森の中で その7

 ミレイユが広場に辿り着くと、そこには大きな人集ひとだかりが出来ていた。

 普段は閑散とした、ただ広いだけの時折集会を開くのにも用いられる場所が、今は中心に円を描いて人垣を作っている。

 子供は親の背を借りて、その中心に向けて目を輝かせており、手を叩いては周囲に合わせて歓声を上げていた。


 そして中心に何があるかと言えば、ミレイユが申し付けていたように、アヴェリンが里の若者を相手に大立ち回りをしているのだった。


 彼女一人に対して鬼族は三人、そのうえ獣人族も二人追加されていて、明らかな不利を突き付けられているが、それを全く苦にしていない。彼らもまた、それぞれ腕に自信のある者なのだろうが、アヴェリンに対して腕を振るうには実力が低すぎた。


 誰もがそれぞれの得意武器を手にしているが、アヴェリンはいつもの鉄棒で相手をしている。それで一人が隙を窺って攻撃し、しかし回避されると同時に反撃を喰らった。

 その攻撃最中にも別の者が背後から猛攻を仕掛けたが、後ろに目があるかのような俊敏さで、これをいなして投げ飛ばす。


 武器に手を添え、そして流れるままに手首を掴んだ様にしか見えなかったが、それだけで人垣の足元近くまで吹き飛んでいた。

 アヴェリンが攻防一つ成功させる度、そこに歓声が上がって沸き立つ。


「何やってんだ、だらしのない! いつもの力自慢はどうしたんだ!」

「ミレイユ様の側近だぞ! 一流の戦士ってのがどういう意味か、それで少しは分かったんじゃないのか!」


 野次の多くはエルフのもので、立ち向かう五人を励ますより、むしろアヴェリン一人を褒め称える声に偏っていた。

 五人は傷を負っていても打撲や擦り傷程度で、訓練中に受けるものとしては易しい部類だ。それぞれ悔しげな表情を浮かべているが、彼我の実力差を認められないほど狭量でもないらしい。


 アヴェリンの方には傷らしい傷もなく、それどころか汚れすらない。彼らは彼女を転ばす事すら出来なかったらしい。

 順当と言えば順当だ、と思いながら人垣へと近付いて行くと、自然と割れて招き入れてくれる。率先して動いてくれるのがエルフ達で、その姿を認めた瞬間から、周りを動かして道を作った。


 獣人族や鬼族の中には、それを不満に思う者もいる。

 ミレイユは一応、ヴァレネオの紹介の元、復帰と同時に現在の要職に就く事を紹介された。しかし、ミレイユを伝聞でしか知らない人には、素直に受け入れていない者も多い。


 それは自然な事だと思っているから、ミレイユはどうとも思っていない。

 だが、ミレイユを第一に置きたいエルフとの間で、要らぬ諍いや軋轢が生まれつつあるのも確かだった。特に鬼族は、その持てる力で森を護り続けてきた、という自負がある。


 森の外縁部を警護し、そして何事かあれば、まず真っ先に戦う事となるのが彼らなのだ。生まれてから一度として助けられた事もなければ、その恩恵を受け取った事もない。

 過去の栄光は過去のものでしかなく、窮地を救って来たのは、いつだって血を流して来た自分達だと思っている。


 それは確かに、自負して誇るに相応しい。

 だから自分たちを上に見たいのか、と言えば、そういう訳でもないようだった。


 過去の威風を知り、その武威を知り、そして誰もが強大な存在と認めながら、弱腰に見える態度を取るミレイユだから認められないのだ。

 強者には強者の振る舞い、というものがある。


 彼らが求めるのはそれで、そして自分達より強いというなら、自分たちを使ってくれと思っている。テオの活躍もあって――あるという事になっていて――、二万もの兵を退ける事が出来た。それならそれで、今までの鬱憤を晴らさせてくれ、と思っている。

 逆襲を願いたいのは、誰もが同じだ。


 それは鬼族でも、エルフ族でも変わらない。

 受けた仕打ちと同じか、それ以上の報いを与えてやりたいと思っていて、ミレイユもそれを悪い事とは思っていない。強者が正しい、というルールが世界の根底にある以上、そして神がそれを推進している以上、暗い熱意を否定する事は出来ないのだ。


 だが同時に、森の民が天下を取る事を、神々は決して認めないだろう。

 彼らが平等に、そして弾圧を受ける事なく暮らしていくには、まずこの神々の考えを排除する必要がある。平等と平和を許容されない世界で、彼らは常に虐げられる事になってしまう。


 しかし、そんな世界の裏事情など知らない彼らからすれば、今は待て、というミレイユの発言が弱腰にしか映らない。改革には手順が必要、という説明も、あまり効果的ではなかった。

 ――鬱憤は、抑えつけられている間は、決して晴れない。


 だからこの現状が、その鬱憤晴らしとして機能する事を期待して、アヴェリンを送り込んだ。強者には従う、という彼らの気質が、鬱憤を押さえてくれたら儲けもの、という打算の元で。

 神々の影響を排した後で、などと言ったところで、彼らには夢物語を語っているとしか思われないだろうし、事実その様なものだ。


 だから、その部分は濁して伝えるしかなかったのだが、それが不満を溜めこむ原因ともなってしまった。

 人心を纏める事は、実に難しい。それが人種の違いばかりでなく、異種族が混ざるとなれば尚更だ。


 小さく息を吐きながら、エルフ達が整理員の様に作ってくれた道を通っていると、そこから強い想いを知らせる視線を感じた。

 エルフの視線は、決して卑屈ではない。見返りや救済も求めてのものではなく、純粋な感謝を示しているようだ。そして、尊崇が伺えないところを見れば、テオは上手くやっているらしい。


