森の中で その9

 ルチアの笑みに頷いて、ミレイユはアヴェリンとユミルへ目配せする。


「お前にも、これを期に協力して貰うか」

「あー……。挑戦しそうな奴を、秘密裏に寝首でも掻けば良い?」

「そんなもの、する必要もなければ、もしバレようものなら顰蹙しか買わんだろうが」


 アヴェリンが即座にユミルを睨め付けて、それからミレイユに向けて小さく腰を折る。


「では、我らは退場するべき者など、邪魔になりそうな者は外へ逃がす様に致します」

「頼む。入りたい奴は勝手に結界の解除を期に挑むだろうから、そちらも好きにさせて良い。巻き添えを喰らわせないよう配慮するつもりだが、爆風に煽られる程度の被害は受けるかもしれない」


 どういう戦闘になるか分からない以上、やはり不測の事態は有り得る。

 本気の戦闘用魔術を振るう訳ではないので、直撃しても軽い怪我程度で済むだろうが、退場相手を運んでいる時など、不意打ちの様な状況が生まれるかもしれない。

 それら全てを支配しての攻防は不可能だった。


「何ほどの事もございません。その程度でしたら、心置きなく力をお振るい下さい」

「やぁね。アタシこれから外で仕事だってのに、焦げた臭いを身体に張り付けなきゃいけないワケ?」

「というより、お前は今すぐ森を発て」

「はぁ? 冗談でしょ、これから面白くなりそうだってのに」


 ユミルは不機嫌そうに眉を顰め、抗議のつもりか腕を組んで顔を突き出して来た。

 だがミレイユはそれに取り合わず、無慈悲に要求を突きつける。


「これから少し、私は派手に魔術を使う。覗き屋連中には良い目眩ましになるだろう。注目だってするかもな。森の出入りをするのなら、これは絶好の機会だ」

「あぁ、なるほど。……そうかもね。不自然に魔力波形を垂れ流すでもないし、陽動の様には映らないでしょうけど……。折角の機会を見逃すなんてねぇ……」

「どうせミレイ様の勝ちは揺るがん。何を期待しているんだ」


 アヴェリンが眉根を寄せて言うと、ユミルは鼻を鳴らして笑った。


「分かってるわよ、そんな事。アタシが見たいのは、鼻を明かされた馬鹿者どもの顔よ。誰を相手に喧嘩売ったのか、それを知った時の馬鹿面が見たかったのに」

「……あぁ、そうか。それは災難だったが、ミレイ様の仰せだ。今回は諦めろ」


 アヴェリンの言葉に、ミレイユも頷く。

 どうやら覆らないらしいと悟って、ユミルは肩を竦めて踵を返した。


「仕方ないわね。精々派手にやって頂戴。それを合図に森を出るから」

「派手な魔術は必要ないがな。魔力波形を分かり易い形で垂れ流すさ」


 これにもユミルは肩を竦めるだけの返事をして、人垣の外へと歩いていく。

 周囲にあった人集りも、丁度挑戦者と観戦者とで別れて行く様だ。それに紛れて、ユミルの姿はすぐに見えなくなった。

 森は本来なら即座に出られるほど狭いものではないが、そこへ仕掛けられた魔術を熟知していれば、大幅な時間短縮をしつつ抜ける事が出来る。


 ミレイユは人垣の方に視線を戻した時、獣人族がや鬼族が多数移動しているのが目に入った。挑戦者となる戦士の数は、それなりに多そうだ。そして意外にも、エルフ族の参加者もまた多かった。


 だが、よくよく見れば、どれも年若く見え、二百年前の戦争を経験していない者達だと推測できる。実力はそれなりにあるからこそ、伝説の真実を確かめてみたくなったのかもしれない。

 逆に当時のミレイユを知っている古参は、その中には含まれていない。

 少しは痛い目を見れば良い、といった生暖かい視線を向けるに留めていた。


 どういう手順で進めて行くか分からないが、ミレイユは挑戦者の立場ではない。数的な話をすれば、明らかに不利なのはミレイユだし、そういう意味では挑む側に見えるかもしれないが、実態としてはむしろ迎え撃つ側だった。


