森の中で その4

「えぇい……っ、後で様子を見に行かなければならないか。あまり外に出たくないんだが……」

「あらあら、すっかり出不精になっちゃって」

「あんな様子を見せられたら、そうもなるだろ……!」


 ルチアが懸念を示したとおり、エルフ達はミレイユに尊崇の念を向けようとした。それはテオの洗脳を利用する事で、上手く回避する事は出来たのだが、それでも感謝の念まで奪う事は出来なかった。

 洗脳は多人数に対しても有効に働くが、命令を重ね掛けする事は出来ない。


 一方を既に封じているのだから、別の念は受け取らざるを得なかったのだ。

 それが困るというよりも、面映ゆいのが受け取りたくない理由だった。

 自分で言うのも烏滸がましいが、ミレイユは実際、それだけの感謝を受け取るだけの助力をしている。だから、当時の事を今も覚えているエルフ達が、その気持ちを伝えたい、という事まで止められなかった。


 しかし、それが顔を見せる度、苛烈になるとなれば話は別だ。

 感謝の言葉一つ、態度一つで終わるならば良い。こちらも気持ち良く受け取って、話はそれで終わりだ。しかし彼らは、いつでも感謝の念と態度を前面に表し過ぎる。


 まるでここが、第二の奥宮かと錯覚しそうになる程だった。

 あちらほど形式張って厳格なものでも無いが、向けられる敬意は、非常に似たものを感じる。それが窮屈で、そして申し訳ない気持ちになって、表に出る機会を減らす事になった。


 現在は里長の屋敷と、ミレイユの邸宅を往復する日々だ。

 窮屈さを感じて、時折ユミルに幻術を掛けて貰った上で、村の中を散策するものの、エルフの強い感知力では見抜いて発見される事もしばしばだった。


 ミレイユは吐き捨てるように言った態度のまま、ユミルから視線を切って、再び書類へ向き直る。とにもかくにも、正式な嘆願として提出されたものは、それが何であれ可否のサインだけはしなくてはならない。


 ミレイユは大きく溜め息を吐いた。

 今も堆く机に積み重なる書類全て、見る必要は無いと破り捨てたい衝動に駆られる。しかし、そういった内容の書類ばかりでないだろうから、目を通す事だけはしなくてはならなかった。

 忌々しく思いながら書類の一つを手に取り、そして内容を精査しようとして動きを止める。


 直前の内容が内容だっただけに、今回の書類も流し読みするような塩梅だったが、目に入ってくる情報を理解するにつれ、その読み方にも真剣味が増した。

 改めて最初から読み直し、そしてユミルへ顔を戻す。


「あら、どうしたの。怖い顔なんかしちゃって。アタシの顔見て癒やされるって言うなら、どうぞ好きなだけ見て頂戴」

「何でそんな理由で、私がお前に顔を向けないといけないんだ。……そうじゃない、ギルド関連の問題だ」


 頬を挟むように両手を当てて、変なシナを作るユミルへ、大いに顰めっ面を向けてから本題を切り出す。


「冒険者ギルドの長も、スルーズに眷属化されていたろう。今も同じく何かしらの命を実行中だと言うなら、これは阻止しておきたい」

「まぁね……、好きにさせる理由なんてないけど。でも、単にデルン国からの依頼を受け入れろ、程度なら可愛いものじゃない?」

「本当にそれだけならな」

「……あら。それじゃあ、アンタは何か他にもあるって考えてるの?」


 ユミルが頬に添えていた手を、片方だけ外して首を傾げる。

 ミレイユはそれに対して、明確な答えも予想も立てていなかったが、自由にさせておく不便さを許すつもりは無かった。


「明確に何か思いついた訳じゃないが、デルンと冒険者は切り離しておきたい。健全化させたい、というよりは、いざという時ギルドを勝手に動かす事こそを懸念している。そのは、魔王討伐という大義名分が働く時、先鋒として使う腹積もりだろうし、そうでなくとも先日までと同様、森への警戒要因として使えてしまう」

「まぁ、単純に戦力として見ても、弱卒の兵より役に立つのよね。可能ならば、これは切り離しておきたいっていうのは納得よ」


 ユミルが納得して頷いたが、それに待ったを掛けたのはヴァレネオだった。


「――お待ちを。しかし、これはデルンを攻めた場合、神々からの逆撃を受ける、という話に抵触いたしませんか。明確な宣戦布告ではありませんが、相当グレーな部分かと。勘気に触れれば、何をして来るか分からないのでは……」

「お前の言う事は尤もだ」


 ミレイユは首肯してから答える。

 ギルドを既にデルンの手足と考えているなら、それを切り離されるのは攻撃と見做される可能性はある。ミレイユを森へと留めたい、というのなら、その戦力はそれなり以上の役目を果たすだろう。


 それを期待しての運用だったかもしれない。

 だが、ヴァレネオがグレーゾーンと言ったように、これを攻撃するのではなく、自発的に離反させるのであれば、その限りではない。


「切り離す為に、わざわざ我らの仕業と教えてやる必要はない。――当然、秘密裏にやる。大体、この切り離し工作が成功したとして、その上で魔族の仕業と暴露されても、我々が一方的に指弾されると思うか?」

「……それは、やはり、そうなのではありませんか? 大体、我々を敵と認定させたいという話で、それなら幾らでも指弾して来そうなものですが」

「だが同時に、我々も黙ってはいない。そもそもギルドに癒着があったのだと、問題提起してやる事が出来る。事実としてそうなのだから、そこを突くのは当然だ」

「そうねぇ……。仮に魔族が暴いたと言われたところで、それを持って森を攻め立てろ、という話に持って行くのは難しいでしょ。出来るとするなら、癒着工作そのものが魔族の仕業にした方が賢明でしょうけど……」


