森の中で その3
ヴァレネオは口を戦慄かせ、僅かな間を開けてから口を開く。
「……以前にも、仰せでしたね。神々を弑し奉る、と……。その目的を知られてもいると……。では、神々は恐れるが故に、遠ざける為だけに森へ閉じ込めておきたいと……?」
「それだけとは思えない。他にも必ず理由がある。それが何かはまだ分からないが……、何れ突き止めてやる」
ミレイユが語気を強めて言うと、ヴァレネオもまた強く頷く。
「人心、人命を軽んじること……、あるいはそれこそ神の特権かもしれません。ですが、ですが……軽んじるだけならまだしも、その為に全てを支配下において虐げるなど……! あまりに……!」
「そうだ、それに甘んじてやる理由がない。全ての神とまで言わないが、計画の首謀者は必ず殺す」
ミレイユが敢えて強く断言すると、ユミルは満足げに笑みを浮かべる。
「当然よね? 加担した神、首謀した神、それとゲルミル族を皆殺しにした神には、相応しい報いを受けて貰わないと……ねぇ?」
「世界の存続に神が必要……それは事実かもしれないが、だったとすれば、それを解決した上で報いを受けて貰うだけだ。こちらもこちらで、既に和解できる段階を過ぎている。あちらも止まるつもりはないだろうが……、我を通したいのはこちらも同じだ。だから、もはや死の決着でしか止める方法がない」
「は……!」
ミレイユの決意を聞いて、ヴァレネオの身体がわなわなと震える。
彼の抱く恨みは相当深く、しかし手が出ぬ相手と忸怩たる思いをしていただろう。いつかミレイユが鉄槌を下す、という希望を胸に抱いて、その時を待っていたに違いない。
その時が遂に来ようとしているのだ、と認識を新たにした事だろう。
ヴァレネオの顔に浮かんだ紅潮した表情が、それを物語っている。
調子の良い事を言ったが、当然そこには大きな問題が横たわっている。
それにはこちらから能動的に攻め立ててやらねばならず、居場所も分からぬ現在、刃を持っていても届かせようがない。
森に閉じ込めていたい神々の思惑を思うに、その問題も解決しない事には、動くに動きようがなかった。
ただ、これについてはルヴァイルとの接触次第で、上手くいく可能性がある。
問題を一挙に解決できるとはいえ、上手い話には裏があるものと理解している。
果たしてどこまで信用できるのか、そしてルヴァイルは何を伝えるつもりでいるのか考えていると、ヴァレネオは紅潮させた顔のまま、深く頭を下げてから言って来た。
「ミレイユ様、今更ながら、その時が近付いて来たのだと理解いたしました!
「……まだ計画といえる物すら、出来上がっていない段階だからな……。今からそんな様子じゃ身体が持たないだろうが……、その時が来たなら頼もうか」
中途半端な事しか言えていないというのに、期待を寄せた言葉は、どうやら喜ばせる事になったらしい。ヴァレネオは、またも身震いして一礼した。
「お任せを! ミレイユ様がそれを成して下さるというのなら、我らエルフがそれに協力する事に、誰が異を挟むと言うでしょうか。あげくその礎となろうとも、迷いなく付き従う事でしょう……!」
「そうよねぇ……。そして神として降誕してくれるって言うんだから、文句なしよね」
「おぉ……!」
今にも膝を折って祈り出しそうなヴァレネオを、念動力で元の姿勢に戻してやりながら、ミレイユは大いに顔を顰めて、ユミルを睨み付けた。
「誰もそんなこと言ってないだろ。変な噂を広めようとするのはやめろ」
「何でよ、やってよ。結構適正ありそうじゃない、オミカゲサマもやってたんだしさ。今の感じ見てても、やっぱり出来そうな感じでしょ」
「小さな村での仕事捌きを見てか? 確かにカミサマ適正が大アリって感じだな」
「そんなワケないでしょ。言わなきゃ分からない?」
「そうだな、何を見てどう確信したのか教えてくれ――いや、やっぱり言わなくて良い。聞きたくない。……私にそんなつもりはないし、今後その様な事に、手を出すつもりもないからな」
「あら、そう。ふぅん……?」
