嵐の前の その7

 昼食も混み合う時間を避ける為、少し早めに園内で済ませ、そして幾つかのアトラクションを遊び回れば、少し遊び疲れも出てくる。体力的には問題ない筈なのに、旅をしている時とはまた別種の疲れを感じていた。


 やはり慣れた疲れより、感じた事のない新鮮な疲れの方が身体は意識してしまうものらしい。

 あるいは、目まぐるしく感じる遊園地という環境が、精神疲れを呼び起こすのかもしれない。


 まだ陽は高く、冬の空とはいえ気候も暖かい。さんさんと降り注ぐ光を浴びていれば、むしろ暑いくらいだった。そこに冷たい風が通り過ぎれば、心地良さすら感じる。


「少しこの辺で休憩されますか?」

「そうだな……。ルチアは……」


 ミレイユの調子を見て取ってアヴェリンが提案してくれたが、本日の主役であるルチアは、逆に遊び足りないと感じているかもしれない。それで顔を向けてみたのだが、彼女から不満は感じられず、素直に頷いてくる。


 それでミレイユ達は、近くにあったフードコートへ寄ってみる事にした。

 店内だけでなく、外にもパラソルを広げた丸テーブルが置いてあり、そこでも軽食を楽しめるようになっている。今日のように陽射しもよく、風も心地よいくらいだと、そうして間食を楽しむ人も多い様だ。


 ミレイユ達も一同、外のテーブルで休憩する事にした。アイスクリームを中心としたデザート類は外でも注文でき、そこで受け取り好きな席に座るというシステムだ。ミレイユは財布を渡して注文を任せ、一人で先に席で待つ。


 思い思いに注文を済ませ、それぞれ手にした物を持って戻って来ると、それでようやく一息つけた。今日もミレイユは飲み物だけで、アヴェリンは期待を裏切らず、いつものとおり甘味を選んでいる。

 見れば誰もが甘い物を頼んでいて、ルチアもアイスクリームを手に持って嬉しそうにしていた。

 ユミルとアヴェリンはジェラートを頼み、アキラもチョコアイスにした様だ。


「ご馳走様です、ミレイユ様。……勿論、これだけじゃなくて」

「ああ、気にするな。今日の払いは、こちらで持つと約束したしな。……今日のような事がなければ、使い道もないしな」


 何と反応して良いか困ったのだろう、曖昧に笑みを浮かべて、アキラは手にしたアイスクリームを食べていく。

 ルチアもすっかり機嫌を良くして、遠くへ視線を向けながら、アイスクリームの先端を舐め取っていく。


「それにしても、こちらの娯楽には本当に驚かされます。何より、これだけの設備を維持出来る事が異常ですよ。ミレイさんが、こちらの世界に拘った理由がまた一つ分かった気がします」

「そこに着眼点を持つのは、この中ではお前くらいだと思うが……。まぁ、楽しんで貰っているようで何よりだ」


 ルチアはこくこくと頷いて、今度はアイスクリームに付属していたスプーンを使って口に運んでいく。もにゅもにゅと口を動かしては、満足げな笑みを浮かべた。

 ユミルがそれを見ながら、まぁねぇ、と呆れた様な口振りで言う。


「こっちの娯楽に掛ける情熱って、ちょっと異常よね。それだけ平和ってコトなのかもしれないけど」

「……そうだな。一般人にとって、鬼や魔物なんてモノは、想像上の生き物に過ぎないんだろう。オミカゲ様が上手くやって来た成果とも言えるが……」

「あら、アタシはネット上で、鬼を見たとか幽霊がいたとか見たけど」


 ミレイユは何と反応したものか迷う。

 真実を知っている立場からすると、鬼の目撃情報自体はあっても不思議でもないが、幽霊と合わせて考えると途端に嘘臭く感じる。

 それにネットの情報は鵜呑みにするべきじゃない、という常識もそれを後押ししていた。


 ミレイユが答えに窮していると、全て心得ているようにユミルは笑う。

 ジェラートを機嫌良く口の中へ運びながら、続けて言った。


「ま、アタシも鵜呑みにはしてないけどね。何しろ鬼やら妖怪やらというのは、オミカゲ様に追いやられた、という考えが根底にあるみたいだし」

「それは確かに聞き覚えがあるな」


 そうして流し目を送ると、チョコアイスにかぶり付いていたアキラが顔を上げる。

 口の端に付いたアイスを、ぞんざいな手付きでペーパーナプキンで拭き取ると、補足しようと口を開いた。


「ええ、よくある話でして……。オミカゲ様は雷神として、雷光で魔を追い祓うと言われてます。だから、畏れや怯えといった感情より、妖怪はやられ役みたいに見られますね。怪談話なんかあっても、ライトをチカチカ点滅させれば、それで逃げ出すなんて言う話も多いです」

「魔を祓う、か……」


 呟きながら、それが一段と低い声になってしまい、アヴェリンなどは気遣わし気な表情になる。

 アキラはそれに知ってか知らずか、オミカゲ様への熱い思いを滔々と語り出した。


「お伽噺みたいに思ってましたけど、あの学園に入って改めて尊敬しました。遥かな昔から、人知れず鬼から護って頂いていたなんて、感謝だけでは足りません。その一翼に加えて頂けたのは、本当に光栄としか……!」


 アキラの目が熱を帯びるどころか、それを通り過ぎようとしているのを見て、ミレイユは慌てて肩を揺する。恍惚と目の焦点が合わなくなり始めたところで、アキラは我を取り戻して帰って来た。


