森の中で その2

 エルフの諸問題を解決するのは良いとして、現実的な問題も解決しなくてはならなかった。

 神々との抗争もその一つだが、それはルヴァイルと対面を待たない事には進められない。

 そしてナトリアが言っていた様に、ミレイユが動かないだけで、デルン王国からの新たな派兵も今の所なかった。


 だが、動きを見せないからといって、対策をしない訳にはいかない。

 あちらの言い分を全て頭から信じる程、ミレイユの頭はお目出度くないし、神々から新たな命令を下されないとしても、やはりデルン王は森を攻め立てる事を止めないだろう。


 かつてオミカゲ様に施された命令は、ユミルが死んでも消えなかった。それを考えれば、スルーズが死んだ今でも、デルン国王に刻まれた命令は消えていない。

 家臣が宥めようと、強行してくる可能性は十分にあった。


 だから何らかの対策は必須だと言えるが、いざとなれば、ミレイユ達が先頭に立って戦う事で問題は解決する。

 例え十万の兵、あるいはもっと多い――三十万の兵で攻めて来ようと、これらはミレイユ達の敵とはならないだろう。


 いつでもミレイユが前に出るのも問題だと思うので、実際には多くを里の民に任せる必要はあると思うが、全滅する心配だけはしなくて良い。

 それは民としても、十分な安心材料だろう。


 森の外についての問題は力業で解決できるし、だから何とか出来る。

 だが、大きな問題というのは依然として残っていて、そしてそれは森の中にあった。


 ミレイユは手に取った書類の一枚を上から下まで読む。そこには食料に関する問題が書かれていた。狭い森の中での自給自足では、支えられる人口数が決まっている。

 その食料供給は戦時とあって絞られていて、それに対する嘆願だった。

 ミレイユはその書類にサインをして、それをルチアへ念動力を使って投げ渡す。


「我々がデルン軍から略奪した食料が、まだ残っている筈だ。今のところはそれで間に合わせろ」

「問題の先送りにしかなりませんけど……?」

「そうだな。改善には時間が掛かる。森を拡大させたとて、罠などの都合や管理の都合で、即座に上手く機能させられない。だが問題は、その拡大させる上で食料の生産者を、他所に使えない事だった。今ならば、その多少の無茶が出来る」


 魔術という便利な代物は、その全てが、現象を解決する万能薬の様に機能する訳ではない。

 そもそも使い手を選ぶし、習得したとして上手に扱えるか、という問題もある。


 魔術で食糧生産を補佐し、その自給率を上げるよう、植物などを管理している者はいる。しかし、魔術に秀でているエルフ全員が同じ事が出来るか、と言えば、否と答えるしかない。


 ルチアは結界術が非常に苦手で、それをモノにするのに大変苦労した。習得する事が出来たのは、一重に彼女が優秀だった事もあるが、苦手を克服するだけの強い意志があったからだ。


 誰もが必死になれば習得できる、というのなら良い。

 だが現実は、誰もが必死になれるものではないし、そして必死になるだけで解決するなら、現在の食料自給率はとうに改善されている。


 そして改善出来ないのは、その生産者でなければ森の拡大が出来ない、というところにあった。食料生産に使う魔術は、草木に作用する魔術を使うのだが、森の拡大に使えば食料の方に手が回らなくなる。


 罠の配置や改善は、他の者にも出来る事だ。

 しかし森を損なわず、樹を切り倒さず、そして新たに畑を作ろうとするなら、それに適した魔術を習得した者を充てねばならない。


 しかし、その魔術を習得するのみならず、習熟している者は他にいなかったのだ。

 生産者を森の拡大へ回せば、食料の供給が下がってしまう。一日で終わる事なら大した問題にはならないが、事はそう単純ではない。


 単に一日の食料生産が下回るだけでなく、この食料は備蓄にも回される事になる。

 いつでもデルン王国は攻める機会を窺っているのだから、戦時の為にも備蓄は必要だった。単に一日の食料消費量を生産できていれば良い、という問題ではない。


 誰にとっても重要な魔術と分かっていても、誰にでも適正あるものではなく、そして戦時であればこそ戦闘に使えるか、あるいは治癒術が求められるケースは多い。

 食料が無くては戦えないが、武器が無くても戦えず、そして怪我から救う為にも治癒術は無くてはならないものだ。


 どれが欠けても森が落とされると分かっていて、それなら適正あるものを習得するのは必定だった。元より適性が生まれにくい系統だけあって、使い手が絞られてくるのも、また必定だったろう。


