嵐の前の その6
どこか憂いた表情を浮かべていたルチアも、遊び続ける事で笑顔を見せる事が多くなった。まるで妖精のよう、と表現される容姿だけあって、ルチアがその様にあどけない笑みを見せれば、周りの入園客から視線も集まる。
ミレイユもまたサングラス越しに、その微笑ましいルチアの姿を見ていた。
ルチアが手を引くようにミレイユを連れ回そうとするのも、また嬉しい事だった。遊園地は童心に帰るという言葉に偽りなく、ルチアが心底から楽しむ姿を見られれば、連れて来た甲斐もあるというものだ。
次に連れて来られたのはミラーハウスで、これも遊園地では定番と言えるアトラクションだ。最近では話題にも上がらない稚拙なものだが、何もかもが新鮮に思える彼女たちにとっては、良い遊び場になるかもしれない。
一度に入れる人数には限りがあるようだが、一人が待つ間隔は短い。それに厳密な取り締まりがあるものでもないようで、家族同士入っていたりもしていた。
アキラがそれを見ながら呟く。
「懐かしいです。僕も昔、子供の頃ミラーハウスに入った事があります」
「ほぅ……。では、この施設に自信アリという事だな」
アヴェリンが挑むように言うと、アキラは苦笑しながら首を振った。
「別に競うような場所じゃないですけどね。惑わされるのを楽しむような所ですし。もしかしたら、師匠達でも簡単に出口へ行くのは簡単じゃないかもしれませんよ」
「それは尚更、興味惹かれるな。同じハウスの名を冠する施設だ。先程の失態を無かった事に出来るよう、挽回せねばなるまい」
「遊ぶところですからね? 変に構える必要はないんですからね……!?」
アキラが焦った声を出してアヴェリンの熱意を冷まそうとしている間に、ミレイユ達の番がやって来る。
係員の指示に従い、まずルチアとユミルが先に入った。それから一分程度待たされ、ミレイユも後に続く。ミラーハウスの名のとおり、床から天井まで鏡張りの仕切りがあり、眩しい光で反射させながら、進もうとする者を惑わす迷路が作られていた。
ミレイユも昔、一度ミラーハウスに入った事はあったが、これほど立派なものではなかった。迷路自体も実に狭く短く、子供心に拍子抜けだったのを覚えている。
このミラーハウスは、その時に入った施設より何段も上の出来栄えだが、今は別の意味で拍子抜けしている。
ミレイユが持つ肉体と、鍛えられた感覚が、本来惑わす仕掛けを無効化してしまっている。そしてそれはきっと、アヴェリンも同様に感じているだろう。
何の気兼ねもなく、また惑わされる事なく進んでいくと、先を行っていたルチア達に追いついてしまった。近づく前から姿だけは反射して見えていたものの、実際は追いつこうと思ってもその場にいないなど、視覚から得られる情報に差異が出る。
追い着いたと思って角を曲がっても本人はいない、という事が起こる筈なのだが、本来の楽しみ方を全く出来ずに合流した。
「あら、もう追いついて来たんですか?」
「ちょっと、余裕やゆとりってものを考えなさいな。鏡に騙されてやるのも遊びの一種でしょ?」
「そう言われるとそうなんだが」
ミレイユは苦笑しながら周りを見渡す。
そこには上下左右が反転された姿で、鏡面に映るミレイユやルチア達の姿があった。全てが同じ鏡像でもなく、横幅広くなったり、逆に細くなったりしている。
普段は見ることの出来ない、肥満体のような姿に笑い合っていると、後続のアヴェリンもまた追い付いて来てしまった。
「……何よ、アンタもなの? せっかちって言われない?」
「何の話だ。道に沿って来ただけだろう」
「いやあ、周りの鏡像を見て何も思わないワケ? 惑わされて方向見失ったり」
実際、鏡の迷路は何も鏡が行く手を遮っているだけ、という訳でもない。惑わす仕掛けが他にも用意されている。
ルチアもまたユミルに追従するように、周りを指し示しながら言った。
「これを見ても何も思わないんですか? 見慣れない光景に驚いたりとか……」
「そもそもこれは、惑わされないよう進むものではないのか。あくまで障害としてある以上、それを克服して進むのが正しいやり方だ」
「いやぁ、どうでしょう……。もっと単純に、見たとおり遊ぶものだと思いますけど……。それにホラ、鏡だけでなく透明なガラスの仕切りまであるんですよ」
ルチアは実際に触って、そこに鏡像が映し出されない事を見せる。
「これで尚の事、進みたい方向に行けないようになってるんじゃないですか。手探りで進む程に惑わされる、それなのに……」
そう言って、自分の言葉に改めて気付かされたように、ミレイユへと顔を向けた。