 ミレイユはアヴェリンへ顔を向け、段取りの確認を取ろうと訊いてみる。


「お前の時と、事の始まりは違うだろうが……これは、私が待ち構えていた方が良いのか?」

「あちらが作戦を組み立てている内は始められないでしょうが、ミレイ様が入場するととなれば、それが開始の合図と周囲に取られかねませんね。……あちらにどれだけ人数が集まったか不明ですが、挑む以上は全力で掛かるつもりでしょう。準備が終わるまで待つべきかと」

「そうか、ならばそうしよう」


 ミレイユは素直に頷いて腕を組む。

 フレンの言い分を考えれば、ミレイユの全力を見たいか、或いはその実力を知らしめて欲しい、という事のようだ。その為には、烏合の衆として襲い掛かる訳にはいかず、ある程度手順を決めるなり、相互の強みを活かした運用を求められるだろう。


 一度にどれだけ場に出て攻撃を加えるか、という段取りも必要だ。

 その参謀を務めるような者から、今もその説明が成されている筈だった。


 観客の移動も終わると、後は待ち侘びるばかりとなる。

 あまり待たせると雰囲気も冷めてしまうのでは、と思っていると、そこへフレンが人垣の内側へと進み出て来て、ミレイユにも進み出てくるよう手を翳した。


「ミレイ様、助言などと厚かましい事は申せませんが、彼らは個人で戦うより集団で戦う事を得意としています。一人の力を見て、それで底を見極めたと思いませんよう」

「……あぁ、なるほど。長らく少数の不利で戦って来た結果か。一人の武勇より、複数で攻めて確実な勝利を掴む事こそを求めた故か。……分かった、参考にしよう」


 ミレイユが小さく手を挙げて謝意を示すと、アヴェリンも腰を折って返礼する。

 そのまま広場の方へと進み出ると、歓声の声が一際大きく上がった。広場の端と端、互いに一人ずつ立っている状況だが、他の者はいないのか、と訝しむ。


 だが、そんな心配は杞憂だった。

 即座にフレンを中心とした半円形に参加者が集まり、そしてエルフを中心として人垣の内側へ沿う様に人数を増やしていく。

 フレンを中心とした獣人、鬼グループと、そこから突出して広がるエルフ達、と丁度馬蹄形の様な形になっていた。


 見える限りでは、参加した人数は百人程度。

 フレンの背後の人垣には、戦意を漲らせた者達が控えているので、まだまだ残弾数は残しているようだ。それは別に良い。


 気になるのは、突出して広がるエルフ達だ。

 彼らは人垣近くにいる所為で、観客の様に見えてしまうが、むしろこれが今回の鍵だろう。


 彼らエルフが戦線の最も外側に立ち、魔術攻防の役目と用意されていて、そしてそれ以外が正面から殴り掛かる、という作戦と読んだ。彼らの手には魔術付与された武器も持っており、決して手加減するつもりはない、と言外に伝えている。

 フレンが一歩前に出て、得意げに見えるような笑みを浮かべた。


「どれだけ人数が居ても良いって話だったね? まさか今更、怖気付いたりしないだろうね?」

「いいや、私の言葉は軽くない。好きにしろと言った、その言葉に嘘はない」


 あくまで余裕を崩さず、腕を組んだままのミレイユに、フレンは満足げに頷いた。


「始めの合図はどうしたらいい?」

「ルチアに結界を張らせる。それが合図だ」

「いいね、分かり易い」


 ミレイユが視線をルチアに向けると、即座に彼女の制御が開始される。

 フレンが身構え、そして周囲の戦士達も武器を構えた。エルフ達はルチアの制御を見て度肝を抜かれているが、今からそれでは戦闘中も大した役には立つまい。


 慌てて自らも制御を開始しようとしているが、制御力の差をまざまざと見せつけられる格好になってしまい、恥晒しの様になってしまっている。

 狙った事ではないとはいえ、古参のエルフに情けない姿を見せる事になってしまった。顔を朱に染めて制御を開始しているが、欠伸が出そうな練度だ。


 そうして、結界が展開され、ミレイユ達と観客の間が半円状のドームで仕切られる。

 薄っすらと白く色付いた半透明の結界は、観戦するのに支障は無い。完成度の高い結界に観戦者達――とりわけエルフが感嘆の息を吐き、どよめきにも似た歓声が、開始の合図となった。