 ミレイユは里長の仕事を代行するに辺り、まず現状の理解をするよう努めた。書類を読み込みながら、ヴァレネオから聞き取りをし、そうして問題の優先度、改善案を作り出している。


 今回に関しては、まず生産の手を止める事に問題があるので、そう簡単に着手できなかった。

 だが、その間の食料をカバーしてやれば森の拡大を狙う事ができ、それが後の生産率を高めてやる結果になる。

 今までも十分、喫緊の状況で改善はずっと考えられていたが、結局手が出せず追い込まれるがままだった。

 だが、今なら多少の余裕があり、対処ができる。むしろ今やれないなら、今後もずっと無理だ。


 ルチアは書類を受け取っては、とりあえず納得して自らのサインも加えた。

 そうして立ち上がっては、書類を手に外へ走っていく。フラットロを呼ぶ声が聞こえ、そして乾かして貰った書類を手に、走り去って行く姿も窓からも見える。

 ユミルも同様に、それを見つめながら口を開く。


「でもこれってさ、結局その場しのぎでしか無いんでしょ?」

「そうだな。戦争がある限り、この喫緊の状態は続くだろうし、森の拡大にも限界がある。あまり広げ過ぎればやはり目の届かない場所が出てくるし、焼き討ちされたら対処も遅れる」

「幾らフロストエルフが鎮火させるに長けているとはいえ、いつでも間に合うとは言えないものね。それに何より、領土問題が絡んでくると、やっぱりその侵出は看過されたりしないワケで」


 ミレイユはうっそりと頷く。

 今はまだ気付かれないだろう。しかし目端の利く者は必ずいるし、樹木の一本程度ならともかく、森の端が拡大していけば、気付かぬ筈が無い。

 版図の拡大と見られてしまうのは、恐らく避けられないだろう。


「戦争終結が最も望ましい関係だが……。和睦したくてもな……、眷属化したままのデルン王がいる限り不可能だ」

「仮に排除しようと動いたなら、それを神々は許さないワケでしょ?」

「妨害は間違いなくあるだろうし、私達が表に出なくともそれは同じだろう。……いや、一応目はある訳か。結局のところ、戦争状態を維持したいのは信仰を得る事が目的だ。祈る神を持たないエルフより、そうでない種族を攻めた方が効率の面で良い筈だ」


 ヴァレネオは忌々しく顔面を歪ませながら、呪詛を吐くように言葉を落とした。


「そこまで……そこまでするのですか、神々というのは。自己利益の追求……その先が、種族間の争いであり、そして扇動であると……」

「あぁ、それが事実だろうと思ってる。そして、スルーズの出来る眷属化というのは、傀儡政権を作るに最適だったという訳だ。ゲルミルの一族は神々に協力しないだけでなく、逆に眷属化される事を恐れて近付かなかったと思っているが、その点スルーズは神に救いを求めた奴だったからな」

「……愚か者め」


 ユミルが吐き捨てる様に言えば、それにヴァレネオも頷く。


「では、その眷属化が現在も有効で……そして、だからこそ命令された事を愚直に繰り返してくるだろう、と……。ミレイユ様は、そう仰るのですか?」

「一度された命令は、その最期の時まで遂行しようとする」


 ミレイユは一度瞑目して、自分を孔の奥へと送り出した、オミカゲ様の顔を思い出していた。

 単に命令が刻まれていたから千年続けていたとは思わないが、千年続ける助けにはなっていた。解除されない限り、その命令に従い続けるのは間違いないから、デルン国王も下された命令は最期まで継続しようとするだろう。


