御影の意思 その2
生霧会ビルで遭遇した神宮勢力、そこで会った結希乃の傍にいた部下らしき女性、その者が言っていた事だ。直接対面できる者は限られる、と確かに言った。
「でも、阿由葉は断言していた訳だ。……ならば、あの者はオミカゲに直接対面できる稀有な人物という事になりはしないか?」
「阿由葉家は御由緒家の内の一つ、オミカゲ様の血に連なる御家です。……有り得ない話ではないと思います」
アキラからの同意も得て、ミレイユは自身の説が間違いないと確信に近い説得力を得た。
そこにルチアが首を傾けて尋ねてくる。
「……でも、それがどうして捕まる事に繋がるんですか? 別に捕まってやる必要まではなくないですか?」
「それは、その方が話が早いと思ったからだな」
「……ですかね?」
ルチアは更に首を傾けてしまった。
ここでは会話が筒抜けになっていても不思議ではないので余り話したくはないのだが、手錠までして護送する者を、こうまで自由にさせているのなら警戒は薄いのか、と思う事にした。
「つまり、阿由葉と直接聞き出そうと思えば拉致してもいいんだが、口を開かせるのに難儀するだろう。魔力を持つ相手なら催眠の耐性も身に着けていそうだ」
「リーダーみたいだったから、それぐらいの対策はしてるでしょうね。情報を抜き取られても困るし」
「そうだな。だが、相手の土俵に立ってやれば緊張も少ない。傍に味方がいる、どこぞの牢屋での拘留、そういう相手優位の状況なら口も軽くならないかと。そこに期待している」
「ああ、つまり話を聞いたら、すぐにでも逃げるつもりなのね?」
「……どうかな。逃げると手配されそうだし、そうすると安心して過ごす事も難しくなりそうだ」
ユミルが明らかに顔を顰めて首を振った。
「冗談でしょ。どことも知れない牢獄で、この先何年も過ごせって言うの?」
「いいや、そこは交渉次第だろう。ま、上手くやるさ」
「頼むわよ……。まぁね、交渉決裂なら、それこそ逃げ出せばいいし」
気楽な口調で頷いて、ユミルは朗らかに笑う。
それに待ったをかけたのはアキラだった。また血走った目を向けて、ユミルの腕を掴んだ。
「駄目ですからね、脱獄なんて。御影本庁による捕縛ですよ? オミカゲ様の勅だって言うじゃないですか! それなのに逃げ出すなんて……!」
「何よ怖い顔して。でも、脱獄くらい、みんな経験あるでしょ?」
「ある訳ないでしょ、何を軽い悪戯みたいなノリで言ってるんですか」
アキラが威嚇するような表情で呆れて言った。
しかしミレイユとしてはアキラに同意できない。さも二人の遣り取りに興味がない、という風で顔を逸したが、それに目敏く気付いたアキラが顔を向ける。
「え、まさか……? まさかミレイユ様も、あるとか言いませんよね?」
「……どうかな」
「何がどうかな、よ。言ったでしょ、全員経験済みなのよ」
ユミルがアヴェリンとルチアにも目配せする。即座にルチアは顔を逸したが、アヴェリンはどこ吹く風だ。だからどうした、と鼻で笑うようですらあった。
「えぇ……? 何でそんな事したんですか。いや、むしろ何して捕まったんですか」
「言っておくが、疚しい事があって捕まった訳ではないからな。冤罪だ」
「え、あ、そうなんですか……?」
「どうせすぐ釈放されると思って素直に捕まった。しかし、そもそも嵌められたのだと気づき、待っていたところで、このまま牢に閉じ込められたままだと分かった。だから脱獄した」
ミレイユの言い訳に、アキラは納得した表情で頷いた。
時に法とは完全に潔白の上で行使されるとは限らない。衛兵に金を積ませ逮捕する事もあれば、証拠を隠してしまう事もある。
潔白を叫んでも、その精査する者たちが腐っていては意味がないのだ。
「因みに罪状は何だったんですか?」
「貴族に対する暴行だな」
