嵐の前の その3
翌日、ミレイユはアヴェリン達を伴って大社へと訪れていた。
今日は外へ遊びに行くと言う事で、いつもの様な神御衣ではない。起床してから身支度を整えた後は、常にあるように着せられていたのだが、先じてアキラの部屋へと転移していた。
そこで箱庭へと入り、いつか買ったこちらの洋服に着替えてからやって来た。
ルチアの服装は巫女服なので、出掛ける前に着替えさせる必要があるだろう。舞殿の入口で対面し、二人は互いに挨拶を交わした。
「おはよう、ルチア」
「おはようございます、ミレイさん」
ルチアと朝の挨拶をするのは久しぶりで、何やら面映ゆい気がしてくる。それはルチアも同様だったらしく、どこか気恥ずかしい笑みを浮かべていた。
そしてミレイユの背後に視線を向け、アヴェリン達にも挨拶をしていく。そしてユミルの背後に隠れるようにして立っていた人物に目を留め、次いで首を傾げた。
「……何でそこに、あなたが?」
肩身を狭くし、実に気不味げな表情で立っているのはアキラだった。
今更このメンバーに含まれる事については、別段おかしくはない。ルチアとしても、その事に異議を差し挟む発言ではないだろうが、居る事そのものを不思議に思っているようだ。
アキラの顔からも困惑したものが窺える。
自分自身、どうして呼ばれたのか理解しておらず、久々に会うルチアにどう話し掛けたものか悩んでいるようだ。特に親しい間柄でもないので、尚更どうしたら良いのか困っている。
「ああ、私が連れて来た。娯楽施設について、私も大概詳しくない。観光案内というか、何かと説明役は必要だと思って、使えるだろうと思った奴を用意した」
「そうなんですね」
「……え、そんなつもりで呼ばれたんですか、僕は」
アキラから驚愕というより、呆れの声が強く出た。
本日は休日という事もあって、丁度良いからと拉致同然で連れて来た。特に理由を話さず、準備して待て、という伝言だけ持たせて使いの者をやったので、困惑具合もよく分かろうというものだ。
恨めし気な視線をミレイユに向けてくるが、そんなものは当然無視した。
「別に構わんだろう。学生の休日なんて、遊ぶか寝てるか馬鹿やるかの三択だと決まっている」
「凄い偏見に満ちた発言ですね……。馬鹿をやるが、また広義すぎるし……」
愚痴を言っても覆らないというのを、今になっても理解していないらしい。
アヴェリンが睨みを利かすと、背筋を伸ばして直立し、顔を横に向けた。
ミレイユがそれに、ちらりと笑ってアキラを見た。
「だが、あんな閉塞された場所では、娯楽なんてないだろう。そんな場所だから、売店での品揃いは豊富だと聞いたが……それにも限度はあるだろうしな」
「えぇ、はい、そうなんですけど……。でも暇していたという訳では……」
「そうなのか?」
意外に思って聞いてみると、アキラは渋い顔から神妙な表情に変えていった。
「オミカゲ様が仰せのとおり、鬼は加速度的に強まっています。誰もが危機感もって挑んでますし、休日だからと訓練を怠るような人はいません。今日もそのつもりでいましたし……」
「あぁ、そうか……。それは確かに、そうだろうな」
「単なる案内役が欲しかったというなら、神宮にいる誰かで良かったんじゃないですか? 世話役の人とか、色々と気遣ってくれそうじゃないですか」
アキラはこの場から逃げ出したい一心でそう言ったのだろうが、しかしミレイユがその程度考えつかない筈もない。近くの女官ではなく、わざわざ遠くのアキラを選んだ事には、勿論理由がある。
その内一つが、そもそも事情を話せば遊びに行く許可など降りない、という事だった。強弁すれば許されるだろうが、それをすればパレードの如き護衛や世話役が付いて来るのは目に見えている。
遊び先と選んだ場所が貸し切りになりそうだし、あらゆる優先と配慮がなされるだろう。
しかしそれは、ミレイユの望むものではない。単なる一般市民同様、他の誰かに紛れるような恰好で、遊びに出かけたいのだ。
大体、それでは気疲れの方が多くあって、ただ楽しむという事は出来ない。
それに――。
オミカゲ様が以前言っていた事が正しいなら、ミレイユが思うような娯楽施設には連れて行ってくれないだろう。若者が休日に訪れるような場所とは無縁な、堅苦しい能や歌舞伎などに案内されそうだ。
本日の目的はルチアを楽しませる事なので、以前の約束を果たす為にも、よりそれらしい場所へ行きたかった。しかし全く同じ場所というのも芸が無い。
現世でしか見られないような、特別な場所へ連れて行きたかった。
若者らしく、アキラもそういう施設にはそれなりに詳しいだろう。
そして、もう一つアキラを選んだのは、女官を傍に置くのとは間逆な理由が挙げられる。
ミレイユは、この三ヶ月で幾らか精悍な顔付きになったアキラを見ながら言った。
「誰かを共に付けるなら、気心知れた者の方がやり易い。お前にとっては厄介事かもしれないが……まぁ今日一日だ、我慢しろ」
「……あぁ、いえ。そうまで言って頂けると、こっちが恐縮してしまうというか……。でも分かりました。案内役は務めさせてもらいますけど……、どこへ行こうと言うんです?」
「うん、やはり遊園地あたりが妥当かと思うんだが、お前はどう思う」
何気ない提案のつもりで言ったのだが、アキラは途端に渋い顔になった。
「雪が降り始めたら、もう営業期間は終わってますよ。他を探した方がイイんじゃないかと」
「……そうか。だが、そういう事なら暖かい地方なら、まだ営業していると言う事か?」
「そうですね……、そういう場所もあると思います」
