嵐の前の その4
最初にアキラの部屋を経由して、箱庭でルチアの着替えも済ませると、そこから目的地へと転移する。神宮周辺では既に雪が薄っすらと降り積もっていたのだが、こちらでは見える範囲でその気配はない。空気までも暖かく、冬というより秋のような気候だった。
記憶を頼りに首を巡らせて見れば、やはり遠くに観覧車が見える。
明るい時間帯で見るのはこれが初めてだが、観覧車以外にもジェットコースターの線路も見えた。あまり大きな遊園地でない事は確かだが、定番どころは抑えているようだ。
雪降るような季節となれば、街中にもクリスマスのイルミネーションがあちこちに飾られている。オミカゲ様への信仰が強いとはいえ、こういったところは歩む歴史が違っても変わらないものらしい。
商店街の店先にはクリスマスカラーを用いた宣伝が並び、その電飾などもチカチカと瞬いて、通行人立ちの注意を引こうとしている。
それを見たユミルは、途端に興味を示して近づこうとしたが、それをミレイユが腕を取って止めた。
「……ちょっと何するのよ。何だか楽しげな雰囲気があって良いじゃない」
「楽しげなのは結構だが、今日の目的はそっちじゃない」
「そうは言っても、ほら御覧なさいな。あんなに赤いの、一体何の儀式かと思うでしょ。これは解明すべき問題だわ」
他宗教に寛容なオミカゲ様だから、クリスマスを祝う事にも頓着しないが、神宮周辺では自粛するような気配が在る。流石に神のお膝元で、他宗教のイベントを開くのは不敬だと考えてしまうようだ。
他の神様を祀る神社周辺ではそういう話を聞かないので、やはり現実に降臨して存在している神、という認識が遠慮をしてしまう原因になっているのだろう。
ミレイユは掴んだ腕を、そのまま引き寄せ密着する。その耳に唇を寄せたかったが、お互いに帽子を身に着けている所為で、それも難しい。だからとにかく聞こえる範囲の小声で、言い聞かせるように伝える。
「……いいか、これから行くのは遊戯場みたいなものだ。当然、そこには集客目的とした色々なものがあるだろう。ここと同様、あるいはそれ以上の何かがな。ここより更に興味深い物もあるやも……」
「本当に?」
「多分……、大抵はそういうものだ」
ふぅん、とユミルは呟いて、掴んだミレイユの手を数度叩く。
それで手を離すと、ユミルは挑むような目付きで遠く見える観覧車へ顔を向けた。
「ま、そういう事なら乗ってあげるわ。見るべきものは幾らでもあるものね。……アタシも今の内に、もうちょっと遠出してみようかしら」
ユミルは基本的にミレイユ達と比べて、その制約が非常に緩い。
時々、用事があって頼み事をしようとしたら部屋にいない、などという事は頻繁にあり、それは別にここに来てから始まった事でもない。
言ってしまえばいつもの事で、それについて言い含めたのも手伝って、最近では女官達も慣れたものだった。それに気を良くしたユミルは、教導の方も落ち着いた昨今、頻繁に外出しては色々見て回っているらしい。
ミレイユはやれやれと息を吐く気分で、同じように見つめる。
下手をすれば今季営業が終了している可能性もあったが、観覧車が回っているなら、その心配も杞憂だろう。
せっつくように動き出したユミルの後を追い、ルチアの方に困った笑顔を向けてから、ミレイユ達も歩き出した。
辿り着いた遊園地は二十年以上前から営業していそうな、少々古めかしい印象を受けるものだった。クラシックと評するべきか、あるいは単に潰れかけのローカルだと言うべきか、その判断に困る。
遠くから見えていたジェットコースターの線路を支える支柱なども、所々塗装が剥がれ、錆びた鉄が浮かび上がっている部分もあるようだ。
「ほぅ……」
「……へぇ」
「賑やかな所ですね!」
しかし客足自体は、そう悪いものではない。
休日である事を差し引いても、家族連れの姿が多く見える。反してカップルの姿は余り見えない。デートスポットとして来るには、確かにここは若者に好かれるような見栄えもなく、また分かり易い派手さもない。
だが、基本的に現世の娯楽に無知な三人からすると、それだけでも十分驚嘆するもののようだ。
行き交う人々と、その先にある見た事もない建築物。ホラーハウスやミラーハウスなど、目に付く物の多くは洋風建築でありつつ奇抜、どこを見ても興味の尽きない光景に目を輝かせていた。
既に入場料と一日フリーパスを購入しているので、どれを遊ぼうと自由だ。
ルチアは頭上を走っていくジェットコースターに目が釘付けで、その背を追いかけるように首を巡らせて追っていく。
「あれに乗ってみたいのか?」
「いえ、そういう事ではなく。どう動いているのか気になってました」
「まぁ、速度的には大した事はないものねぇ。んー……、せめてあの倍は速ければ乗ってみたかったけど」
ルチアの興味は乗り物よりも、その構造にこそあるようだ。
ユミルが隣で追従するように頷くと、走り去っていくコースターを指差して続ける。
