嵐の前の その5
「ホラーハウスって……、正気ですか。僕には絶対、ダメな事が起きる未来しか見えないんですけど……!?」
「これって、そんなに拙いんですか?」
ルチアがきょとんと目を瞬かせると、ミレイユは首を左右へ緩く振った。
「そういう事じゃなく、単に驚かせるような仕掛けが多い施設だからだ。突発的に何かを発動させたり、殴って壊すような事を危惧しているんだろう」
「ははぁ……。でも、驚かされるなんて言っても、そんな無様な姿を晒したりしますかね?」
「そうだな。そもそも子供騙しみたいなところがあるしな。普段から魔物なんぞに見慣れているお前達なら、尚更驚かされる事などないだろう」
なるほどねぇ、とユミルが笑い、そしてアヴェリンへ嘲るような顔を向けた。
「ま、アンタ以外は、お遊びにもならないという事は分かったわ」
「何で私をわざわざ名指しした? 私だって恐れる訳ないだろうが」
「あらそう、口だけなら何とでも言えるけど」
「それで挑発のつもりか? 私は何者も恐れない」
「じゃあ、行けるわよね?」
「だからといって、子供騙しに付き合ってやる義理もあるか?」
ユミルはあくまで挑発を繰り返し、嘲る態度を崩さない。アヴェリンは腕を組んで苛々と肩を揺すって無視するように顔を逸していたが、その横顔を見つめる視線に堪えきれず、とうとう肩を怒らせてホラーハウスへと歩き出す。
「何だ、その目は! 全く……お前の挑発は気に入らんが、何より逃げ出すと思われるのは我慢ならん。行ってくれば良いんだろう!?」
「そうよ、最初からそうなさいな。アンタの反応次第で、アタシも行くかどうか決めるから」
「じゃあアヴェリン、私と行きましょう」
ユミルが手をヒラヒラ振ると、ルチアがその背を追いかけて隣に付く。アヴェリンは大仰に顔を顰め、ルチアの手を引くように入口へと向かって行った。
そんな後ろ姿を見て、アキラは不安を募らせたらしい。ミレイユの横顔を伺いながら聞いてくる。
「あの……、二人のあの態度を見ていると不安になって来たんですけど……。師匠って怖いの駄目なんですか?」
「いや? アヴェリンが言ったとおりだ。私もあれが、何かを恐れるところを見た事がない」
「あ、そうなんですか。……じゃあ、本当にただ行かせて面白がろうと思ってたとか、そういう事ですか?」
ホッと息を吐いたアキラへ、ユミルが顔を向けてにんまりと笑う。
「アヴェリンは別に見た目恐ろしい相手だとか、驚異的な攻撃をしてくる魔物とか、そういうのに恐れたりしないわよ。子供騙しと聞いて尚の事、こんな場所で恐怖を覚えるものなどない、って油断してると思うのよね」
「あれ、もしかしてユミルさん、ホラーハウスが何か知ってるんですか?」
ユミルはニタニタと嫌らしい笑みを浮かべながら、アキラの疑問に頷いた。
「アタシだってこっちの世界はそろそろ長いんだから、それなりに色んな知識、身に着けたわよ。必要なものも、そうでないものも、下らないと笑い飛ばすものも……色々とね。だから、あの手のものが、どういう類かは知ってる」
「……じゃあやっぱり、あれで師匠を怖がらせるのは無理だって、分かりそうなものじゃないですか」
「ところがそうでもないのよねぇ……。だって、この手で与えられる恐怖って、肉体に直接的な危害を加えないところにあるでしょ?」
アキラがそれはそうだ、と頷くのを見て、ミレイユも同じように頷く。
アミューズメント施設のホラーとは、恐怖と銘打っていても、精々がおどろおどろしく見えるとか、びっくり箱を開けるような脅かしがある程度だ。
人を配置するのではなく、人形が演出している事も多い。
演者が脅かし役としていると、反撃して殴り付けるような人がいるとも聞いた事があるから、それを防ぐ意味でも、音や演出で恐怖を体感させる施設は多い。
ここがどういう類のものかまでは分からないが、あまり金を掛けた施設に見えない以上、凝った内容のものではないと思われる。
そんな施設だから、アヴェリンも恐怖する事がないだろうし、問題なく戻ってくるだろう。