「では、そうしよう」
事も無げに言って、ミレイユが制御の準備を始めると、アキラがそれを止めてきた。大仰に、ミレイユへ掴み掛からんとする勢いで近付いてくる。
「随分と簡単に言いますけど、行って帰って来るだけでも相当な時間ですよ。遊ぶ時間なんて、とてもとても……!」
「私が転移できるの忘れてないか? 行きも帰りもそれで済ませる」
「いや、でも前は馬車扱いする気か、と師匠に怒られたような……」
そう言って、背後を窺うようにアヴェリンへと顔を向けて、それからミレイユへと向き直る。
だが、その心配は杞憂というものだ。
単に楽をしたいからという理由で、時間的余裕もあるのにミレイユを使うのと、使わなければ間に合わないという理由では話が違う。
そして何より、ミレイユがそうしたい、という理由があるなら、アヴェリンは基本的に良しとする。それがあからさまに苦言を呈する内容でない限り、彼女は口を挟んだりしない。
「それは分かりましたけど……、どこでも自由に行ける訳でもないんですよね? ミレイユ様、あまり外出しないイメージあるんですけど、今も雪が降っていない地方で遊べる場所とか知っているんですか?」
「それは数週間前、九州地方で救援要請があったろう?」
「ええ、はい……ありましたね。僕は待機でしたけど」
「その時、遠くに観覧車が見えた。あまり大規模な施設のようには見えなかったが、むしろ目立ちたくない私達からすると、調度良い塩梅だろう。だから座標を記録しておいた」
それなら大丈夫か、という納得する顔でありつつ、そんな事の為に、という釈然としない顔で頷いた。
実際に足を運んだ訳でもないし、座標場所からはしばらく歩かないといけないだろうが、それでもミレイユ達の足ならば十分と掛からない。
隠蔽して走り抜ければ、目視できる距離など車で行くより早いくらいだ。
「でも、まだ問題が……」
「まだ何かあるのか。いいから早く行ってしまおう」
「そうしたいのは山々ですけど、これは確認しとかないと」
早くしないと追手が付く可能性があるので、神宮勢力下では長居したくなかった。しかし、ここでアキラが言う問題を蔑ろにするのも何やら怖しい。
だからミレイユは、言ってみろ、と顎をシャクって腕を組む。
「これは根本的な問題ですけど、入園にはお金が掛かります。入るだけじゃなく、入った後のアトラクションにも。……結構お金かかると思うんですけど、ちゃんと持ってますか?」
「それなら問題ない。以前、ルチアが質屋に入れて手にした金は、殆ど残っている」
当時は再度金銭を入手する機会を思い付けず、今後の生活費を思って苦慮していたものだが、神宮に移ってからは、当然そういった悩みとは無縁となった。
外出そのものも減った所為で出費もなくなり、箱庭の中で腐らせているような状態だった。このまま置いてあっても有効活用される事はない筈なので、この際に使ってしまう事にしたのだ。
だから現在、ミレイユが持つ財布にはパンパンに札束が詰まっている。
入園料を込みで考えても、余裕で今日一日過ごせる金額だった。
「そう言う事なら、分かりました。というか、何の為に呼ばれたか知らなかったので、僕もお金持って来てませんよ。取りに戻らせて貰って良いですか?」
「いや、こちらで持つ。送るとそちらに付いていく破目になるし、変に目撃情報を増やしたくないしな。煩いのがやって来る前に移動したい」
アキラが申し訳無さそうに頷いて、それで了承の姿勢を見せようとしたところで、その動きが止まった。不審なものを見るような顔付きで、ミレイユの顔を窺う。
「……何ですか、目撃情報って。煩いのがって……それ、神宮の女官だったりしませんよね?」
「いや……そんな事はないが」
「じゃあ何だって見られたくない、なんて言うんですか。外ならまだしも、神宮勢力の中で。……いや、ちょっと待って下さいよ。まさか、誰にも言わずに出てきたなんて言うんじゃないでしょうね!?」
アキラが再び詰め寄ろうとして、ミレイユは煩そうに顔を顰めて空へと視線を向けた。
その態度が、アキラにとっては何より雄弁な回答となったらしい。引き攣った顔をして首を横に振った。
「何で勝手に出てきたりしてるんですか、それ絶対ヤバイやつじゃないですか」
「一々どこ行きたいなんて、断り入れて外出する方がおかしいんだ。私は子供じゃないんだぞ」
「いや、子供じゃないけど御子神様じゃないですか。そんなフットワーク軽く外を出歩かれたら、周りの人は絶対困りますよ」
アキラの言葉は全くの正論だったが、時に正論は暴力の前に屈する、という事実を知らなければならない。
ミレイユはアキラの言葉を無視して、転移の為の制御を始める。
まだ何か言おうとしたアキラを、まず強制的に転移した。それからユミルとアヴェリンに目配せして、ひと一人が通れる程の転移門を開く。
その門を潜ろうとしたユミルが、愉快に顔を歪ませて、ミレイユへ流し目を送ってくる。
「アンタも馬鹿なコトするようになったものね」
「時々ならいいだろう」
ミレイユが片眉を上げて言えば、ユミルは笑いながら門を潜っていく。それにアヴェリンも続いて、ミレイユへ困ったような笑みを浮かべて入る。
最後にルチアを誘って、姿が完全に門の中に隠れると、それに続いてミレイユも入る。
遠くでは聞き覚えのある女官の声が何か叫んでいるように思えたが、それを無視して自らも門を潜る。
今日の予定をどうしようかと、昨日組み立てていた内容を反芻しながら。
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