで、我らがその役を担うのだ!」
「おうっ!!」
「戦え! 死力を尽くせ! 鬼どもを叩き返せ!!」
「おう! おうッ! おうッ!!」
結希乃の激励に励まされ、誰もが武器を握って突き上げる。
アキラもまた、周りの威勢に加わって、必死に声を張り上げ武器を掲げた。
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