アキラにも察しがついたようだが、それでもやはり首を傾げる。
遊園地程度の演出で、アヴェリンが驚く様子は想像できない、というのは共通の認識のようだ。
「……でも、やっぱり想像つきません。恐怖もしないだろうし、演出に驚くような事もないと思えるんですけど」
「そうねぇ。でも、日本という国は、恐怖を見えない触れないもの、と表現するみたいなのよ。半霊体とでも言うの? そういうのに免疫ない筈だからねぇ」
「ああ、なるほど……。ゾンビとかスケルトンは平気どころか見慣れてるけど、ゴーストはそうじゃないと……」
アキラは相槌を打てば、ユミルは大いに頷く。
「そうそう。だから何か反応見れるかしら、と思って」
「だと良いがな。この手のタイプには、演出に掛ける金も設備もなくて、子供にすら失笑を買う物もそれなりにあるぞ」
「……そうなの?」
「私も詳しい訳じゃないが。まさにびっくり箱のような、単に驚かす事に集中しているタイプもある。飛び出してくる人形程度で驚く事はないと思うが、まさか、その頭を叩き潰すなんて事は……」
「ルチアが上手く制御してくれていると良いわね」
「もしも壊すような事をしていたら、むしろ私の方が恐怖で震えるぞ。弁償とかそういう話になれば、女官にどう説明したらいんだ……」
ミレイユが良からぬ危惧を懸念した時だった。
ズドン、という衝撃音と共に、ホラーハウスとその一帯が揺れた。まるで爆発でも起きたかのような音だったが、まさかあの中に爆弾があった訳でもないだろう。
まさか、という思いでミレイユはアキラと顔を見合わせる。
「まさか、本当に……? 嘘ですよね、まさか師匠でも、今更そんな非常識な事しないですよね!?」
「あれとて現世に来てから日は長い。それなりに適応しようと努力もしていた。驚かされたから叩いたなんて事、する筈……する筈は……」
「アンタ、それ完全に願望を口にしているだけじゃない。現実を受け止めなさいな」
そうは言うが、そもそも焚き付けたユミルにも責任はある。
もし何か破壊していたら、その責任はユミルに被せようか、と考えていると、ホラーハウス周辺に人だかりが出来始めていた。
あのような衝撃と爆発に似た音が発生すれば、何事かと集まるのは当然だ。
係員もその対応に追われ、他から回されて来た人が、中はどうなっているのか確認しようと、奔走している姿も見える。実は本当に火災事故が発生していたりしないか期待したが、出入り口から煙が漏れ出したり、天井から煙が吹き上がっていたりする事もない。
ミレイユは暗澹たる思いで溜め息をつき、そして本当は何事もないと二人の口から聞けないか、祈るような気持ちで帰って来るのを待ち続けた。
そうして、何より長い三分間を待ち、二人はようやく姿を見せた。
係員に何かを聞かれているが、それは安否確認のようなもので、危険はなかったか、身体に怪我はないかを聞かれているようだ。それらにそつなく対応して、二人は悠々と見える足取りで帰って来る。
二人の表情からは悲壮な感じは見受けられない。器物損壊などしていたなら、アヴェリンはきっと顔に出るだろう。だがそれがないという事は、期待できるのではないか。
そう思っていると、ミレイユが何かを言う前にユミルが口を開く。
「……それで、どうだった?」
「別に、何も無かった」
アヴェリンは澄ました顔で答えたが、視線は微妙にズレている。そして、誰とも決して合わせようとしない。それがミレイユの不安を大きなものへと変えていく。
ミレイユが目を合わせようとしても同様で、むしろ必死に視線を合わせないよう注意している。
自然体を装うとしているのが逆に不自然で、顔を向けないアヴェリンに痺れを切らし、ミレイユはルチアへ問いかけた。
「……実際は、どうだったんだ?」
「ええ、……何もありませんでした。安心してください、きちんと修復済みです」
「何も無かった筈なのに、なぜ修復なんて単語が出てくるんだ?」
その発言である程度察したアキラが、アヴェリンに向かってうわぁ、と声を出さずに口を開ける。
