森の中で その10

 それは破裂と衝撃を生み出す、『衝破の烈風』と呼ばれる中級魔術だった。任意の場所に空気の渦を生み出し、それが弾ける事で衝撃波を生み出す。


 魔力を込めれば、それだけ強い威力になって裂傷は免れないし、何より強い衝撃波が身体の近くで起きる訳で、立っている事ができず転がる破目になる。

 込めた魔力や発生場所次第では、容易に殺傷できるので使い方に気を付けねばならないが、ミレイユに彼らを傷付ける意図は無い。今のところは軽い裂傷と、盛大な転倒だけで済ます。


 魔術行使に伴う制御は、繊細な集中力を必要とする。大きなダメージを与えずとも、未熟な者ならこの程度で簡単に無力化できてしまう。普段は後方から攻撃だけしているような魔術士では、特にこういった搦手には弱い。


 現在の森の戦法では、特に前衛と後衛を切り分けて行動しているだろうから、ここまで混戦状態で戦う事などなかっただろう。


 加えて、圧倒的数の優位が、彼らを傲慢にさせていた。

 ミレイユが幾ら凄いと聞いていても、常識的にこの数の魔術は防げないし、同時に飛び掛かる獣戦士からは逃げられない、と思っていただろう。

 自分たちは最初の一発を撃ち込めば、実質的にやるべき仕事は果たした、とでも思っていたのかもしれない。


 ――勘違いも甚だしい。

 ミレイユは傲慢だった顔を恐怖に引き攣らせている他のエルフ達へ、同様の魔術を撃ち込んで転倒させていく。

 中にはそのまま昏倒してしまう者もいたが、狙ったのはその事ではない。


 フレンが望んだ様に、ミレイユはその実力を知らしめてやる必要がある。

 単に『衝破の烈風』で退場させるのでは無く、例えその場で戦意を失おうとも、その目で彼我の実力差を目に焼き付けて貰う方が目的に叶う。


 防壁で吹き飛ばした獣戦士達も、未だ脱落した者はいない。

 それだけの攻撃しかしていないのだから当然なのだが、ミレイユが如何なる存在か、彼らにも分かり易く教えてやらねばならなかった。


 ミレイユは迫りくる後続の戦士達を迎え撃つべく、右手に片手剣を召喚し、左手には袖の中に隠していた短剣を取り出す。これは刃の立っていないパリィング・ダガーと呼ばれるもので、攻撃を受け流す際に使用される。


 反撃で傷付けてしまう心配がない分、今はこういう武器の方が望ましかった。

 眼前に迫った獣戦士たちを迎え撃つべく、ミレイユは剣の柄を強く握りしめた。


 かつて――。

 二百年前の戦争では、エルフと共に戦った獣人族の戦士達は、非常に心強い味方だった。生来の魔力総量の少なさを、己の肉体と特性を活かす事で補っていた。


 魔力制御の鍛練とて、手を抜いていた訳ではない。

 戦争という節目、そしてこれから得られるかもしれない平等と平穏に、正しく己の命を燃やして戦っていた。目の前の彼らはその子孫なのだろうが、彼らに当時の熱意は正しく受け継がれていないようだ。


 それを不甲斐ない、と詰りたい訳ではなかった。

 ただ、やはり窮屈な森に押し込められているという現状と、憤懣などの環境が、彼らを弱くしてしまったのだと嘆く気持ちが強い。


 鍛え直してやる、などと傲慢な事を言うつもりもない。

 ただ、お前達の先祖は誰の背中を見て走ったか、その一端でも教えてやりたい、と思った。


 最初に吹き飛ばした獣人たちが地面に投げ出されたのと同時、その下を掻い潜るように接近して来た戦士達が、ミレイユの眼前まで肉薄した。

 正面から同時に掛かって来るのは二人までで、他の二人は背後へ回り込もうと横へ逸れる。


 ミレイユは敢えてそれを見逃して、正面の二人を相手にする。

 身体の大きな獣人だった。黄色い縞柄の入った毛皮から察するに、虎人の種族だろう。その男女が互いに棍を握りしめ、連携の合った攻撃を繰り出してくる。


 一人が鋭い連突を、一人が対応の隙を狙う足払い、互いの長所を知り尽くしたこその動きに見えた。ミレイユはその打突を左右へ避けつつ、足元へ払われた棍を跳ねて躱す。

 空中にある一瞬の静止は、攻撃を加えるには絶好の機会だ。


 背後に回っていた他の戦士が、その隙を狙って剣を振るったが、それをミレイユが持つダガーで逸し、もう一人の攻撃も召喚剣で弾いた。

 四人による目まぐるしい攻撃も、どれ一つミレイユに届かない。


 更に繰り出される四位一体の攻撃は、ミレイユの的確な判断で処理されていく。

 背後からの攻撃、完全な死角からの足を狙った攻撃も、ミレイユに一撃加える事は出来なかった。その場で留まるのではなく、緩く円を動く様な動きは、さながら一つの演舞のようにすら見える。


