嵐の前の その8

 アヴェリンが帰って来て、その手の中に一つのカップしかない事を認めると、ユミルは大仰に眉を顰めた。これ見よがしにテーブルの上で頬杖を付き、顔を傾けてアヴェリンを睨む。


「……ちょっと。ねぇ、アタシの分は?」

「知るか。欲しいなら自分で買ってこい」

「はぁ? 何でアンタはそうなのよ。次いでなんだから、買って来ればいいじゃない。気遣いとか真心とか、そういう気持ちは持ち合わせていないワケ?」

「勿論あるが、お前にだけ持っていないだけだ」


 アヴェリンが鼻で笑うと、ユミルは席を立って詰め寄る。


「ふざけんじゃないわよ。罰として、アンタの寄越しなさい」

「馬鹿を言うな、底に残った分でも舐めてろ! 人を舐めるのが得意なら、物を舐めるのだって得意だろうが!」


 奪おうとするユミルと、それを死守しようとするアヴェリンが立ち上がる。

 取っ組み合いの喧嘩が始まろうとしたところで、アキラは早々に自分の分を口の中に押し込んだ。巻き込まれては敵わないと、席を立って場所を離れる。

 ルチアは二人の様子を呆れた目をしな見ながらスプーンを動かし、ミレイユはいつもの事だと笑って見ていた。


 直接的な殴り合いだとアヴェリンが有利過ぎるのだが、壊れやすい入れ物を守り続けなくてはならないというハンデがある。

 対してユミルは、最悪ジェラートを台無しに出来れば良いので、奪い取れなくても嫌がらせが成功すれば勝ちと考えている。


 即座に勝負が着くだろうと思っていたが、意外にも互いに決め手が欠け、周りの目も厳しくなってきた。数秒で収まるならまだしも、長く続けば迷惑だし煩わしい。

 微笑ましく見ているだけとはいかず、ミレイユは指先でテーブルを二度叩く。


 それだけで即座に二人が元の席に戻って、まるで何事もなかったかのように振る舞い出した。

 アキラが二人を交互に見、そしてミレイユへ困惑した表情を向けてきた。


「……前にも思ったんですけど、ミレイユ様がそれやると、凄い素直になると言うか……。ケンカやめますよね。昔、何かあったりしたんですか?」

「そうだな、肉体的な説教をした事がある」

「あれは説教とは言わないでしょ。肉体に訴えかける暴力って言うのよ」


 ユミルが本気で恐怖しているかのように身を震わせ、そしてアヴェリンは聞こえない振りをして神妙な表情でジェラートをぱくついている。

 アキラは恐る恐る元の席に戻り、顔色を窺うように聞いてきた。


「あの、言い辛かったら無理に聞かないんですけど、……何をしたんですか?」

「別に言うほど大した事はしていない。ユミルの頭をカチ割っただけだ」

「いや、言うほど大した事ですよ、それ!」


 アキラは大きく背を仰け反って、席を蹴飛ばすように立ち上がる。だが、周りから奇異な視線を向けられたのに気付いて、ペコペコと頭を下げて席に座り直した。

 それからユミルの方へ顔を向け、痛ましいものを見つめるように視線を向ける。


「ミレイユ様は温厚な方じゃないですか。何をしたら、そんな事になるんです?」

「別に内容は覚えてないわね。さっきみたいな下らないじゃれ合いよ」

「それで、頭を割られちゃうんですか……?」


 その程度の事で、と言外に言っているかのようだった。口で言って聞かないのなら、引き離すように動くとか、やり方は幾つでもあるとでも思っているような顔をしている。

 どう説明したら良いか迷っていると、それまで黙って聞いていたルチアが口を開いた。


「本当にただ掴み合いしてるだけなら、ミレイさんだって笑って見てますよ。でも、放っておくとじゃれ合いで終わらないから、直接的な仲裁に入るんじゃないですか」

「あらまぁ……。頭を二つに割る事を、そう表現する子がいるとは思わなかったわ」

「気に入りません? だってユミルさん、熱くなると手段を選ばなくなるじゃないですか」


 その一言で、アキラの表情に幾らか納得の色が浮かぶ。ある程度、何があったか察しも付いたらしい。問題があるとするなら、直接手を下したミレイユではなく、ユミルの方にこそある。

 その予想は正しい。


 そして実際、口で言おうと間に入っても止めなかったから、ミレイユが直接制裁の意味を込めて介入する事になった。ミレイユが本気でやめろと言えば、アヴェリンは素直に応じる。