「ははぁ……、実際は殴っていないのだと」
「いや、殴った」
「じゃあ冤罪じゃないですよ、それ!」
思わずといった感じで、アキラは声を荒らげた。立ち上がりかけた腰を降ろし、助手席にいる筈の警務官か何かを伺うように顔を向ける。
何の反応もない事にホッと胸を撫で下ろした。
それからミレイユに胡乱げな視線を向ける。
「同情できる話なのかと思ったら、普通に犯罪してるんじゃないですか。しかも逃げるし。普通しませんよ、そんな事」
「いいや、冤罪ではあったんだ。殴ったぐらいなら罰金で済む。投獄まではいかない」
「ああ、言われてみれば……でも貴族様だったんですよね? やっぱり庶民を殴るより罪は重かったんじゃ……」
「それは確かにそうだ。しかし金額が重くなるだけで、別に投獄まではいかないものだ。では何故そのような事になったかと言うと、私がその貴族を袖にしたからだ」
アキラの表情が同情に傾く。眉が八の字に垂れ下がり、痛いものを見るような顔をする。
「そもそも貴族でなければ価値がないと思うような輩だったしな。地位に拘らず、容姿も関心を抱かず、金にも傾かない、そういう私が気に食わなかったらしい」
「それで、殴ったんですか」
「そうだな。詳細は省くが……気に食わないと思えば、相手が王だとしても私は敵に回すのを躊躇わない。それで、躾のために殴った」
アキラの表情は完全に同情的なものに変わっていた。
アヴェリンは当時のことを思い返して、腸が煮えくり返るような思いで顔を顰めている。ルチアもユミルも似たようなもので、苦いものを飲み込むような表情をしていた。
「だが結局、単に恨みを買うだけで終わった。罰金だけで終わる筈が投獄され、そして潔白を証明する機会すら奪われた。アヴェリン達は一緒にいたから、という雑な理由で同罪だ。……どうだ、私達は逃げずにいた方が良かったか?」
「それは……ええ、確かに投獄されたままでいるのは馬鹿みたいです」
「お前なら素直に刑期を終えるか?」
「それは……」
口を濁すアキラに、ミレイユは敢えて笑って見せる。つまらぬものを振り払うように腕を左右へ動かし、何でもないように続ける。
「意地悪な質問だったな。お前がどうするか、どうしたいかはお前が決めろ。だが、私は……私達なら脱獄を選ぶという話だ。別に自慢気に語るつもりもなかったが……、結局そんな感じになったかな」
「えぇ、いや、何と言いますか……」
「別に無理して何かを言う必要はない。教訓めいた話というには少々難があるしな」
空気が妙な感じになってしまって、ミレイユは窓の外を見つめた。スモークシートのせいで外を明確に見る事は出来ないが、それでも移り変わる景色はそれなりに心を慰めてくれた。
そこにルチアが思案顔で顎に手を当てて聞いてくる。
「でもですよ、相手に優位な状況で話を聞くのはいいとして、それでオミカゲさんに会う約束なんて取り付けられるものですかね? 勅を受け取れるだけ近しい間柄だとしても、それとこれとは話が別じゃありません?」
「ルチアの言う事は最もだ。だが、私にも切り札がある。会う約束を取り付けるのは難しくても、無視だけはされない。それには自信がある」
「ふぅん……?」
ユミルが曖昧に頷いて、とりあえず納得するような素振りを見せる。
それでルチアも頷き、アヴェリンは元よりミレイユのやる事に異議を唱えない。
とりあえずの方針は固まっているのだと納得し、そして何か策があると分かると、車内の空気は弛緩した。ユミルはアキラにちょっかいを出し始め、ここだけ切り抜いてみると完全に遊びに行くようなノリだ。
囚人相手なら既に激昂されていてもおかしくなく、また監視員の一人もいない事に改めて気が付いた。そもそも自由にさせる筈もなく、その為に誰かしら配置するものだと思うのだが、警察とはやり方が違うのだろうか。