意味あり気な笑みを浮かべて、ユミルは自らの頬に手を当てて擦った。
その余裕をありありと見せる姿は、放っておくには怖すぎる。何か画策しているというなら止めたいし、何かを予想しているというなら、それを潰すべく動きたい。
聞き出すと弱みを見せるような気がしてならないが、しかし聞き捨てたままでいるのも恐ろしい。
それで結局、聞きたくないというのに、聞くことを止められなかった。
「……なんだ、何を言いたい。言ってみろ」
「いえ、別にぃ……? ただほら、アンタが言う『つもりが無い』っていう要件は……大体巻き込まれたり、そうせざるを得なくなったりで、結局関わるコトになるじゃない」
「そんな事――! ない、だろうが……」
キッパリと否定したかったが、よくよく思い返してみるまでもなく、事実だったと思い至る。思わず言葉が尻すぼみになってしまったのを抑えられず、それが更にユミルを喜ばせる結果となった。
この世界での冒険は言うに及ばず、現世に帰ってからも結局静養とは名ばかりの生活を強いられる事になったし、関わりたくないと思っても、向こうの方が放ってくれない。
それが神の計画と言ってしまえばそれまでだが、それ以外の全ての騒動さえ、ミレイユを放してくれなかった様な気がする。
だが、その神々の頸木を断ち切れば、そんな心配も無用になる。
そして、ミレイユはその為に今、あらゆる努力を厭わず動いているのだ。それを思えば、小村の書類仕事程度、どうという事はない。
何事かを言いたがっているヴァレネオを視線で黙らせ、ユミルも努めて無視すると、ミレイユは新たな書類を手に取る。
そして一読なり、眉間に指を当てた。
指を当てたのは、眉間に皺を寄せるのを防ぐ為だ。最近、どうにも顰めっ面ばかりしている様な気がするので、それを未然に防ぐ為、この様な動作をする機会も増えて来た。
だが、そんな様子が気が気じゃないアヴェリンは、ほんの少し身を寄せて、ミレイユの様子を伺って来る。
「……何か難しい事でも?」
「いや、難しいとは別だ。頭が痛い思いをしているのは事実だが……ダフネというのは誰の事だったか、それも知っておきたい」
ミレイユがヴァレネオへ視線を向けると、数秒考え込んだ後に、明確な答えを返してきた。
「……あぁ、畑近くに暮らしている老婆ですな。採れた野菜の管理を任せている、ドルドの母です。それがどうされました?」
「……屋根の雨漏りが酷いのだそうだ。……こういうのも、我々の仕事になるのか?」
「嘆願自体は権利の内ですし……良くある事ではありませんが、有り得ることです」
「つまり、普通はしないって意味だな。――こんな物まで回すから、私の仕事がパンクするんだろうが!」
いよいよ堪り兼ねて、ミレイユは書類を机の上に叩き付けた。いっそ燃やしてやりたい気分だったが、一応は正式な書類なので、可否のサインだけでもせねばならない。
嵩張る書類と、即座に乾かないインクが、只でさえ簡単に終わらない仕事の完了を遅くさせている。それがまた腹立たしい。
さっさとサインを済ませてフラットロを呼ぼうとした時に、外へ出ていたルチアが帰って来た。
その顔には仕事を完了させた事を報せるのとは別に、微妙な心配事を伺わせるものが浮かんでいる。何も言うなよ、と心の中で念じてみたが、全くの無意味だった。
ルチアの口から、新たな面倒事を報告する内容が飛び出した。
「ミレイさん、喧嘩です。広場近くでやりあっています」
「好きにさせろ、そんなもの……!」
「そういう訳には……。何しろ人数が六、七人いて、その全てが鬼族の戦士です。鎮静するのを待っていると、被害が大きくなり過ぎませんか?」
「全く……っ」
流石に眉間を押さえているだけで、いつまでも防ぐのは不可能で、ミレイユは思いっきり顔を顰めて尋ねた。
「原因は? 喧嘩になった理由とか聞いてるか?」
「ミレイさんが里長やってるのが、どうにも腑に落ちないみたいです。というか、戦争に勝ち目が見えてきて、それで攻めに転じない事を詰る内容ですね。攻めれば勝てるのに、それを止めるミレイさんが理解できない……概ね、そのような感じです」