 ミレイユが一歩踏み出すより早く、フレンを追い越し獣人達が飛び出す。

 それらを迎え撃つ為、ミレイユもまたゆっくりとした足取りで歩き始めた。


 ――


 最初に飛び出して来た獣人は、作戦に則ったもの、というより単に足が速いから突出しただけに見えた。手に武器を持った者も入れば、鋭く爪を突き出して武器としている者もいる。

 ミレイユは相変わらず腕組をしたまま、獣人達よりエルフの方へ意識を向ける。


 左右へ広がる彼らは二十人程と多い数ではないが、それら全員が攻勢魔術を制御している事だけは分かった。そして、獣人達が接敵するより前に、まず一撃を加えてしまおうというつもりらしい。種類も多種多様、一つずつに対応した盾は張れそうもない。


 一般に防護術というのは、その属性に見合った盾は効果が高く、そしてそれ以外には無力である事が多い。魔術そのものに対して効果を持つ防壁もあるが、やはり一点特化した術より弱く、そして二十人による波状攻撃は、その盾をあっという間に粉砕してしまう筈だ。


 ――それが彼らの知識であり、そして当然の常識でもあった。

 ミレイユは腕組の下で制御を始め、エルフ達の魔術が放たれると同時に完成させる。そして雑な手の動きでそれを行使して、降り注ぐ魔術の雨から守る盾とした。


 ミレイユが行使したのは、特定の魔術を選ばず防げる初歩的な『魔力の盾』だ。

 それがミレイユの周囲を覆う膜として現れた。一つ目の魔術が着弾すると同時に、色とりどりの魔術が殺到し、ミレイユの姿を、炎と言わず氷や雷の爆発で埋め尽くしてしまう。


 観戦者から、どよめきの声が上がった。

 ミレイユの視界も、それぞれの爆発や砂煙で塞がれてしまうが、獣人達の足音は変わらず聞こえていた。この流れは既定路線で、そしてこの攻撃で仕留められなかった場合の事も、十分に想定していたと見える。


 ミレイユが腕を一振りする事で爆発や煙が吹き飛び、そしてその隙を縫うように、跳躍した獣人達が攻撃を振り下ろしてくる。

 それを見据えながら、もう片方の手で制御していた魔術を解き放つ。


「――なんだぁ!?」


 ガキン、と金属同士がぶつかる様な音が聞こえて、獣人たちの動きが止まる。

 それは物理的に攻撃を堰き止める防護の壁で、飛び掛かろうとしていた獣人達は、その壁に阻まれて前進できない。

 上からも正面からも、その壁で受け止められてしまい、牙や爪を立て、あるいは斬りかかり殴りつけても傷一つ付けられなかった。


 困惑して互いに顔を見合わせてしまったのは、これほど強固な防壁など知らなかったからだろう。ミレイユは再び雑な動きで防壁を動かし、まるで箒でゴミを払うかのように、獣人達を吹き飛ばした。


 一掃したのも束の間、そこに続く第二の攻撃部隊は、既に突進を始めている。

 同じ方法では二の舞いだろうが、それでも接近しなければ始まらないとも理解している顔付きだ。彼らが迫るまで掛かる一時いっときの間、ミレイユは制御を解除して『魔力の盾』を消す。


 そして次に新たな魔術を制御を始め、エルフ達が二つ目の魔術を完成させる前に、一瞬で完成させた魔術を解き放った。

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