嵐の前の その10

 ミレイユが到着できなければ、いつまでたってもアヴェリン達はスタート出来ない。歩く以外を禁止した手前、率先して自分が術を使って踏破する訳にもいかなかった。

 それでミレイユなりに急いでゴールへ歩いたのだが、それなりに長大な迷路で、ゴールにはすぐに行き着いてしまった。


 途中、自分の位置やゴールの位置を把握する為に、物見台のような物が設置されているのは、子供が迷った時などの救済措置でもあるのだろう。

 大人でも普通にやれば十分以上掛かるような規模なので、それなりに歯応えはあるのだと思う。


 ミレイユは五分と掛からず終わらせたが、果たして他の面々はどうだろうか。

 ゴール地点は広場のようになっていて、中央には物見櫓のようなものがある。そこで待機したり、未だゴールで迷ったりする人を、誘導したり出来るのかもしれない。


 ミレイユはそこへは登らず、櫓の根本付近で待機する事にした。

 入場する前に宣言したとおり、ミレイユは周囲の目を盗んで上空に術を飛ばす。

 本来は対象に当てた瞬間、接触部分をこそいで破裂する、というものなのだが、当然当てる物体などないので、二つ同時に射出する。


 それが空中で衝突して破裂音が鳴った。

 一つ当たったくらいでは、それほど大きな音が鳴るものでもないのだが、術同士を当てたことで、予想とおり大きな音が鳴る。


 アキラなどは運動会の当日など、馴染み深い音に聞こえた事だろう。

 入口付近で待機していた四人にも聞こえていた筈だ。ゴール地点で知人を待っているらしい他の人達は、突然の大きな音に周囲を見渡していたが、特に騒ぐことなく元に戻っていく。


 近くで誰かが爆竹でも鳴らしたとでも思ったのかもしれない。

 何分掛かって到着するにしろ、その間ミレイユは手持ち無沙汰だ。走ってはいけないというルールがある以上、ミレイユが到着するより早く来るとも考えられず、しかしゴール部屋の入り口へ意識を向けないでいる訳にもいかない。


 何とも面倒な役目を引き受けてしまったな、と思いつつ、アキラが参加する事に誰も意識を割いていなかった事を思い出した。

 普通に勝負の一人として参加させられていたのにも関わらず、それに感心が向かなかったのは、アキラが他の誰より先んじるとは思われなかったからだろう。

 つまり入口四つに対する人数合わせとしか見られてていなかった。


 ――それはそれで可愛そうだな。

 実際、ミレイユも大番狂わせで一番に来るかと思えば……。やはりアヴェリンより速く到着するとは思えない。午前中に見たミラーハウスの一件もある。

 そこを鑑みれば、やはり一番はアヴェリンで次点がユミルと見るのが妥当な気がした。


 入口がそれぞれ別とはいえ、歩く方向によっては途中合流する可能性はある。ゴールとなる出口は二つだから、互いが向かった方向次第では十分に有り得るのだ。

 そこで妨害行為をするとなれば、順当な結果とはならないかもしれないが、歩く以外は禁止としている以上、ルール違反を行うとも思えない。


 ――いや、どうだろう。

 アヴェリンとユミルが行き合った時、歩いていただけと抗弁して体当たりする位はやっていてもおかしくない。そこで互いに足の引っ張り合いに発展すれば、一番に来るのは誰になるのか予測が付かなくなる。


 そこまで考えて、ふと思う。

 これは別に一番を競うものではなかった。一位争いの最有力がアヴェリンだったから、自然とそう考えてしまったが、これはアヴェリンとユミルのどちらが速く辿り着くか、という勝負だった。

