嵐の前の その9

 残り時間も少なくなって来た事はルチアにも十分理解できていたらしく、次に遊ぶアトラクションはすぐに決まった。というより、何をどういう順番で遊ぶか、既に決めていたと言うべきだろう。


 ミレイユは先導するように歩くルチアとユミル、二人の背を追って、目的のアトラクションに辿り着いた。そして見渡すように首を巡らせ、疑問に思う。

 それは、どうもルチアが選ぶものとしては意外に感じた。


「ここでいいのか……?」

「ええ、先程の決着をつけるという意味でも、中々面白い事になるのではないかと」

「先程……ユミルとアヴェリンのか?」


 そうです、とルチアが頷いた上で、件の二人に顔を向ける。

 二人はそのアトラクションを見ても、今一ピンと来ていないようだった。実際、それは板張りの壁が視界を塞ぐように広がっているだけで、遊び道具のようには見えない。


 アヴェリンは首を傾げて言った。


「勝負や決着は良いとして、これは一体何なのですか?」

「見てのとおりだ」ミレイユは入口上に掲げられた看板を指差す。「――迷路だよ」

「迷路? ……これが?」


 アヴェリン訝しげに、遠目でも入口を窺うように顔を動かした。

 入場と同時に丁字路になっていて、その全貌は全く分からないが、高さ三メートル程の高さを持つ壁が縦横に巡らされている事は、その規模から窺える。


 だが、地下ダンジョンや要塞など、これまで入った者を迷わす前提で設計された場所に踏み入り踏破したのは、一度や二度で済まない。両手の指の数では到底足りない程、それらを越えて来てもいる。

 たかが板の壁で作られたお遊び迷宮など、それらの内に含めるのも烏滸がましいと、その顔には書いてあった。


 それは侮りに違いなかったが、同時に驕りでもない。

 ミレイユもアヴェリンも、人工的な迷路や、自然窟を利用した迷路も数多く踏破して来た。今更お遊び迷路など敵ではなという自負は、自信相応のものだ。


 ルチアはそんなアヴェリンへ、にっこりと笑いながら指を立てた。


「実際、迷路としての難易度は難しいものみたいなんです。子供だけじゃなく、大人でも苦戦するという触れ込みもあるみたいですけど……、このメンバーなら大なり小なり問題にはならないと思うんですよね」

「それはそうだろうな」

「だから勝負なんです。誰が一番早くゴールに到達するか、その時間を競うんですよ」

「……ふむ、いいだろう」


 アヴェリンは不敵に笑みを浮かべたが、それに難色を示したのユミルだった。

 小馬鹿にするというよりは嫌気が差すように顔を顰め、腕を組んで顔を逸している。


「迷路はともかく、何で勝負までしないと行けないのよ。やりたいのなら勝手になさいな。付き合ってられないわ」

「あら、意外です。アヴェリンさんとの勝負事なら、間違いなく乗ってくると思いましたのに」

「んー……、まぁ、他の事なら別に良かったけどねぇ」


 あくまで渋面を崩さないユミルに、アヴェリンは鼻で笑ってから、ルチアへ労るように声を掛けた。


「トイレの出口だって見つけられない奴だ。これには少し荷が重かったんだろう。私達だけで楽しもうじゃないか」

「……はァン?」


 ユミルのコメカミがぴくりと動き、顔を巡らせアヴェリンを見つめる。怒りの形相を必死に抑え、平静を装いながら笑みを浮かべた。


「何ですって? ちょっと良く聞こえなかったわ。他の事はともかく、アンタに侮られるなんて我慢ならないのよね。――勝負? 良いわよ、吠え面かかせてあげる」

「いや、お前には無理だろう。大人しく待っていろ」

「黙りなさいな。敗北の味ってやつを、たっぷりと味わわせてあげる。……その代わりアンタ、負けたら分かってるわよね」

「靴でも何でも舐めてやる。だから今の内に準備しろ、負けて這いつくばる準備をな」


 アヴェリンとユミル、二人の視線がぶつかり合う。

 まるで視線が圧力を持っているかのように、空気が撓んで膨れ上がっている気がした。周囲に人影はなく、また二人の尋常ではない気配に気圧されて近づこうとしない。


 アキラもまたその一人で、恐ろしいものを目撃した様な表情で、二人の睨み合いを窺っている。


「大丈夫なんですか、あれ……? 今にも殺し合いが始まりそうな雰囲気ですけど……」

「そうするつもりがないからこそ、睨み合いだけで済ませているんだ。……考えてもみろ、アヴェリンが本気で殺そうとしたら、口より先に手が出ている」

「……あぁ、そう言われると」

「だからあれは、二人の友情表現みたいなものだ」

「物騒な表現もあったものですね。それにユミルさんが、師匠の挑発にアッサリ乗ったのも意外でしたし……」


 これにはミレイユもそう思ったので頷いておく。

 ユミルは基本的に短絡的な考え方をしない。深い思慮を持つ時とそうでない時の落差が激しいのも事実だが、損得の算盤は常に弾いている筈だ。そこに自身の欲を満たすのに、どれが最適かを考えて動くのだが、今回はそこから外れているように見える。


