森の中で その8
横合いから掛けられた声にミレイユが振り向くと、そこには獣人族の女性が立っていた。灰色の髪を無造作に下ろし、膨らみある髪型が獅子の
耳の形から猫科と思われたが、鋭く伸びた黒い爪を見ると、また別の何かなのかもしれなかった。
不躾に思える態度には、アヴェリンが怒りを顕にする。
彼女の中で既に格付けは済んでいて、配慮の必要はない、と判断しているらしい。今にも掴み掛かりそうになったアヴェリンを手で制し、言いたい事があるなら言ってみろ、と顎をしゃくった。
「獅人族のフレンだよ。あんたがミレイユ……、様って事でいいんだよね?」
「そうだ」
短く返事をして首肯する。フレンが言い淀んだのは、アヴェリンが睨みを利かせると同時に殺気を放ったからだ。見ず知らずの第三者からの呼び方にまで、うるさい事を言わない彼女だが、ミレイユを頭上に戴く民となれば、話は別だった。
ミレイユ自身はどうと思う訳でもないが、一応里長に就任しているからには、体面を気にしなくてはならない。
それで、と続きを促してやると、フレンは一大決心を告げるかのように顔を引き締める。
「あたしらと戦ってくれ! あんた……様の実力を知りたいんだ!」
「世迷い言を……! お前達程度の実力で、ミレイ様へ挑むなど百年早い!」
アヴェリンは聞き耳持たずに切り捨てたが、ミレイユとしては一考に値する提案だと思った。フレンの視線を見れば、それが単なる好奇心で挑むのではないと分かる。
彼女なりの考えあっての事だろうし、何より『あたし個人と』戦ってくれ、とは言ってない。そこに意味があると感じた。
ミレイユはフラットロを撫でながら、アヴェリンへ目配せして控える様に言う。
それから改めて、フレンへ事情を尋ねてみた。
「どういうつもりか、何となく理解できるが、お前の口から聞いておきたい。……その理由は?」
「あ、あぁ……うん。その……、あんたが里の上に立っているのを歓迎してるのは、それほど多くないって知ってる……んだと思います」
「そうだな」
「アヴェリン姐さんの実力は分かった。――いや、見た瞬間から毛が逆立ってたから、もう既に分かってたけど……改めて分からされた」
姐さん、と言う部分にアヴェリンは大いに顔を顰めたが、口は挟んで来なかった。
ミレイユはうん、と短く返事しながら周囲を伺う。
すると、今更ながらに誰もが、この会話に聞き耳を立てていると分かった。フレンが何を言うつもりかよりも、ミレイユが何と返事をするかの方に興味を持っているようだ。
「肌で感じて理解できる力を、姐さんは改めてこの場で示した。彼女の言葉には、敬意を持って従う奴らが多数になったと思う……ます。でも、あんた様は別だ。別っていうか……、まだ全然だ」
「伝聞ばかりが独り歩きしていて、その実力は未知数、というところに不満があるのか。偉そうにしているだけの奴じゃ信用ならない、という意見には納得出来るが」
「それじゃ……!」
フレンは自分の意見が通ると思って、目を輝かせて拳を握る。
実際、彼女の提案は、そう悪いものではなかった。実力主義で単純明快を好む種族からすると、上が強ければそれだけで安心する。自らを率いるに不足なし、と仰げる人物であれば尚良い。
彼らはミレイユに対しても、エルフ達の評価ばかりでなく、もっと単純に分かり易く力を示して欲しいのだ。アヴェリンから挑むなど百年早い、などと遠ざけられては、本当は力の底を見られるのが困るからじゃないか、と変な勘ぐりをしてしまう事になる。
ミレイユが闘技場代わりになっていた広場へチラ、と視線を向ければ、やる気になっていると感じられたのだろう。フレンが更に語気を強めて意気込んだ。