 四人の誰かから、引き攣るような息遣いが聞こえるのと同時、ミレイユは一瞬の隙を突いて魔術を行使した。初級魔術は一瞬の制御で発動できるものだが、そもそも行使できる筈がない、と高を括っていた四人には効果絶大だった。


 自身の周囲に衝撃波を飛ばす魔術を使ったので、殺傷力は低い。

 今回の様に接近された時、強制的に距離を離す場合に使われる。本来はその様な用途だが、ミレイユが使えば、それは十分な威力を持つ魔術となって襲い掛かる。


「ぐあっ!」


 悲鳴を上げて四人は吹き飛び、それらが受け身を取るより早く、追撃の魔術で意識を刈り取る。そのまま結界付近まで吹き飛ばしてやれば、後はアヴェリンやルチアが上手く回収するだろう。


 ミレイユが身構え直すと、控えの戦士も波を成すように近付いて来ようとしていた。

 その背後では、残ったエルフ達が制御を始めているのも見える。


 新たにやって来ようとしているのは鬼族の戦士達で、獣人に比べれば鈍重な彼らは、しかしそれだけ膂力が並外れている。平均的な獣人族より頭二つ分は大きく背丈、筋肉質の彼らがタックルを仕掛けるだけでも十分な脅威だった。


 本来なら避けるか逃げるのが最適解なのだが、逃げた方向には魔術の追撃か、或いは他の戦士による攻撃があるだろう。よくよく見れば、逃げやすい箇所がわざと空白地帯になっている。

 そこへ飛び込みたくなる配置だし、目の前の鬼族を避けようと思えば、そこしか回避場所がない。見事な狙いだと褒めてやりたいところだが、そもそもとして、未だミレイユの底を見誤っている。


 回避に長ける体術を持っていると見て、そして、それならば、と取った作戦だろう。

 ミレイユは魔力を制御して身体中へ巡らせて、召喚剣を解除すると手を前に突き出す。鬼族と比べれば、小枝の様にしか見えない腕だが、目前まで迫った巨体を衝撃音と共に受け止めてしまった。


 まるで巨岩同士がぶつかったかのような音を立て、不自然なまでに鬼族の動きが止まる。肩を突き出す様に突進していた男は、苦悶の声を上げて膝をついた。

 掌から伝わった衝撃が、身体を貫通した所為だった。


 虚を突かれて一瞬動きを止めた他の鬼族も、押し退けるように前に出てきたが、その一瞬の隙を作った時点で勝ち目は無い。

 先程よりも更に強力な衝撃波を放ち、鬼族達を蹂躙していく。踏ん張る事も難しいだけの衝撃が、破裂音と共に飛び交い、誰一人例外なく、もんどり打って倒れていった。


 後方からエルフ達が魔術を弓なりに放ち、頭上から雨あられと、多種多様な攻勢魔術が降らせて来たものの、同じ手は通用しない。

 それどころか、倒れて動けない鬼族を巻き込む攻撃方法に顔を顰める。


 ――間抜けめ。

 最初の手筈どおりの連携のみしか、考えていなかったのだろう。

 何か応手はあるにしろ、鬼族が無力化されるなど考えていなかったからだろうか。だが、だからといって巻き込む攻撃だけは非難する気持ちが募る。


 ミレイユは自身だけでなく、倒れた鬼族を守る為、頭上に広がる防護膜を築く。本来なら自分の周囲にだけ纏わせるだけの魔術を、基準を遥かに凌駕する規模を展開し、それを見た誰もが唖然と口を開いた。


 片手でエルフ全員の魔術を凌ぎ、鬼族の傍らから接近しようとしていた獣人族を、もう片方の手で魔術を行使して堰き止める。

 防壁によって止めた動きだが、それを掻い潜って来る者も少なからずいた。


 左右から抜けてくる者たちを躱しながら、防壁を武器に見立てて、堰き止められた者達を吹き飛ばしていく。今度は単に退けるだけでなく、しっかりと戦線離脱者を出す目的で攻撃した。