目敏く視界に収めていたアヴェリンは、アキラの後頭部を平手で打ち抜いた。スパァンという小気味よい音が響くと同時に、アキラは頭を抑えて蹲る。
そのアヴェリンにチラ、と視線を向けながら、ルチアは自身ありげな顔で言った。
「何かが起こる前と同じ状態に戻っているなら、それはもう何も無かったのと同じですよ」
「それを詭弁と言うし、何より暴論に過ぎるだろ。一体なにがあった、怒らないから言ってみろ」
「いえ、そう言って怒らなかった人は見た事ないですし……」
「良いから言え、怒られたいのか。……どうせ驚いたあまり、何かを殴り付けて壊したとか、そういう類だろう?」
ミレイユが呆れの混じった溜め息を吐きながら言えば、ルチアが気不味そうにアヴェリンを見る。アヴェリンは眉の間に深いシワを作り、喉の奥で唸り声を上げては顔を逸していた。
「こんな事で、命令なんかしたくないんだがな……」
「アヴェリンさんの名誉の為に言いますけど、別に驚いて何かを殴り付けたとかじゃないですよ」
「……ふむ、そうなのか」
「ええ、驚いた拍子に床を踏み抜こうとした衝撃で、部屋とその周辺を沈下させたというだけで……」
ミレイユは何も言えず口を半開きにしたまま、アヴェリンへと視線を移す。見られたアヴェリンは、痛いものを耐えるような表情で下を向いた。
そこにゲラゲラと声を上げて笑うユミルが、指差してアヴェリンを煽った。
「あの衝撃と爆発音って、そういうコト? 何を無駄に器用に、衝撃を分散させてるのよ。単に足元だけブチ抜いておけば良いのに……あっはっは! だから騒ぎになったんでしょ!」
「うるさい、元はと言えばお前が……!」
「へぇ、アタシが? アタシが悪いって? 恐怖に屈するところを見せたくないって、アンタが見栄を切ったからそうなったんでしょ?」
「何をヘラヘラと……! だったらお前も行ってみればいい! そうすれば、どうせお前も醜態を晒すに決まってる!」
「ところがねぇ……」ちらりとホラーハウスへ目を向ける。「原因や危険の有無が確認できるまで、入場は禁止されるみたい」
ユミルにつられるように顔を向けてみれば、確かに入場を規制する動きを係員が見せていた。爆発音にも似たものが聞こえたとなれば、そしてこの場にいたミレイユ達にも伝わる衝撃となれば、安全の確保は最優先だろう。
規制は当然と言えたが、それを逆手に取って、ユミルはここぞとばかりに煽る。
「残念ねぇ、アタシも是非体験してみたかったわ。ホ〜ント残念」
「ぐぐぐ……!」
「やめろ、ユミル。あまり挑発するな……」
流石に不憫になって間に入って止めると、ルチアはその遣り取りを見て笑っていた。ユミルの様に辺りを憚らない笑い方ではないが、隠すように笑う程でもない。
もしかしたら、という思いがミレイユの頭をよぎる。
――もしかしたら、ルチアの気を休める為に、敢えて煽る真似をしたのではないか。
ユミルとアヴェリンは見た目ほど不仲という訳ではないが、諍いが絶えない仲ではある。そしてそれは、この四人が集まれば良くある光景でもあった。
それを見せる事で、ルチアに幾らかでも前と同じ状況を作ってやりたかったのではないか。ミレイユは何となく、そう思った。
特に昨今のルチアは気が張っていて、いつでも結界に向き合って悪戦苦闘していた。
心休まる時など、そうそう無かったに違いない。思い詰め、そして追い詰められるような思いで、自らが潰されそうになっていたようにも感じる。
だからユミルは、気遣いのつもりでああいう態度を取っているのではないか。
――ついでに、本人の趣味も兼ねて。
ミレイユもまた口の端に笑みを浮かべ、今まさに掴み掛かろうとしているアヴェリンを引き離す。興奮冷めやらぬアヴェリンをユミルから離すのは相当な骨で、ユミルを逃がす必要にも迫られた。
いつまでも蹲っているアキラを足先で軽く小突き、早く次のアトラクションへ案内するよう指示を出した。
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