 ミレイユは一つ頷いてから手を振った。


「それをさせない為の秘密工作だ、暴くのは私達じゃない。ギルド員自ら、それを暴いてもらう」

「どうやって?」

「暴ける書類があるのなら、それを目立つ所にでも置いておけ。無いと言うなら作らせろ。――お前なら、それが出来るだろう?」

「……あぁ、だからさっきから、そんな受け止めがたい熱視線で見つめられてたのね」


 そう言って、ユミルは頬に手を添えたままウィンクする。

 ハートの形をした何かが飛んで来た様な気がして、直撃を避けたくて手で払う。


「お前なら出来る、お前好みの仕事だろう? 隠伏して忍び込み、探し出すなり聞き出すなり好きに工作しろ。お前の仕業、あるいは魔族の仕業という逃げ道を作らせない形なら、どんな方法でも良い」

「ふぅん……? ま、それなら良いわよ。楽しそうだし」


 ユミルはニヤリと笑って腰に手を当て、自信を顕にするようなポーズを取った。

 神々の鼻を明かせる作戦となれば、ユミルのやる気も桁違いだろう。まず失敗しない相手に任せられる安心感と、そして成功させる意欲の高い彼女なら、ミレイユも気持ちが楽になる。


 そう思っていたのだが、ユミルは数秒のあいだ思案顔を浮かばせて、それから思い浮かべた懸念を口に出した。


「証拠を残さないのは良いとしてさ、でも……これってアタシ達の仕業として結び付けるわよね?」

「神々が、か?」

「……そう。状況的にそうだろう、というアテは付けると思うのよね。その上で、未来予知に近い権能を持つ神――ルヴァイルだっている。神々が熱心に連絡取り合う様な仲とは思えないけど、怪しい動きに対しては、過敏になっててもおかしくない、とも思うわけよ」

「……そうかもな」

「ギルドが神々にとって、手足になり得るほど貴重な手札とも思えないけどさぁ……。アタシ達が牙を剥いた、と捉えるなら同じコトじゃない? 下手にヤブを突く必要もない気がするんだけど」


 ユミルの発言には、ヴァレネオも大いに賛成らしく、大きく首を上下させた。

 二人の懸念は理解できる。

 黙っていれば大人しくしている、というルヴァイルの神使――ナトリアの言を信じるなら、何もしないのが最適解だろう。


 当然、その言葉を頭から信じられないとミレイユは思っているし、ユミルに至っては全く信じていないうえ、その思惑には乗りたくないとも思っている。安全を確保するというなら、自分たちが納得した上で、自分たちが安心できる方法を、と考えている筈だ。


 だから、森の防備を高めるなどの方法に文句はつけないだろうが、今回の件の様なリスクが高いものには難色を浮かべる。

 ユミルの言うとおり、下手な藪をつついて危険を呼び込む必要はない。

 ――だが、だからこそ、とも思うのだ。


 神々の思惑は二つあり、そして他方――ルヴァイルはむしろ、ミレイユ寄りの考えであるという。

 どこまで信じられるものか分からないが、森から出ない限りにおいて、神々は静観する筈だ、という話を確認する良い手に思える。


「この秘密裏に行う工作、この程度では神々は動かない筈だ。ルヴァイルがそう言っていた。森から出る事なく、デルンを攻める事もしないなら、大人しくしているんだと」

「……それを信じるワケ?」

「いいや、むしろ信じていないからこそ試すんだ。ルヴァイルが言った事が正しいのか、そして証拠が見つからぬ工作であれ、怪しいと判断したら神々は攻撃を踏み切るのか。それを確認する」

「……あぁ、つまりこれ一つで試金石にしようってワケ。これでデルンが動く様なら、ルヴァイルは即座に切り捨てるのね」


 ミレイユは苛立たし気に、鼻を鳴らして頷く。


「信用できるかどうか、これ一つで決めるものでもないが、嘘を伝えたという事実を持って、手を組むことは考え直す。あの地下にある転移陣に罠でも張って、登場と共に拘束だな」

「いいわね、それ」


 ユミルが指を一本向けて来て、剣呑に微笑む。


「でもま、それなら良いわ。俄然やる気が出るってモンよ」

「しかし、それで本当にデルンが攻めてきたらどうなさいます……!?」


 ヴァレネオは慌てて止めに入ろうとしたが、ミレイユは澄ました顔で窓の外に視線を移した。


「その時は相手にする。目的は私の抹殺ではないから、下手な事にはならないと思うが……。森に閉じ込め時間稼ぎ……、これさえ嘘ならどうしようもないな」

「その時間稼ぎ自体が意味不明だしね。それで私達が不利になる……。私達っていうより、森やそこに住む命、なのかしらねぇ……。それはそれで確かに困った事になるんだけど……」

「だが昇神させない、という目的に合致しても、ここで私と全面戦争させた上で、となると……少し弱くないか」

「討ち取るでもなく、昇神させるでもなく、でも……」


 ユミルは言葉を止め、視線を斜め上に向けて動きを止めた。

 その恰好のまま思考に没頭したが、最後には盛大に息を吐いて首を横に振った。

 結局ここで考えたところで、確かな答えは得られないと悟ったらしい。それにはミレイユもまた同意見だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る