「そこは深く考えても仕方ない。……まぁ、ユミルのやる事だから、の一言で片付くようなものでもある」

「あぁ、それは……何か納得できてしまうのが怖いです」


 アキラも苦い顔を浮かべて笑う。

 そうしてお互いに顔を見合わせた時、ルチアが既に移動していて、入り口付近から呼ぶ声がした。時間も迫っているのだし、早く並んでしまいたいのだろう。

 いつまでも睨み合いを続けていそうな二人を引き剥がし、その腕を取って入口へと導く。


 この迷宮の面白いところは、入口が四つある所にある。

 ゴールは中央になっていて、全体図で見ると四角形になっている迷路の四隅から向かって行く事になる。これなら同時に出発して誰が一番に到着したのか、視覚的に分かり易い。


 こちらは五人いるので、一人はその同時スタートから漏れてしまう関係上、ゴールで待ち構える一人を用意すれば良い、という話になった。

 そして、それに選ばれたのはミレイユだった。


「……私は競技仲間から除外か?」

「いや、アンタ入れたら一番が誰か決まったようなものじゃない」


 ユミルにそう冷静に指摘されては、ミレイユとしても頷くしかない。迷路は必ずしも実力順でゴール出来るものではないが、有利だと思われるのも仕方ない気がした。


「それにミレイさんなら、僅かな差でゴールしても、どちらが早かったか正確に判断できそうですしね」

「……そうね、公平にも判断してくれるでしょ。アキラだったらアヴェリンの圧に負けるかもしれないし」

「いや、そこは流石に公平に判断しますよ。……ただ、同着にしか見えなかったら、どっちが早いかの判断は出来ないと思いますけど」


 アキラから申し訳程度の言い訳が飛び出したところで、一つルールを厳守させる、という話が挙がった。ルチアは入口の一つに置かれた案内板、その注意事項を指差して言う。


「いいですか、走るのは禁止ですからね。私達以外にも迷路に挑む人がいる以上、誰かを怪我させたりする危険のある行為は禁止です」

「……師匠達が走ったら、そりゃあダンプに轢かれるのと変わらないもんなぁ……」

「なので、歩く事が最初の条件です。――勿論、こちらの世界における徒歩速度だと理解して下さい。歩いているように見えるから、なんて理由で一般人が走るより速く歩いたりしないように」


 アキラが一瞬、訝しげな表情を見せたが、すぐに得心がいったように頷く。


「ああ、競歩とかありますもんね。それに近い事を師匠達にされたら……、確かに危険かも」

「それさえ守ればいいのか?」


 アヴェリンが問えば、ルチアは頷く。

 ミレイユにしても、妥当な提案に思えた。このような個人が自由に動き回れる場所では、アヴェリン達はある程度配慮する必要があるだろう。

 アヴェリンは腕を組み、それから片手を上げて顎を摘むと、小首を傾げて更に問う。


「壁を破壊して進むのは?」

「駄目に決まってるでしょう」


 堪えきれずというより、ほぼ反射的にアキラが言った。

 迷路内は大人二人がすれ違うには十分な広さを持っているが、しかし狭さを感じるには十分でもある。破壊して進むのが論外なのは当然として、他人に怪我をさせない、という前提を無視する発言だ。


 仮に上手くやれる自信があったとしても、やはり候補に上げるものではない。

 ルチアがアヴェリンを呆れた顔で見ながら言う。


「修復できないんなら破壊しちゃ駄目ですよ」

「いや、修復できても破壊しては駄目です」


 すかさずアキラから駄目出しが飛び出て、ルチアは目を丸くさせた。じゃあ、どうやって二人に勝つんだ、とでも言いたそうな顔をしている。

 ルチアがミレイユに顔を向けてくるので、アキラを肯定するように首を振ってやれば、やはり信じがたいものを見るようにルチアは首を横に振った。


 それを見ていたユミルが二人を嘲笑う。


「馬鹿ね。壁は壊すものじゃなくて、乗り越えるものでしょ」

「何でちょっと良いこと言ったみたいになってるですか。本当に乗り越えてゴール目指さないで下さいね。どれも駄目ですから!」

「何よ、アレも駄目、コレも駄目って。そんなんじゃ、もう後は普通に歩くしか出来ないじゃない」

「そうしろって話なんですよ! ――ちょっとミレイユ様、何とか言って下さい!」


 もはや脊椎反射的に駄目出しとツッコミを繰り返すアキラに、ミレイユは忍び笑いを漏らしながら三人を見つめた。


「……まぁ、ふふっ。聞いたとおりだ。普通に歩いてゴールを目指せ、それ以外の一切を禁じる。……そういう事で良いな?」

「えぇ、はい。……大丈夫です。そういう注意はもっと早く……いえ何でもないです」


 ミレイユに苦言を呈しそうになったところで、アヴェリンが切り込むように睨みつけ、アキラは咄嗟に口を噤んだ。

 ユミル達にしても、そのルールに文句を付けられなくなって、それで幾度か頷いた後にミレイユが先に行くよう促す。


「では、私はゴールで待っていよう。十分後に、それぞれスタート位置から始めろ」

「それって任意のタイミングってコト?」

「……公平性に欠けるな。それじゃあ、私がゴール地点に着いた時点で、上空に破裂音を起こす。それが合図だ」

「了解よ」


 ユミルが首肯すれば、他の面々も続いて了承を示す。

 ミレイユはそれらに手を振って、入口の一つへ入って行った。

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