 元よりアキラは一般人として過ごしていた時から、厚い信仰を捧げていた者だから、真実の姿を知って尚、その信仰を強めたのだろう。

 とはいえ、その熱の入り用は少し怖い。

 しかもそれは、ミレイユの視点としては別人ではあるものの、同一人物の事なのだ。その思いが自分にも向けられるのかと考えると、ちょっとだけでなく、かなり嫌だ。


「それにオミカゲ様は、何も魔を祓うだけの神様じゃありませんからね」

「ああ、手広く商売をやっていたな。銀行を作ったり何だりと……」


 それも、今思えば納得だ。

 世界に先じて電気を実用化出来たのも、雷神としての加護や知識によって齎されたと人々は考えたのだろうが、多くの気づきを持つミレイユならば、それを知識人に伝える事で実用化させる事が出来たろう。


 資本主義の母と呼ばれるのも、現代を知っていればこそ――二周目をやっている彼女からすれば、神としての信頼を得た後なら、多くのことを先じて進められたに違いない。


 日本は戦争に負けていない、というのもまた頷ける話だ。

 現代戦では見なくなった一騎当千という存在も、オミカゲ様が保有している隊士を用いれば嘘でなくなる。戦車砲の一撃を受け止めるなどという、戦場伝説として笑い話にしかならない逸話も、きっと嘘ではないのだろう。


 現代兵器ですら無力な彼らを使って、そしてオミカゲ様の――ミレイユが持つ魔術を利用して、勝ちを拾えない方が異常なのだ。

 その気になれば、単身都市部へ向かい、隕石の一つでも落としてやれば壊滅的な被害を与えてやれるだろう。味方まで被害に遭うので、遠く敵陣と睨み合うような形の戦闘でしか使用できないが、やる気さえあれば、いつでも敵首脳陣へと打ち込める。


 まるで掌の中に隠せる、核兵器を持っているようなものだ。

 本気で潜入しようとして、止められる者などいないだろう。もし原子爆弾が落ちていたら、神対世界の戦争に発展した可能性すらある。


 この世界の戦争では、一体どのような形で参戦し、そして終戦までどういう経緯で持って行ったのかは知らないが、大変な外交努力があった事は理解できる。今の平和も、それを過去より維持しているのも、並大抵な事ではない。


 今更ながらそれを認識して、ミレイユは遠く空を見上げた。

 考えたくもないが、もしかすると、それを自分がしなければならないのか、と思えば気分も重くなる。

 溜め息を吐きたい気持ちでいると、アキラが申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「……あの、何か僕、マズイこと言っちゃいましたか」

「ん? ……ああ、いや、違う。ただ、ちょっと見直していたのさ。難しい事をやっていたんだな、と。今度から少し、態度を和らげようかと思っていた……」

「あぁ、そうなんですね! ミレイユ様は近しい存在だから実感湧かないのかもしれませんけど、オミカゲ様は本当に偉大な御方なんですから」


 ――近しい存在。

 言い得て妙だが、確かにそうだ。アキラは同じ神の一柱という意味合いで言ったのだろうが、その表現はミレイユの心を僅かに揺らした。


 ミレイユとオミカゲ様は、近くて遠い存在だ。歩んだ時の長さがその差を生んだとも言えるが、既に在り方として別の存在でもある。

 オミカゲ様にあってミレイユにないのは、何よりその覚悟だ。

 世界の破滅をその目で見たかどうかも、その違いを顕著にしているだろう。


 自分に出来るのか、という不安が、どっと胸に去来する。

 未来を思えば臆病にも謙虚にもなる、とは誰の言葉だったか。先の見えない未来、覆すのが困難な憂慮、そして神々との敵対。


 自分に出来るのか、同じ自問を繰り返す。

 やりたい事というより、やらねばならない事、というのが、更にミレイユの胸を重くした。ついに溜め息を吐いた時、アヴェリンが気遣う視線を向けている事に気が付いた。


「ミレイ様、何か御座いましたか?」

「いや、詮無いことを考えていただけだ」

「駄目ですよ、ミレイさん。今日は楽しむ為に用意した時間だって、貴女が言ったんじゃないですか」

「そうだったな」


 ミレイユが笑えば、それにつられてルチアも笑う。アヴェリンも気遣う視線を止めて、手元の空になった紙製カップを見つめた。

 ミレイユはそれに笑って、気遣いのお礼として言ってやる。


「食べたかったら、もう一つ頼んで来てはどうだ?」

「よろしいのですかっ!」

「ああ、折角色々な味が用意されているんだ。別の味を試すのも良いだろう」

「では、行ってまいります」


 嬉しそうに立ち上がったアヴェリンに、微笑ましい笑顔を向けていると、その背に掛かる声がある。ユミルが自分の空になったカップを持ち上げて、ひらひらと振って見せた。


「ついでにアタシの分も買って来て頂戴。今度はオレンジが良いわね」


 アヴェリンはちら、と視線を寄越したものの、返事をせずに去って行く。殆ど無視するような有様だった。その背にユミルは罵声を浴びせるように声をぶつける。


「ちゃんと買ってきなさいよ! 誰のお金だと思ってるのよ!」

「メチャ高圧的だし、師匠には逆効果じゃないかな……。大体、ユミルさんのお金じゃないですよね……」

「アタシのみたいなモンでしょ。この世のあらゆるものは、大体アタシの物って自信あるし」

「どっから出てくるんですか、その自信……」


 無茶苦茶だ、とアキラがうんざりとチョコアイスを食べ始めると、ユミルが持っていたスプーンで一掬い奪っていく。

 あっと思うよりも早く口元へ運ばれてしまい、勝ち誇るようにユミルは笑う。アキラは悲しげとも呆れとも取れる視線を向けて、ミレイユはそれを見て喉の奥で小さく笑った。

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