「馬鹿を言いおって! ミレイユ様に、何たる不遜だ!」
ヴァレネオは憤って机を叩いたが、しかし事実を知らない人――それも鬼族ともなれば、その様に思うものだろう。弱腰と映るのは避けられない。
だが、確かにこれは単に暴れて被害者が出るだけならまだしも、逸って勝手に動き出す事態になりかねない。
ミレイユが指示したものでなくとも、森の民が攻めて来たと認識されれば同じ事だ。
それは結果として、森にとっても、デルンにとっても面白い事態にはならないだろう。
森に住む者の一意見として真っ当であっても、周りを扇動する様な事態へ発展されては堪らない。
「これまでの鬱憤もあったからこそ、なんだろうが……。直近の戦闘では弱卒ばかりに見えただろうし、私という後ろ盾を得て、勝ちを掴めると思っていた矢先だろう……? だが、オズロワーナを攻め落とそうものなら、むしろもっと大きな厄介事になるなど、彼らは想像もしてないだろうしな」
「――では、どうされます」
理知的な話し合いでの解決は、今更難しいだろう。だが、生来の実力主義である鬼族ならば、ある意味で説得は容易だ。
ミレイユはアヴェリンの顔を見て、信頼を預けた笑みを向ける。
「アヴェリン、行って黙らせて来い。力で抑えつけて言うことを聞かせろ」
「お任せ下さい」
「ん-……、別に文句言いたいワケじゃないけどさ。それって余計な反発生まない? そんな無茶が通じるの、今回だけでしょ?」
ユミルの懸念は最もだった。
これからも同様の反発が起きて、そして声を上げるだけに留まらなかったら――。
そして、それをいつもミレイユが指示を出して力付くで黙らせていたら、鬼族だけに留まらず他の種族も不審に思い、連鎖する様にして反発が強まるだろう。
「そうだな。……アヴェリン」
「ハッ!」
「怪我はさせても良いが、重症者は出すな。そして単に鎮圧するだけでなく、稽古を付けるつもりでやってやれ。来る者拒まず、お前の力量を知らしめて来い」
「――お任せを!」
返事を聞くと同時に、ミレイユは首肯して退室を促す。
アヴェリンは意気揚々と部屋を飛び出すと、あっという間に屋敷からも飛び出して行く。窓から見えるアヴェリンの姿も、やはりすぐに見えなくなった。
ユミルもその後ろ姿を目で追いながら、心配そうに呟く。
「いや、大丈夫なの、それ……?」
「単に力で抑えつけるのではなく、力関係を教えてやるのは重要だ。特にアヴェリンに勝てない様なら、都市に行く権利もない、という様な発破を掛けてやれば、それで納得させられると思う」
「いや、そっちじゃなくてさ……」
ユミルが僅かに言い淀んだ隙に、ルチアが言葉を引き継ぐようにして言う。
「重症な怪我をさせるな、っていう点は良いとしても、熱の入った鬼族が、また騒ぎを大きくさせるのではないですか? 喧嘩なんていう小さな騒動を止めるつもりが、もっと大きな騒動に発展しませんかね?」
「それは……」
元より躾けられるよりも前から、実力至上主義に染まっている彼らだ。
冒険者もまた実力至上主義には違いないが、あれらはギルドに所属してから、その思想に染まる。鬼族や獣人族とは、その経緯からして根本的に違った。
その鬼族が、果たしてアヴェリンを前に、転がされた程度、腕一本折れた程度で、動きを止めるなど有り得るだろうか。無力化する為に、多少力が籠もり過ぎるだろうし、それでも止まらないと思わせるのが鬼族だ。
ミレイユは己の失敗を悟らざるを得なかった。
「ルチア……、帰って来たばかりで済まないが、治療の方に回ってくれないか?」
「そうですよね……。そうしなければなりませんか」
ルチアは愉快そうに笑って、手を一振りしてから退室して行く。
気付いていたなら助言しろ、という不満をありありと示した視線をユミルに送ったが、彼女は実に楽しそうな笑みを返して来るだけだった。
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