 エルフ達の攻撃は獣人たちと違って、全員がタイミングを見計らって攻撃して来て統率されていると感じる。そこだけなら素直に褒められるが、いつまでも自由に、気持ち良く攻撃させておけない。

 彼らは互いに一定の間隔で、十分な距離を開けて立っている。巻き添えを防ぐ為の措置だと理解できるが、ミレイユに言わせれば十分な対策とは言えなかった。


 実力差を考えれば、いざという時、互いに防壁を築いてより強い防御が出来るよう、工夫するべきだった。

 とはいえ、そもそも初手一つで勝てるつもりだった彼らからすれば、ミレイユの指摘は的外れだったかもしれない。

 しかし、ミレイユの実力を垣間見たなら、別の対応を模索するか、指示を乞うていなければならなかったろう。

 この辺り、かつて神宮で見た御由緒家などは、実に巧みな運用を見せていた。


 そして今度こそ、不甲斐なさを詰るように、ミレイユは魔術を行使する。

 中級魔術の『連鎖する雷撃』が、一番端のエルフに直撃すると同時、他のエルフへ文字通り連鎖して雷撃で撃ち抜かれ、そのまま気絶するように倒れ込んだ。


「フン……っ」


 多少荒く鼻息を出しながら、迫り来る多数の獣人の攻撃を捌く。こちらの対応力は素晴らしいもので、上下左右、どこへ攻撃しても通らないと分かりつつ、その動きを修正しながら攻撃してくる。

 多数を同時に相手をせねばならないミレイユからすると、この状況は随分不利で、最終的にその一撃を腹に受ける事になってしまった。


「――ッシ!」


 そして、それはフレンの一撃だった。

 灰色の髪を振り乱し、数多の仲間の攻撃を隠れ蓑に、或いは囮として成功させた一撃だ。何かを握り締めるように開かれた空掌と、黒く伸ばされた爪による、抉る様な攻撃だった。

 見事、と褒めたいところだが、それでも防具すら身に着けていないミレイユの防御を抜く事はできない。


 彼女からすれば、岩そのものを殴り付け、切り付けた様な感覚だっただろう。

 これは魔術士が持つ、魔力を内側に閉じ込める為に生まれる防膜が作る防御能力だった。膜という単語が使われている事から分かるとおり、これには大した防御力などない。


 どのような攻撃であれ、受け止めきれず貫通するのが、この防膜というものだった。

 だがその密度次第では、馬鹿にならない防御手段となり得る。本来は魔術に対して特に有用に働く防御手段だし、それを持って魔術耐性が高い、などと表現するものだが、ミレイユ程の総量と密度があると物理的にも防御力を発揮する。


「なんて、インチキな……!」


 フレンが顔を歪めて、悪態を吐くのも当然だった。

 振るう攻撃は躱すかいなすかされて当たらない、そのくせ直撃しても通らない、では何をして良いか分からなくなるだろう。

 魔術攻撃に対しても完封され、今となってはそのエルフも沈んでしまっている。


 ミレイユがその手を左右に振れば、まるで巨大な手で薙ぎ払われたかの様に吹き飛び、またミレイユとの距離が出来る。

 『念動力』を使って押し出しただけだが、目に見えない力は、彼らにとっては実際巨人の手に等しい脅威と映っただろう。


 後方からの攻撃手段を失った今、再び開いたこの距離を詰めるのは簡単ではない。

 ミレイユにその気があれば、数を頼みにしようと防壁か念動力だけで近付けさせない事も可能だ。そのどちらも初級に位置する魔術だけに、また発動も早い。


 攻めあぐねて、迷いが見えているのは直ぐに分かった。

 やりやすいよう、両手を小さく広げて近付いて行ったのだが、更に大きく怯んで構える。


「う……、う……くそっ! うぉぉぉおおお!」


 一人が追い詰められた獣の様に唸りを上げ、そして堪りかねて走り出し、一拍遅れて数人が後を追った。

 大きく湾曲して接近して来ようとする獣人に、ミレイユは足を止め、片手を持ち上げ待ち構える。その破れかぶれの攻撃に、何か起死回生の狙いでもあるのかと、小さく警戒しつつ攻撃を待った。

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