 鬼族、獣人族からも同じ様に接して欲しい訳ではないが、しこりを残す真似も避けたい。それはきっと不和になり、暴動の種となる。

 そんな事を考えながら内縁部、人垣が途切れる所まで進んで足を止める。アヴェリンの戦い振りは熟知しているし見慣れているものだから、いま注目したいのはやられた側の方だった。


 冒険者達と比較して、肉体面ではむしろ有利な彼らだが、反して魔力の扱いが下手だ。

 これは鍛練不足というよりは種族的な問題で、人間がエルフに魔力総量や制御で勝てないように、獣人達もまた人間には及ばない。


 その魔力的優位を覆すだけの、肉体的優位を持っている種族だが、昨今の刻印によってそれも覆されているという。

 見てみれば確かに、イルヴィと同じレベルで動けている者は多いのだが、あちらが持つ切り札となるものが獣人達、鬼族達にはない。


 彼らの内向術士としての完成度は高い、それは確かだ。刻印のない時代なら、一流の戦士と渡り合えるだけのポテンシャルは持っていただろう。だが、この世には既に、刻印無しで戦う冒険者などいないに等しい。

 防御術、治癒術、結界術と、適した才能を持たずとも習得できるというのは、大きな強みだ。森に住む彼らにも、それがあれば、と思わずにはいられない。


 そして刻印という発明がなければ、ここまで劣勢に立たされる事も無かっただろう、とも思うのだ。盛者必衰は世の理、技術の発展もまた理の一つであるなら、それを持たない方が負けるのも必然だろうが――。

 森の民へ肩入れしたいミレイユとしては、何とも遣る瀬無い思いになった。


 そんな事を考えていると、視界の端に見覚えのある顔が目に入り、自然とそちらへ顔を向ける。

 そこでは、テオが気不味そうな表情をさせつつ、必死にこちらへ視線を向けまいとしていた。


 彼が与えられた仕事を遂行している事は知っている。その内容にも、今のところは満足していた。普段から難癖をつける様な真似もしていないのに、何故そんな態度を取られるのか不思議だった。


「どうしたんだ、お前。……何か拾い食いでもしたのか?」

「……お前こそ、何で俺を子供扱いするんだ……! 俺の正体、知ってる筈だろ!」

「それはそうなんだがな……」


 見掛けだけで判断するのは愚かな事だが、しかし彼は見た目と中身も大差がない。つい、その様に考えてしまうので、改める気もないミレイユからすると、いつだって子供扱いになる。

 その優しげに接する気持ちで、フラットロの首から背に掛けて撫でてやれば、機嫌良さそうに鳴き声を上げた。


「それになんだ……。私が傍に居ると、何か困る事でもあるのか?」

「あるだろ、そりゃ……。下手に話してるところ見られたら、あの馬鹿戦士が俺の頭に武器を振り下ろすぞ。だからやめろ、頼むから。気付かなかった事にしてくれ」

「そうなのか……?」


 思い返してみれば、テオと世間話をした記憶が、ミレイユにはない。

 いつもそれとなく、アヴェリンが逸していた様な気すらしてくる。執務室では当然、頼んだ洗脳に関する報告や、そのやりとりもあったが非常に事務的なもので、その時でさえアヴェリンが睨みを利かせていたような気がする。


 テオが持つ能力を考えれば、その影響を受ける可能性を万が一でも排しておきたいと考えるのは、アヴェリンにとって当然だろうが、少しやり過ぎな気もした。

 現状は協力関係にあるのだから、近づく事すら禁止する、とアヴェリンが脅し付けているのなら、そこは改めてやらねばならないだろう。


「……まぁ、分かった。そういう事なら、今だけは気付かなかった振りをしておこう」

「いや、遅いって。明らかに遅いから」


 テオが震える声を出しながら、前方に向かって両手を左右に振っていた。手だけでなく首まで振って、何か否定的なサインを送っている。そちらに目を向けると、アヴェリンが鬼の形相でテオを睨み付けていた。


 獣人達の攻撃を全く無視した上で、器用に避け続けながらの行動なので、それが堪らなく恐ろしく思える。テオの必死な振る舞いも良く分かるというものだ、と変な感想を抱いていると、一瞬後にはその全員が吹き飛び地に伏せた。


 そして、ゆっくりとした足取りでテオに向かって進んで来るものだから、説得や言い訳を捲し立てるよりも、彼は逃げる事を選んだ。

 小さな身体を生かして人垣に入り込み、あっという間に何処に行ったのか分からなくなる。

 ミレイユが苦笑している間にも、アヴェリンが傍まだやって来て腰を折った。


「ご足労お掛けしまして、申し訳ありません。思いの外、こちらの事に時間が掛かってしまいまして……」

「いや、そりゃアンタ。あんなやり方してちゃ、終わるものも終わらないでしょ」


 いつの間にやら傍にいたユミルが、呆れた声を出して笑えば、ミレイユにもどういう事か、何となく察しがつく。歓声が上がっていた事を鑑みても、単に黙らせるのでもなく、鍛練の体を成した沈黙を与えたのでもなく、彼らを湧き立たせる方法で戦闘になったのだろう。


 その事を指摘してみれば、アヴェリンは汗顔の至り、とでも言うように頭を下げた。

 それは半分ほど予想出来ていた事なので、殊更謝罪して貰う必要はない。むしろ、良いガス抜きになったのではないかと、感謝しているぐらいだった。


 改めて労おうとしたところで、ミレイユの名を呼ぶ声があり、それにつられて顔を向けた。

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