「あれは多分、普段知らない速度で、急降下したり急旋回する動きを楽しむものだと思うんですけど……。私達が楽しむには、ちょっと遅すぎますね。時々線路を外れるようなら、楽しめそうですけど」
「そんな事あったら大惨事ですよ。誰もがルチアさん達みたいに、頑丈な訳じゃないんですから」
アキラが白い目で物騒な感想を言うルチアを見れば、肩を竦めて小さく笑った。
このメンバーの中にあって、外見上一番若く見える彼女が遊園地内にいる光景は、実に良く合う。しかし彼女が持つ視点は、その外見上からは想像もつかない所にあるのだ。
そんなルチアから目を離し、ミレイユは周囲にいる面々の顔を順に見ていく。
「とにかく、折角来たんだ。ここで見ているだけでは仕方ない。何か興味のある物があるなら、そこへ行ってみたいが……どうだ?」
「それには賛成ね。興味深いものが沢山あるのは確かだけど、ここは見るより体験するのがメインなんでしょ?」
そうだ、という返事の代わりに頷いてやれば、ユミルは早速周囲を見渡し始める。
目敏く案内板を見つけると、その前に陣取って仁王立ちで見つめた。ルチアもそれにつられてユミルの横に立ち、やはり同じ様に仁王立ちする。
見ている分には微笑ましいが、あれだけで分かるものでもないだろう。
「アキラ、二人からの質問があれば答えてやれ」
「あ、はい。了解です」
小走りで二人の後に向かうアキラを見ながら、ミレイユは今更ながらに息をつく。
気晴らしになれば良いと思って企画したものだが、あの二人を満足させるように動くというのは、中々に骨だ。ルチアの笑顔が見られるなら安いものと思っていたが、今から前途を多難に思わせる言動が、ミレイユの心に澱を作っていた。
そんなミレイユに、アヴェリンが気遣わし気に声を掛けてくる。
「大丈夫ですか? 今からその様な心労を感じているようですと、とても今日一日など保ちそうもありませんが……」
「お前も中々言うようになったよな」
「いえ! 決してそのようなつもりでは……!」
ミレイユが悪戯を多分に含んだ笑みを向けると、慌てたようにアヴェリンは首を振る。
それに気を良くして更に笑って、それから案内板を指差しては、アレコレとアキラに質問を飛ばしている二人を見た。
「アキラもいる事だし、幾らか負担は軽減されるだろう。馬鹿をするようなら、お前からも何か言ってやれ。場合によっては、殴ってでもな」
「それは俄然、やる気が湧いて来ましたね」
アヴェリンも笑って応えると、そこへユミルの呼ぶ声がする。
顔を向ければ手招きしていて、どうやら何処へ行くべきなのか揉めているようだった。ミレイユとアヴェリンは二人顔を見合わせて笑い、呼ばれるままにユミルの元へ歩いて行く。
そうして到着してみると、ルチアとユミルの主張が互いにぶつかり合って、どちらも譲らない状況になっていた。まるで子供の喧嘩だが、遊園地とは童心に帰る場所だとも言う。
その事について是非は問わないが、とにかく二人の主張を聞いてみる事にした。
「だから、まず先に興味の薄いものから行くべきなのよ。どこでも自由に行けるって言うんだから、取捨選択しないで全部まわるべきでしょ」
「違いますよ、時間は限られているんです。全て回って、本当に一つずつ体験できますか? もう一度試したい、と思った場合は? それなら最初から希望の物を選ぶべきです」
「そうよ、待ち時間と同様、移動時間も考慮にいれないと行けないわ。好きなものを選ぼうとしたら、その無駄な移動時間が発生する事にも繋がるワケ。だったらその無駄な時間を省いて、効率的な移動をしつつ体験する方が良いじゃないの」
ミレイユは思わず深い溜め息をついた。
アキラの方に顔を向けても渋いものを浮かべるだけで、二人の間に入って諍いを沈めるつもりは無いことが分かる。
二人の主張は、どちらにも一定の理がある。
一通り体験するのも、気に入ったものをリピートするのも、遊園地ではどちらも正しい遊び方と言える。特に外観からは内容が伺えないものは、まず体験してみるというのは正しい事に思えるが、それが自分の好みに合わなかったら実に悲惨だ。
時間を無駄に感じてしまう事もあるだろう。だがこれは、単純な好みの問題にも関わってくるので、一概にどうとも言えない。
だが今回の主役は、ルチアと決めている。だから当然、優先されるのはルチアの意見だった。
「今日のところは、ルチアの意見を優先しよう。お前の好きに選べ」
「流石ミレイさんっ! ……こういうのは効率じゃないんですよ、また一つ賢くなれましたね」
「何でアンタは、そういきなり高圧的になれるのかしらね」
ふふん、と鼻で息を出しながら胸を張るルチアに、ユミルは痛ましいものを見るような視線を送る。どうであれ、生産性のない言い合いをしているより何倍もマシだ。
ミレイユはまず、ルチアがどこに行きたいのか聞いてみた。
「ええ、まず目についた時点で行ってみたいと思ってたんです。……ほら、あそこのホラーハウスってやつですよ!」
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