「不満を持つ奴らを黙らせて欲しいんだよ! 今までだって変に纏まりに欠けてたのは、誰もが強いと認める人が里長をしていなかったからだ。それぞれの代表が、何かとケチをつけてた。でも、今なら森が一つになれるかもしれない。魔力だけ強くても、武器の扱いが上手いだけでも、体格に秀でただけでも駄目なんだ。どれもが強い奴じゃないと、本当の意味でリーダーと認められない」
あぁ、とミレイユは溜め息にも似た感嘆の息を吐いた。
これは彼女に謝罪しなければならないだろう。
フレンは本当に森の未来を憂いている。ミレイユの実力を知りたい、という野次馬めいた感情で動いていない。
今までの、森の不備や欠点を彼女なりに理解していて、そしてどうすれば改善するかも理解している。それが間違いなく正解の道で、それしか方法がない訳でもないだろうが、しかし、話が真実なら一番簡単な方法は目の前にあった。
ヴァレネオを不甲斐ない、と思っている訳ではないだろう。
彼は確かに戦士でもないし、魔術士としては一流に片足を踏み入れた実力者だが、森そのものを背負うに認められた指導者という訳でなかった。神々の思惑を考えれば、これまで維持してきた事こそを評価できる、とミレイユは思っているが、大半はそう思ってくれないだろう。
そしてそれは、常に意見の対立が起きていた事からも察せる事が出来る。
何か意見が出る度に、他の誰かが文句を言う。それで結局話が一つも纏まらなかった……その様に聞いていたが、これはヴァレネオばかりが悪い訳ではない。
あれは裏からスルーズが不和を招いていたからもあって、本来は纏まれていたかもしれないのだ。とはいえ、たらればをここで言っても仕方がない。
彼女や――彼女の意見に賛同する者達は、今度こそ誰もが納得する里長の誕生を望んでいる。
そして、それを示すには、アヴェリンやルチアが代理に立つ訳にはいかない。
この誰もが集まり、証人となる舞台で、ミレイユの力を知らしめる必要があるだろう。
フレンの目には、それを期待する輝きが宿っていた。
ミレイユは小さく顎を引いて頷き、広場に向けて片手を広げる。
「いいだろう、挑戦を受ける。誰であろうと掛かってこい」
「――ウォォォオオオオ!!!」
聞き耳を立てて完全に静寂だった広場が、その一言で爆発するかのような歓声に包まれた。
それを見て、随分と待たせてしまったようだ、と反省する。
ガス抜きさせておけば良いだろう、と簡単に考えていたが、彼らからすると力を示して欲しくて堪らなかったのだ。
強者というのは、それだけで偉い。
強さの種類にも色々あるが、ヴァレネオの様な忍耐強さや、間を取り持ち宥めるなどの政治的手腕は、この森では評価され辛いだろう。
そこを汲めるのはエルフ以外では極一部で、森を纏めるには魔力だけ秀でていても無理だ。
ヴァレネオ自身、忸怩たる思いはあったろう。彼より優れた魔術士、というのはこの森にも存在する。それでも他の者が代わりを務めなかったのは、彼以外では他を繋ぎ止めておく事が出来ない、と理解していたからだ。
先程までアヴェリンに吹き飛ばされ転がっていた者達も、ルチアによる治療も終わって人垣の中へ戻って行く。
闘技場が空いた事を確認し、ミレイユはアヴェリンへと向き直った。
「無駄な事をさせたようで悪かった。お前の実力を知らしめるだけで十分だと思っていたが、どうやら考えが足りなかったようだ」
「足りないなどと……! 私も、もっと肌で森の空気を感じ取っても良い筈でした。その思いを汲み取れなかった事こそ、不明と詫びます!」
アヴェリンが腰を直角に折り、そしてユミルが困ったように頬を掻く。
「それは良いけどさ。収拾付くの、これ? アヴェリンの時だって、好き勝手挑戦者出てきて、終ぞアンタが来てアヴェリンがやめるまで、ずっと続いてたんだけど」