 そこへ他の二名が参加した形で、仮に一番はルチアであっても、アヴェリンが二位なら勝敗の行方はアヴェリンの勝ちとする動きに傾くだろう。


 ――まぁ、一位は一位で褒めてやるべきだろうが。

 待つしか無い身でいると、つい益体もない事を考えてしまう。速く誰か一人でも来てくれれば、この暇も紛れるのだが、と上空に視線を向けた時だった。


 地響きの様な衝撃が足元を揺らす。

 何かが破壊されるような音ではない、ただ何か衝撃が地を伝っただけだ。しかし、同時にそれが自然的でないものだと理解できてしまう。

 ミレイユが懸念した事が的中してしまったのか――。


 周囲で地震かと俄に騒ぎ始める人達を横目に、ミレイユは衝撃音の発生した方向を溜め息と共に見つめた。



 ◆◇◆◇◆◇



 アヴェリンは迷路の中を、走る事なく歩き抜けていた。

 主人たるミレイユがそうせよ、と課せられたルールなら、それに準じ無い理由もなかった。迷路自体の作りも簡素なもので、単に木の板を並べ立てただけのもの。

 行く手を阻む罠や、視覚的に錯覚を覚えさせたり、方角を見失わせる罠がある訳でもない。


 見上げれば中央部分と思しき場所には物見櫓もある。

 それがゴールだと思えば、目指すべき方角だけは見失う事はない。

 ただ、そればかりに固執すると、行き止まりへと誘導される作りになっている事は留意せねばならない。そして十字路に行き変えば、ある程度運任せで道を選ぶべきケースも出て来る。


 正解のルートが各入口に付き一つなのか、それとも一つしかないのか、それもまた問題だった。踏破距離に明確な有利不利を設けているとも思えないが、正解ルートが一つなら、実質有利な入口というのはあった筈だ。

 それは入口からは分からないが、その有利をユミルが引いていたのだとすると、安穏としてもいられない。


 今更ながらに危機感を煽られて、アヴェリンの歩が僅かに速まる。

 迷路内には当然、アヴェリン以外にも人がいる。せわしなく行き交う事もないが、小さな子どもを連れて楽しげに歩く親もいる。それらを押し退けて進む程、アヴェリンは常識知らずでも切羽詰まってもいない。


 だが歩き始めて暫し、目の前にユミルがいるとなれば話は別だった。

 ――もしかすると、正解ルートは一つだけか。

 ユミルを視界に収めて、それに真実味が増した。


 勘に頼る部分もあったが、アヴェリンは着実に正解の道を選んできたという自信があった。それは根拠なき自信であると同時に、己の才覚に身を置いた自信でもある。

 だから目の前にユミルがいるというのなら、あれもまた一つの正解ルートを正確に辿って来たと見るべきだった。


 二人の視線がぶつかり、そして互いに歩みの速度を変えぬまま十字路へ行き交う。

 止まる事なく近づき続け、そしてそれは接触するまで止まらなかった。


 互いに肩をぶつけ、それでようやく動きが止まる。接触の瞬間、互いに譲らぬ意志がぶつかり、その衝撃が周囲を揺らした。こうした肉体のぶつけ合いで内向術士が負ける事はないが、ユミルもそれを理解して魔力を放出して補っている。


 肩をぶつけ合い、互いに譲らぬまま視線もぶつかり合う。

 そうする内に力の均衡がずれ始め、摩擦と張力が一気に弾かれるように、互いが身を離した。

 その際にも先程より激しい衝撃が発生し、それがアヴェリンの髪をなぶった。


「……フン」

「ここは十字路よ、どちらに進むか決めなさいな。決められないなら、アタシが先に、勝手に行くわ」

「選んだ別の方を行くと言う事か?」

「いいえ、アタシは既に決めているの。同じ道なら、また次の分かれ道まで一緒になるわね」


 アヴェリンに正解の道を探させるという、ブラフではあるまい。既に道を決めているという、その発言は真実に違いなかった。もしかすると、既にゴールまでの道が見えている可能性もある。

 隠蔽、隠密、追跡は、ユミルの得意とするところだ。最も多く歩かれた道がどれかなど、何かしら確信に至る根拠を持ち合わせているのかもしれない。


 だがアヴェリンもまた、人の意志や気配を感じ取る、鋭敏な感覚を有している。数多くの激戦を制して培われて来た能力で、大抵は危機察知能力として働き、その戦闘を助けてくれる。