「普通、手を前に出したりして恐る恐る進むものじゃないですか。鼻をぶつけたくないですし。ミレイさんもそうでしたけど、ごく普通に歩いて来てましたよね。……どういう理屈ですか?」
「――ああ、良かった。追い付いた……!」
ミレイユが何かを答える前に、アキラが背後から近付いてきた。安堵の息を吐いたのは、先にズカズカと進んでしまったアヴェリンと合流するのに必死だったからだろう。
アヴェリンはアキラへ煩そうに目を向け、それから叱咤の混じった声を放った。
「……何をそんなに苦労する事がある。目で見て惑わされるなど、初心者のする事だ。お前も少しは出来るようになったと思ったが、買い被りだったようだな」
「そんなこと言われましても……、そんなの教わってないですし」
「ほぅ、師に口出しするとは、お前も偉くなったな。学園へ通うようになれば、誰もがお前のように傲慢になれるのか?」
「いえ! 決して、そのようなつもりではっ!」
何やら師から弟子への可愛がりが発生しそうな気配を感じて、ミレイユは素早くアヴェリンの傍へ寄る。その腕を優しく叩いて宥めるように言った。
「今は遊ぶ時間だ。気付いた事に口出しするのは師の務めかもしれないが、それ以上は興が冷める。今日のところはナシでいこう。……お前も楽しめ」
「ハッ……」
アヴェリンが慇懃に礼をして、ミレイユは困ったように笑って傍を離れた。その遣り取りを見ていたルチアは、ミレイユに問う。
「アヴェリンが言うところでは、それってつまり、ミレイさんも鏡像に惑わされず、正しい道を直進して来たって事ですか?」
「まぁ、そうだが。視覚を惑わされるだけじゃ、別に枷にはならないからな」
「流石ミレイ様です」
アヴェリンが我が事のように喜び、誇りを感じる笑顔で頷く。次いでアキラへ顔を向け、諫めるように目を細くして見つめた。
アキラは肩を窄めて身体を小さくし、萎れたように下を向く。
「アキラについては、今後の課題が一つ見つかったとして、それで良しとしよう。……あまりここで立ち話をしていても、また後続が追い付いて来て邪魔になる」
「他の誰もが、あなた達の様には行かないと思いますけど……じゃあ、ミレイさん達が先に行って下さいよ。私達が先だと、またすぐ追い付かれてしまいますし」
「そうだな、そうしよう。……アキラは折角だから、訓練のつもりで動いてみたらどうだ。視覚に頼らないとはどういう事か、少し考えながらやってみろ」
「わ、分かりました……!」
アキラの緊張した声を背中で聞きながら、ミレイユはアヴェリンを連れて動き出す。ミレイユとアヴェリンの鏡像に惑わされず進む方法に違いはあるだろうが、こういう迷路ならば簡単で、風の通り道を探せば良い。
迷路であっても出口と入口は一本の線で繋がるというルール上、それさえ感じ取れれば視界に頼らず進むことが出来る。
後は人が近くにいるなら、その気配や息遣いなどを把握できれば、それもまた自身の位置を把握する手助けになる。
そうして難なく出口まで辿り着くと、明るい陽射しの下に出る。
ルチア達が出てくるまで暫く掛かるだろうから、それまで近くのベンチで待つ事にした。
アヴェリンと隣り合って、出口が見える場所で腰を下ろす。そのアヴェリンがムッツリと出口を睨み付けているので、その太ももに手を置いて揺らし、気を逸らした。
「そう怖い顔をするな。ユミルより早く出て来なければ、とでも考えていただろう?」
「ハ……、真に、そのとおりで……。曲がりなりにも内向術士なら、あれより早く出てきて貰わねば困ります」
内向術士は遠くの敵を感知するような事は出来ない。それは外向術士の領分だ。だからこそ、自身と周囲の気配には敏感で、また背後からの一撃であっても躱せるように、その技術を磨いておくべきという考えがある。
ただしそれは、誰にでも出来るようなものではない。
あちらの世界でも、当然のように出来る技術ではなかった。それをアキラに求めてしまうのは、師の贔屓目があるからか。己の弟子なら、出来ないよりも出来て欲しいという、欲の目もあるのかもしれない。
アヴェリンも中々入れ込むようになったな、と不思議な感慨に耽っていると、出口から何者かの影が見えてきた。
「……さて、どっちだ?」
興味深げに見つめていると、姿を現したのは、果たしてユミルの方だった。
アヴェリンの盛大な舌打ちを聞きながら、ミレイユは笑い声を冬の空に響かせる。アキラも大変だな、と他人事のように思いながら、明日以降の訓練メニューに新たな項目が追加されるのを確信した。
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