「具体的な命令の内容は知らないが、エルフへの攻撃は間違いない。どの様な好条件で和睦を突きつけようと、デルン王は頷かないと思う」

「そうね、小回りが利くような命じ方はしないものだし。応用が効く命令は、それだけ強制力を弱めるから、ずっとシンプルな内容を命じていると思うのよね」

「だからきっと、何を働き掛けようと、森への攻撃は止めないと……」

「そうだと思うわ。だから和睦は無理ね、残念だけど」


 ヴァレネオはむっつりと押し黙り、そして固く目を瞑って息を吐いた。

 その遣る瀬ない思いは、森を預かっていた責任者として、怒りを感じずにいられないだろう。

 人の命を、命とも思わないのは神にとっては良くある事だが、策謀の一つとして軽んじられるのは我慢ならないに違いない。


 そしてそれは、ミレイユにとってもまた、同じ気持ちだ。

 ミレイユ自身もその策謀で踊らされ、そして渦中の一人だと知っていればこそ、彼らの怒りを理解できる。お前達の怒りは正当だと、同じ気持ちだと受け取り、それを神々にぶつけてやれる。


 ヴァレネオは嘆息した後、目を開いて問い掛けてきた。


「和睦が無理なら、いっそ排除するというのは?」

「国王だけを排除するのは可能だ。しかし、それをすると証拠を残さずとも森への攻撃が開始される」

「確かに、現状……暗殺で利益を得るのが我々だけである以上、犯人として決め付ける相手は、他におらぬのでしょうが……」

「いや、もっと悪い」


 ミレイユは顔の横で、面倒そうに手を振って否定した。


「魔王ミレイユがこの森にいるのだと、神々が自ら喧伝する。デルン貴族を扇動するだけで済めば御の字で、私を森へ縛り付ける為に、あらゆる勢力を森へ攻め込ませるだろう」

「な、何故……? それは、報復というには余りにも……余りにも苛烈過ぎではありませんか!? 大体、人の世の戦争に、そこまで神が肩入れするなど、不自然極まります!」

「勿論だ。神々は私が森で大人しくし続けるなど、全く考えていないだろう。だが、縛り付けてはおきたいらしい。私が森を――エルフを見捨てないと判断したからには、森の民独力で脅威を排除できない戦力を、送り込んで来るのは間違いない」

「森が平和になれば、ミレイユ様は旅立とうとする……。それは……、えぇ、元より一箇所に留まる御方ではありませんから、それも納得しますが……。それの何が、神々は気に食わないのです?」


 ミレイユは一瞬、言葉に詰まる。

 何が気に食わないか、と言われたら、その答えに窮してしまう。

 ミレイユが単に動き回る事を、嫌がっている訳ではないだろう。昇神させまいとする癖に、現世からは連れ戻したいと思っていた。


 そこに矛盾を感じる。

 だがより不可解に感じるのは、ミレイユを森へ留める目的が、あくまで時間稼ぎを必要としているから、という部分だった。


 戦力の集結を待っているからか。

 ――有り得ない。ならば連れ戻す必要こそが無かった。勝手に現世を満喫し、そして寿命で果てるのを待てば良い。ミレイユには最初から、そうする意志があった。


 だからきっと、そう単純な事ではないのだろう。

 何か複数の狙いが同時にあるのか、あるいはその一つを狙うのに、気付かせたく事情があるからか……。

 隠したい何かの為に、表向きの理由を用意しているだけなのかもしれない。


 だが、確実に困る理由の一つとして、ミレイユの神探しがあるだろう。

 この敵意と殺意を刃として、喉元に突き付けられたくないと思っている筈だ。

 ミレイユの持つ刃は、届きさえすれば、殺傷せしめる。


 それを理解しているから動いて欲しくないし、そして、それを防ぐ策が完成するまで、動いて貰いたくないのではないか――。

 それは思うが、まず自己の保全を確保する為、それが理由だ、という気がした。


「まぁ、だからきっと……。私が神を殺して回ること、それを阻止したいと思っているから……という事になるんだろうな」


 何気なく零した一言に、ヴァレネオは眉間に深い皴を寄せて瞑目した。

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