 しかし、それも使い方次第で、己の勘と合わせれば正解の道を探し出すなど造作もない事だった。


 アヴェリンはユミルの視線を断ち切るように顔を左へ向け、そして何言うでもなく歩き出す。普段よりずっと速歩きだが、許容の範囲だろう。

 そうして三歩進むよりも早く、その後ろをユミルが着いてきた。


 それに焦りはない。戸惑いもなかった。

 互いに正解を選んだという、確信が得られただけだ。

 アヴェリンとユミルは肩を並べるように歩き始め、そしてどちらともなく前に出ようと、その歩速も速めて行った。


 肩を激しくぶつけ合いながら、互いが少しでも前に出ようと、身体を前のめりにして歩く。

 途中すれ違う人を追い越し、道を戻ろうとする人を左右に避けては進み、再び肩をぶつけあってゴールを目指す。


 時折相手を睨み付けるように視線を向け、丁字路、十字路、それぞれ選ぶ時間さえ見せず全く同じ動きで曲がり続けて道を進んだ。

 そして最後の曲がり角を超えれば、そこには物見櫓が見えてくる。その足元にはミレイユの姿もあった。二人の歩速はいや増しに増し、お互いを睨む視線も強くなる。


 走ってはいけないというルールだから、互いに肩をぶつけて後方へ押し込もうとするのだが、どちらも一歩も引かないまま、ついにゴール部屋へと足を踏み入れた。

 そのままミレイユの元へにじり寄り、どちらが先だったか問い詰める。


「ミレイ様、どちらの勝ちでしたか! 私ですよね!?」

「出しゃばるんじゃないわよ、アタシに決まってるでしょ。最初に部屋の入口の線を踏んだのは、どっちだったかアンタには分かる筈よね!?」


 ミレイユは気圧されたように一歩下がり、そしてそれでも歩み寄る圧を止めない二人の肩を押して元に戻る。それから呆れたように息を吐いたあと、申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「白黒ハッキリ付けたかたったが、同着だ。どちらも一歩も譲らず、最初に部屋の土を踏んだのも、私には同時にしか見えなかった」

「そんな……!」

「あぁ、もう……っ!」


 アヴェリンは落胆の息を吐き、そしてユミルは天を仰いで額を抑えた。

 本当に間違いないか、と重ねて問いたい気持ちが湧き上がるが、ミレイユが間違いを犯す筈もない。二人の姿を認めてから、ミレイユの方からも注視する気配は感じていた。

 その上で同着だと言うのなら、それを受け入れるしかないのだ。


 ただ、敗北ではないとしても、勝ち切れなかった悔しさは残る。項垂れるような気持ちでいると、背後から明るい声音が響いた。

 振り返ってみれば、そこには予想通り、ルチアが明るい笑顔を浮かべて立っている。


「あら、やっぱり二人には追い付けませんでしたね。どっちが勝ちました?」

「同着だ。私でも差が分からない程だった」

「あらら……。まぁ、二人はいつだってそんなものですし、今更驚くものでもないですけどね」


 ルチアが言うのは正しくて、ここぞという決着はこれまでも付かずにいた。小さな勝負でなら幾らでも勝ち負けはあるのだが、白黒ハッキリさせようとなると、どうにも運命が邪魔しているような感じすらする。

 そこへアキラがゴール部屋に帰って来て、それで全員集合する事になった。


 ミレイユが全員を見渡して言う。


「まぁ……、面白げもなく順当な結果になったな。一位は同着だったのが、どうにも締まらないが、それも結果だ。お遊びの延長としては良い落とし所だったんじゃないのか」

「変に不貞腐れられても困りますもんね」

「しないわよ、そんな大人げないコト」

「さて、どうでしょう?」


 ルチアが珍しく悪戯好きそうな笑みを浮かべ、ユミルはつまらなそうに顔を背けた。

 負かしてやりたいという気持ちも強いが、決定的な決着が付かなくて良かったとも思っている筈だった。少なくともまだ、こういった勝負をこの先仕掛けられるという事になるだからだ。


 アヴェリンもまたつまらなそうに鼻を鳴らし、ミレイユの後ろへ――いつもの定位置へ戻って腕を組んだ。陽は既に傾き始め、空が茜色に染まっている。

 頬に当たる風は冷たく、底冷えするような夜風が近付いていた。

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