 だが、アヴェリンが動きを止めた事で、むしろ好機と動いたのはユミルだった。


 それまでも魔術を使った応手を繰り返していたが、アヴェリンも簡単に隙を見せないから、争いのレベルは上がっても膠着状態には変わらなかった。

 しかし、応じて動きを止めたアヴェリンに攻撃をした為、派手に吹き飛ぶ事になった。小さなものだが怪我も負い、そうとなればミレイユも本腰を入れざるを得ない。


 これは何もアヴェリンを一方的に味方する行為ではなく、チームをまとめるリーダーとして、今後のチーム運用を考えての事だった。

 形だけいるリーダーに意味はない。時に威厳を持って、チーム内の争いを鎮めるし、鎮めることが出来る存在と教えてやらねばならない。


 その為にミレイユは動いたし、そして抵抗の素振りを見せたから、制裁するレベルまで対応が上がった。ここで日和ってはならず、リーダーとしてチームをまとめられる人物だと教えてやらねばならなかった。


「まぁね、アタシもちょっと遊び過ぎたかなぁ、とは思って、それから反省したワケよ。……あらゆる抵抗を無視して、足止めすら有効じゃなく、着実に接近してくる相手って恐怖よね」

「それには確かに覚えがあります……」


 アキラはふるり、と身体を震わせた。学園で見せてやった、二年生以上全員と戦った時の事を思い出しているのだろう。

 あれは実力差が大きいから実現したのであって、同じ様な事はそうそう出来ない。高い力量を誇るユミルに対して出来たのは、その手口を多く知っているから、その攻撃に対応出来ただけだ。


 搦手や初見殺しを多く用意しているユミルだが、知られてしまえばそれが逆に弱点となる。

 ルチアは懐かしむように目を細め、それから気の毒そうに声を落とした。


「最後は殆ど懇願するように謝ってましたけど、ミレイさんは許してあげませんでしたね。無表情のミレイさんに詰め寄られて、万策尽きた状態で脳天に一撃って……私なら夢に出ますよ」

「何言ってるの、――今も時々夢に見るわよ」


 ユミルは指先を一本向けて片目を瞑る。

 その動きは様になって見えるが、言っている事は情けない。それを感じさせず、また尾を引いていない様に見せるのは、ユミルが普段から持つ雰囲気のお陰か。


 アキラが感嘆にも似た溜め息を吐いて、ユミルを見つめる。


「へぇ……、ユミルさんでもミレイユ様を止められないんですか」

「んー……? 本気になったら、どうかしらね……。でも、そうしたらこの子も本気になるだろうし……やっぱり無理かしらね?」

「そうなんですか……。ミレイユ様もやっぱり凄かったんですね」

「凄かった、とは何だ、馬鹿者」


 アヴェリンが横から頭を叩いて、アキラの身体がグラつく。アヴェリンはスプーンを口で咥えたまま睨みを利かせて凄んだ。


「は、はい。すみません……失言でした。ミレイユ様が凄いのは身を以て知りましたけど、結局皆さん凄すぎて、どの位凄いのか分からないんですよね。皆さん大体、同じくらいの強さって聞いてますし」

「皆さんって誰のこと指してるのか分からないけど、アタシ達三人って言うなら、まぁ……そうかもね?」

「扱う術や役割が違い過ぎて、一概には言えませんよ。……でも、そこを抜きにしてごく単純に考えると、私たち三人は大体近しい実力じゃないですか?」


 ユミルに続いてルチアまで同意すると、アキラも納得したように頷き、それから不意に首を傾げる。そうしてミレイユへ顔を向けた。


「三人って言いますけど、それじゃあミレイユ様はまた別って事ですか? やっぱりリーダーするぐらいだと、他三人より実力は上だと?」

「別に一番強い者がリーダーでなくてはならん、などと言う原則はない」

「あ、そうなんですね。じゃあ、もしかしてミレイユ様は……?」


 アヴェリンがつまらなそうに口を挟んで、アキラは懐疑的な視線を向ける。アヴェリンはそれを振り払うように手を振ってから続けた。


「あくまで一般論を言っただけだ。ミレイ様は……そうだな、私達三人が束になって挑んで、五分に持ち込めるぐらいだ」

「え、そんなにお強いんですか……!?」


 アキラが畏怖をありありと浮かべた表情を向けて、またアヴェリンに頭を叩かれた。

 我ながら失礼な態度だったと思ったらしく、アヴェリンに何事か言われる前に謝罪してくる。


「申し訳ありません、ミレイユ様。また失礼なこと言いました……」

「ああ、治らないな、お前のそれは。……癖なのか?」

「驚くと、どうも取り繕えなくなるタチのようでして……」


 またもペコペコと頭を下げるアキラに、ミレイユもやんわりと手を振って謝罪を受け取る。


「まぁ、今更の事かもしれないが」

「はい、すみません……。でも意外というか、むしろ困惑の方が強いと言いますか。師匠だって物凄く強いですけど、そのざっと三倍は強いって事でしょう? まるで想像つきません」