「なるべく早く終わらせる。暴れたいんじゃなく、私を知りたいというのが第一だろうしな。それが分からん程しつこく食い下がって来るようなら、その時は意識を刈り取って放り出せば良いだろう。……それでどうだ?」
ミレイユがフレンに目配せすれば、何度も首を縦に振って頷いた。
不平不満は無いようで、これならどうだ、とユミルに顔を戻してみれば、やはり困った顔のまま肩を竦める。
「……ま、そう単純には行かない気がするけど、それはアンタのやり方次第かしらね。いっそ来た奴ら全員昏倒させちゃいなさいな。敗北の味って奴は分からないかもしれないけど、そんなの見ている連中が勝手に決めるでしょ」
「それもアリかもな。あるいは……挑戦者の人数次第か。誰でも来いと言った手前、……まぁ結構な数になりそうだが」
「まぁそこは、認められない奴、認めたい奴が、こぞって来るだろうから諦めるしかないわね。……けど、別に問題にはならないでしょ?」
ユミルが不敵に笑って、ミレイユもまた不敵に笑みを返した。
――そう、実質問題にならない。
先程見せて貰った、アヴェリンと彼らの一戦でそれが分かった。彼らが底ではなく、また平均的力量だったとしても、ミレイユ相手には力不足だ。
アヴェリンは五人を同時に相手していたが、それでも彼女に手傷の一つも付けられなかった。その時点で、ミレイユの勝利は間違いないと言える。
だからこれは、いかに勝つか、が問題となる戦いだった。
その余裕ぶりに、フレンはやる気を漲らせるだけでなく、挑戦と受け取ったようだ。獰猛な獣の笑みを浮かべ、その魔力を練り込んでいく。
「一度に何人まで相手してくれるんだい?」
「好きなだけだ。一度言った事は覆さない」
「へぇ? 五人どころか十人でも良いって?」
「そうだな。実際十人同時に掛かって来たところで、互いが邪魔にしかならないだろうが。しかし、それでもやれると言うつもりなら、敢えて止めたりはしない」
「へぇ、……いいね!」
フレンは口角を更に大きく開いて、鋭い犬歯を見せつける。
サッと踵を返して、彼女を支持する者達もその背に従って人垣の中へと埋もれて行った。
どういう作戦で来るか、挑むのかは勝手だ。今の内に決めたい作戦もあるだろう。それを待つ意味でも、ミレイユはフラットロの背を叩きながらルチアを呼ぶ。
「お前も今は離れていろ。戦いの邪魔になる」
「ならないよ、邪魔しない!」
「この場合、私が危機の際にお前が手を出すかもしれない、という状況が拙いんだ。全くの私一人で戦い勝った、という証明をしなくてはならない。ケチを付けられる要因を無くしたいんだ」
そうと言えば、渋々ながら納得して、フラットロは腕の中から出ていった。
ミレイユが行使していた魔術の効果から離れた事で、精霊自身の持つ熱波が一気に広がる。小さな悲鳴が上がる中、フラットロが上昇すれば、それだけで熱の影響が薄れた。
彼は寂しそうに広場の上を遊泳し始める。早く始まれ、或いは早く終われとでも言う様に、恨めしそうに人垣の上を移動していく。
そうしてミレイユが呼んでいたルチアが傍へやって来て、何かを頼む前に返事をする。
「分かりました、結界を張ればいいんですね?」
「理解が早くて助かる。少し本気になる必要があった場合、周りに被害を出さずに済ます自信がない。……小さな子供も居る事だしな」
「ですね。ただ、そうするとちょっと厄介なところでして。出入り自由でかつ内側の攻撃や余波だけ防ぐ、なんて都合の良いものはありません。気絶した人を退場させたり、もしくは新規挑戦者が入場する場合、結界を解除しないとならないですね」
「なるほど、その時は魔術の使用は控えよう。最低でも、攻勢魔術や範囲が広いものについては」
「えぇ、お願いしますね」
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