だが、実際に誰か置いていたとしても、ミレイユ達は封殺していただろう。
ユミル辺りは煩いことを理由に気絶させていた可能性すらある。
それを見越して誰も配置していないのだとすれば大したものだ。結局、監視員など置いても全くの無意味なのだから、無駄に犠牲者を増やすだけにしかならず、ミレイユ達の不興を買うだろう。
そう思って、結希乃の言葉を思い出す。
――不興を買うな、と言われた。
もしもそれを、今も律儀に守っているとしたら、この緩みきった監視体制も納得できる気がした。
ふとアヴェリンが窓の外に目を留め、並走する白バイを熱心に見つめている事に気が付いた。運転している警官ではなく、バイクそのものに目を向けているようだった。
「……どうした、アヴェリン。何か気になるのか?」
「ああ、いえ……。ちょっと見ていただけでして……!」
アヴェリンにしては歯切れの悪い言い方だった。
首を傾げて何か思うところがあるのか問う。そうすると、おずおずと憚るような調子で言ってきた。
「先程までの追跡で、あれと似たような形の物を追っていました」
「ああ、私も車種など全く詳しくないが、随分と速いバイクだったな」
「ええ、その……バイクですか。それがこの世界の馬の代わりをしているのか、と思いまして」
それでアヴェリンが何を思っているのか察することが出来た。
形状は随分違うものの、跨って走るものという意味ではバイクと馬は良く似ていた。バイクの種類によっては馬では踏破出来ないような場所も走る事ができる。
馬よりも早く走ることも出来るし、ガソリンが続く限り走り続けるものでもある。
そういう意味では馬は毎日の世話がある分、バイクの方が手軽で速い乗り物だと言えるだろう。最も、バイクの手入れは簡単だなどと言えば、煩い輩もいるだろうが。
「実に軽快に、そして場所を選ばず走るものだと感心しました」
「ああ、その気持ち、分かる気がするよ。馬にとって変わったのは車だろうが、しかし形状として見た場合、バイクの方が近い気がする」
「馬は良いものです。あれほど美しい生き物はおりません。世話を通じてお互いの気持が一つになり、人馬一体の走りが出来るようになるのは、何事にも代えられない喜びですから」
あちらの世界において、アヴェリンには自ら世話する馬がいた。
用意された邸宅には、規模に見合った常識として馬房があり、そこで世話と管理を任せていたものだ。ルチアは身体も小さいのでアヴェリンと同乗し、ユミルは自前の馬を召喚して用意していた。
ミレイユの馬の世話もアヴェリンの仕事で、時が許す時は毎朝毎夕、甲斐甲斐しく働いていたのを覚えている。与えられた仕事というより、したいからしているという感じだった。
アヴェリンの視線の先にはバイクがある。
当時のことを思い出してしまったのかもしれない。現代に馬を用意する事も、世話をする事も難しい。あの時のように世話する時間が出来れば、アヴェリンも満足する時間を過ごす事が出来るのだろうが……。
いつだったか、アヴェリンにもこの現代を楽しんで欲しいと言った事がある。
なにか趣味でも見つけて楽しく過ごせ、と。
もしアヴェリンにバイクを買い与えたら、と考え、即座に否定した。
金がないという切実な理由があるのは勿論だが、そもそも免許を取らせてやる事すら出来ない。馬のように道を走らせる技術があるならそれで良し、とはならないのだ。
明確な交通ルールを理解した上で走らせなければ事故を起こすし、そしてその時怪我するのはアヴェリンではなく、間違いなく相手の方だ。
ミレイユはままならぬ気持ちを押し込めるように溜め息を吐き、アヴェリンとは逆の窓へ顔を向けた。
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