「なんだ、その頭悪い計算は。箱の大きさを計るんじゃないんだ、そんな単純な訳があるか」


 それはそうですが、とアキラが肩を落とすと、ため息混じりにアヴェリンが言う。


「近接戦闘だけで言えば、私とミレイ様の実力は拮抗する程だが……」

「あれ、そうなんですか? そう聞くと……」

「お前、ミレイ様が外向術士である事を忘れてないか。それで私と拮抗するんだぞ」

「――あっ!」


 言われて初めて気付くのも情けないと思うが、アヴェリンの実力を知っていると、それと拮抗できる外向術士など端から除外してしまうものらしい。拮抗できると聞いた時点で、その選択肢が頭から消えたようだ。

 だが実際、それは間違いではないのだ。


 アヴェリンと近接戦闘をして、五分に持ち込める外向術士というのは類を見ない。

 ユミルも剣を扱えるし、並大抵の剣士より腕前もあるが、その領域の極みに近い部類まで昇ったアヴェリンに敵うものではない。


「だから当然、近接戦闘しか出来ない私と違って、ミレイ様の引き出しは非常に多い。多彩に過ぎる、と言うべきだろうな。先程は五分と言ったが、こちらが先手を取れなければ負けに傾くだろう」

「そんなに……」

「多彩な手段を持っているという事は、こちらに対して数多くのアプローチが出来るという事だ。ミレイ様に先手を取られたら、それを覆すのは容易じゃない」

「へぇ〜……。因みにそれは、どんな……?」


 アヴェリンは三度その頭を叩く。

 今度こそ、呆れを存分に含んだ溜め息を吐いた。


「手の内というのは秘めるものだ。親しい仲であろうと聞くべきでないし、聞かせるものでもない。その程度、理解しているものだと思っていたのだがな……」

「はい、すみません。学園じゃ御由緒家の理術とか、その戦闘傾向とか共有情報みたいになっていたので……。それに流されたと言いますか……」

「呆れたな……」


 アヴェリンが憤懣やる方ないと首を振るのを見て、ミレイユが苦笑を漏らす。


「彼らは鬼に対する商売敵でもなければ、背中を刺される心配もない仲間内だという信頼から、そうさせるんだろうさ。あちらのギルドの様な殺伐さはない。それが理由だろうな」

「……なるほど。確かにギルドは仲間内ではあっても、商売敵でもありライバルです。蹴落とすのも蹴落とされるのも、当然の世界でした。それを思えば……」


 うん、とミレイユは頷き、未だ後頭部を抑えるアキラを見る。


「そういう訳だ。私が剣を扱える事は知っているから、その分に関してはアヴェリンも教えた。こちらの常識とはそぐわなくとも、それ以上踏み込んで聞くのは無礼だ。覚えておくといい」

「はいぃ……!」


 ミレイユはアヴェリンの方へ向いて、眉尻を落として笑う。

 アヴェリンも仕方ない奴だ、という風にアキラを見てから笑みを返した。


 空は中天を当に過ぎ、時計を見れば三時を越えている。待ち時間などを考えれば、あと幾つも楽しめないだろう。全員、手の中にあった物も食べ終えており、十分な休息も取れたように思う。

 日が暮れるより前に帰りたい事を思えば、後一つか二つのアトラクションで遊べるかどうかだろう。


「そろそろ、ここを出てアトラクションに行こうか?」


 ミレイユがその様に問いかければ、ルチアを始めとして他の者も立上がる。

 風の冷たさも肌に強く感じるようになって来た。西陽が強まっているから、まだそれ程には感じないが、しかし寒いと感じ始めたらすぐだろう。


 ルチアが急ぐように促すと、アヴェリン達は空になったカップをゴミ箱に捨て、その背を追うように園内奥へと急ぎ足で歩き始めた。

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